italy

フィアットBR20

 イタリアは航空機による戦略爆撃思想の発祥の地であり、爆撃機もまた多数の開発経験を持つ航空先進国であった。その為、双発爆撃機としてのフィアットBR20の仕様にも迷いが無く、1937年に初飛行した1000馬力エンジンを搭載した双発爆撃機としては優れた内容の機体となった。この機体を未だ開発の終了する前から日本陸軍が見そめたのも無理はなく、日本陸軍が信奉していたドーウェの戦略爆撃理論の本場が開発している双発高速爆撃機であるという点だけで、もはや採用は決定していたのであろう。
 そして実用に供してみるとノモンハンの空は甘くなく、損害は続出し、不評が高まることとなり、伊式重爆の名は駄作機として記憶されるのだが、よく研究もせずに導入した責任も問われて然るべきことではある。
 本家のBR20はその後改良が加えられ、BR20Mは1940年10月以降のバトル・オブ・ブリテンにも何と傑作複葉戦闘機CR42の護衛の下に出撃しており、その25%程度を消耗して年末には本国に後退したと言われるが、この成績をどう評価するかは見方によるであろう。バトル・オブ・ブリテンの後期に爆撃隊が複葉戦闘機の護衛で出撃し損害を25%に留めて約二ヶ月に渡る戦闘を切り抜けて本国に帰還している事実は、正直なところ、非常に評価に値するのではないだろうか。そして重要なことにBR20の爆撃機としての活躍はイタリア降伏まで延々と続くのである。
(文章:キソッタ・ホラスキーニ)


諸元
全幅21.56m
全長16.1m
全備重量9,900kg
武装12.7mm 機銃*1 7.7mm*2 爆弾 1,600kg
発動機フィアットA80RC41 1000馬力
最高速度432km/h
実用上昇限度9,000m
航続距離3,000km

[戻る]