I.M.A.M. Ro.44
 複座の水上観測機Ro.43を単座化しただけともいえる、お手軽水上戦闘機である。
 Ro.43と比較すると、機体寸法や搭載エンジンには変化なく、後席を潰し後部胴体上面を滑らかに整形、前方固定機銃を7.7ミリ1挺から12.7ミリ2挺に変更、という程度の差異しかない。
 この武装強化に伴って胴体内燃料タンクの容量が減った(レイアウト自体の大規模変更はしなかった)ので航続距離は多少短くなっているが、全体的には軽量化された分、上昇力と速力がわずかに向上している。
 機体をいじっていないので、要求上からも当然ではあるが本機もカタパルト射出が可能である。

 開発目的は、C.R.D.Aカント25ARおよびマッキM.41bis/71戦闘飛行艇の後継という位置付けである。
 艦載機としては敵の哨戒機や触接機、あるいは弾着観測機を撃攘することを主任務とし、また基地用水上戦闘機として迎撃及び防空に任ずるものとされた。
 これらの戦闘飛行艇はそれぞれ改良が施されてはいるもののいずれも原型は1920年代末期初飛行で、だいたい最大速度250km/h前後、7.7ミリ機銃2挺という性能であった。
 Ro.44はこの点最大速度で50〜60km/hほども速く、武装の点でも12.7ミリ2挺と飛躍的に性能を向上させているわけだが、Ro.44の登場は1938年であり、この時点で予想される脅威に対して十分な性能であったとは言い難い。
 生産数は35機から50機までの間ではっきりしないが、あまり数は作られなかった。性能不足はイタリア空軍もわかってはいたのだろう。
 それでもRo.44は海軍が運用に口出しできるほとんど唯一の戦闘機戦力として大戦中を戦い抜いた。
 フィアットCR.42の水上機型は失敗作に終わり、レッジァーネRe2000の数機がカタパルト発進の艦載戦闘機として海軍飛行隊に回されてはいたが、絶対数も少なすぎ、なにより陸上機であったことが運用に多大の不便を生じて、Ro.44を完全に引退させるだけの地位を確立させることができなかったのである。

(文章:ダリオ・マナカジーニ)


後部胴体がファイン
諸元
全幅11.57m
全長9.71m
全高3.51m
翼面積33.36m2
自重1,670kg
全備重量2,200kg
武装12.7mmブレダSAFAT機銃*2
発動機ピアッジョP.XR 空冷星型9気筒 700馬力(離昇900馬力)
最高速度315km/h(2,000m)
巡航速度190km/h
実用上昇限度7,000m
上昇時間4,000mまで8分40秒
航続距離1,200km
乗員1

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