フェアリー・ヘンドン
 夜間重爆撃機を求めるB19/27仕様に沿って設計されたもので、ハンドレーページ・ヘイフォードの同期生である。
 構造こそ鋼管羽布張り(一部金属外皮)であり、性能も大差なかったのではあるが、ヘイフォードに比べてより近代的な低翼単葉機であった。
 試作機はブリストル・ジュピター(460馬力)を搭載して1931年11月に初飛行したが、試験の結果いくつかの問題が明らかとなり、ヘイフォードに採用が決まったのだが、設計の先進性からヘンドンにも再設計の上14機の発注が行われた。
 量産原型機はエンジンを木製2翅プロペラ付のロールスロイス・ケストレルIIIS(480馬力)に換装しており、これは更にフェアリー・リード式金属製固定ピッチ3翅プロペラ付のケストレルVI(600馬力)に換装され、機首銃座を鳥カゴ式の旋回銃座に改め、操縦士コクピットに密閉風防を備えたMk.IIとして生産が開始された。
 搭乗員配置はヘイフォードとはだいぶ違い、機首の爆撃手(兼機首銃手)、単座の操縦手、その後方胴体内の航法手と通信手(兼背部銃手)、尾部銃手からなり、とくにヘイフォードの腹部銃座に対して尾部銃座を備える点で後の英国重爆撃機の標準的な銃座配置の先駆とも言える。
 操縦席は戦闘機並に狭く、風防も後の単座戦闘機のものと同じようなデザインのものであり、胴体の左側に片寄って配置されている。
 またヘンドンはRAFに就役した最初の単葉爆撃機でもある。
 1936年9月から1937年3月までに14機全てが生産され、1936年11月から配備が開始された。ヘンドンは第38Sqd(途中で改称して第115Sqd)のみが装備していた。
 さらにB20/34仕様に沿って、ヘンドンMk.III(仮称)62機の契約が結ばれたが、これは後にキャンセルとなってしまった。
 この改良型は機首銃座が動力銃塔となり、エンジンが695馬力のケストレルXIVに強化され、爆弾倉を改修して搭載量を増加する他、細部にいくつかの改修を加えたものになるはずであった。
 ヘンドンは就役中事故で2機を失ったが、そのひとつは一度も操縦席に座ったこともない地上整備員が操縦したときのもので、イギリス人らしい悪戯が裏目に出てしまった例である。
 第115Sqdは1938年11月にウェリントンMk.IAに機種改変に入り、ヘンドンはヘイフォードと違って練習飛行隊に移管されることなく、そのまま退役した。
(文章:まなかじ)


量産原型機です。開放型の操縦席と機首銃座、木製2翅のプロペラに注意

生産型(Mk.II)です。鳥カゴ状の機首銃座、操縦席の密閉風防、3翅プロペラになっているのがわかります

諸元(Mk.II)
全幅31.01m
全長18.52m
全高5.72m
翼面積134.43m2
自重5,790kg
離陸最大重量9,070kg
武装ルイス7.7mm機銃*3 爆弾750kg
発動機RRケストレルVI 液冷V型12気筒 600馬力
最高速度249km/h(4,570m)
実用上昇限度6,530m
航続距離2,090km
乗員5名

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