フォッカーC.X(10)

 ベストセラーとなったフォッカーC.V、特にC.V-Eの更新需要を当てこんで、その後継機として、フォッカーでは自主的に1933年に設計を開始した。
 原型機はイスパノスイザ12W(600馬力)を装着して1934年に完成、初飛行した。
 基本的にはC.Vと同じ鋼管骨組に羽布及び軽金属張りの構造であるが、発動機の馬力向上に合わせてより頑丈になり、外形も多少洗練されている。また、操縦手席の風防が大型化した。
 1935年に蘭印陸軍航空隊が10機を発注したのを皮切りに、オランダ本国も1936年に20機を発注した。やがて配分が変えられて、蘭印に13機、本国に16機となったが、この29機はC.X-K(Kolönien:植民地)と呼ばれ、蘭印の気候と不整地飛行場に合わせ、C.Vと同じような開放式の操縦席と尾橇を持っていた。発動機はロールスロイス・ケストレルV(640馬力)になっている。
 但し、本国向けのうち最終4機はC.X-H(Holland:オランダ)と呼ばれ、これは原型機と同じく風防と尾輪を備えており、発動機はケストレルIIS(650馬力)を装着していた。
 C.X-Kは他にデモンストレーターとして2機を自社費用で製作し、民間機として登録されている。もちろん、この2機は武装していない。
 また、1936年にフィンランド空軍の発注による4機が製作されたが、これは整備運用性を高めるために空冷エンジンが指定され、ブリストル・ペガサスXXIを装着した。フォッカー製のフィンランド向け4機は1936年11月に到着し1937年1月18日に部隊に配備された。
 これでフォッカーでの生産数は36機となったが、これ以上の発注はなく、C.V-Eほどには売れなかった。やはり、ちょっと進歩が足りなさ過ぎたのであろう。
 オランダ本国ではドイツ軍の侵攻時に10機が使用可能であったが、ほとんど目立った活躍はしていない。抵抗最終日、1機が英国に脱出した以外は全機が失われた。
 蘭印にあった機体は爆撃機としては配備後ほどなくマーチン139/166に任務を譲り、近距離偵察機としてもカーチスライトCW-22と交代して1940年〜41年にかけて引退しており、日本軍の侵攻を受けた時点では練習機または標的曳航機として使用されていた。
 フィンランド空軍では本機を気に入り、まだ完成機も届いていない1936年5月にライセンスを購入するとタンペレの国営工場に直ちにラインを敷き、1937年1月に13機、2月には17機を追加発注した。
 これらの発注機は1938年いっぱいをかけて完納され、冬戦争、継続戦争に参加している。更に、1942年に5機が追加発注されたが、これらは1944年になるまで工場を出てこなかった。
 冬戦争では6機、継続戦争では8機を戦闘損耗で失った。1944年の休戦後に残存機は1機を残して廃棄されたが、残りの1機は1958年に事故で墜落して失われてしまった。

(文:まなかじ)


イスパノスイザつきの試作1号機

給油作業中のフィンランド空軍機

諸元
C.X-Kフィンランド製
全幅12.00m同じ
全長9.27m9.01m
全高3.20m3.31m
翼面積31.50m2同じ
自重1,460kg1,550kg(装備付1,890kg)
離陸最大重量2,310kg2,900kg
最高速度316km/h299km/h(SL) 356km/h(4,000m)
巡航速度270km/h275km/h(1,750m)
上昇限度8,800m8,100m
航続距離850km900km
武装7.92mmFNブローニング機銃*1 7.92mmM20(ルイス)機銃*1 爆弾400kg7.7mmブローニング機銃*2 7.62mmL-33/34機銃*1 爆弾400kg(最大600kg)
発動機RRケストレルV 液冷V型12気筒640馬力ブリストル・ペガサスXXI 空冷星型9気筒835馬力
乗員2名同じ

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