927 第二次大戦以前の日本における航空技術の導入について教えてください。

当初こそイギリスをはじめ、フランス、アメリカなど各国から軍用機を輸入していた日本ですが、ある時期以降になると、導入先はドイツ一辺倒なってしまう様に見えます。
この理由について、アメリカやイギリスが輸出にあたって提示する価格が日本側の想定より高額であり交渉が成立しなかったためであり、かろうじて支払い可能な金額を提示したのがドイツであった、と、以前このサイトでご教示いただきました。

では何故、アメリカやイギリスの提示した金額に比べ、ドイツの金額は割安だったのでしょう。
ドイツには、航空機の開発費を低く抑えられる理由があったのでしょうか。それとも、とにかく外貨を獲得したいために、いわばダンピングを行ったのでしょうか。あるいは、アメリカやイギリスがいわゆる「足元を見」て高い金額を提示したのでしょうか。
ご教示いただけましたら幸いです。
ひよこ

  1. 戦前の航空機技術の海外との関係を眺めれば、全般的にみて時期があとに下がるほど、イギリスやフランスの影響が薄くなり、アメリカの影響が色濃くなっています。技術的な最前線がアメリカにあることが明らかだったのです。

    しかし、昭和14年12月に日中戦争を原因にアメリカが航空製造用原料、設計図、工作機器、航空燃料の対日禁輸を実施しています。

    でありつつ、その直前には、中島はダグラスDC−4、立川はロッキード・スーパーエレクトラ、昭和はダグラスDC−3を導入中でした。また、日立もアメリカから発動機技術者が指導のために来日中でした。

    アメリカからの技術移入ができなくなって以降は、否応なくドイツ一辺倒にならざるを得なくなります。


  2. 片さんがおっしゃる通りアメリカからの技術導入は可能な限り続けられています。中でもDC-4の購入は日本の航空工業にとって最も重要な最新の沈頭鋲をもたらして戦時の大量生産を支えていますので、ハミルトンの可変ピッチプロペラと並んで極めて重要な技術導入でした。
    技術導入はドイツからの流れより、アメリカからの流れの方が大きな影響を与えているのです。

    ではドイツからの航空技術や製品の購入が順調だったかといえばそうでもありません。ドイツからの流れには大まかに三回の危機があります。
    一回目はドイツ再軍備に伴うドイツ国内の需要増大で日本向けの商談が軒並み中断しかけた1935年、海軍の急降下爆撃機の設計依頼もこれで中止されています。
    二回目は1939年9月の第二次世界大戦勃発です。
    この時、日本はドイツからの輸入杜絶を覚悟して試作計画にも影響が出ています。雷電が液冷ではなく空冷発動機を採用して無理が祟った背景がこれです。
    三回目は1941年の独ソ戦で、シベリア鉄道経由の陸路が失われた結果、ドイツとの取引は封鎖突破船による極めて不安定なものとなり、事実上、断たれてしまいます。
    こんな流れの中で、必要な技術や製品を何とか入手しようとしていたのが当時の陸海軍で、大戦勃発以降の取引は戦時中の新兵器開発と絡んで目立ちはするものの実質的にはあまり役に立っていません。
    これ以降は相手がどこであれ、買えるものは金に糸目をつけずに購入していたのが実情で、どちらが安い、といった話ではなくなってしまいます。
    BUN

  3. 片様、BUN様、お答えありがとうございます。

    日本側はアメリカから技術を導入したいと考えていたし、実際に、高額であろうと可能な限り様々な機体や技術を購入していた。技術の導入を妨げたのは、金額よりも政治状況だった。このように理解して良いでしょうか。

    あくまでイメージですが、ドイツの技術の方がアメリカより優れている様に思っていました。例えばエンジンならアリソンよりDBの方が、プロペラならハミルトンよりVDMの方が優れている、という様に。余談めいてしまいますが、市販書籍などで第二次大戦後のアメリカの航空技術について「ドイツの進んだ技術を導入したことによって可能となった…」と枕詞の様に語られるのも目にします。
    少なくとも戦間期の日本は、アメリカよりもドイツの技術の方が優れていると判断してそちらに乗り換えたというわけではなかったのですね。
    ひよこ

  4. アリソンV-1710は実用二段過給器エンジン(機械式過給+ターボ過給)として世界最先端を行くもので、DB600シリーズよりひと時代先を進む製品です。何となくDBの方が精密で高性能な気がしますが、実際には比較になりません。第一次大戦後のブランクを経てようやく世界水準に追いついたのがDB600シリーズだとも言えます。
    また日本でハミルトンプロペラが旧式な印象を与えるのは新型の導入ができないまま、VDMからのライセンスを購入したため高性能機にはVDMが採用され、ハミルトンが爆撃機などに回されたからです。
    日米関係が順調であれば次世代の可変ピッチプロペラの購入先はVDMではなくハミルトンになっていたはずです。
    BUN

  5. ハミルトンスタンダードの新形式・広角プロペラはフルフェザリングできたんですが、これは時期的に日本では買えなかったですしね。

    対日禁輸発動直前のアメリカからの「買い物」は、機体だけでなく、ゲーリンプロセスのような工作法や、2000トン油圧プレス機のような工作機械がセットになっていました。すでに政治的にきな臭くなっている中で、アメリカ側のメーカー各社が日本に対して商売熱心でなかったら、日本が大戦中にあのような軍用機の多量生産を実現することは出来なかった、といって間違いないところなのです。

    そうした買い物を実現できたほどに、日本の航空産業にとってアメリカの航空産業の方が、ドイツよりもずっと、近しいものだったといえるのかもしれません。


  6. BUN様、片様、再度のご教示ありがとうございます。

    アリソンエンジンについても、ハミルトンプロペラについても、私の抱いていたイメージは、文字通りイメージでしかなかったのですね…。
    そして、アメリカから導入した工作法や工作機械が日本の航空産業を支えていた。むしろ、日米の政治状況を考えれば、ドイツからのそれよりも、よほど順調に導入されていた、と言うことさえできるのではないかと感じました。

    蛇足ですが、今更ながらアメリカと戦争しても勝てるはずがないな…と思いました。
    認識が変わると共に、改めてアメリカの航空技術に興味が湧きました。ありがとうございました。
    ひよこ


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