見えないものを見せる工夫

あるいは廃物利用の14万おまけ


 「FRONT」と云えば、戦時中に発行された国策グラフ誌の頂点であり、日本グラフィック界の金字塔でもある。この本については、多川精一「戦争のグラフィズム」(平凡社ライブラリー)にくわしいので、くどくど書くつもりは無い。
 「FRONT」1−2合併号(『海軍号』とよばれる)に、こんな写真がある。


サーチライトを照射する戦艦

 注:写真が上下つなぎ合わせに見えるのは、「FRONT 復刻版」(平凡社)の版形がA3のため、分割して画像化した際、下側の画像に光りが入ってしまったためである。

 闇を裂く探照灯、屹立する艦橋! 帝国海軍の威容を表現した写真である。でも、これどうやって撮影したんでしょう?

 写真機を使ったことがある読者諸氏であれば、「光の無いところで写真は撮れない」と云う原則に異論は無いと思う。また、暗いところで撮影するためには、被写体になにかしらの照明を当てる必要があることもご存じだと思う。フラッシュを焚いたのか? 探照灯で照らしたのか? 考えれば考えるほどに謎である。

 ところが古雑誌の神様は、悩める主筆に答を示し給うたのである。


「画報戦記」に掲載された写真

 旭書房発行、「画報戦記」昭和36(1961)年3月特大号の、「軍艦のうつりかわり」と題された記事に掲載された写真である。

 サーチライトにくっきり浮き上がった艦橋の完全なる構成美を見よ! これは太平洋戦争直後の勇姿である

 キャプションは勇ましいのだが、どう贔屓目に見ても「バックにスミ塗っただけじゃん…」と云うトホホ写真である。しかし、このトホホ写真が、冒頭に掲載した「FRONT」の写真とペアになることで、トンデモない事が浮かび上がってくるのである。つまり「『画報戦記』の編輯に、『FRONT』の素材が使われている!」と云うことなのである。
 


じっと見ていても立体的には見えません(多分)

 二枚の写真を並べてみた。修正を施された写真がどれくらいの大きさなのか、今となっては見当の付けようが無いのだが、「戦争のグラフィズム」中には、「紙芝居」と称される原寸大(つまりA3サイズ)のダミーを作って検討した事が書かれているし、「FRONT 復刻版」の解説1にも、やはり多川精一が

 すべての原稿は原寸大以上に引き伸ばし、機密部分は海軍軍令部が納得するまでエアブラシで修正した。

 とあるから、A4版程度には引き伸ばされていたのだろう。「画報戦記」の写真を見る限りだと、昼を夜にする程度の修正は、エアブラシでは無く、筆でスミを塗ったように見える。艦の輪郭部分のスミが濃いので、まずそこから丹念に塗りつぶし、あとはエイヤっとベタ塗りをしたようである。


 この二つの写真をよーく見ると、「FRONT」では、写真左下に短艇らしきものがぼんやりと見えている。ところが「画報戦記」の方は、完全に塗りつぶされている。これはどう云う事なのだろうか?
 1.「FRONT」の写真を真似て、手持ちの写真にスミを塗った 2.「FRONT」用に作成したが、使用されなかった原稿を利用した の二通りの解釈が出来る。しかし、「FRONT」の写真をマネするくらいであれば、それをそのまま原稿にしてしまった方が、後年「トホホ写真」と云われることもないわけで、私としては2の立場を支持するものである。

 この「画報戦記」昭和36年3月号は、実は色々と「FRONT」の写真を使い廻しているのだ。


「画報戦記」昭和36年3月号表紙


「FRONT」海軍号(復刻版の解説1より)

 夏服と冬服のため別物に見えるが、帽子から落ちた影の付き方を見れば同一の写真であることがわかる。「画報戦記」に見える九九式艦上爆撃機の写真は、これも「FRONT」の「空軍(航空戦力)号」からいただいてきたモノである。飛行機の間隔が「FRONT」のものと異なっているのだが、「FRONT」では切れている後方の飛行機の尾部が、こちらでは見えている。「FRONT」そのものでなく、そこで使われた(使われるはずだった)素材を活用したもう一つの証拠になるものなのである。


ごらんの通り、尾部が切れているのがわかる


 また、「画報戦記」の当号の附録になっている「軍艦パノラマ 改装完了 戦艦「陸奥」最後の勇姿(唯一の未発表写真)」と云う折り込み写真も、「海軍号」の折り込みページの写真そのものなのである(これは『戦争のグラフィズム』P99に掲載されているので省略)。これは余談。


 趣味の兵器本の世界(に留まらないのだが)で、過去の雑誌に掲載された写真を利用する事は、元の写真の数が限られている以上、やむを得ない話である。しかし、修正写真の修整方法が判明してしまうような利用のされかたは、あまり例を見ない。