イタリア空軍に有効な急降下爆撃機が長らく不在であったことはヨーロッパ戦線の不可思議な出来事のひとつとして扱われているのだが、サヴォイア・マルケッティでは、同社のSM.85の後継機種として同機の改良型であるSM.86の他にも、本格的な急降下爆撃機を計画してはいたのである。
アレッサンドロ・マルケッティ技師はこの高速単発急降下爆撃機の構想を早くから温めてはいたのだが、なにより適当な発動機が得られなかった。
戦況に鑑み、やや手遅れの感もあるもののイタリア空軍は1942年にDB605Aをこの計画に使用する許可を下し、ようやく具体的設計がスタートすることになった。
機体構造はサヴォイア・マルケッティお得意の全木製である。また、オイルクーラーはMC.205Vのものをそのまま流用した。
本機の最大の特徴は操縦席のレイアウトにあり、エンジン上部にまで張り出したキャノピーの中に、前席操縦者は腹這いに寝そべって搭乗する。
これは急降下爆撃に特化させた結果として導き出されたもので、後にもドイツのジェット急降下爆撃機Hs132などにこうした配置を見ることができるが、操縦者にかかるGと視界の問題を同時に解決するものとされた。特に視野は素晴らしく、爆撃進入ばかりではなく、地上でのタキシーイングも非常に容易であったとされる。
後席は通常の座席であるが、前席が一般的な複座機よりもはるかに前方に位置しているため、後席も重心位置に近い位置にあり、やはり引き起こしGへの対応性には優れている。
固有武装はモーターカノンとして装備されるMG151/20(弾数150発)が1門、左翼翼内にブレダSAFAT12.7ミリ(弾数350発)を1挺、更に後席に旋回銃としてやはりブレダSAFAT12.7ミリ(弾数350発)を1挺装備している。
爆弾は胴体下に懸吊し、イタリア空軍の保有する最大の徹甲爆弾である820kg弾を携行することができた。また、懸吊器の交換のみで魚雷の搭載も可能であった。
しかし、SM.84爆撃機の改修作業や資材優先度の問題などから試作は思いのほか手間取り、1943年の休戦時にもまだ機体は完成していなかった。
サロ共和国政府のANR空軍の下、つまりはドイツの監督下に開発は継続され、初飛行は1944年1月31日にヴァレーゼ飛行場で行なわれた。
その後2カ月に亙って16回2時間40分の試験飛行を実施した結果、優れた操縦性と速度性能を示し、また実際に降下速度900km/hでの投弾・引起しが可能であることを証明した。また、そのコクピットは地上滑走と目標確認の容易性を実証した。
テストは3月29日で打切られたが、同日、ドイツ空軍はサヴォイア・マルケッティに対して本機の量産発注を行なった。その発注数は明らかでないが、おそらく実際の完成機数はごく限られたものであったろう。
SM.93が戦場で活躍したという記録は残っていない。
全幅 | 13.90m |
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全長 | 10.93m |
全高 | 3.80m |
翼面積 | 31.10m2 |
自重 | 3,552kg |
全備重量 | 5,500kg |
武装 | 20mmMG151/20機銃*1 12.7mmブレダSAFAT機銃*2 爆弾最大820kgまたは魚雷*1 |
発動機 | ダイムラー・ベンツDB605A 液冷V型12気筒 1,475馬力 |
最高速度 | 580km/h(5,800m:クリーン) 542km/h(5,800m:500kg爆装) |
巡航速度 | 505km/h |
実用上昇限度 | 8,200m |
航続距離 | 1,650km |
乗員 | 2名 |