紫電改と坂井三郎氏 : 花五郎(00/5/9 20:22)
Re:紫電改と坂井三郎氏 : SADA(00/5/9 20:41)
Re:紫電改と坂井三郎氏 : 大塚好古(経験あり)(00/5/9 23:59)
先生は(きっと)こう仰っています。 : BUN(00/5/10 06:56)
Re:先生は(きっと)こう仰っています。 : 大匿 名太(00/5/11 23:50)
やはり航続距離では : NX(00/5/10 20:53)
Re:やはり航続距離では : 南雲注一(00/5/11 22:01)
Re:やはり航続距離では : SADA(00/5/12 12:22)
Re[2]:やはり航続距離では : NX(00/5/12 18:25)
Re[3]:やはり航続距離では : SADA(00/5/13 19:43)
[投稿者削除] : NX(00/5/14 02:40)
どちらにせよ、零戦には明らかに劣ります・・・ : NX(00/5/14 19:55)
目標は沖縄本島沖にあらず? : BUN(00/5/15 05:28)
Re:目標は沖縄本島沖にあらず? : SADA(00/5/15 15:22)
Re:どちらにせよ、零戦には明らかに劣ります・・・ : SADA(00/5/16 11:55)
無敵伝説への反感 : ささき(00/5/12 01:52)


3655 Root [3656] [3657] [3663] [3666]
紫電改と坂井三郎氏
花五郎(00/5/9 20:22)

坂井三郎大兄は「紫電改は迎撃機としても制空機としてもどっちつかずの機体であった」と悲しいコメントを残されています。私としてはどっちつかずというより、両用可能なすばらしい機体(航続距離は少々短いですが)と思っています。なんでこんな言われ方をするのでしょうか。皆様のご意見をお願いしたく存じます。


3656 [3655] なし
Re:紫電改と坂井三郎氏
SADA(00/5/9 20:41)

> 坂井三郎大兄は「紫電改は迎撃機としても制空機と
> してもどっちつかずの機体であった」と悲しいコメントを
> 残されています。私としてはどっちつかずというより、
> 両用可能なすばらしい機体(航続距離は少々短いですが)と

>思っています。なんでこんな言われ方をするのでしょうか。
>皆様のご意見をお願いしたく存じます。

可能性としてまず考えられるのは、
1.坂井氏は雷電の実態を知らなかったから。
 雷電の火星2Xは全開高度が低く、高度6000mまで上がると
余力がかなり無かったようです。実際、B29を迎撃するのに、
「零戦の方がやりやすかった」という声も聞かれます。
 こういう状況を知らなければ、カタログスペックに
とらわれ、紫電改は迎撃機として不足、制空機としても
足が短い、の発言になるでしょう。

 実際には、紫電改は中空〜高空において雷電よりマシだった
可能性があります。

もう一つの可能性として、
2.末期の機体ゆえ、何もかもスペックダウンしていた
 ということも考えられます。ここの過去ログ(15ページ
ぐらいかな)を見ればわかりますが、零戦52型と紫電改と
のスコアを比較すると、トータルで見て、辛うじて紫電改が
上回る程度でしか無いことがわかります。
(状況によっては零戦が明らかに上回ることすらある)

 もちろん、カタログスペックを出せれば有意なスコア差を
出せたと思えますが、なにせエンジンは神経質で有名な誉。

 実際のところ零戦52型の火力、装甲を増加した程度の
能力しか出せていないために、こんな結果になったと
思われます。そのうえ、航続距離も落ちているでしょう
から・・・。


3657 [3655] [3660]
Re:紫電改と坂井三郎氏

上田信先生の劇画では坂井三郎殿は「目が悪くなければJ改で暴れたかったぞ」とおっしゃってますが、発言した時期で言っている内容が異なっている可能性はないですか?(interepid yoshifuru)


3660 [3657] [3665]
先生は(きっと)こう仰っています。
BUN(00/5/10 06:56)

 結局のところ、坂井三郎先生はですね。
 343空のことが嫌いだった、と見るべきです。
 武藤少尉が横空から引き抜かれて戦死したり、ひょっとすると隊内での軋轢があったのではと考えさせられる回想を述べていたり、どうも343空は坂井先生に良い思い出を残さなかった部隊の様です。
 ですから先生は他人にはマネのできない先生独自の論法で罪もない紫電改をあえて否定し、言外に「源田のバカ」と仰っていると私は感じます。


3665 [3660] なし
Re:先生は(きっと)こう仰っています。
大匿 名太(00/5/11 23:50)

初めて投稿致します。今後とも宜しくお願い申し上げます。


>  結局のところ、坂井三郎先生はですね。
>  343空のことが嫌いだった、と見るべきです。

私の親しくさせて頂いている方で、元343空にいらした方がいらっしゃいます。
氏から聞いたお話ですと、BUNさんの御推測は的を射ているようです。
しかし、「逆もまた真なり(?)」・・・
坂井先生に対する搭乗員、幹部からの評判は決して芳しいものでは無かったと言うのもまた事実の
様です。
特にとある某エースと犬猿の仲であった事は、嘗て隊員であった方なら全員御存知の様で、一触即発の状態が続いていたようです。


>  武藤少尉が横空から引き抜かれて戦死したり、ひょっとすると隊内での軋轢があったのではと考えさせられる回想を述べていたり、どうも343空は坂井先生に良い思い出を残さなかった部隊の様です。

その様ですね。これまた逆に、343空隊員達も坂井先生に対して良い思い出を残していない様です。
前に述べた方以外にも、私の知人の父上が「戦闘某」の搭乗員でいらしたのですが、坂井先生に対する印象は同様でいらっしゃる様です。
この方曰く、「坂井さんは幹部連中に対する敵意は常に剥き出しであった・・・ 教官と言いながら、我々は実際坂井さんが空を飛んでいる所を一度たりとも見た事がない・・・」と仰られておりました。
今日、杉田上飛曹の戦死後、武藤中尉を横空から引き抜く条件として坂井先生は替わりに横空に転勤となったと言われておりますが、結果的にそうなったとは言うものの、この説は坂井先生御自身のお考えでもあるのではないかとも思われます。
坂井先生の横空転勤は杉田上飛曹の戦死以前から上層部では懸案されていた事の様です。


>  ですから先生は他人にはマネのできない先生独自の論法で罪もない紫電改をあえて否定し、言外に「源田のバカ」と仰っていると私は感じます。

実に鋭い御推測であると感心致しました・・・
相当の資料を御検討の上での御意見であると御推測致します。
結局20年3月以降に活躍した343空「紫電改」の空戦方法と、坂井先生が活躍されていた17年8月7日以前の「零戦21型」の空戦方法が、必然的に大きく様変わりをしていたのもその原因の一つではないでしょうか?・・・


3663 [3655] [3664] [3668]
やはり航続距離では
NX(00/5/10 20:53)

坂井氏が紫電改に非常に批判的なのは、やはり航続距離が短かったから、ではないでしょうか。
坂井氏は沖縄戦の時、鹿屋で特攻出撃する大村航空隊教官時代の教え子を多数見送ったそうです。ところが紫電改は航続距離が短く、沖縄のかなり手前の喜界島までしか援護できない。零戦なら沖縄本島南部まで、陸軍の三,四,五式戦でも沖縄本島の一歩手前の与論島までは行けるのに。教え子を死地に送り出すのに、自隊の戦闘機で充分援護できないのはやはり断腸の思いだったのではないでしょうか。紫電改を「使えない戦闘機」として感情的に罵りたくなる気持ちはわからなくもないような気がします。


3664 [3663] なし
Re:やはり航続距離では
南雲注一(00/5/11 22:01)

確かにそのとおりだと思います。
しかしあの機自体が局戦なので、それはどうしようもないことでしょう。
会えて紫電改をかばってやるとしたら、零戦の航続距離が長すぎたの一言に尽きるんじゃないでしょうか。
もともと零戦自体が無理な設計をして作られているので、あれなみの航続距離を付けてやるには戦闘能力を削らなければなりません。
したがって、重戦に駆逐された零戦の二の轍を踏んでしまう。
とにもかくにも、零戦が名器というほか無いのか……。


3668 [3663] [3669]
Re:やはり航続距離では
SADA(00/5/12 12:22)

> 坂井氏は沖縄戦の時、鹿屋で特攻出撃する大村航空隊教官時代の教え子を
> 多数見送ったそうです。ところが紫電改は航続距離が短く、沖縄のかなり
> 手前の喜界島までしか援護できない。零戦なら沖縄本島南部まで、
> 陸軍の三,四,五式戦でも沖縄本島の一歩手前の与論島までは行けるのに。

 航続距離では紫電改と三式、五式とでは大差無いはずです。坂井氏は
ベテランですので燃費の良い領域で飛んでいたでしょう。ですから、カタログを
大幅に下回る航続距離しか出せなかった、などと言う事も無いでしょう。

誉発動機が原因とすると、四式にも同様の問題が発生するはずです。
 実際には、「まともに燃料・増槽が支給されなかった」だけなのでは
ないでしょうか。

 で、この真実に突き当たったとき、なんて343空はひどいとこだったんだ・・・
となって、読者の矛先は源田司令に向く・・・と。

そういう意図が隠されているような気がしてなりません。


3669 [3668] [3671]
Re[2]:やはり航続距離では
NX(00/5/12 18:25)

> 航続距離では紫電改と三式、五式とでは大差無いはずです。

カタログ値ではそうです。そして、カタログ値では陸軍の一,三、四、五式戦は沖縄本島南部まで行けるはずでした。ところがパイロットの技量低下と末期の機体性能の低下が相まって、空戦を見込めば与論島までしか進出できなかったと。逆に言えば与論島までは行けたと言うことになります。
これに反して、カタログ値で大差ない紫電改は事実として喜界島までしかいけなかった、と。
カタログ値がどうであれ、事実を見れば紫電改の航続距離はやはり劣っていた、といわざるを得ないのでしょうか。

> 坂井氏は
> ベテランですので燃費の良い領域で飛んでいたでしょう。ですから、カタログを
> 大幅に下回る航続距離しか出せなかった、などと言う事も無いでしょう。

坂井氏は343空では実戦に参加していません。

> 誉発動機が原因とすると、四式にも同様の問題が発生するはずです。

紫電改と四式戦の機体設計の差、でしょう。
同じ発動機をつけている零戦32型と22型でも、航続距離には大差があるのは、SADAさんももちろんご存じのはずです。
但し、その分四式戦は他の性能が犠牲になっている可能性がありますが。(防弾性能とか)

> 実際には、「まともに燃料・増槽が支給されなかった」だけなのではないでしょうか。

戦争末期においても、海軍のほうが燃料事情は陸軍よりはマシだったはずです。343空は92オクタン燃料をなんとか確保していた、との整備員の回想を読んだことがあるような気がします。(うろ覚えですが・・・)
それに新鋭戦闘機が最優先で配備されていた343空に増槽が支給されなかったとは考えにくいです。


3671 [3669] [3672] [3673]
Re[3]:やはり航続距離では
SADA(00/5/13 19:43)

> 空戦を見込めば与論島までしか進出できなかったと。逆に
> 言えば与論島までは行けたと言うことになります。

残念ながら、この与論島に陸軍戦闘機が往復していたか
どうかから疑ってかかる必要が有ります。
http://www.epsnet.co.jp/~vought/ansq001/A1000749.html
のレス39番。)

> これに反して、カタログ値で大差ない紫電改は事実として
> 喜界島までしかいけなかった、と。

 地図によりますと、

 鹿児島−喜界島までは約380km。往復でも760kmです。
他方、紫電改の航続距離はElevonによりますと1700km近く
あり、坂井氏の言葉を信ずるなら、誉の燃料消費が実戦
状態で倍増した事を意味します。
http://www.csd.uwo.ca/~pettypi/elevon/gustin_military/db/

与論までは550kmであり、さすがに性能低下と空戦余裕を
見込むと行けないのかもしれませんが・・・。喜界島まで
しか往復できなかった、はさすがに誇張と言えます。

> カタログ値がどうであれ、事実を見れば紫電改の航続
> 距離はやはり劣っていた、といわざるを得ないので
> しょうか。

 劣っていた、のは認めますが、実戦で性能低下していた
とは言え、倍も性能が違うわけが有りません。

>> 誉発動機が原因とすると、四式にも同様の問題が発生する
>> はずです。
> 紫電改と四式戦の機体設計の差、でしょう。

 そのとおりです。しかし、同じエンジンを使用し、
似通った飛行性能ならば、カタログの航続距離を決める
のはタンク容量です。
そう、そのタンク容量差は認めます。

 しかし、タンク容量の変動が無いのに、航続距離が
半減した場合、まずエンジンを疑うべきです。そして、
そのエンジンが四式と紫電改とで同じ訳ですから、
坂井氏の発言を信じるなら、四式の航続距離も半減したと
見るべきです。

 つまり、坂井氏発言で、紫電改が喜界島往復がやっと
だった、を信じるなら、四式も与論まで行けません。

>> 実際には、「まともに燃料・増槽が支給されなかった」
>> だけなのではないでしょうか。
>
> 戦争末期においても、海軍のほうが燃料事情は陸軍よりは
>マシだったはずです。
> 343空は92オクタン燃料をなんとか確保していた、
> との整備員の回想を読んだことがあるような気がします。
>(うろ覚えですが・・・)

 この反対に、誉の開発では高品質燃料の確保のために陸軍に
頭を下げた、という話を読んだ事が有ります。

> それに新鋭戦闘機が最優先で配備されていた343空に
> 増槽が支給されなかったとは考えにくいです。

 迎撃戦中心の343空に、使い捨ての増槽をふんだんに
使用する環境が整っていたとも考えにくいです。


3672 [3671] なし
[投稿者削除]
NX(00/5/14 02:40)

投稿者によって削除されました。(00/5/14 02:40)


3673 [3671] [3674] [3677]
どちらにせよ、零戦には明らかに劣ります・・・
NX(00/5/14 19:55)

>残念ながら、この与論島に陸軍戦闘機が往復していたか
>どうかから疑ってかかる必要が有ります。
http://www.epsnet.co.jp/~vought/ansq001/A1000749.html
のレス39番。)

推測と想像で議論しても平行線ですので少し調べてみたのですが、「本土防空戦」(渡辺洋二著)によると、都城から特攻機掩護作戦を行った第百一戦隊の四式戦は、空戦を見込めば与論島までの進出が限界だったとあります。
あと、五式戦については「世界の傑作機・五式戦」によると、翼下の増漕2本では与論島までの進出が限界で、胴体下にも3本目の増漕を積むよう改造を行ったが、結局試せなかったとのことで、与論島まではいけたことになります。

紫電改に関しても「大空のエピソード」(渡辺洋二著)中の「最後の切り札、剣部隊と『紫電改』」を読んでみたのですが、343空は奄美大島西方までしか(ほとんど喜界島と同じ位置です)特攻機掩護任務を行っていません。

渡辺洋二氏の著書と「世界の傑作機」なので、信じてもいいのではないでしょうか。

>劣っていた、のは認めますが、実戦で性能低下していた
>とは言え、倍も性能が違うわけが有りません。

>誉発動機が原因とすると、四式にも同様の問題が発生する
> はずです。

>そのとおりです。しかし、同じエンジンを使用し、
>似通った飛行性能ならば、カタログの航続距離を決める
>のはタンク容量です。
>そう、そのタンク容量差は認めます。

>しかし、タンク容量の変動が無いのに、航続距離が
>半減した場合、まずエンジンを疑うべきです。そして、
>そのエンジンが四式と紫電改とで同じ訳ですから、
>坂井氏の発言を信じるなら、四式の航続距離も半減したと
>見るべきです。

>つまり、坂井氏発言で、紫電改が喜界島往復がやっと
>だった、を信じるなら、四式も与論まで行けません。

うーんどうなのでしょうか、カタログ値は大戦機の性能を比較する際よく議論の的になりますが、あまり当てにはならないのではないでしょうか。陸軍と海軍では計測条件が違うでしょうから直接比較できないでしょうし。推測と想像で考えるのも趣味的には大変おもしろいですが(このサイトの醍醐味だと思います)、客観的に捉えようとするとやはり信頼できそうな事実関係を詰めていかないといけないのではないか、思います。

紫電改と四式戦は同じ発動機で似通った飛行性能とはいえ、全く別の会社が全く別の設計で製作した別の機体です。発動機が一緒で同じ零戦である零戦32型と22型ですら航続距離に大差があること(翼端の空力処理の差と、若干の燃料タンクの増設であれだけ違うのです)、を考えると、航続距離に差がないと考えるほうがおかしいと思います。

あと、少し思いついたのですが、四式戦は翼下に増漕を二本装着可能ですが、紫電改は胴体下に一本と言うことで、ここら辺も実戦での航続距離に影響しているのかもと思います。

>>戦争末期においても、海軍のほうが燃料事情は陸軍よりは
>>マシだったはずです。
>>343空は92オクタン燃料をなんとか確保していた、
>>との整備員の回想を読んだことがあるような気がします。
>>(うろ覚えですが・・・)  …追記「本土防空戦」で確認しました。

>この反対に、誉の開発では高品質燃料の確保のために陸軍に
>頭を下げた、という話を読んだ事が有ります。

それは多分陸軍が開戦前にアメリカから輸入した100オクタン燃料だと思います。
昭和19年に中国でP-51Cを捕獲した際、陸軍審査部ではストックしてあった100オクタンガソリンでテストをしたらしいですから。実験研究用に少し持っていた、というだけではないでしょうか。
あと、このサイトの常連でいらっしゃるたかつかささんのサイトによると、ハイオクタン燃料の生産に関しては海軍の方が技術的に優れていたとのことです。

http://www.belbel.or.jp/users/takatsukasa/air/isooctan2.htm




>迎撃戦中心の343空に、使い捨ての増槽をふんだんに
>使用する環境が整っていたとも考えにくいです。

もし、仮にそうだったとしても、鹿屋にいれば増漕くらい他隊から融通してもらうことができたはずです。このころの海軍の増漕は統一型でしょうから。十死零生の特攻機を援護するのに他隊から増漕すら融通してもらえなかった、と考えるのも無理があるような気もします(推測と想像ですが)。

まあ、どうにせよ紫電改は零戦に比べれば航続距離が短かったのは紛れもない事実でしょう。零戦なら沖縄本島南部まで行けたのですから(「本土防空戦」で確認済みです)。大戦末期で紫電改の方が性能低下が激しかったとはいえ(過酷な条件で性能を十分発揮できなくなるのは兵器としては欠陥ですが)、零戦と戦闘能力がそんなに変わらない上に、(たぶん坂井氏にとって)一番肝心なときに航続力不足で役に立たなかった戦闘機を坂井氏が貶したくなる気持ちは、私には分かるような気がします。


3674 [3673] [3676]
目標は沖縄本島沖にあらず?
BUN(00/5/15 05:28)

紫電改の進出限界は指摘の通りだと思いますが、実際の目標である米機動部隊の位置は必ずしも沖縄本島沖ではなく、各菊水作戦の索敵報告では奄美大島近辺まで北上している場合もあり、当然米側の邀撃線は更に北方にあった筈ですから、菊水一号作戦から五月4日の出撃迄の数回の制空戦闘で343空が航続距離の問題で戦闘の機会を逃すことは余り無かった様です。「紫電が途中で引き返す」といった状況とは少し事情が違っていた様に思います。343空の護衛は、どちらかと言えば、よくその任務を果たしていたのではないでしょうか。


3676 [3674] なし
Re:目標は沖縄本島沖にあらず?
SADA(00/5/15 15:22)

> 各菊水作戦の索敵報告では奄美大島近辺まで北上している
> 場合もあり、当然米側の邀撃線は更に北方にあった筈ですから、

ややっ、そうなると、途中で増槽を落とさざるを得なく
なったから奄美大島までが限界だった、という事も当然
ありえますねっ。四式が与論まで行けるなら、紫電改は
徳之島ぐらいまで行って欲しい所ですから。

> 菊水一号作戦から五月4日の出撃迄の数回の制空戦闘で
> 343空が航続距離の問題で戦闘の機会を逃すことは
> 余り無かった様です。

護衛の第一義は「迎撃機をやっつけること」それが
かなわない場合は「迎撃機を自分に引き付ける」事ですから、
つまり「戦う事に意義有り」と言えます。戦果はどうあれ、
紫電改の進出距離に付いては、ぎりぎり合格点だったと
結論付けられるのではないでしょうか。


3677 [3673] なし
Re:どちらにせよ、零戦には明らかに劣ります・・・
SADA(00/5/16 11:55)

> 都城から特攻機掩護作戦を行った第百一戦隊の四式戦は、
> 空戦を見込めば与論島までの進出が限界だったとあります。

 47戦隊搭乗員の手記では、都城から沖縄まで往復しても
燃料の心配が無かった、とありますね。また、敵と遭遇した
のは一回だけだった、とも。
 逆に言えば、疾風の航続距離は「敵とぶつかっていないから」
紫電改に比べて減り方が少なかったという可能性も否定できません。

> 343空は奄美大島西方までしか(ほとんど喜界島と同じ
> 位置です)特攻機掩護任務を行っていません。

 それだけでも坂井発言と比べると往復で150km近く違いませんか?

> うーんどうなのでしょうか、カタログ値は大戦機の性能を
> 比較する際よく議論の的になりますが、あまり当てには
> ならないのではないでしょうか。

実は、私は回想程当てにならないものは無いと考えてまして。
以前の紫電改の議論でも、話がどんどん転じて行くなか、
B-29の関西空襲の侵入高度は8000m〜9000mだった、
という雷電搭乗員の手記を盾に反論した所、BUN親方に、
当の米軍の記録では6000m〜8000mだったという事で
撃沈された経験があります。

> 客観的に捉えようとするとやはり信頼できそうな事実関係を
> 詰めていかないといけないのではないか、思います。

記録を突き詰めていく必要が有るのは同意です。
しかし、記録に疑いの余地がある場合は、数字から
想像するしか手は有りません。

> 紫電改と四式戦は同じ発動機で似通った飛行性能とはいえ、
> 全く別の会社が全く別の設計で製作した別の機体です。
> 発動機が一緒で同じ零戦である零戦32型と22型ですら
> 航続距離に大差があること

 栄は燃費の良いエンジンです。若干の増設でも大きな影響が
でるでしょう。

 さて、疾風と紫電改との燃料タンク容量を比較してみました。
 疾風:胴体下部タンクで217リットル
    両内翼部タンクで346リットル
    両外翼部タンクで134リットル
    両増槽    で400リットル

    計       1097リットル

紫電改:胴体前部タンクで270リットル
    胴体後部タンクで260リットル
    両翼内タンク で186リットル
    増槽     で400リットル
    計       1116リットル

 よって、わずかながら紫電改の方が多いです。まあ、
誤差と呼びうる程度ですが・・・。最高時速からいって、
紫電改の方が抵抗が多いことは用意に推察可能であり、
巡航速度はおそらく低いはず
(紫電改で460km/hでした。四式はどの程度でしょうか?)
・・・つまり、航続距離が劣るのは認めます。

 でも、四式で与論往復1100kmが限界だった、紫電改は
喜界島往復760kmが限界だった、というのはやはり機体以外に
原因があると断定可能です。

 正規で巡航三時間、全力30分を出せるよう作られた
(取説により確認可能です)紫電改が、巡航一時間ちょいの
距離しか飛べないのは、後に述べる燃料の質の低下と共に、
増槽の不足と考えられます。

 結局の所、私は「坂井発言は源田憎し故の誇張」と思います。
 航続距離はどの機体にしても、沖縄までは届かず、似たような
物でした。それにも関わらず紫電改だけをあえて的に絞って
罵るのは、343空に対する憎しみしか有り得ません。

 紫電改の一番の問題点は足が短い事ではなく、「零戦52型の
飛行性能をほぼそのままに、武装と装甲を強化したのと
等しい」と言う点であり、これが紫電改否定派も肯定派も
出る所になっていると思います。

疾風はほとんど防弾を施しておらず、それでいて最高速度が
約30km/hしか違わないのですから、こちらもかなり問題有り
だったと言えます。

> あと、少し思いついたのですが、四式戦は翼下に増漕を二本
> 装着可能ですが、紫電改は胴体下に一本と言うことで、
> ここら辺も実戦での航続距離に影響しているのかもと思います。

 増槽容量は両者とも400リットルで一緒です。

> あと、このサイトの常連でいらっしゃるたかつかささんの
> サイトによると、ハイオクタン燃料の生産に関しては海軍の
> 方が技術的に優れていたとのことです。
>
> http://www.belbel.or.jp/users/takatsukasa/air/isooctan2.htm

なるほど。しかし、その一方で、Ans.Qのボード1のNo.
694レス7番を御覧下さい。陸軍でも91オクタンは貴重では
有りましたがとりたてて珍しいものではないのです。

 さらに、1945年以降では、陸軍の方が備蓄燃料が多く、
より余裕があったと考えられます。米軍の戦略爆撃調査団が
戦後すぐに、700人以上を尋問して得られた資料ですので、
これは信頼置けると言えます。

 これによると、代用燃料としてアルコールとガソリンの
混合燃料が使われ、出力の低下こそ無かったものの、燃料
消費率が倍増し、作戦面で困難を来したとあります。
 別の項では、菊水作戦中は主要道路を爆撃され、飛行場への
補給ができなかった、とあります。

 航続半減のなぞはこれで解けませんか? 航続力を本当に
求められたのは特攻機です。九州にあった貴重なガソリンは
特攻機が優先され、さしもの343空といえども、海軍から
供給された燃料は代用燃料だったのではないでしょうか。

> もし、仮にそうだったとしても、鹿屋にいれば増漕くらい
> 他隊から融通してもらうことができたはずです。

 ですが、この343空、他の隊からいいものばかり引き抜いて
作られた為、あちこちから批判が吹き出しています。返せる
ような物ならともかく、くれてしまうには抵抗があったのでは
ないでしょうか。

> まあ、どうにせよ紫電改は零戦に比べれば
> 航続距離が短かったのは紛れもない事実でしょう。

そのとおりです。

> 紫電改の方が性能低下が激しかったとはいえ
>(過酷な条件で性能を十分発揮できなくなるのは
> 兵器としては欠陥ですが)、零戦と戦闘能力が
> そんなに変わらない上に、(たぶん坂井氏にとって)
> 一番肝心なときに航続力不足で役に立たなかった
> 戦闘機を坂井氏が貶したくなる気持ちは、私には
> 分かるような気がします。

苛酷な条件で性能を発揮できなくなるのはそれこそ
現代の兵器もそうですね。いや、複雑な兵器は全て
そうです。F-15は欠陥機ですか?
竹槍の方が零戦より優れた兵器なんですか(ぉぃ)

この時期でもベテランの駆る零戦はF6Fに対し抗する事が
出来ましたが、逆に言えばベテランでなくては歯が
立たなかったと言う事の裏返しでしかありません。

やはり、「343空無敵伝説」に対する反感の現れ、
あるいは零戦でもまだ戦えたベテランならではの発言と
見るべきです。


3666 [3655] なし
無敵伝説への反感
ささき(00/5/12 01:52)

私もBUN氏の「源田憎し説」に一票です…坂井氏は戦後にマンガや
小説で「343空と紫電改」が有名になりすぎ、実態からかけ離れた
無敵伝説が一人歩きするのを苦々しく思っておられると思います。

紫電改は生産数も少なく、まともに実戦運用し得たのは343空
だけです。その343空は源田氏の「強い戦闘機部隊によって
制空権を奪回し戦局を好転させる」という主張によって開かれた
部隊ですが、確かに末期日本にあって343空の精鋭は際立って
いたものの、結果論から言えば戦局には何の影響も与えていません。
その部隊運用のために杉田庄一、武藤金義といった熟練パイロット
(坂井氏の古い戦友たち)が失われ、しかも言い出しっぺの源田氏は
戦後も存命であり、むしろ343空の存在によって有名人になりました。

この経緯を苦々しく思っている坂井氏に「紫電改は最強」「紫電改
さえ早期に量産されていれば…」といった言葉は、彼の癇癪玉を破裂
させるに十分なのだと思います。


FlasH BBS Pro v1.41 [Shigeto Nakazawa]