三菱 艦上/局地戦闘機 烈風一一型 (A7M2)

 不採用に終わったA7M1の発動機を「誉」二二型から「ハ四三」一一型(MK9A。社内呼称A20)に換装した機体。
 既に艦戦としてのA7M1の不採用は決定していたため、あくまで既に試作が内示されていた高高度乙戦「烈風改」(後のA7M3-J。当時の呼称はA7M2-J)開発のための基本データ収集という名目の元に昭和19年7月28日にMK9Aへの換装が承認され、A7M1試作六号機に「ハ四三」一一型(「キ八三」用の「ハ二一一」ルから排気タービン過給機を取り外したものを転用)への換装が三菱の責任において行われている。
 A7M2はエンジン換装に伴ってエンジンカウルと防火壁以前の胴体が再設計されており、エンジンカウル下面に潤油冷却器用空気取入口が突出して設けられている点がA7M1との大きな外見上の識別点である。

 仮称A7M2試作一号機は発動機換装承認から2ヶ月半ほど後の昭和19年10月上旬に完成、同月13日にA7M1と同じく三重県の鈴鹿飛行場において、柴山栄作操縦士により初飛行している。
 発動機交換による出力向上の効果は顕著で、同年12月7日までに10回行われた社内試験において、正規全備状態(4,700s)で『最高速度:624q/h/5,760m』『上昇力:6分5秒/6,000m』と、「十七試艦上戦闘機」の要求性能をほぼ達成する性能を発揮、翌年5月9日には軽荷状態(重量4,300s。小型潤油タンク装備・非武装と推定)ながら、『最高速度:628q/h/5,500m』『上昇力:5分53秒/6,000m、10分28秒/9,000m』という「烈風」として最高性能を記録している。
 更に昭和19年末に行われた空戦実験において、「紫電改」等に装備された川西製のものと同じ水銀柱を利用する自動空戦フラップ(昭和20年7月27日の研究会において、アネロイド計と錘で検知した速度と荷重を基にして、旋回時において自動的にフラップ開度を最適なものにする空技廠製「空盒式自動空戦フラップ」に変更することに決定)を使用した場合は、水平・垂直面とも「零式艦戦」(時期的に考えて五二丙型と推定)をも凌ぐ空戦性能を示すなど、飛行性能全般の向上が確認されている。

 A7M2試作一号機は完成を急ぐため、発動機換装に伴うものを除くと、大きな改修は補助翼をA7M1の飛行実験結果から決定された新翼断面の最終型に変更する程度しか施されていなかった。
 しかし、A7M2試作一号機と同時に改修に入り、昭和20年1月末に完成したA7M2試作二号機(A7M1試作五号機改修)は、A7M1試作九号機以降で予定されていた防弾装備を全て装備可能とし、最終型の大型補助翼及びバランスタブを追加した大型方向舵への変更、胴体後部への起動用燃料タンクと固定増槽の増設、翼面荷重増加に対応したフラップ開度増大、機銃取付角に仰角3°の追加、爆弾架兼用の統一型増槽懸吊架への変更など、A7M2試作六号機以降で予定されていた「九九式二号二十粍固定機銃四型」4挺への武装強化を除く量産化に向けた本格的改修の大半が施されている。
 なお、現在写真に残されている「烈風」は、全て機銃取付角に3°の俯角を付与していない機体であるため、銃眼孔は主翼前縁の中心付近に開口している。
 しかし、3°の仰角を付与した場合、必然的に銃眼孔は主翼前縁の中心ではなくやや主翼上面側に寄ったところに開口することになるが、一足先に同様の措置が施された五二甲型(A6M5a)以降の「零式艦戦」や「雷電」、「紫電改」の例から考えて、A7M2にも主翼前縁から突出する機銃銃身の基部を覆うフェアリングが取り付けられた可能性が高いと推測される。

 余談だが、一般にA7M2の爆弾搭載力は「主翼下に30sまたは60s爆弾2発」とされている。
 しかし先述したように、A7M2量産型の胴体下部増槽懸吊架には、爆弾架としても使用可能な統一型増槽懸吊架を装備することが予定されている。
 そして過荷重装備において、A7M2は機銃弾と機内燃料タンクを満載にした上で、燃料を入れると重量がほぼ500sに達する600L入り統一型増槽を懸吊することが可能である。
 以上のことから、A7M2は機銃弾と機内燃料タンクを満載にした場合でも、最低でも500s程度の爆弾を胴体下に懸吊する能力を備えていたと考えた方が妥当である。

 仮称A7M2は昭和20年6月に艦上戦闘機ではなく、甲戦闘機扱いの局地戦闘機「烈風一一型」(A7M2)として制式採用されたと言われている(戦争末期の混乱のためか制式採用の通達が行われた様子がない)。
 しかし、武装を20o機銃4挺に強化し、防弾タンクを装備した機体は終戦まで1機も完成せず、空盒製自動空戦フラップには油圧式管制装置に不具合が続出していた。
 また、要求性能達成のために必要以上の重量軽減を行ってしまったのか、A7M1試作一号機ではバランスタブや折り畳み部がガタつくなど主翼強度が不足していたため、やむを得ず急降下制限速度を648q/hに引き下げざるを得なくなっている。
 このため、主翼前縁外板及び補助桁の増厚、折り畳み部前縁結合(A7M2試作一・二号機は接合せず。接合した場合でも外翼部の取り外しは可能)といった主翼補強の効果がA7M1試作五号機を用いて行われた振動試験で確認され、昭和19年12月に行われた風洞模型試験から、ようやく目標とされた急降下制限速度787q/h(計画要求書の時点では833q/hだったが、計画途中で引き下げられている)をほぼ達成する770q/h(内端を500o切断した大型補助翼装備時)に引き上げられるなど、機体の完成度はあまり高いとは言えない状態だった。

 また、A7M2試作一号機が昭和20年1月から5月の5ヶ月ほどの間に3度も発動機焼損(筒温や油温上昇によるピストンの焼損が主因とされる。対策としてA7M2試作六号機以降ではより冷却能力の高いA7M3-J用の潤油冷却器への変更が予定されていた)を起こし、その度に飛行試験を中止して発動機交換を強いられていることから判るように、この時期の「ハ四三」は新型発動機につきものの初期故障に悩まされている。
 更に排気タービン過給器を取り外してしまったため、過給器が機械式+排気タービン式の二段から機械式一段のみになった「ハ四三」一一型は、二速全開が1,920hp/5,000m/2,800rpm(「ハ二一一」ルの一段二速と同じ値)と、二段二速全開で1,720hp/9,500m/2,800rpmだった「ハ二一一」ルと比較して、全開高度が半分程度に低下している。
 このため、過給器翼車直径を従来の280oから310oに拡大して、一速全開を2,070hp/1,000m/2,800rpmから2,050hp/1,600m/2,800rpmに、二速全開を1,920hp/5,000m/2,800rpmから1,820hp/6,600m/2,800rpmに引き上げた「ハ四三」一二型(離昇出力2,150hp/2,900rpm)への換装準備が量産準備と平行して行われるなど(昭和20年7月中旬に設計変更終了か)、「ハ四三」の熟成(特に信頼性と高高度性能)もまた充分とは言い難い状態だった。

 そのためか、この頃に立てられた「烈風」の生産計画は「昭和20年度中に120機」というもので、重要生産機として開発メーカーの川西はおろか、三菱・愛知・昭和・各海軍航空廠まで動員して「昭和20年夏に月産1,000機」という大増産計画が立てられていた「紫電改」と比べれば微々たるものだった。
 しかも、昭和19年12月7日の東南海地震と翌年1月13日の三河地震、B-29や米艦載機による空襲(昭和19年12月13日の名古屋の大幸発動機工場被爆により「ハ四三」の生産は停止)やそれに伴う疎開による混乱のため量産は遅々として進まなかった。
 結局、試作機が3機完成し、名古屋の大江機体工場で製作されていた量産一号機(被爆により廃墟同然になった工場を隠れ蓑にして量産が行われていた)が発動機・プロペラ・機銃を搭載した完成直前の状態で終戦となっている。

 終戦後に米軍から「烈風」の引き渡し命令があったものの、試験担当だった小福田租少佐は戦後に著した著書で、いずれの試作機も空襲や事故で全損または破損していた(量産一号機は終戦直後に海中投棄)ため「引き渡し不能」と返答したと回想している。
 その一方、松本に陸送された試作機3機の内1機を修復の上で米軍に引き渡したと複数の三菱関係者が証言しているが、その後の行方は不明である。
 現在のところ、強度試験中のA7M1試作零号機と主翼剛性試験中のA7M1試作四号機、終戦後に三沢で撮影されたプロペラが取り外されたA7M2試作三号機の写真が数枚残されているだけで、「烈風」の実機はおろか飛行中または飛行可能状態の機体の写真すら眼にすることは出来ない。

(文:T216)

青森県三沢基地において、左斜め前から撮影された「コ-A7-3」号機 = A7M2試作三号機。
終戦後に米軍によって撮影されたもので、武装解除のためプロペラが取り外されている。
エンジン換装に伴って再設計されたエンジンカウル、フラップ形式の潤油冷却器用排気口、親子式フラップ、A7M1時代からの当機の特徴である角型の水平尾翼が確認できる。
このA7M2試作三号機はA7M1試作二号機から改修された機体で、海軍が領収した2機目の「烈風」であり、「空戦フラップ、ブーストコントロール、振動の実験」に使用される予定だった。
当機は、事故で失われたA7M2試作二号機の代替として完成が急がれていたA7M2試作四号機が、完成直前に空襲によって大破してしまったため、急遽A7M2試作四号機に提供していた動力関係装備を取り戻すことで完成した機体である。
そのためではないのだが、当機にはA7M2試作一号機同様、発動機換装に伴うもの以外はあまり改修される予定が無く、胴体後部の起動用燃料タンクや固定増槽、操縦席前方の防弾ガラスは装備されず、翼内タンクの防弾対応も未実施だった。
なお、当機の角型の水平尾翼は、空戦フラップ使用における昇降舵の利きの変化を最小限にするために、翼端を切断したものを試験的に取り付けたもので、量産型では原案通りの「零式艦戦」や「雷電」のものに類似した翼端の丸い水平尾翼が取り付けられる予定だった。(クリックすると大きくなります)



同じ機体を右斜め後方から撮影したもの。
紡錘形の胴体、スリット式の親フラップとスラット式の子フラップ、バランスタブが追加された大型方向舵が確認できる。
A7M1試作一〜四号機は、トリムタブのみでバランスタブのない小型方向舵を装備していたが、A7M1試作五号機でのバランスタブを追加した大型方向舵の実験結果が良好であったため、A7M2試作機全機の方向舵をこの大型方向舵にする計画が立てられている。
この写真から、A7M2試作三号機に対して、予定通りに方向舵の変更が行われていたことが判る。(クリックすると大きくなります)



同じく真正面から撮影したもの。
再設計されたエンジンカウル下面に突出して設けられた潤油冷却器用空気取入口、胴体に対して垂直に取り付けられた内翼とやや強めの上反角を持つ外翼、機銃取付角に3°の仰角がつけられていないため主翼前縁中央付近に開口している銃眼孔などが確認できる。



諸元(A7M2試作二号機)
全幅14.000m
全長(水平時)10.984m
全高(水平時)4.230m
翼面積30.86m2
自重3,266.7s
全備重量(正規)4,719.3s
過荷重5,315.3s(第三過荷重)
燃料翼内290L×2+胴体前部115L+起動用胴体5L+胴体後部固定増槽155L+落下増槽600L
水メタノール215L
滑油110L
最高速度624q/h/5,760m(試作一号機・正規全備時)
上昇時間6分5秒/6,000m(試作一号機・正規全備時)
実用上昇限度10,900m
航続距離最高速/6,000m×0.5h+417q/h/3,000m巡航×2.0h(正規)
最高速/6,000m×0.5h+417q/h/3,000m巡航×4.7h(第二過荷重)
武装翼内20o機銃×4(携行弾数各200発)※
三番(30s)または六番(60s)爆弾×2
発動機三菱「ハ四三」一一型(MK9A) 空冷複列星型18気筒 離昇出力2,200hp/2,900rpm
プロペラ住友V.D.M.恒速4翅(直径3.600m)
乗員1名
生産機数3機
※=二号機は事故で失われるまでA7M1と同じ「翼内20o機銃×2+13o機銃×2」装備で、「翼内20o機銃×4」に改修されていないが、取扱説明書には「20o機銃×4」装備で算出された重量が記載されている。

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