ルーマニアが第二次世界大戦に独自に生産した唯一の戦闘機が、このI.A.R.80系列の戦闘機です。
1937年にポーランドからライセンスを買い取り生産を開始していた
P.Z.L. P.24E(P.Z.L. P.11の輸出型)
がすでに旧式化していると見て取ったルーマニアが、
P.24Eの機体設計を基礎としてエンジン・主翼・降着装置等を改良し高性能化を図った機体であり、
そのためP.Z.L. P.11系列の機体との類似点も多く、
I.A.R.80はP.Z.L. P.11系列の最終型とみることもできます。
(P.24EとI.A.R.80の関係は、日本の紫電、紫電改と似たような関係になります)
I.A.R. の設計陣もこの大改造をそつなくこなし、
1939年に初飛行した試作機にはこれと言った欠点・欠陥は見あたらず、
P.24Eと比べ大幅に性能も上がったことからすぐに正式採用され量産されました。
生産はその生い立ちからP.24Eの生産ライン・部品を流用し、I.A.R.がMe109G-6を生産開始する
1943年までに計461機が製作されています。
I.A.R.80/81は枢軸国空軍の一翼を担い、ウクライナ上空で戦闘・戦闘爆撃機としてソ連軍と戦い、
次いで戦況の悪化に伴い自国上空の防空任務に付き連合軍と戦い(プロエスティ油田上空の戦闘が有名)、
1944年の休戦後はドイツ軍との義務的な戦闘も行っています。
また、戦後生き残った機体は副座練習機に改造され、最後の機体は1952年まで使用されました。
製作 | I.A.R. / 1939年 |
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生産数 | 461機 |
乗員 | 1 |
全幅 | 10.52m |
全長 | 8.90m |
全高 | 3.60m |
主翼面積 | 15.5m2 |
乾燥重量 | 2080Kg |
全備重量 | 2685Kg |
武装 | Browing-FN 7.92mm機銃×4(主翼),各400発 |
発動機 | (Gnome-Rhone)IAR K14IIIC-32 960hp |
最高速度 | 514Km/h (高度 4000m) |
上昇力 | 高度 5000mまで5分50秒 |
実用上昇限度 | 10500m |
航続距離 | 730Km (425km/h-4500m) |
サブタイプ | 生産数 | 特徴 |
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I.A.R.80(試作) | --- | 試作機 2段階に稼働する主脚カバーとオープンコックピットに特徴がある |
I.A.R.80 | 50 | 初期量産型 半数はエンジン出力を1000hpに増加 |
I.A.R.80A | 90 | 機銃を7.92mm6門(各400発)に増設 エンジンをIAR K14-1000A(1025hp)に変更 この型から全長を8.97mに延長 |
I.A.R.81 | 40 | 戦闘爆撃機型 ・胴体中央に急降下爆撃可能な爆弾架(225kg) (取り外し可能なのか装備していない機体もある) ・両翼に爆弾架(爆弾50kg) (以後の80/81で標準装備) ・水平尾翼に補強用の支柱が追加された(81のみ) ・機銃は80Aと同様 |
I.A.R.80B | 20 | 武装強化型
7.92mm機銃×4門(各400発)、Browing 13.2mm機銃×2門(各150発)に変更 この型から全幅を1m延長し、翼面積を16.5m2に拡大 逆に全高は3.52mに減少 |
I.A.R.81(後期) | 10 | 81後期生産
寸法・武装は80Bと同様で胴体中央の爆弾架を持つ |
I.A.R.81A | 19+ | 81(後期)とほぼ同じだが両翼爆弾架に増漕(100L)を装備可能
(以後の80/81で標準装備) |
I.A.R.80C | 50 | 武装強化型
7.92mm機銃×4門(各400発)、(Oerikon)Icaria 20mm×2門(各60発)に変更 |
I.A.R.81B | 10 | 81Aの後期生産型を81Bとも称するらしい 武装は81Aと同じ |
I.A.R.81C | 161 | 最多機・武装強化型
7.92mm機銃×2門(各350発)、MG151/20 20mm×2門(各175発)に変更 胴体中央の爆弾架はほとんど装備されず、主に迎撃任務を行った |
I.A.R.80M | 1 | エンジン試験機
水冷エンジンのJunkers Jumo211Da(1200hp)を装備した試験機 JRS79b(SM-79b(双発))からエンジンを拝借した模様 |
I.A.R.80DC | --- | 複座練習機・戦後残存機を改造
本来の操縦席の前に1座席(オープン)追加。 |