架空戦記 2 覚え書き
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資料室について(11/1(金)23:46)
 管理者多忙にてログの更新速度に覚え書きの
更新速度が付いて行けなくなりつつあります。

 有り難いことに、ライターのきんめる氏によって
「架空戦記2資料室」として以下のページが
整理されています。

http://members.jcom.home.ne.jp/1738381201/ks2/ks2_index.htm

 枢軸寄りな部分が散見されますが、覚え書きで
記録された時系列以降を見るための資料としては
これが唯一の存在なのも事実です。
ぜひ御覧になってください。

 きんめるさん、感謝です。 ( )
これまでのあらすじ17(2/20(火)19:42)
 さて、日本側はここで敵艦隊をとらえるべく戦艦部隊を
予想襲撃方向に対し差し向けていた。

 機動部隊に急襲された春島ではあったが、建設重機を繰り出して
残骸の除去、滑走路の整地に乗り出す。突貫作業で行われた
この作業もまた、米軍の予期するところであった。
 再度攻撃を薄明にかけてきたのである。建設重機も銃爆撃で破壊され、
これで春島は完全に無力化された。押っ取り刀で四季諸島各島からの
迎撃が駆けつけるも、ほとんどの戦闘機が排除され、満足な防衛戦闘を
行えなかった。

 母艦に向かう米軍機、そして、それを追跡する日本機。

 朝四時。米艦隊の対空レーダーが300km以上の距離でこれをとらえる。
そして、その位置は日本の戦艦のほぼ真上だった。戦艦の戦隊は
日独ソが共同で研究を進める秘密兵器、花火弾を打ち上げる。

 これは、粉塵爆発を利用し、広範囲に急激な燃焼を起こさせる
弾頭だった。現在の兵器でちょうど気化爆弾に相当する。

 樺太は豊原の技術研究所の産物だったが、戦艦主砲弾の
サイズで試験させたのはわずかに一回だけ、それも燃焼することを
確かめただけで、戦局の急からほとんど無試験で投入されたのである。

 その効果は破滅的だった。帰投中の米攻撃隊、日本の攻撃隊、そして、
米空母から上がってきた邀撃隊が巻き込まれ、空中には巨大なキノコ雲が
立ち上った。発生した高熱で溶けた風防ガラスが肌に張り付き、生き
延びた物は居なかった。

 米空母で指揮を取っていたスプルーアンスは戦慄を覚え、撤退する。
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これまでのあらすじ16(2/15(木)18:28)
 航空機は作戦を終え、帰投した瞬間が最も脆弱な瞬間となる。
 米海軍が立案したトラック攻撃計画はこれに基づいていた。
1944年11月。米陸軍第八航空軍がインドからラバウルに転じた。

 第一陣のB-24がトラック環礁最大の滑走路をもつ春島を爆撃する。
 邀撃側は全力を上げてこれを迎え撃つ。だがしかし長駆して燃料を
消費し、機体が軽くなり、その上時間をかけゆっくり上昇できたB-24は、
日本側がとらえるにはかなり厳しい目標だった。疾風は高々度の薄い
空気の中エンジン過熱で離脱、ミクリンエンジン搭載の三式戦四型隊だけが
捕捉する。しかし、それでもB-24の密集編隊に対しては、いまひとつの
感じだった。

 もっとも、春島の航空基地機能はこの時点では失われていなかった。
邀撃隊が帰投し、各機が誘導路へと向かってくる頃、米海軍の罠が牙を
向いた。レーダー下限高度をくぐり抜けて艦載機が向かっていたので
ある。距離60kmで辛うじて発見されたその編隊は、滑走路上の機体に
銃撃を浴びせる。奄体豪に収まっていないところを狙われては、機体を
集中損失から護る術はない。

 春島滑走路には機体の残骸が山と積み上がった。
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これまでのあらすじ15(2/15(木)18:11)
 1943年12月、ラバウル・ラエ等の有力航空隊は12月中に戦力の80%以上を
後方トラックやビアクに撤退させた。殿として残された陸上部隊も1月中旬に
攻撃をしかけてきたマッカーサー軍と激烈なる戦闘を繰り広げつつ、徐々に
後退していった。

 1944年2月、連合軍はラバウルを占領する。しかし、日本側には時間がなかった。
潜水艦に搭載した特四式内火艇を使い、狙撃兵を送り込んで時間稼ぎを試みる。
米軍が騒ぎが沈静化すると確信するまでに、実に二ヶ月を要していた。

 1944年7月、ラバウルを完全に手中に収めてから3か月。米海軍は陸軍の
要請によりニューギニア方面の奇襲制圧に乗り出す。ヒットアンドアウェイの
繰り返しに対し、日本側はトラックから機動部隊を差し向けた。ビアク沖
海戦である。そして、この敗北により、トラックからの基地航空隊の脅威が
示された。そのことはマッカーサーのフィリピン最優先主義を転向させ、
トラックの無力化ならびに占領へと米陸軍の力を総結集させることとなる。
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これまでのあらすじ14(1/25(木)17:09)
 カルカッタに戦力を集めた日本軍は、共産軍が国民党を制圧するまで
これを保持することに辛うじて成功する。米英陸軍がカルカッタを
奪ったのは、蒋介石逮捕のわずか3日前というありさまであった。

 この退路確保によってギリギリのところでフライングタイガースは
脱出に成功し、これ以降米陸軍第10航空軍はインドから東へと
攻め上ることになる。

 1943年12月。
 米軍はその圧倒的な兵力をもってガ島に上陸。日本の飛行場を接収し、
ヘンダーソン飛行場と改名する。日本側は敵兵力を正しく認識し、
直ちに撤退を決定。しかしそのことは南方最大の航空根拠地、ラバウルが
ほど近い将来、猛爆撃に晒されることを意味していた。そして、これと
ほぼ同時に、スプルーアンスの別動隊はマーシャルの無力化に成功。
 海軍最大の拠点、トラックを包む薄皮は、一枚、一枚と剥がされつつあった。
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これまでのあらすじ13(10/20(金)21:44)
 枢軸にソ連を引き入れた日本、ドイツは彼らの脅威へ手を伸ばす。

 ドイツにとっては降伏したイタリアが、そして、日本にとっては、
中国国民党を支え続けるインドからの空輸ルートが目の上のたんこぶだった。

 ソ連はこの両方に出兵。だがしかし、大軍、そして山地進撃の苦労が付きまとった。
 航空機による補給線攻撃で、彼らは長いこと足止めを食らうのである。

 そして、その様子を見たムスリム連盟指導者、ジンナーは完全に日和見を
決め込むことに方針を変えてしまった。
 日本との密約で行われたイスラム系住民によるインドの暴動は、次第に落ち着きを見せていく。

 それではヒンズー系を取り込もうと画策し、日本はボースを送り込んでみる物の、
そもそも急進左派を率いてガンジーと対立し、そして失敗して国外脱出した彼に、
インド内での居場所が有ろうはずもなかった。

 日本の大陸撤退で始まった国共内戦は、次第に国民党の劣勢となり、
国民党は四川省へと追いやられていた。ソ連とのからみもあり、共産党を
支援していた日本が、さらに恩を売るには、自力でインドを占領するしか
無くなったのである。

 逆に、これに失敗したなら、国民党は米国の空輸支援で戦力を盛り返し、
いずれ日本にとっての災いとなるだろう・・・。
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これまでのあらすじ12(10/20(金)21:25)
 インド洋の決戦は英国に凱歌が上がった。

 そして、欧州でも政治状況が大きく替わろうとしていた。
 ドイツの快進撃によってソ連内部にスターリンを、
 そして、独ソ戦の膠着状態によってドイツ内部にはヒトラーを、
 それぞれ暗殺を狙う勢力が芽生えていた。

 そして、ほぼ同時に両勢力は事を起こした。ヒトラーは総統の大本営たる、
「狼の巣」にて爆死。スターリンは狙撃されるも、辛うじて一命をとりとめた・・・が、
既に人事不省となり、回復の見込みはなかった。

 ヒトラーの後任には、穏健派のマンシュタインが当たった。そして、連合国との講和を
試みる。しかし、西側諸国はフランスの復活を要求し、会議は物別れに終わった。ドイツは
ソ連とのみ講和し、このことでソ連と連合国は袂をわかつことになる。
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