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カーチスA-12シュライク

 アメリカ陸軍初の全金属製低翼単葉軍用機となったカーチスA-8シュライクの改良型である。
 1929年に、当時の複葉攻撃機カーチス・ファルコンの後継として試作発注されたもので、フォッカーXA-7を破って採用を勝ち取った。
 A-8のカーチス社内での呼称はモデル59、A-12と、その原型機であるA-10の呼称はモデル60である。
 機体の基本構成はA-12まで変わらず、全金属製単発複座の地上攻撃機で、主翼は薄翼に支柱と張線で支える、P-26やキ−10と同じような形式である。
 武装に特徴があり、大きなズボン型の主脚スパッツ内に、左右に2挺ずつ前下方向きに(多少は射線を上下に振ることもできる)7.62mm機銃を装備する。これで、低空を水平飛行しながら地上の目標を薙ぎ払おうというのだが、思いつきはともかく、全くの無防御であるこの機体でこうした任務を果たすのは甚だしく危険と言わねばなるまい。
 爆弾装備は小型爆弾多数主義で、これは日本陸軍の襲撃機と同じ思想と言えよう。
 シュライク一個グループの戦力は歩兵一個師団に相当すると宣伝されていたそうだが、これはたいへんな誇張という気がする。
 A-8は液冷V型12気筒のカーチスV-1570-31コンカラーを装備し、前席と後席は離れた位置で別々の風防を持っていた。
 A-8は13機が作られ、一応第3攻撃グループ(3AG)に配備されたが、これらはまだ試作機の範疇を出ないものであった。
 前後席間のコミュニケーションに困難があることから、前席と後席の位置を接近させ、開放風防に改めたA-8Bが計画された。
 しかし、液冷エンジンでは対空砲火に対して脆弱であることと、コンカラーがむずかり屋であることから改良型のA-8Bはキャンセルとなり、A-8Bのエンジンを空冷のサイクロンに換装したYA-10を採用することとなった。
 このYA-10の生産型がA-12である。
 A-12はシュライクの本格的量産型で、1934年から引渡しを開始、陸軍に46機を納入したほか、1936年には中華民国に20機を輸出している。
 1939年には二線級となったが、1941年の開戦時にもハワイ・オアフ島に9機が現役で残っていた。
 中国では1937年から日本軍相手に実戦を経験しているが、やはりというかなんというか、被撃墜機こそ少なかったものの日本軍歩兵部隊の銃火で損傷・撃破される機体が相次ぎ、たちまちのうちに出撃可能な機体がなくなって戦力としての価値を失ってしまうことになった。
 散発的かつ少数機で1938年中まで出撃していたが、最後の機体も失われ、あまり日本軍にとって悩みの種になったわけではなかった。
(文章:まなかじ)


A-8。液冷エンジンと、前後に完全に分割されたコクピットに注目。

A-12。胴体から主翼に出している支柱と、巨大な主脚スパッツが印象的。

諸元(A-12)
全幅13.41m
全長9.82m
全高2.74m
翼面積26.38m^2
自重1,768kg
離陸最大重量2,611kg
武装7.62mmコルト・ブローニングM2機銃*5(スパッツ内*4 後席旋回*1) 45kg爆弾*4or13kg爆弾*10
発動機ライトR-1820-21サイクロン空冷星型9気筒 690馬力
最高速度285km/h(2,070m)
巡航速度243km/h
実用上昇限度4,618m
航続距離838km
乗員2名

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