アラドAr231

 Ar231は、潜水艦搭載の小型水偵として計画されたもので、特にXI(11)型Uボートへの装備が予定されていた。
 このXI型というのも、水上3140トン(水中4650トン)、全長115メートルというバカでかい潜水艦で、しかも甲板上に防水したうえ揚弾筒までしっかり備えた12.7センチ連装砲塔(!)を2基搭載するという阿呆な潜水艦なのだが、これのAr231の搭載要領もとんでもないもので、内径1.98メートルの防水格納筒を司令塔の前に「垂直に立てて」(!)装備しており、ここから分解折畳をした機体をクレーンで吊り出し、甲板上で組み立てるというものであった。
 そんなこんなでとにかく試作が開始されたのだが、まだ飛行機が出来上がらないうちに開戦となり、39年10月にXI型(U112〜115の4隻)の工事は中止され、載せるべき艦を失ってしまった。
 それでも、今度はIX(9)D型の後甲板上に格納筒を水平に置き、引っぱりだして組み立てる方向での運用を期して開発は継続されたのだが、今度はローターカイトのフォッケ・アハゲリスFa330との競争になってしまう。
 さて、1941年の早春に出来上がった試作機は早速テストに供されたのだが、これがまたひどい低性能であった。
 要するに、要求を満たしていたのは寸法と組立時間だけだったのである。
 確かに格納筒の中に苦労せずに収めることはでき、組立にわずか6分、分解に15分という性能は十分なものであったが、横安定縦安定ともに不十分、巡航速度不足、離水困難、水上安定性不十分、あまりに華奢で壊れやすい、と、これでもかと欠点が並んだ。
 特に離水困難の問題は重大で、海面が穏やかであっても風速が10.3m/sを超えるとあおられて低速のままピッチアップを起こして離水ができない、風が問題なくても波高1.5メートルでは無線機を降ろさないと離水できない、2メートルになると燃料も一部降ろさなければならない、2.5メートルでは離水不可能というのである。要するに、ベタ凪ぎで微風という状況でなければ飛び立つこともできないのである。
 更に6機ほど動翼の面積をいじったりしながら試作機を作ってみたが、寸法の壁とヒルトHM501の低出力はどうにもならず、ほとんど変わり映えはしなかった。
 実のところ、飛行安定性問題とピッチアップ問題を除けば、これは日本の零式小型や九六式小型とそれほど差はない。潜水艦にカタパルトを搭載する着意があれば、改良すればAr231は何とかなった可能性もある。
 結局、飛行機運用に関しては機体性能云々以前の根本的な困難もあり、潜水艦搭載機の計画は1942年1月に完全に中止され、試作機も放置されることとなったわけだが、仮装巡洋艦スティアーの艦長ホルスト・ゲルラッハ中佐がこれに眼をつけた。
 索敵機としてAr196を要望して、予備機なし、そもそもスティアーに搭載余力なしとはねつけられたゲルラッハ艦長は、それならばとAr231を2機ばかりよこせと海軍省にかけあったのである。空軍省としても放置してあるAr231を使うことには異存はなく、スティアーは艦長の要望どおり、V-4とV-6の2機を受領して1942年5月9日に出撃した。
 スティアーの艦上には組み立てられたままで搭載された。
 しかし、実際に飛ばしてみる段になって、やはりというか当然というか、問題が発生した。つまり、懸念されていたように、外洋に出ると飛ばすこと自体ができないという状況に直面するのである。
 スティアーは146日の航海で4隻の貨物船を撃沈し、9月27日に武装商船スティーブン・ホーキンスと相打ちになって大破自沈するまで、Ar231を実際に飛ばしたことはただの一度もなく、航海中、艦長は搭載したことをしきりに後悔していたと伝えられる。

(文:まなかじ)


スティアー搭載機です。こちらはV-4のようです。クレーンで吊り下げられた状態でエンジンの試運転をしています。折畳みのため左右で高さの違う主翼に注目。

これもスティアー搭載機ですが、こちらはV-6の画像。水平尾翼の端に安定ひれを追加しています。

諸元(Ar231V-6)
全幅10.18m
全長7.81m
全高3.12m
自重833kg
全備重量1,050kg
最高速度170km/h(SL)
巡航速度125km/h
上昇限度3,000m
航続距離500km
武装なし
発動機ヒルトHM501 空冷直列6気筒160馬力
乗員1

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