強力なエンジンを装備しながら、開発期間の短縮を狙っていくつかの機体の一部を流用 するなどという安易な考えを採用したため、結局は失敗してしまった機体。 イースタン部門でTBMやFMなどの海軍機を生産していたジェネラル・モータースが 設立したフィッシャー部門は、1942年にアメリカ陸軍から長距離援護戦闘機の試作を 受注することに成功しました。ここで同社は、開発期間を短縮することを狙って、 尾部をダグラスSBDの陸軍版のA−24から、外翼と風防をカーチスP−40から、 主脚に至っては海軍機のヴォートF4Uから、それぞれ流用することにしてしまった のです。 また、機体の基本形態も操縦席後方に大型のV−3420エンジンを搭載し、そこから 長いプロペラシャフトを延ばして機首の2重反転プロペラを駆動するというこった設計を 採用していました。 しかし、出来上がった機体はエンジンの冷却不足、寄せ集めにしたことによる不安定さ、 多量の燃料を搭載したことによる重心位置の不適正さに悩まされ、また、大馬力エンジンを 搭載したにもかかわらず性能的に軍の要求に遠く及ばず、一旦は大量発注されたものの 生産機が5機完成したところですべてキャンセルされてしまいました。 このころのアメリカ陸軍は盛んに凝った形態の戦闘機を試作していましたが、すでに 普通の形態であるP−47やP−51が高性能を示していましたから、かなりの高性能 でも採用される可能性は低かったのではないでしょうか? |
諸元 | |
全幅(m) | 15.03 |
全長(m) | 12.59 |
全高(m) | 5.02 |
翼面積(u) | 32.23 |
自重(s) | 5,105 |
全備重量(s) | 8,108 |
エンジン |
アリソンV−3420−23 液冷V型×2 24気筒 2600馬力 |
燃料 | 2,415リットル |
最大速度 | 644q/h(6,100m) |
巡航速度 | 402q/h |
上昇率 | 1,051m/分 |
実用上昇限度 | 11,582m |
航続距離 | 3,460/6,196(最大)q | 武装 | M2 12.7o×10 |