老朽化が予想されるセースキ初等練習機/連絡機の後継として、1935年2月7日付の仕様書により、国営工場で試作が開始された。
設計は基本的に先行するトゥイスクの縮小版として構想され、外見もひと回り小さい他はトゥイスクに良く似ている。構造も同じく鋼管羽布張り。
試作1号機(VI-1)は1936年12月11日に初飛行したが成績不良で、翼面積を減じて更に全体に軽量化を図った2号機(VI-2)は1937年10月12日に初飛行を行い、今度は良好と認められ、1938年6月7日付で制式採用、同時に20機の発注を受け生産に入ることとなった。
生産機(VI-3〜23)は1939年7月から12月にかけて納入され、冬戦争時は最新鋭機のひとつとして連絡機として活躍し、その後順次セースキと交替して飛行学校での任務に就いた。練習機としては長く使用され、最後の機体が引退したのは1962年9月である。
また、1953年に1機が部品の寄せ集めで再生されたものにVI-40の番号が新たに与えられ、最終的な生産数は試作機を合わせて23機となった。
全幅 | 9.20m |
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全長 | 7.35m |
全高 | 2.73m |
翼面積 | 20.0m2 |
自重 | 551kg |
全備重量 | 875kg |
最高速度 | 186km/h(海面) |
上昇時間 | 2,000mまで15分00秒 |
上昇限度 | 3,700m |
航続距離 | 776km(5時間57分) |
武装 | なし |
発動機 | ジーメンス・ハルスケSh14A4 空冷星型9気筒160馬力 |
乗員 | 2名 |