953 日本海軍は艦爆・艦攻を複座の流星に統合しすると同時に偵察専用の三座艦載機彩雲を開発しました。
米海軍の艦爆・艦攻を統合したスカイレイダーは単座機ですが米海軍は空母の偵察機はどのようにしようと考えていたのでしょうか?
勝丼

  1. 肩身が狭いのですが、このような回答でよろしいのでしょうか?

    米海軍の偵察機の一覧表をごらんになればお分かりのように:
    http://en.wikipedia.org/wiki/Template:USN_scout_aircraft

    1)大戦末期には、米海軍艦上偵察機は、絶対的制空権内での活動が基本になりましたので、最後のスカウト・ボマーのダグラスBTD-1 デストロイヤーには後部銃座必要なくなって廃棄され、単座機になりました。

    2)単座機での目視での写真偵察だけなら、写真機の進歩も加わり、戦闘機から派生したボートF4U-5Pコルセアのような長距離写真偵察機の方が、速くて安全になりました。

    3)本業の長距離の対艦対空偵察なら、写真偵察機ではなく、スカイレーダーに機上レーダーを搭載したAD-4Wなどの方が、目視での偵察機などよりも、よほど役にたつようになりました。

    4)朝鮮戦争で、米海軍空母兵力のドクトリンが大きく変革され、艦上単座目視写真偵察機の仕事は、長距離対艦偵察に代わって、地上攻撃機の作戦前後の戦術偵察に限定されるようになり、それなら高速で音も気づかれにくい、ジェット戦闘機から派生したグラマンF9F-2PパンサーやマクドネルF2H-2Pバンシーの方が、もっと速くて確かで安全だということになりました。

    5)時代が進んだキューバー危機においても、U-2では正確に把握できなかった目標に対して、ボートRF-8Aクルセイダーが理想的な超低空精密写真偵察に成功したのは、ご承知のとおりです。
    豪腕少年タイフーン

  2. 戦後にどうなったかではなく戦時中にどう考えていたかですよね?

    実用化された機種だけでなく試作機や計画機の方も見てみると双発三座雷撃機のXTB2FやXTSFという双発複座の雷撃偵察機、単発複座のXTB3F(ジェットエンジン併用)にXTB2Dと色々出てきます。
    少なくとも戦時中の時点では艦上機を単座で統一する気も無ければ艦攻と艦爆の統一も真剣に考えてはいなかったのではないかなあと。

    艦攻が三座→二座、艦爆が二座→単座と変化したのは防御機銃だけでなくロランのような航法システムの発達も影響したものと思います。
    名無し

  3. 戦時中の米海軍の艦上偵察機をどう考えていたと想像する材料の一つとして、流星や彩雲よりも少し後の1941年2月に計画された、プリフィックスに偵察機の「S」がついた、たぶん最後の計画機の、まぼろしのカーチスXSB3Cが参考になるかと存じます。一応ヘルダイバーの後継機ですが、この時期の艦上攻撃機として、雷撃機+急降下爆撃機に、おきまりの偵察機としての任務が与えられております。つまり正確には「XSBTC」と称すべき機種でしょうか?まぼろしに終わったのは、最終的にダグラスに負けたのが主原因のようですが、雷撃機のくせに複座→単座と要求が変わっていったのも、計画だおれになった要因のようです。ほかにも、空母ではavgas115燃料が使いづらかったとの、とっても贅沢な悩みもあったみたいです。

    なぜ日本海軍は無武装同然の艦上偵察機を必要としたのか?
    なぜ米国海軍はスカウト・ボマーだけで十分だとしたのか?

    戦後に、米空母に搭載された一番バカでかい艦上機が、無武装の偵察専用のノースアメリカンRA-5Cヴィジランティだった時期があったことを勘案すると、いくら当時のセンサーが操作に人手がかかって大きくて重たかったとしても、なかなか納得できる説明が困難だと苦慮しております。
    豪腕少年タイフーン

  4. ↑少し訂正させてください。

    たぶん最後の計画機の→たぶん最後の(かなりな予算がついて実用のメドがついていた)計画機の

    追加:戦時中に米国のBureau of Aeronauticsが、次期攻撃機は単座機が望ましいと正式に決定しております。
    豪腕少年タイフーン

  5. ↑↑もうしわけございません。

    どの時点で開発開始と決めるのが適切なのかよく存じませんのが、

    流星や彩雲よりも少し後の→流星や彩雲とほぼ同時期の

    の方が、適切でしょうか?
    豪腕少年タイフーン

  6. 工業生産力の劣る日本が偵察専用機を開発するのは疑問かもしれませんが、陸軍では100式偵察機を運用してるなど考えると、海軍は空母でも運用可能な高速偵察機を必要としたのではないでしょうか?
    彗星を二式偵察機と運用してるわけですし。

    マルヤ

  7. >4
    その決定とは43年に一連の単座BTを開発する契機となったものでしょうか?
    2で挙げた二座〜三座の雷撃機はみな単座BTより後に開発が始まっていますし、最後発で唯一実用化にこぎ着けたTB3Fを攻撃機ではなく哨戒機とする決定がされたのは戦後に入ってからです。時系列順に見るとどうも統一された方針に沿っているようには思えず、単座攻撃機による統合がどこまで本気だったのか疑問に感じてしまいます。
    TBFも偵察に使われていましたから、BT登場後も遠距離の偵察任務は結局新型TBにやらせるつもりだったとすると判りやすいのですが。早々に放棄されたとはいえTBの後継にTSという新機種の計画まであったわけですし。

    >5
    彩雲は17試ですからSB3Cよりだいぶ後ですね。
    単能機になったのは航法の都合で三座が求められたこと、使えるエンジン出力が限られていること、アウトレンジ戦法との兼ね合いで長大な航続性能が求められたことなどを勘案すると仕方のないところかと思います。

    名無し

  8. > その決定とは43年に一連の単座BTを開発する契機となったものでしょうか?
    すみません。原本(どうせ孫引き)が手元に見当たりません。近いうちに探しておきます。もうしわけございません。

    ここでガーディアンをもちだすのは、ちょっと???BTD-1はSB3Cとも名づけられていましたので、立派なスカウト・ボマーですが、AFは(対潜)哨戒機にすぎず、スカウト・ボマーに入れるのは少し違和感があります。SはAntisubmarineの「S]か、surveillanceの「S」かと誤解してしまいそうです。

    > 使えるエンジン出力が限られていること
    まあ、これにつきるでしょうね。米国海軍のスカウト・ボマーは、開戦当初から、完全装備で悠々と飛んできていました(零戦にコテンパに)が、わが彩雲は、大口径機関砲を装備したり、爆装したりすると、せっかくの俊足が台無しになったと聞いています。もはや搭載する空母もなくなっしまったのに、このような艦上偵察機を、雷電はおろか、紫電改にも匹敵するほど多くの機数を製造した理由は、私にはよく納得できません。

    豪腕少年タイフーン

  9. また、間違いです。訂正させてください。

    BTD-1はSB3C→BTD-1はSB2D
    豪腕少年タイフーン

  10. >8
    紫電改は紫電二一型以降の通称です。
    彩雲と生産数を比べるのでしたら、生産時期からして紫電と紫電改を合わせた総生産数と比べるべきです。
    川西絶叫市民

  11. >8
    情報収集のために偵察機は必要です。
    ほかの艦爆や艦攻で代用できないならば専用機を作るのも仕方ないでしょう。
    苦労しながらも兵器を作り続けた旧軍に対しての非難する態度こそ私には納得できません。
    マルヤ

  12. > 豪腕少年タイフーンさん
    ここは質問者様に対して回答する場所ですので自説にこだわるならば新たに質問スレッドを立てるか議論ボードがよろしいかと思いますが?
    マルヤ

  13. 私は議論したり、私の主張を押し付けようとしているのではけっしてありません。もしこれ以上議論したい方がおられましたら、どうぞ、ギボにお移り下さい。

    私は、単に質問者の疑問を受けて、日米海軍が、艦上偵察機について戦時中にどのように考えていたのかとの疑問に対して、戦後の米国の偵察機の変遷から類推できないかと考えた次第です。

    また、戦後のことではないとのご指摘を受けましたので、戦時中に:

    ・なぜ日本海軍は無武装同然の艦上偵察機を必要としたのか?
    なぜ「ほかの艦爆や艦攻で代用できないならば専用機を作るのも仕方ないでしょう」と、空母がなくなっても頑固に固守していたのか?

    ・なぜ米国海軍は、スカウト・ボマーだけで満足していて、日本海軍のように高速長距離低武装の艦上偵察専用機を必要としなかったのか?
    時代が下ってからは、RA-5Cのような超大型機を苦労して運用せざるをえなかったのに・・・

    の、二つの疑問に対する回答に、質問者にちゃんとお答えできないのを、あやまっているだけです。


    二つ目の答えは、最初に回答したように、大戦末期には、米海軍には絶対的制空権を獲得した上に、かつ将来ミグ-17Fを撃墜できるような高い機動能力を持ちながら、大馬力エンジンに支えられた大きなペイロードと長い航続力を誇る単発艦上攻撃機の運用のメドがたったため、専用機としての、低武装の長距離高速三座艦上偵察機の必要性がなかったと考えていたのではないかと想像しています。もちろん戦後すぐに、そんな目論見は霧散してしまい、米海軍も艦上偵察専用機の運用に苦労するハメに陥ったと考えております。
    豪腕少年タイフーン

  14. >8
    TB3Fは計画時点ではれっきとした雷撃機であり対潜哨戒機へ変更されたのは戦後に初飛行した後ですから、戦時中に行われたとされる「次期攻撃機は単座が望ましい」という決定に反する例として挙げています。戦時中に単座化が基本方針となっていたにしては用途変更が遅すぎるというか、複座で開発されたのがまず不自然ですよね。
    「TBFも偵察に〜」以降はTB3Fよりもその前に計画されたTSFなどを念頭に置いた記述でした。もともとTBも偵察任務に投入されていたこと、そしてBT2Dと並行して雷撃偵察機が計画されていた事実は外せないかなと。それにTB3Fにしてもジェットエンジンを外したことで当初目論んでいた高速性能を失っていますから、完成した機体が偵察任務に使われなかったとしてもそれが計画時点の意図通りとは限りませんし。
    結局対潜機以外はBT2D一機種で統合されたわけですが、それは最初から意図していたことなのか、各機種の出来を見てから決めたことではないのかという疑問なんです。

    >もはや搭載する空母もなくなっしまったのに
    陸上高速偵察機として他に適当な機体が無かったからでしょう。
    最初から陸上機として設計された景雲やキ83が間に合いそうにない状況で百式司偵より航続距離が長く高速かつ実用化に目処の立った彩雲を捨てる必要は無いと思います。
    名無し

  15. >13
    >米国の偵察機の変遷から類推できないかと考えた
    ここは類推を書いて良い場所ではありません。判らないことは無理に答えなくても良いのです。
    出沼ひさし

  16. > 豪腕少年タイフーンさん
    質問者様に対して明解の回答できないならば書き込まないで下さい。
    質問者様が混乱するだけです。
    マルヤ

  17. >15,16
    私怨が混じりすぎじゃないでしょうか。
    他人に押し付けるには厳しすぎる基準と思います。
    また、16は質問者様という言い方も嫌味に聞こえます。
    pile

  18. ツイッターの方で大塚先生が「戦時中の試作でBT以外の多座の艦攻が残るのは、長距離索敵用に無線手を乗せた多座機が必要だから」とそのものずばりな書き込みをされていたので自分はこの辺で引っ込みます。
    https://twitter.com/Fruskiy001/status/490363661131579393

    2の最後の一行は見当外れだったようですね。すみません。
    名無し

  19. >17
    米海軍の偵察機ドクトリンを問う質問ですから、それに関する何らかの資料を読んだ上で回答すべきです。
    そのような資料を読んでいないなら無理に回答せずとも良いのです。
    飛行機からの類推のみでは「零戦は制空戦闘機として開発された」と同様の間違いを犯すと考えます。

    回答は義務ではないことをご理解下さい。
    出沼ひさし

  20. もう書き込まないつもりでしたが、ソースを出せとのご指摘がありましたので、紹介いたします。

    E.R. Johnson著American Attack Aircraft Since 1926のAttack Aircraft Designs That Never Flewに「In late 1943, after BUAER issued the new requirement for a single-seat bomber-torpedo aircraft, the XSB3C-1 was cancelled while the prototypes were still under construction」とあります。この時点でのBuAerの決定が、スカウト・ボマーの終焉を意味します。

    また彼我の戦訓により、敵航空優性下でないかぎり、優れた通信設備や機上レーダーを搭載したPB4Y-1PやPBJ-1が、長距離対艦(船)偵察(攻撃)に有効であることが証明され、PBJ-1Hが空母シャングリラでの運用試験に成功したことはご承知の通りです。

    繰り返しになりますが、お題の米国海軍艦上偵察機の開発は、SB3Cを中止した時点で、味方航空優性のもと、陸上機や大きなペイロードとすぐれた航続性能を誇る艦上雷爆撃機から派生した三座のXAD-1Wなどに移行しております。さすがの米国海軍でも、正規空母に3機程度しか搭載しない艦上偵察専用機(必要機数は簡単な掛け算)を一から開発する意向はもてずに、現在にいたっています。
    豪腕少年タイフーン

  21. では私も再度お付き合いします。

    >20
    豪腕少年タイフーン様のご回答だけ見ますと43年のスカウトボマー開発中止決定を受けてすぐXAD-1W(XBT2D-1W)の開発が始まったかのように読めてしまうんですが、実際に開発が始まったのは45年以降ですよね。試作機完成は46年ですし単座型のXBT2Dからして44年開発開始です。20の内容ではここで問題となっている43年の決定から終戦までの空白が埋まらないことに変わり無いと思うのですが。43年時点の戦況で陸上偵察機さえあれば艦上機が索敵を行う必要など無いと判断されるとも考えにくいですし、44年に空母上でテストされたPBJも結局艦上機としては採用されていません。
    大塚様が仰ったように43年以降計画・開発された各種多座TBがその穴を埋める予定であった(しかし実現せず戦後にBT2Dの多座型で代替された)とするなら納得出来るのですが、20で示された資料ではスカウトボマー廃止後にスカウト任務をどう代替する方針だったのかという点についても言及されているのでしょうか。

    >正規空母に3機程度しか搭載しない艦上偵察専用機
    艦上雷爆撃機から派生した三座のXAD-1W早期警戒機、その任務を現在担当しているのは専用設計のE-2ホークアイではありませんか。
    名無し

  22. これ以上はキボにお移り頂ければ幸いです。

    なお、スカウト・ボマー達や彩雲がめざした敵艦隊の長距離索敵の現在の後継者はホークアイではありません。冷戦下の朝鮮戦争や核兵器の発達から、冷戦終結をへて、米空母兵力のドクトリンは何度も大きく変革されております(プロシーディング誌をお読みならお判りと存じます)。

    Network-centric warfareの今では、私どもには知りえない衛星やSOSUSから有人・無人偵察機まで、想像することすらできません。

    今後も攻撃のためだけの艦上偵察専用機を3機つづ開発する予算が下りるとは思いません。しかし議会はCarrier strike groupを護るためなら、少数の専用レーダーでも、専用ミサイルでも、専用AEWでも、よろこんで予算をつけてくれるでしょう。
    豪腕少年隊f-ん

  23. >22
    すみませんがキボとは何でしょう。

    >長距離索敵
    E-2の開発予算が出た時点では海洋監視衛星は存在せずSOSUSも運用開始前後だったはずですが、とりあえず艦上機によらない索敵手段ということなら昔から陸上哨戒機や各種哨戒艦艇による監視網、陸上の監視所といった存在はあったのですから、殊更E-2をそれ以前のE-1やAD-4Wなどと別扱いする必要も無いのではないかと考えて21の表現になりました。
    まあそもそも戦前戦中の偵察機というカテゴリー自体が今日の感覚からすると幅が広すぎるのが話題が散漫になる原因かもしれませんね。
    名無し

  24. 1)>23→12
    2)潜水艦をお忘れなく
    豪腕少年タイフーン

  25. >24
    議論ボードの略称の誤字ということですね。失礼しました。

    私はご回答で疑問に感じた点を勝丼様の元質問に便乗してお聞きしているだけなので、議論ボードへ移行する必要性は無いと思いますよ。それとも元質問自体が決まった答えが無い議論ボード向けの物であるということでしょうか。それこそ出沼ひさし様が仰ったようにWW2米海軍の偵察機ドクトリンの変遷に関する資料さえあれば終わる話のはずですし、それが出てこなければ無理に話を続けずともとりあえず棚上げで良いと思うんですが。

    >潜水艦
    哨戒と付けたので伝わりにくくなってしまったかもしれませんが、「各種哨戒艦艇」は潜水艦も含めてイメージしておりました。実戦では役立ちませんでしたが日本海軍は潜水艦隊による哨戒線で来寇する米艦隊を早期に捕捉するつもりでいたわけですし。
    名無し


Back