Avia B.534

 第二次世界大戦においてチェコが唯一装備していた国産戦闘機がこのB-534です。


第1章 B-34シリーズの適当な解説

・初めにB-34ありき

 まずB-34が1932年にそれまでの機体(BH-21〜BH33)の更新として誕生します。
 この機体は複葉固定脚・開放コックピット・機銃2丁と当時の各国の標準的なスタイルを持ちますが、 搭載されたVr-36(HS-12Ybrのライセンス品)650hpによって365km/hと当時としてはかなり高速な機体で、 素直な飛行特性を持っていたようです。
 しかし、B-34は10数機しか作られませんでした。 これは折からの不況にも影響されているかもしれませんが、主要な理由は以下にあります。

・矢継ぎ早のエンジン載せ替え計画

 AviaはB-34が飛ぶや否や、早速機体のバージョンアップに乗り出します。
 その結果、まずは下記4種類のエンジン積み替え計画が立ち上がります。
   B-134 Walter "Mistral" 14Kbs 700hp
   B-234 Avia R-29(恐らくHS-12Ycのライセンス品) 600hp
   B-334 Armstrong Siddeley "Jaguar Major" 600hp
   B-434 Hispano Suiza HS-12Xbrs 460hp

 しかし、これらの計画機のうち結局実際に作られたのはB-234だけで、B-234完成する頃には既に次のエンジンが決まっていたので、B-234も1機のみに終わりました。

・真打ちB-534

 Aviaは当時入手可能なエンジンの中で、恐らく一番高出力を発揮するHS-12Ydrsのライセンスに目処がついた事をうけて、B-234の設計を流用してB-534の制作を始めます。
 とりあえず、先祖帰りのHS-12Ybrを搭載したプロトタイプが初飛行したのは1933年5月25日、 1年足らずであっという間にサブタイプナンバーばかり上がってきたB-34シリーズもようやく完成を迎え、 1933年9月10日の空軍記念日に公開されます。
 B-534はこの後ドイツに踏み込まれるまでチェコスロバキア主力戦闘機の地位を守り続け、 数回のマイナーチェンジを経て最終的に445機が生産されます。

 B-534-1は機銃を4丁に増やし(胴体側面に2、下翼に2)武装を強化しました。  また機首をやや延ばし反対にラジエータの取り付け位置をやや後方に移したため、 B-34よりスマートな印象を受けます。
 これは100機程度が1935年内に配備され、旧型機を一掃しました。

 次に来たB-534-2は全ての機銃を胴体側面に移動したマイナーチェンジ版で46機が1936年に配備されます。
 これで特徴的な胴体側面の大きなバルジが付きました。

 このころになると、そろそろヨーロッパの雲行きが怪しくなってきました。
 そこで1937早春に緊急的に26機のB-534が調達され、これはB-534-3とされます。
 このバージョンは機首下面の吸気口が大きく変更されます。

・大量発注B-534-4

 1937年を迎え、状況は刻一刻と悪化している様です。 特に、お隣のドイツは「隣国は自国領」といった態度で危険きわまりなく感じられます。

 チェコ軍はとりあえず自国領防衛のため、新規戦闘機(B-35)を開発するかたわらで、B-534を大量発注することにします。
 コックピットが密閉式に変更されたものが、 B-534-4として1937年春から1938年夏にかけて272機が生産され、 B-34シリーズの代表機種となりました。

 また、B-534-4改造のエアレース機は1937年のレース(チューリヒ国際飛行大会)で2着に入り快速ぶりを披露しています。
 (その時の優勝はドイツが持ってきた得体の知れない単葉機でした)
 オリジナルのB-534-4でさえあの胴体側面の大きなバルジがあっても380km/hですので、 非武装のカスタム機はさぞ速かったのでしょう。

・さらに武装強化?BK-534

 1937年にはB-534-4をベースにして、さらに武装強化を目指したBK-534が制作されます。
 幸いにしてライセンスしていてなおかつ載せ替え可能なエンジンHS-12Ycrsにはモーターキャノンを積むことができるようなので、エンジン本家のフランスにならって軸内にイスパノ20mmを搭載しました。
 BK-534はB-534-4をベースにしたはずなのですが、 増える重量を嫌ってか7.92mmは2丁に減らしましているので、 胴体側面のバルジは-1に準じた小さいものになっています。

 しかし、配備できれば強力な戦力になるはずのBK-534は、 慣れない外国産の機銃を積んだからかモーターキャノンがうまく作動せず、 エリコンも試したようですが結果は同じで、 トラブルが解消されるまで暫定措置として軸内には手慣れた7.92mm機銃を搭載することにしましたが、 問題が解消される前に1939年3月を迎えチェコは消滅してしまい以後終戦までBK-534は7.92mm3丁のままで、 結局のところいろいろ手を尽くした割にはB-534-4より弱くて遅い機体を増やしただけになってしまいました。
 BK-534はB-534と共通のシリアルが使われ、最終的に120機ほど作られたと言われています。

・夢か幻か?B-634&BK-634

 B-534が軌道に乗った頃(はっきりしないのですが、1935頃の計画だと思われます)さらに高速な機体としてB-634が計画され、機体設計を大幅に見直し400km/h台の速度を出すことに成功したようです。しかし、B-534との部品の共通性がかなり低くなってしまったためか量産化は見送られ、ごく少数が作られたにとどまりました。

 B-534と同様に武装強化版BK-634も計画されましたがこれは計画のみに終わっています。


第2章 不本意に使われる世界のB-534達

 「チョコスロバキアを護る」ために作られたB-534は大国の思惑に振り回された結果、 本来の役割には全く貢献する事ができませんでしたが、侵略者その他の意図によって結局終戦まで使われました。

・まず侵略前後のチェコスロバキアから

 あれだけ一生懸命B-534を作りまくった事もあり、1938年9月、ズデーデンラント進駐の直前には、 B-534-4を中心として330機弱の戦闘機が第一線に配備され、 他に予備・工場出荷待ちで120機ほどが待機状態になっていたとされています。

 これらの戦闘機は、 ズデーデンラント進駐に端を発しスロバキア人の不満が爆発し1939年3月にスロバキアとして独立した時に多数がスロバキアに移籍し、 残った機体はスロバキア独立とほぼ同時に保護占領と称してドイツが侵略し接収しました。
 またその時にポーランド等に亡命した機体もあったようですが、 亡命後の運命は分かっていません。

・ちょっとは本意かもしれないスロバキア

 スロバキアは独立早々の1939年3月領土問題でハンガリーと衝突します。 この紛争でハンガリー軍のCR-32と交戦して2機を撃墜、 次に1939年9月に味方ドイツ軍の低速単発爆撃機(Ju87)を護衛してポーランドに攻め込みます。
 独ソ戦でも同様の任務を行いますが、空戦での被害はほとんど無いものの、対空砲火・事故などにより次第に消耗し、最終的に1941年の冬になると補充物資が滞って活動不能になり、スロバキア本国に引き揚げます。
 以後、戦闘機部隊はMe109の供給を受けるため、1944までB-534の活動はほとんどありません。

 1944年8月末から9月にかけては、 ドイツ東方の盟友が一斉に反旗を翻す事になりますがスロバキアも例外ではなく、 ここに至ってB-534の残存機は再び戦闘機として用いられます。(一部はソ連に援助を求めるために離脱します)
 当時の戦闘機の性能と比較すれば分かるように (なんといってもこの時点ではB-534は10年前の優秀機です) 非常に苦しい戦いを強いられましたが、 ソ連に行った連中がLa-5FNを受領して戻ってくるまでなんとか国を支え、 La-5FNが充足するとB-534は前線から引き上げられて戦いは終わりました。

 この最後の戦いのなか、1944年9月2日にB-534はJu-52を攻撃・不時着させ、 「史上最後の複葉戦闘機による撃墜」を主張しています。

・大量故買品ユーザー第三帝国

 ドイツはチェコを占領した際に多数のB-534を接収しました。 そのうち少なくとも24機をスロバキアに、 12機をブルガリアに供給しています。
 残った機体(約100機)は自分達で使用し、 とりあえず1939年からJG70とJG71の夜間戦闘機隊に配備され、 1940年早々にMe109に変更されるまで「戦闘機」として使われました。
 その後はもっぱらDFS230グライダーの母機として、 グライダーの練習に使用されたようですが、 練習だけでなく1940年から1941年にかけてのソ連軍の冬季反抗中には、 包囲地域への輸送作戦にも従事しています。
 また、ドイツのグライダー使用率が低下してくると、 残った機体は雑用に回されたと思われます。

 変わり種としては1940年から1941年にかけて、 空母「グラーフツェペリン」のためのテストにBK-534が使われています。
 このテストのために装着された着艦フックは、 機体に補強もせずにただフックを付けただけだったらしく、 何回か試験するうちにフックがもげてしまい機体は破壊されました。
 他のことには無駄なほどに細かいドイツ人にしては、 本気で空母を運用する気があったのか疑問を感じさせる適当さです。

・結局終戦まで使ったブルガリア

 ブルガリアはドイツ経由で少なくとも12機のB-534を入手しています。
 ブルガリアはソ連に宣戦布告していないので、当初はなにも活動しません。 そして、1943年にアメリカがルーマニアのプロエスティ油田を爆撃しだしたとき、 ブルガリアのB-534には初めて戦闘の機会が訪れますが・・・ やってきたのは爆弾倉がカラならB-534より遙かに速いB-24で・・・ このため迎撃戦闘では全く役にたちませんでした。

 1944年の9月になると、 ブルガリアはソ連に降伏(宣戦布告はソ連からされました)すると、 今度はそれまでの同盟国ドイツと戦う事になります。
 B-534はドイツ戦闘機隊相手に全く歯が立たないので早々に戦闘機隊からはずされ、 地上襲撃任務に回されました。
 こちらの任務は小回りが効くためか重宝され、 結局終戦まで積極的に地上襲撃に用いられます。

・その他のマイナーユーザー

1.ギリシア
 ギリシアは戦争前に2機のB-534を資産家から寄付してもらいました。 これは恐らくB-534が国外に売れた唯一のケースだと思われます。
 この2機は主に練習機として使われ、イタリアの侵略を受けた際に喪失しています。 この喪失原因がはっきりしませんが、イタリア機と交戦した可能性もあります。

2.ハンガリー
 スロバキアを国境紛争した際に1機を捕獲、これをテストして民間に払い下げたとのことで、 所有者は恐らく唯一の「民間機型所有者」ということになるでしょう。 これは1944年8月末以降の混乱のなかで失われました。

3.ルーマニア
 ドイツからDSF230付きでB-534を貰った形跡ありますが、それ以外は一切不明。

4.ソビエト
 前述スロバキアより援助要請に飛んできたB-534をLa-5FNと交換し、これらのB-534は夜間に敵地に飛ぶことがあったとか。しかし、なんの目的なのかは不明。

(文・TOW)


緒元(Avia B-534 & BK-534)
製作Avia B-534 / 1933 (BK-534 / 1937)
生産数445 (120) 機
乗員1
全幅9.40m
全長8.10m
全高3.15m
主翼面積23.56m2
乾燥重量1460Kg (?)
全備重量1980Kg (?)
武装 Mk.30 7.92mm機銃×4[胴体側面]
(Mk.30 7.92mm機銃×3[胴体側面2,軸内1])
爆弾・ロケット弾(10kg〜20kg)×6
発動機 Hispano-Suiza 12Ydrs 830hp [Aviaライセンス]
(Hispano-Suiza 12Ycrs 830hp [Aviaライセンス])
最高速度380Km/h (375km/h)
実用上昇限度10500m (9500m)
航続距離600Km (500km)
その他ドロップタンク×2


画像・フリーな画像が無いのでゲーム用のデータで申しわけないけれど。 Avia B-534 IV(30KB) Avia B-534 IV(20KB)
色合いは参考程度に。特に機内色と機体コードはいいかげんなので注意
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