カーチスSBCヘルダイバー

 米陸海軍の航空隊を通じて、いちばん最後の複葉第一線軍用機であったのが、このSBCである。(SOCシーガルを第一線機とするなら話は別だが、それにしてもカーチス製であることは意味深かも)
 開発は1932年にはじまっているが、もともとは戦闘機としての発注で、この時点でのデジグネーションはXF12C(社内番号はモデル73)であった。この機体は後方折畳可能なパラソル翼に胴体内引込脚という変わった構成を採っていた。しかし、1933年6月に完成したものの、試験飛行の結果戦闘機としては使えないと判断された。これを受けて12月には艦上偵察機XS4Cにデジグネーションを変更、更に翌34年1月に偵察爆撃機、すなわちスカウト・ボマーのSBのデジグネーションを新たに与えられることとなる。
 これによりXSBC-1の名で開発が続けられる。つまり、本機はSBシリーズ初代ということになり、本機以降艦爆にはSBの符号が与えられることとなる。
 しかし、パラソル翼は急降下爆撃の激しい機動には耐え切れず、1934年9月に主翼破壊による空中分解を起こして墜落してしまう。

 カーチスは全面的に設計を改め、ほぼ完全に別機といえるモデル77を35年4月に海軍に提案する。海軍はこれに対し、昨年ぽしゃってしまったXSBC-1に引き続くものとしてXSBC-2のデジグネーションを与えて開発にゴーサインを出した。
 これが生産型の原型となったもので、主翼は複葉となり、胴体形状もXSBC-1とは一新。構造は胴体及び尾翼は全金属製セミモノコック、上翼は金属フレームに金属外皮、下翼は金属フレームに羽布張り。下翼にはほぼフルスパンに亙って単純フラップが設けられている。コクピットは複葉機とはいえ完全密閉のキャノピーを備える。
 XSBC-2はライトXR-1510-12ワールウィンド14(700馬力)を発動機として1935年12月9日に初飛行したが、試験の結果はエンジンに問題ありとなり、更に1936年3月に発動機をP&W R-1535-82ツインワスプ・ジュニア(700馬力)に変更、XSBC-3となった。
 この機体の試験結果は満足すべきものであったので、4年越しの開発はようやく日の目を迎え、海軍は1936年8月29日付でSBC-3として制式採用、83機を発注した。
 量産型SBC-3はエンジンをR-1535-94(750馬力)に強化した他はXSBC-3と変わらない。VS-5、VS-6、VS-3、VS-41などがSBC-3を配備していた。
 SBC-3の生産最終号機(89号機)は、エンジンをライトR-1820-22サイクロン(750馬力)に換装、XSBC-4となった。これはほぼ問題なく試験をパスして、1938年1月5日にSBC-4として制式採用、174機が発注された。
 このころには既に新型の単葉艦爆も実用期に入ってきてはいたのだが、BT-1は会社が買収され、SBNは生産機がさっぱり出てこず、SB2Uは急降下爆撃ができないといった状態で、どれも決め手に欠けており、SBCの真の後継機としてはノースロップBT-1をダグラスで全面改設計したSBDの登場を待たなければならなかった。
 SBC-4はエンジンをR-1820-34(950馬力)に強化、シリーズ決定版として1939年3月に納入が開始されたが、あまりぱっとしないとはいえ単葉艦爆の方がさすがに優先され、一線部隊ではVS-2、VS-8、VB-8の3個飛行隊のみが使用、多くの機体は予備役部隊に配備されることとなった。
 海兵隊ではVMO-151とVMO-155がSBC-4を配備し、これら飛行隊では1942年末までこの複葉艦爆を実戦装備として保有せねばならなかった。

 1940年初めには、緊迫する欧州情勢の下に、軍用機を必死で増強しようとするフランス海軍航空隊が、注文済みのボートV-156-F(SB2U)だけでは不足とみて、すぐに買えるSBC-4も90機を発注する。米海軍はこれに応え、急ぎということで予備役で使用中のSBC-4の中からまず50機を抜き出して、カーチス社で整備のうえ、カナダからフランス海軍空母ベアルンに載せて送り出した。
 しかし、そうこうしているうちにドイツ軍は西部で全面攻勢に出て、見事な電撃戦であっという間にフランスを席巻。ベアルンはまだ航海の途上で、西大西洋の仏領マルティニーク島で軽巡エミール・ベルタン以下の護衛艦隊とようやく合同したところであっさり休戦となってしまった。
 せっかくのSBC-4はまるっきり間に合わず、結局50機全部マルティニーク島でスクラップにされてしまう。
 別の5機は貨物船でイギリス経由で向かっていたが、これもイギリスに着いたところで西部戦線の戦闘は既に終わっており、RAFが領収することになる。RAFでは本機にクリーブランドの名称を与えたが、整備学校で地上教材としてのみ使用された。

 米海軍では、日米情勢が険悪化する中、結局あてにならないSB2Uに代わって、SBDの配備が進むまでのつなぎとして再び一線部隊にSBCが配備されるようになっていた。
 日本との開戦時にはSBC-3が69機、SBC-4が117機あり、サラトガのVS-3、ヨークタウンのVS-5、エンタープライズのVS-6がSBC-3、ホーネットのVB-8、VS-8がSBC-4を配備していたが、年内には全てのSBC-3装備部隊はSBD-2及びSBD-3との機種改変を終え、ホーネットの両飛行隊も1942年3月にはSBDへの改変を終えた。
 その後は急速に引退し、訓練用機としてもあまり長くは使われなかった。

 本機は、いろいろな意味で、「つなぎ」に徹した機体といえるであろう。
 

(文章:まなかじ)


SBC-3です。エンジンが復列なのでカウリングが深いです。SBC-4はマッチボックスやエレールからキットが出てますね。

諸元(SBC-4)
全幅10.36m
全長8.64m
全高3.84m
翼面積29.45m2
自重2,065kg
離陸最大重量3,211kg
武装7.62mmコルト・ブローニングM2機銃*2(前方固定*1 後席旋回*1) 500lb爆弾または1,000lb爆弾*1
発動機ライトR-1820-34サイクロン 空冷星型9気筒 950馬力
最高速度381km/h(4,633m)
巡航速度204km/h
海面上昇率567m/min
実用上昇限度7,750m
航続距離950km(500lb爆弾搭載時)
乗員2

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