関特演が発動されていたら : 山家(01/6/20 22:16)
Re:関特演が発動されていたら : プチロフ(01/6/23 00:09)
1941年8月、独軍モスクワに突入 : 山家(01/6/23 21:48)
Re:1941年8月、独軍モスクワに突入 : アリエフ(01/6/24 00:11)
Re:1941年8月、独軍モスクワに突入 : プチロフ(01/6/24 04:16)
海軍はどうなのでしょう。 : 山家(01/6/28 23:19)
Re:海軍はどうなのでしょう。 : アリエフ(01/6/29 00:57)
Re:海軍はどうなのでしょう。 : プチロフ(01/6/30 01:59)
Re[2]:海軍はどうなのでしょう。 : SUDO(01/6/30 06:11)
Re[3]:海軍はどうなのでしょう。 : Z(01/7/1 16:41)
Re[3]:海軍はどうなのでしょう。 : 山家(01/7/1 18:06)
Re[4]:海軍はどうなのでしょう。 : tackow(01/7/1 21:04)
Re[5]:海軍はどうなのでしょう。 : 有村(01/7/2 20:11)
Re[6]:海軍はどうなのでしょう。 : 山家(01/7/2 20:52)
[投稿者削除] : 原田(01/7/5 23:34)
制空権は、どちらの手に : 山家(01/7/3 21:02)
Re:制空権は、どちらの手に : アリエフ(01/7/4 02:43)
Re[2]:制空権は、どちらの手に : 山家(01/7/5 20:56)
Re[3]:制空権は、どちらの手に : アリエフ(01/7/7 02:17)
Re[4]:制空権は、どちらの手に : 山家(01/7/19 21:14)


5749 Root [5766]
関特演が発動されていたら
山家(01/6/20 22:16)

 いつも、お世話になっています。
 架空の話を取り上げるのは、気が引けるのです
が。もし、1941年8月末に、例えば、関東軍
の若手参謀将校が、今が日ソ開戦の絶好機である
として、暴走する等し、関特演が、実際に発動さ
れていたら、どうなっていたでしょうか。
 既にこのボードで取り上げられていたりしたら
すいません。


5766 [5749] [5771]
Re:関特演が発動されていたら
プチロフ(01/6/23 00:09)

この頃なら極東ソ連軍はシベリア師団をヨーロッパに引き抜かれてスカスカだから行けるか?と思いましたが…
ヨーロッパへの部隊派遣が本格化するのは41年9月、関特演が未発に終わったのを見極めてからでした。
8月の時点で幾つかの部隊が移動していますが、全てザバイカル方面軍からで極東方面軍は変化無し、更に欠けた分は新設部隊を補充すると言う警戒ぶり。
元々関特演は在満州・朝鮮の14個師団に内地からの2個師団を加え対ソ警戒強化、ヨーロッパへ部隊派遣でソ連軍が弱体化すれば内地4、華北2もしくは内地5、中国4の師団を加え対ソ戦開始という計画案で、この時点で関特演参加部隊は警戒強化案の16個師団のみ。

この状態で関東軍が作戦を独自に発動(仏印進駐で対米関係が悪化している状態で国が対ソ開戦を選ぶとは思えない)したすると、内地との事前調整無し・作戦期間一ヶ月半では追加の師団や海軍の航空部隊の参加はまず間に合わず、計画の2/3強の部隊で予定の倍(元はソ連30個師団が15個師団に減った時点で開戦予定)の守備部隊を攻撃する事になります。

結局、第一期目標のウォオシロフ〜ウラジオストックの攻撃に手を焼いている間に西方のバイカル湖方面から大挙してソ連軍がなだれ込む結果になるんじゃないでしょうか。


5771 [5766] [5774] [5778]
1941年8月、独軍モスクワに突入
山家(01/6/23 21:48)

 どうも、丁寧な回答をありがとうございます。
この記事を投稿したときは、関東軍の暴走という
ことのみを考えていたのですが、もう一つ独ソ戦
の成り行きが変わっていて、中央が「関特演」の
発動を決断していたら、ということを考えまし
た。1941年7月中旬、独軍主計総監は現在の
兵站能力で、4個装甲師団、3個自動車化歩兵師
団、10個歩兵師団から成るモスクワ攻撃は可能
と考えており、8月4日には、独中央軍集団は、
モスクワ目指して進撃可能な状態になっていまし
た。この状況から、間隙を措かず、モスクワを目
指していたら、モスクワ占領は無理でも、モスク
ワ市街への独軍の突入は可能だったように思われ
ます。二重のもしになってしまいますが、そうな
っていれば、日本は対ソ戦を決意し、「関特演」
を発動したのではないでしょうか。
 もし、そうなっていたら、どうなっていたと
思われますか。


5774 [5771] なし
Re:1941年8月、独軍モスクワに突入
アリエフ(01/6/24 00:11)

結論から言って、独軍が対モスクワ攻撃を優先する戦略を取った時点で、日本政府及び軍中央が対ソ攻撃開始を決定するとは思えません。プチロフさんが指摘しているように、関特演並みの大規模な作戦は事前の中央との調整が必要であり、本格的侵攻のためには半年位の時間をかけて軍全体あるいは政府関係方面との調整が必要です。この場合、41年の初め頃、対米関係が悪化しつつある状況でも中央で対ソ攻撃の決定が行われていたという状況があり、開戦のチャンスを狙っていたということになるでしょうが、41年8月に独軍がモスクワに向かうことが独軍勝利を約束するものだ、ウクライナ方面に向かえば独軍の対ソ攻撃は失敗する、なんてわからないはず。そもそも、独軍にとっても意見が分かれていたのに、当事者で無い日本がわかるだろうか?


5778 [5771] [5804]
Re:1941年8月、独軍モスクワに突入
プチロフ(01/6/24 04:16)

独軍がキエフではなくモスクワを目指すifですね。が、進撃の日付は独軍主計総監の見積りより後になると思います。
史実では8月4日、スモレンスク会戦を終えたグデーリアンとホトが「8月15乃至20日に装甲師団群はモスクワ進撃の準備が整う」とヒトラー及びボックに報告を入れ、そのまま準備を進めています。
そして18日夜に装甲・機械化部隊と歩兵師団の交代が完了。許可が既に出ていたとして最速の進撃開始は19日からでしょう。(実際は22日にキエフ方面への進撃命令が出ている)

問題はソ連がこの時点で独軍のモスクワ進撃を想定していたにも関わらず、満州と国境を接するザバイカル及び極東方面軍の部隊をそのまま残していると言う事です。
この後、独軍の快進撃に慌てたモスクワが日本軍の攻撃が成功するぐらいの大量の部隊移送を決めたとしても、日本軍の攻撃が始まった時点で反撃できるぐらいの部隊が輸送待ちのまま残っているのでは?

元々11月には本格的な冬になり大部隊の作戦行動は不可能だから作戦終了は10月半ば、開始は8月29日と決められた関特演、関東軍のみの暴発ならば結果は前の発言に同じです。
日本が国家として対ソ参戦するには、アリエフさんが述べられている項目をクリアしない限りリアリティが無くなりますね。ちなみに関特演の開戦決意予定日は8月10日(この日以降だとスケジュールがずれて行く)、前日の9日に参謀本部が欧米の石油禁輸と年内のソ連屈服は不可能を理由に対ソ戦の延期・南方作戦の準備を決定しています。


5804 [5778] [5806] [5814] [5823]
海軍はどうなのでしょう。
山家(01/6/28 23:19)

 手持ちのパソコンが不調で、知人のパソコンを
使って書き込んでいます。
 どうも、いろいろと回答をありがとうございま
す。古い記憶で、大違いかもしれませんが、独軍
がモスクワに突入する等、独ソ戦で、独が大勝利
を収めるのが、必至と思われたときは、現地の関
東軍の判断で、機を逸せずに、開戦する許可が、
梅津関東軍司令官に与えられていたという記事を
読んだ覚えがあることから、あのような質問をし
ました。
 ところで、日ソ戦において、海軍は、どのよう
な戦いになると思われますか。1941年8月こ
ろ、ソ連太平洋艦隊は、94隻の潜水艦を保有し
更に、3隻の潜水艦母艦を保有していたとのこと
です。実際には、大粛清による練度の低下等によ
って、カタログ値どおりの性能は発揮できないと
思いますが、カタログ上は独海軍の協力等により
中々の性能で、殆どが建造して10年未満の新造
艦です。これらが、日本の海上交通線破壊に投入
されたとき、どうなったと思われますか。私とし
ては、日本海軍が十分に対処できたと信じたいで
すが、やはり、大陸に派遣された陸軍の補給路が
途絶するという最悪の事態もありうるのでしょう
か。お教えいただければ幸いです。


5806 [5804] なし
Re:海軍はどうなのでしょう。
アリエフ(01/6/29 00:57)

本気で日本海軍が当時のソ連太平洋艦隊を叩こうとすれば、ソ連海軍は一たまりもないでしょう。ただし、対米作戦を縮小又は停止させなくてはならないだろうが。
ウラジオストック沖に日本海軍の戦艦と空母等からなる艦隊が遊弋している状況で、ソ連海軍の潜水艦がその隙間をくぐり抜け、朝鮮半島の港を機雷封鎖したり輸送艦を攻撃して、朝鮮から日本本土への輸送ルートを妨害することができるかでしょうね。朝鮮半島東海岸で潜水艦が行動できたとしても、この東海岸にはあまり大きな都市も港もない。朝鮮や満州への主力輸送ルートは対馬海峡周辺以西だが、当時のソ連の潜水艦は、朝鮮半島西側ないし黄海、あるいは東シナ海まで無給油で行って帰って来れるだけの航続距離あるんだろうか?


5814 [5804] [5815] [5827]
Re:海軍はどうなのでしょう。
プチロフ(01/6/30 01:59)

禁輸状態なのに石油備蓄を食いつぶすだけの(勝っても石油が手に入る当てが無い)作戦に、日本海軍がどれくらいの規模で参加するのかちょっと想像できないので、ソ連の潜水艦について書きます。

ソ連海軍の潜水艦でドイツと共同設計したS級IX/IX-bis型は戦中・戦後の就航です。
戦前に就航した潜水艦は、巡潜型のK級(航続距離:9ktで14,000浬)が最大10隻、機雷敷設型のL級(航続距離:K級に同じ)が25隻。太平洋艦隊に配備された数は判りませんが、共に数隻止まりでしょう。
残りは小型潜水艦のM級初期型(水中排水量200t 航続距離:8.2ktで1,600浬 45mm機銃x1 53.3cm魚雷発射管x2 乗員16名 小型過ぎて居住性に難あり)と、中型潜水艦シュチューカ型(最終型で水中排水量708t 航続距離:8ktで6,500浬 45mm機銃x2 7.62mm機銃x2 53.3cm魚雷発射管x6 乗員40名)になります。

沿岸防備にしか使えない小型を除いても、ASW技術の確立していない日本海軍とならば良い勝負をしそうに思えますが、距離の測定が出来ないソナー、司令塔から直通で会話できないソナー室、ジャイロ機構を欠いている為2本以上の同時発射が命令で禁止されている魚雷、無気泡化が出来ていなくて発射時に位置を暴露してしまう発射管、軍人としての優秀性よりも政治的に信用できる事で1〜2年前に登用された将校などの問題を抱え、史実でもある程度問題解決が為される43年以前はほとんど戦果を上げていません。

ですから、何らかの形で輸送船に護衛さえついていれば、少数の機雷敷設潜水艦に悩まされる程度で済むと思います。


5815 [5814] [5816] [5817]
Re[2]:海軍はどうなのでしょう。
SUDO(01/6/30 06:11)

実は日本の対潜主力艦艇として期待されていたのは駆潜艇であり
その対象がソ連潜水艦だった事も知られていますね
つまり、もし対ソ連戦が行われた場合
駆潜艇を中心とした対潜護衛が投入される事は必至だと判断できます
太平洋戦争で問題となった駆潜艇の航続力は日本海では影響しないでしょうし
主要交通ルートには必要とあらば航空機による哨戒も容易ですので
こと海上作戦においてはソ連海軍の脅威は大きく無い物と思われます

それよりも、プチロフさんが指摘するように
勝っても油が入手できない事が最大の問題になりそうですね


5816 [5815] なし
Re[3]:海軍はどうなのでしょう。
(01/7/1 16:41)

> 実は日本の対潜主力艦艇として期待されていたのは駆潜艇であり
> その対象がソ連潜水艦だった事も知られていますね

知らないことばかりだ・・・。


5817 [5815] [5818]
Re[3]:海軍はどうなのでしょう。
山家(01/7/1 18:06)

 最初に、お詫びいたします。ソ連太平洋艦隊の
潜水艦数は、87隻でした。建造中の7隻を併せ
て、計算していました。
 私の手元の資料によると、ソ連太平洋艦隊の潜
水艦の内訳は、L級が13隻就役中、M級が37
隻就役中、S級が2隻就役し、4隻建造中、シュ
チューカ級が35隻就役し、3隻建造中とのこと
です。初期型かどうかについては、不明です。
 本当に勝っても、北樺太の油田くらいしか、入
手できないのが、最大の難点なのですが、当時、
日本海軍は、駆潜艇や対潜哨戒機を、どれくらい
保有していたのでしょうか。私の手元の資料から
は、全然わかりません。お教えいただければ、幸
いです。


5818 [5817] [5820]
Re[4]:海軍はどうなのでしょう。
tackow(01/7/1 21:04)

ちなみに、開戦時、海上護衛に充当できる艦艇は
旧式駆逐艦16隻
水雷艇12隻
掃海艇19隻
海防艦4隻
敷設艦4隻  とのことです(「海上護衛戦」より)。
保有数とは異なりますが、港湾の防備などに使っているものがあるので、実質的に充当出来る数は上記の様になるみたいです。

同様に、航空機は内戦部隊のみで127機、外戦部隊を合わせても200機位ですね。


5820 [5818] [5821]
Re[5]:海軍はどうなのでしょう。
有村(01/7/2 20:11)

> ちなみに、開戦時、海上護衛に充当できる艦艇は
> 旧式駆逐艦16隻
> 水雷艇12隻
> 掃海艇19隻
> 海防艦4隻
> 敷設艦4隻 
>
> 同様に、航空機は内戦部隊のみで127機、外戦部隊を合わせても200機位ですね。
>
やはり少ないですね。


5821 [5820] なし
Re[6]:海軍はどうなのでしょう。
山家(01/7/2 20:52)

 早速の回答、ありがとうございます。
 私は、昨日、書き込みをした後、そういえば、
ソ連は、ロシア海軍時代から、機雷戦が得意だ
った〔日露戦争時、初瀬と八島を喪失したのも
機雷によるものですし〕と思い出し、調べたと
ころ、1941年中、バルト海において枢軸側
は、43隻の艦艇、商船を喪失しましたが、そ
の多くは、機雷によるものだそうです。また、
北洋艦隊も、ノルウェー沿岸に、航空機や潜水
艦を利用して、機雷を敷設しています。太平洋
艦隊が、同様のことを、日本の港湾に対して、
行ったら、かなり苦戦を強いられたのでは、と
思います〔ソ連海軍航空隊が、1941年当時
使用していたイリューシン4は、2・5tの爆
弾を搭載し、3800kmの航続距離を持って
いるので、カタログ上は、日本本土の港湾は、
全て機雷を敷設できます。実際は、搭乗員の練
度等、問題が山積していますが〕。


5827 [5814] なし
[投稿者削除]
原田(01/7/5 23:34)

投稿者によって削除されました。(01/7/5 23:34)


5823 [5804] [5824]
制空権は、どちらの手に
山家(01/7/3 21:02)

 陸でも海でも、日本は、どうも苦戦を免れない
ようですが、空でしたら、どうなのでしょうか。
参考となると思われるノモンハン事件では、日本
陸軍航空隊が優勢と聞いていますが。もし、ソ連
が、イリューシン4を初めとする4発重爆撃機を
日本本土空襲に用いたりしたら、陸海軍航空隊は
それを阻止できるのでしょうか。実際、1942
年に、ソ連空軍は、ベルリン空襲を行ったことが
あるそうですので、日本本土空襲を行ってもおか
しくないと思うのですが。
 私の資料では、当時の日ソ航空戦力が、どれく
らいだったのか、分かりません。過大ではと私は
思うのですが、ノモンハン事件の際、3000機
以上をソ連空軍は投入したとも聞いています。で
きたら、お教えください。


5824 [5823] [5826]
Re:制空権は、どちらの手に
アリエフ(01/7/4 02:43)

> ・・海でも、日本は、どうも苦戦を免れない
極東のソ連艦隊の本拠地であるウラジオストック等の軍港を戦艦及び空母から成る艦隊で先制攻撃してしまえば、潜水艦も含めソ連艦隊の行動は非常に制約されるのではないでしょうか。
ソ連の潜水艦がそれなりの効果を発揮するのは、日本海軍が日本海及びその周辺で対潜作戦ないし海上護衛戦しか行わないという前提ですが。
仮に41年の段階でソ連が対日中立を破り、極東で潜水艦作戦を実施するという状況になったら、日本海軍はある程度の艦隊戦力を日本海に投入するのではないでしょうか。


5826 [5824] [5836]
Re[2]:制空権は、どちらの手に
山家(01/7/5 20:56)

 確かにソ連の軍港を、日本海軍が先制攻撃すれ
ば、かなりの戦果は挙げられると思います。
 しかし、私としては、当時の日本海軍に、ソ連
の軍港に対し、波状攻撃を加えられるだけの戦力
があったのだろうか、との疑念があります。耳障
りの悪い話をして、申し訳ありませんが、WW2
中、マルタやロリアン等は、敵海空軍により執拗
な攻撃を受けましたが、それでも耐え抜きました。
ソ連の軍港にしても、それなりの防御設備は、整
えられているのではないでしょうか。実際、独ソ
戦の最中の1942年でさえ、バルト艦隊の潜水
艦は出撃し、小さいとはいえ、戦果を上げていま
す。日本海軍も、終戦まで、連合国のあれだけの
攻撃を受けながら、潜水艦は出撃していた、と思
います。
 そして、一応1941年の8月前後で考えると
当時、翔鶴級空母はまだ実戦投入は不可能だった
はずで、日本海軍が使用できるのは、正規空母が
4隻に軽空母が2隻程度、基地航空隊の支援があ
るとはいえ、これだけの戦力で、ソ連の軍港に、
波状攻撃を加え、常時使用不能にするのは、困難
では、と思うのです。
 もっとも、日本陸海軍航空隊が、ソ連空軍や海
軍航空隊に対し、圧倒的優勢なら話は変わってき
ます。日本海上空の制空権をほぼ確保できるなら
対潜哨戒も安全に行えますし、日本の港湾や海峡
を航空機からの機雷で封鎖しようとすることも、
不可能になると思います。いかが思われますか。


5836 [5826] [5837]
Re[3]:制空権は、どちらの手に
アリエフ(01/7/7 02:17)

>ソ連の軍港に波状攻撃を加え、常時使用不能にするのは、困難では
ウラジオストク等の軍港がある沿海州地域は、今でも資源や食料、工業製品等の物資を完全に持久することが難しく、シベリア鉄道で相当量の物資を西から輸送しなくてはなりません。しかも、シベリア鉄道の最大の難所はハバロフスクの西側付近であり、勾配が多く曲がりくねっていてスピードを出しにくく、ここが輸送上のネックとなっています。要するに、極東(沿海州)はシベリア鉄道という決して太くない1本のパイプだけで、ウラル地域やモスクワとつながっていると考えれば良い。
したがって、軍港の機能停止に至るまでの打撃を与えずとも、軍港内にいる潜水艦等の艦艇を攻撃し相当な損傷を与えれば、艦隊の再建にはかなりの時間がかかることになる。ソ連海軍がシベリア鉄道をフル活用して艦隊再建のための資材をどれくらいスムーズに運び込めるかにかかってくるが、関東軍に協力してもらって満州国境沿いのシベリア鉄道を目標に陽動作戦やゲリラ的攻撃をかければ、この地域の陸軍部隊に対する輸送も強化しなくてはなりません。そうなると、海軍部隊に向ける輸送量割り当てを減らさざるを得ない。もちろん、日露戦争の時のように補充の艦船を日本まで回航してくるのは非常に難しいだろう。夏なら北平洋経由で回航できるか?しかし、間宮海峡を通過しなくてはならないので、樺太にいる日本軍部隊にキャッチされやすいだろう。
最もこうした作戦は、日米開戦を回避した上で、日本海軍が陸軍の対ソ戦略に協力するという、史実上、殆どありえないような設定で考えているものです。また、ソ連は伝統的に二方面作戦を取らない国であり、41年の段階で西で独ソ戦やっている一方で極東で日本に対し中立を破り交戦状態に入るという想定にもかなりの無理がありますが・・。


5837 [5836] なし
Re[4]:制空権は、どちらの手に
山家(01/7/19 21:14)

 親切な回答を、どうもありがとうございます。
 私としては、1941年時点での日ソ開戦は、
日本からの開戦、それも最初で述べたように、
関東軍の暴走位でしか、起こりえないことだと
考えています。
 ただ、そうなった場合、ソ連は日本側の意図
に関わらず、全面的な対応を取ってくると考え
ます。日独二正面での戦争を長期間続けること
は望ましいことではないからです。そうなると、
日本海軍も否応なく対応せざるをえないと考え
ます。また、沿海州一帯は、確かにシベリア鉄
道のみによって、欧州と繋がっています。そし
て、日ソ開戦のときには、シベリア鉄道が切断
されるのは明らかである以上、ある程度の備蓄
はされているものと思います。2,3ヶ月位の
備蓄は少なくともあると思うのですが、いかが
でしょうか。
 以上のことを考えていくと、日ソ開戦はやは
り無謀だったように思えてきました。どう思わ
れますか。


FlasH BBS Pro v1.41 [Shigeto Nakazawa]