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LWS/R.W.D14チャプラ

開戦直前のポーランド空軍の主力近距離偵察/砲兵観測支援機であり、65機が第13・第23・第33・第53・第63の5個観測飛行隊に配備されていた。
 設計はR.W.D.社であるが、生産能力が低いため機体の製作は国営LWS工場で行われた。
 全金属製(動翼は羽布張り)複座単発、主翼はR.W.D得意のパラソル単葉で、翼前縁に大きなスラットと、これまた大きなフラップを有し、さらに大面積のエルロンを持つ、短距離離着陸と低速特性に的を絞った設計である。
 武装は前方に固定機銃1挺、後席装備の旋回機銃1挺のみで、爆撃装備は持たない。
 本機の計画はポーランド空軍の標準初等練習機であるR.W.D.8の改良型として始まったが、これは不合格となり新規設計によることとなった。
 一連の原型機はDWL(国立実験航空工場)で製作された。ポーランドでは国内の飛行機産業の基盤が弱いため、中小メーカーの軍用機設計案を国費を用いて国営工場で試作させる態勢ができていた。
 1号機はアメリカ製P&WワスプJr(420馬力)を装着して1935年に進空したが、性能は予想を下回り、P.Z.L. G1620Aモールス(420馬力)に換装したR.W.D.14aが作られたが、1936年に初飛行したものの尾翼の構造的欠陥のために墜落して失われた。
 R.W.D.14aの2号機は尾翼を改修して1937年に進空したが、またしても尾翼が壊れて墜落。
 三度目の正直で、さらに尾翼を改造して、エンジンもG1620BモールスB(470馬力)に強化した試作機R.W.D.14bが1938年にようやく満足のいく結果を出し、これで設計図は政府に売却領収され、政府はLWS工場に65機を発注した。
 愛称はチャプラ(青鷺)であるが、これはR.W.D.がパラソル翼を「チャプラ翼」の商標で売り出していたことによる。

 開戦時には生産された全機が元気で、開戦劈頭のドイツ空軍の飛行場攻撃にも大部分が生き残ったのだが、低速でドイツ軍の上空をうろうろしなければならない任務であったため、主に高射機関砲によって惨憺たる被害を受けた。
 ポーランドが降伏したときにルーマニアに脱出したのは10機に過ぎない。
(文章:ダリオ・マナカジーニ)


ルーマニア空軍で使用されるR.W.D.14

諸元
全幅11.90m
全長9.00m
全高3.00m
翼面積22.00m2
自重1,225kg
全備重量1,700kg
最高速度247km/h(海面高度)
失速速度80km/h
実用上昇限度5,100m
航続距離675km
エンジンP.Z.L. G1620BモールスB空冷星型9気筒 470馬力
武装7.92mm機銃*2(前方固定PWU wz33*1 後席旋回ヴィッカースF*1)

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