日本海軍機の大戦末期の塗装について最近思う事 : J2(01/3/24 19:37)
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こういう話題は大歓迎 : BUN(01/3/24 21:55)
Re:こういう話題は大歓迎 : J2(01/3/24 23:02)
Re[2]:こういう話題は大歓迎 : BUN(01/3/25 00:45)
中島五三型 : 片(01/3/25 11:13)
[投稿者削除] : BUN(01/3/25 11:59)
Re:中島五三型 : BUN(01/3/25 17:37)
大筋においては同意します : 片(01/3/25 22:03)
Re:大筋においては同意します : BUN(01/3/25 23:21)
おたずねします : FJ2(01/3/27 00:18)
Re:おたずねします : 片(01/3/27 06:43)


5382 Root [5386] [5387]
日本海軍機の大戦末期の塗装について最近思う事
J2(01/3/24 19:37)

濃緑黒色→色の幅はあっただろうがかなり黒にちかいものだった(白黒写真から推測)
味方識別標識→赤みの強いもの(黄色がかっているよりも識別しやすいのではないか)
下面塗装→明灰色は零戦の大戦初期の塗装、「灰緑色」だった(黒須氏のスケールアビエーションでの燃料タンクについての記事から)
紫電改などの下面が銀色に見えるものはジュラルミン地肌で無塗装だった(何も塗らないというのはかなり工程の簡略化に貢献するのではないか)
紫電改の計器パネルは本当に黒色だったか?

以上、根拠に乏しい推測ですが叱咤激励の程、宜しくお願いします。


5386 [5382] なし
[投稿者削除]
BUN(01/3/24 21:17)

投稿者によって削除されました。(01/3/24 21:17)


5387 [5382] [5388]
こういう話題は大歓迎
BUN(01/3/24 21:55)

こういう話題は大いに結構ですね。大好きです。
勢い余って書き損じましたのでまた書き直し(笑)。

> 濃緑黒色→色の幅はあっただろうがかなり黒にちかいものだった(白黒写真から推測)

 白黒フィルムは全ての色に対して同じ感度を持っている訳ではありません。パンクロタイプの乳剤とオルソタイプの乳剤とで同じ色の被写体を撮影しても明度が異なります。
 しかも、白黒主流の時代には現在我々が常用しているスカイライトフィルターと同じく黄色のフィルターが常用されていたことも忘れてはいけません。ですから、白黒写真の明度は参考にはなりますが、絶対的な基準にはなり得ないのです。
 更に引き伸ばしの際の焼き加減で明度は全く違った仕上がりになります。
 カラー写真や残骸の色を実際に見た経験から想像できる範囲で言えば、中島色とか、三菱色とか言われはしますが、一般に海軍の緑は陸軍よりも黄色味が少ない傾向にはあるようです。それは総じてダンプカーのような色で、極端に濁った色では無いようです。

> 味方識別標識→赤みの強いもの(黄色がかっているよりも識別しやすいのではないか)

 これもカラー写真が残っていますので、ほぼ想像が着きますが、湘南電車の橙色より少し黄色味がかった色であったようです。
「赤みが強い」との説は「識別帯は赤かった」との回想が存在することと、往年のレベルカラー58番「黄橙色」があまりにも黄色味が強かったことから模型製作者の間だけで言われているのだと思います。
 前にも書きましたが、識別帯は赤みが強かったから「赤い」との回想が残っているのではなく、昭和17年8月21日付けの「軍用機味方識別に関する陸海軍中央協定」という通達の中に「迷彩セル飛行機ハ黄色」「迷彩セザル飛行機ハ赤色マタハ黄色」とした項目が存在し、実機にも赤い識別帯を塗った機体があるからです。一部の解説記事にあるような「初期は赤だった」のではなく、この頃は既に殆どの機体が迷彩塗装になったので「黄色だけ」になったのです。この通達はその後細部が変更されながら終戦まで有効です。
 実際の色調は上記の通りで、橙色より少し黄色味のある色、まさに橙黄色と推定して良いのではないでしょうか。
 
> 下面塗装→明灰色は零戦の大戦初期の塗装、「灰緑色」だった(黒須氏のスケールアビエーションでの燃料タンクについての記事から)
> 紫電改などの下面が銀色に見えるものはジュラルミン地肌で無塗装だった(何も塗らないというのはかなり工程の簡略化に貢献するのではないか)

 海軍機の迷彩規定は昭和十八年の内令兵四二号で定められていますが、この規定とその後の改定では機体上面の緑色は定められていますが、下面の塗装については規定がありません。ですから灰鼠色以外の色で塗られる場合があるのです。
 しかし、その下面塗装も「機体工作標準」という文書によって仕上げ方が規定されています。
 ですから初期の陸上攻撃機等の銀色に見える機体は無塗装ではなく、全て透明の保護塗料が塗られています。無塗装の機体は一機もありません。
 紫電などの後期の機体にも塗られているかどうかについては、戦争末期に使用されたアルコール混入燃料が機体塗装に及ぼす影響を通知した文書があり、そこでまだ透明保護塗料が使用されていることが確認できる事等が傍証となると思います。
 下面が銀色に見える機体の塗装は省略された塗装なのではなく、陸上機仕様の塗装が施された結果ではないかと私は思っていますが、それでも零戦等の艦上機に対して行われた数層の重ね塗りと比較すれば省力化は出来たことでしょう。

> 紫電改の計器パネルは本当に黒色だったか?

これは米軍が塗り替えたもので、緑色が正しい塗装のようです。しかし、黒色の計器盤も存在します。それは代用材を用いて製作された木製計器盤です。零戦で確認できますし、実物も残っています。

 以上、市販資料にないネタも本日はいつもより多くマワシておりマス!!


5388 [5387] [5391]
Re:こういう話題は大歓迎
J2(01/3/24 23:02)

あまり歓迎してもらえるとは思わなかったのでうれしいです、議論ボードデビュー成功です。

>残骸の色を実際に見た経験
私もこの目で見てみたいですね、今まで見た大戦機といえば嵐山の零戦54型(?)・疾風、三菱重工の復元零戦(52型)くらいですからね。
どこにいけば見れますか?

>それは総じてダンプカーのような色で、極端に濁>った色では無いようです。
いろんな色のダンプカーがあると思うんですが、どんな色のダンプカーを指すのでしょうか。

フィルムの特性については私はよく分からないのですが明度の参考にはなるという事ですね。

それからいろいろな解釈がある零戦の塗装、堀越次郎氏著「零戦」の中で出てくる灰緑色の事ですがこの色は零戦だけに施された色なんでしょうか、そうすると黒と白を混ぜただけの純粋な鼠色
も存在するということでしょうか。

アルコール混入燃料ですがアルコールは何を目的に入れられていたのでしょう、溶剤としてとか?

木製計器盤は黒色に塗られていたとの事ですが、わざわざ塗り分けるという事はやはり「この計器版は木製ですよ」と区別する為でしょうか。

議論というかろくに知識も無いので質問だけの返事になってしまいましたがご容赦下さいませ。


5391 [5388] [5395]
Re[2]:こういう話題は大歓迎
BUN(01/3/25 00:45)

> どこにいけば見れますか?

嵐山で展示されていた零戦は五二丙か五三型ではないかと私は思っていますが、この機の計器盤が引き上げ時から黒いのです。

> いろんな色のダンプカーがあると思うんですが、どんな色のダンプカーを指すのでしょうか。

標準的な深緑。クレヨンの深緑のようなストレートな色、ということです。

> フィルムの特性については私はよく分からないのですが明度の参考にはなるという事ですね。

その明度が当てにならない、ということです。
同じ濃さの赤と青が違う明度に写り得るということ。灰鼠色の明度も当てになりません。

> それからいろいろな解釈がある零戦の塗装、堀越次郎氏著「零戦」の中で出てくる灰緑色の事ですがこの色は零戦だけに施された色なんでしょうか、そうすると黒と白を混ぜただけの純粋な鼠色
> も存在するということでしょうか。

これはまだ、何とも言えません。ただ、茶色の強い「飴色」と俗称される色はどうも、塗料そのものの色では無いと考えています。

> アルコール混入燃料ですがアルコールは何を目的に入れられていたのでしょう、溶剤としてとか?

燃料としてですよ。一般向けの自動車用燃料にもアルコールは早くから添加されています。

> 木製計器盤は黒色に塗られていたとの事ですが、わざわざ塗り分けるという事はやはり「この計器版は木製ですよ」と区別する為でしょうか。

違います。塗料は材質ごとに定められているんです。木部と金属部、金属部でも、アルミとマグネシウム、鋼ではそれぞれ別の塗料を使用します。
その為ではないかと思っていますが、黒い計器盤が存在するのは事実です。



5395 [5391] [5397] [5401]
中島五三型
(01/3/25 11:13)


> 嵐山で展示されていた零戦は五二丙か五三型ではないかと私は思っていますが、この機の計器盤が引き上げ時から黒いのです。

当該機は「中島82729号機」とされており、五二丙型と思われます。中島の六二型はもうちょっとだけ時期的におくれると思うのです。
師匠が中島製の五三型を考えておられるのは、計器板に水メタノール圧力計の取り付け穴があったからですか? 中島製で五三丙型が計画されていたと言う話は初耳なのですが。


5397 [5395] なし
[投稿者削除]
BUN(01/3/25 11:59)

投稿者によって削除されました。(01/3/25 11:59)


5401 [5395] [5402]
Re:中島五三型
BUN(01/3/25 17:37)

簡単に述べますと、今のところ私は中島が1601号機から2729号機まで1000機以上も五二丙型を製造したとは考え難いのです。
戦史叢書の中沢回想にもあるように零戦の延命策として考えられた本命は発動機強化と防弾装備を充実した五三型なのですから、五二丙型を生産する準備とは五三型の生産準備を行うということに他ならないのではないでしょうか。そして事実上五二丙型と同様の機体が竣工していたとしても、それが五三型として割り振られた機体であればそれは五三型と呼ぶべきであると私は思います。
メタノール計の取り付け穴の無い計器盤が最後期の機体に見られるのは、「五三型の中止=水噴射の省略」が影響してのことだと想像しているのですが、如何な物でしょうか。


5402 [5401] [5403]
大筋においては同意します
(01/3/25 22:03)

私個人は、水メタノール噴射に備えて作られた零戦の本質とは、結局後部胴体内タンクを有することに尽きるのではないかと思っています。この措置は、五二丙型の一部で既に実施されたもののようでもあり、従って五二丙型の名のまま実質五三型予備軍である機体があっても、おかしな話だとは思わないのです。


5403 [5402] [5409]
Re:大筋においては同意します
BUN(01/3/25 23:21)

私もほぼ同様の認識です。
五三型は取扱説明書も存在しており、三菱の文書中にも量産機のあることが触れられていますので、水噴射無しの機体が生産されたことは確かだと思いますが、結局五三型は五二型と同様の扱いを受けており、二十年初夏以降の文書中にはまず登場しません。
中島1601号機が竣工した時点で栄三一型への水噴射が諦められていれば中島五三型は存在しないことにもなりかねないと思っています。それ故、五二丙型または五三型と表現したのです。


5409 [5403] [5410]
おたずねします
FJ2(01/3/27 00:18)

BUN様、片様、ちょっと割り込まさせてください。
元嵐山の零戦は、六ニ型または六三型ではないのですか?


5410 [5409] なし
Re:おたずねします
(01/3/27 06:43)

中島のA6M7としては若干時期が早すぎるんです。


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