I.M.A.M Ro.43
 イタリアの艦載水上観測機である。
 1934年11月19日に試作機が初飛行しているが、試作機ではエンジンカウリングがもっと絞り込まれており、シリンダヘッドをクリアするためのいぼ付きカウリングをつけていた。
 量産機ではカウリングはなんの細工もないのっぺらぼうで無愛想なものとなり、プロペラは二翅から三翅に変更、おそらく部品を先行していた陸上用の直協偵察機Ro.37の空冷エンジン型(Ro.37bis)と共通化したものと思われる。
 機体構造は通常の鋼管羽布張りで、主翼はリブのみ木製、後方に折りたためる。
 1936年1月に制式採用となり、4月から部隊配備が開始された。

 胴体はRo.37bisによく似ているが、主翼の胴体取付の構成が違っている。
 Ro.43では、Ro.41に似たガル翼気味の配置となっている。これは操縦員席の前下方視界を妨げるものの上方視界はまったく妨げるものがない。
 偵察や観測は後席の偵察員に任せ、操縦員はむしろ対空見張りに専念させようとの意図が感じられる。
 これは日本海軍の複座水偵と同様、任務に敵の観測機や哨戒機との空戦が要求されていることが大きいであろう。

 Ro.43は、日本でいえば九六式となるやや旧式の機体ではあるが、1943年の休戦まで第一線にとどまっていた。
 アメリカ海軍でもこの時期にはまだSOCシーガルを使っており、格別イタリアが旧式機を使っていたということにはならないであろうが、後継機の開発は行われていない。
 作戦域が地中海であることを考えれば索敵に艦載機を使わねばならない必然性は薄いし、飛行機からの弾着観測にはいろいろ問題も多く、やはり地中海という舞台と敵味方の航空機の進歩を考えると水上機からの観測は現実性が薄くなったものと思われる。
 とはいえ、イタリア海軍の提督たちはそれなりに水上観測機に期待していたらしい。イタリアの艦砲は散布界が広くて命中率に劣っていたこともあり、少しでも砲撃に正確さを期したかったのである。
 地中海での海戦では予想戦場には高速で急行する場合がほとんどで、一度艦載機を放ってしまうと艦隊側での回収再使用はまず望めない。その余裕がないのである。このため、索敵よりも観測を優先するならば会敵まで艦載機は温存せざるを得ない。
 開戦劈頭のプンタ・スティロ沖海戦では空軍はまるで索敵に協力せず、それどころか海戦が終わって帰投中の味方艦隊を爆撃するというざまで、海軍はすっかり空軍への信用を失ったが、それでも沿岸哨戒航空隊と雷撃航空隊には海軍士官を同乗させることにしたこともあって以降は同士討ちも減り、索敵にも一応の信頼を置くことができるようになった。
 結局、これがRo.43を目立たない存在としたといえるであろう。艦隊はRo.43を温存しようとしたが、結局英海軍は海戦での観測機の活用を許さず、使いどころがなかった。
 リットリオ級の戦艦は4機、巡洋艦は2機を搭載する。
 エーゲ海方面で水上機基地からの作戦も行ったが、こちらはもともと機会が少ないうえに派生型のRo.44が主力で、目立たない戦場でのさらに脇役という状態であった。
 試作機1機を含めて194機が生産され、1940年6月の参戦時には105機が可動であった。休戦時には48機が在籍、22機が可動状態で残存している。
 現在、ブラッチァーノ湖畔のイタリア空軍博物館に1機がたいへん良好な状態で展示保存されている。

(文章:ダリオ・マナカジーニ)

Ro.43
二機編隊の僚機から見る
Ro.43
アブルッツィ級軽巡から発艦するRo.43。戦前の塗装

諸元
全幅11.57m
全長9.71m
全高3.51m
翼面積33.36m2
自重1,760kg
全備重量2,400kg
翼面荷重71.92kg/m2
武装7.7mm機銃*2(前方固定・ブレダSAFAT*1 後席旋回・ルイス*1)
発動機ピアッジョP.XR空冷星型9気筒 700馬力(離昇900馬力)
最高速度300km/h(2,500m)
巡航速度180km/h
実用上昇限度6,590m
上昇時間4,000mまで11分00秒
航続距離1,500km
乗員2

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