リノ・エアレース観戦記 2006年 頑張れサンダーマスタング


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以前にも書いたように、新機種開発はここ数年バイプレーンとスポーツクラスで活発である。スポーツクラスは 1998 年から始まった新しいクラスなのだが、レシプロ動力の高速自家用機によるレースである。詳しいレギュレーションは調べていないが、出ようと思えばセスナ 172 だって出られるのではないだろうか。もっとも 98 年優勝機のラップ速度が 308mph(267kts)だから、VNE(絶対速度制限) 150kts の 172 は絶対に勝てないだろうけど(笑)。

さて、スポーツクラスには始まって以来(正確に言えば 99 年から)の問題児が一機いる。「サンダーマスタング」、P-51 ムスタング戦闘機の 2/3 レプリカである。エンジンは無過給で 640hp の馬力を出すライアン・ファルコナー液冷 V12 気筒 600qin(9,848cc)、機体はカーボンファイバー複合材の一体成型で、軽金属のフレームをモナカのように挟んで製作される。機体重量は全備で 1451.5Kg、本物の P-51 がマーリン 1650qin(27,038cc)1500hp で全備 5261.7Kg に比べると馬力荷重は 2.27 : 3.51 (Kg/hp)で、海面高度での上昇率は 5200ft/min : 2800ft/min と倍近い性能を持つという。

http://www.thundermustang.com/index.html (註:リンク切れです)

リノの初登場時、サンダーマスタングはアンリミテッドに出るとの噂が流れて話題となった。「無制限」と名が付いているとはいえ、アンリミテッドは Warbirds Jockey の聖域である。90 年代に「ツナミ」や「ポンド・レーサー」などスクラッチビルドのレーサーが登場したときもかなり抵抗があったそうで、特に日産の自動車エンジンを積んだポンドレーサーへの風当たりは強かったようだ。また 2000 年にはアラン・プレストンが零戦(!)を、スキップ・ホルムが T-28 練習機をウケ狙いで持ち込もうとして一悶着があったらしい。零戦は(幸か不幸か)出場を果たせず、T-28 は「最低速度規定を満たさない」という理由でディスクォリファイされたと記憶している。しかし同じ R-1820 エンジンで飛行性能も大して違わない FM-2 がここ数年連続出場最下位記録を更新中なのを見ると、どうもアンリミには「Warbirds Jockey」の圧力がかかっているように思えてならない。

で、サンダーマスタングである。すったもんだの末にアンリミテッドには「最低重量規定」が追加され、アンリミテッド出場の道は閉ざされたと僕は理解している(噂話のまた聞きなので、信憑性のほどは保証しかねるが)。ならば1クラス下のスポーツクラスで憂さ晴らしに連続ぶっちぎり優勝…となっていないのが、この機体の問題児たる所以である。実は初出場以来1度も優勝経験がない。98, 99 年はトラブルで決勝進出できず、2000, 2002, 2004, 2005 と連続で「2位」である。(2001 年は 9/11 事件の影響でレース開催できず、2003 年には又もや開催者側とのトラブルがあって欠場)。

サンダーマスタングにとって不幸だったのは、2002 年から伝説の名パイロット、ダリル・グリネマイヤーがランスエア社ワークス・チューンの「ランスエア・レガシイ」をひっさげてリノに戻って来たことにある。グリネマイヤーは数々の記録と逸話に彩られた元米軍テストパイロット、リノでは 1965〜1977 までにアンリミテッド優勝7回の記録を持ち、この記録に並ぶ者は現在までの所一人もいない(「ストレガ」のビル・ディスティファニーと「レアベア」のライル・シェルトンが並んで6回、「雇われガンマン」スキップ・ホルムが5回)。グリネマイヤーのレガシイは機体そのものも速いのだが、何せ操縦桿を握っているのが神様級である。漫画「アンリミテッド・ウィングス」にも描かれているが、観客席前のストレート・ストレッチを過ぎて最初の1番パイロンの旋回点で、彼の機体は誰よりも低く、誰よりもパイロンに近いコースを毎回定規で引いたように正確に飛ぶ。カムバックの 2002 年、日曜の午後リノ・ステッド空港にはネバダ名物の砂嵐が吹きすさび、アンリミテッドでも最初の1周で数機がまとめてパイロンを見失い豪快にショートカットしてしまう程の悪天候となった。機重の軽いスポーツ・クラスでは風に煽られ飛ぶのがやっとの機体さえあったのに、グリネマイヤーの No.33 は平然といつものコースを正確に飛び、スポーツ・クラスのコースレコード更新のおまけを付けて優勝した。

2004 年からは更に悪い(レースファンにとっては喜ばしい)ニュースが重なった。ジョン・シャープ率いる「スカンクワークス」がネメシス NXT を完成させたのだ。前作「ネメシス」はフォーミュラ1クラスで圧倒的な速さを誇り、1991〜1999 の9年間連続出場・連続優勝で文字通り「ぶっちぎり」の記録を作り、引退後はスミソニアン博物館ウドバー・ハジー・センターに展示される栄誉に預かった機体である。しかし 2004 は機体が間に合わず、2005 は会場エントリーしたもののトラブルで出場できず、その真価が問われるのは今年 2006 のリノが舞台となった。

しかし 2006 年、出場パイロットのなかにダリル・グリネマイヤーの名前は無かった。彼のチームは No.33 を率いて参加しているが、ロッド・フォン・グルートという聞いたことのない名前がパイロットとして登録されている。詳しい事情は僕も知らないが、年齢と関係があるには違いない。アメリカの航空法では飛行免許に年齢上限はなく、航空医療検査(メディカル・チェック)を通りさえすれば何歳でも飛行機の操縦ができる建前になってはいるのだが、連邦航空管理局(FAA)は老人が操縦桿を握ることを好まない。この問題では数年前にボブ・フーバーが FAA と悶着を起こしている。

かくして、2006 年スポーツ・クラスは悲願の初優勝を賭けたジョン・シャープのサンダーマスタング、伝説の機体を駆る新人ロッド・グルート、未知の実力を秘めたジョン・シャープの怪物ネメシス NXT という、長年の(僕もリノに通ってもう 7 年目だ)レースファンでさえ結果を予想しかねる展開となった。

僕の観戦は土曜日からである。午後のヒート3A予選、やはり先頭集団3機は飛びぬけて速い。飛び出したのは No.33 レガシイだが、No.351 サンダーマスタングが追い上げてゆく。バックストレッチからの追い上げで終にレガシイを捕捉し、観客席前でぶち抜いて1番パイロンを回ってゆく。レガシイは何故か反撃を試みる様子がない。やはり神様でないと駄目なのか?サンダーマスタングの平均速度は驚異の 370.45mph、決勝でもこのペースをキープできれば念願の初優勝を得られるかも知れない。

日曜日、No.33 は隠していた牙を剥いた。ファーストラップから猛然と追い上げて一瞬のうちにサンダーマスタングを抜き、追撃を嘲笑うかのようにじりじりと距離を離してゆく。サンダーマスタングの後ろには蛍光パープルの機首を光らせた No.3X ネメシス NXT が迫ってくる。前門の虎、後門の狼のかたちである。今年は2位にも入れないのか?!しかしサンダーマスタングもペースを上げ、少なくともネメシスとの距離は離していった。最終ラップの最終コーナー、突然サンダーマスタングは妙な動きをした。レースを離れプルアウトする動きを見せたあとで、再びコースに戻ったのだ。何があったのかは知らないが、この期に及んでこのロスは痛恨だった。速度を落としたサンダーマスタングの横をネメシス NXT が軽々と抜いてゆく。リノ・スポーツクラス 2006 年、チェッカーフラグを切ったのは神様なきレガシイ・No.33 のロッド・グルート※、2着はネメシス NXT、初優勝を賭けたサンダーマスタングは3着に甘んじる結果となった。

※RARAの公式ページを見たところ、ロッド・グルートの No.33 はファーストラップで6番パイロンのカット判定が下され、12秒のペナルティを課されて2位の結果になっていた。

上のURLを見た方はお気づきかと思うが、サンダーマスタングは既に生産されていない。90 年代のウォーバード・ブームにあやかりビッグビジネスを夢見て製作された機体だったのだが、結局数えるほどの機体しか売れず、製造元の Papa51.Co.Ltd は赤字を抱えて会社をたたんでしまった。サンダーマスタングの製造権と製造設備は現在競売にかけられている。リノの問題児は実社会でも問題児だったのだ。

でも、僕は応援しているぞ、サンダーマスタング。威勢の良いファルコナー V12 の甲高い爆音がなくなれば、スポーツクラスはちょっぴり寂しくなってしまう。エアレースの観客はいつでもイロモノが大好きで、君は紛うことなくスポーツクラス一番のイロモノだ!(褒めてんのかな、これ?)

頑張れ、サンダーマスタング!


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