これだけじゃあ無い筈だ

皇室の変わらぬ安泰を寿ぐ17万おまけ


 12月23日は天皇誕生日であるので、それに関係するネタをご用意いたしました。


朝日新聞昭和17年12月24日(火曜日)より

皇太子さまに模型爆撃機を献上
 行啓に感激の陸軍航空技術学校

 皇太子殿下には昨年十月立川の陸軍航空技術学校に行啓、大東亜の空を征圧する陸鷲の技術・訓練を親しくご台覧遊ばされたが、この光栄に恐懼感激申上げた同校では陸軍最新鋭爆撃機の模型を献上することとなり、三菱航空機製作所を通じて銀座朝日ビル四階の宮本商行に下命中のところ、このほど見事な銀製の模型が出来上った、双発単葉引込脚の模型は実物の三十分ノ一、重量三貫余り、操縦席も照準室も銃座もすべて実物通り、操縦桿も翼とともに動き、電燈線にコードを接続すると二百分ノ一馬力のモーターが動いて三葉のプロペラが轟然回転、赤青の翼燈にも灯りが点く、また爆弾巣(ママ)には二百五十キロ爆弾の模型四個が装置され桑の木の台上に二本の支持棒で安定された模型機は銀翼に赤金の日の丸を輝かせ、今にも南の空に鵬翼を張って飛び立ちそうな見事さである

 謹作者工芸家の小島貞一氏が度々立川に足を運んでプロペラ一枚にも数日の苦心を払い一年の日子を費した力作であるが近く陸軍航空技術学校に納められたうえ同校から献上の手続きがとられることになっている(写真は献上の模型飛行機)

 記事の内容は、読んでいただければわかるとは思うが、皇太子殿下すなわち今上天皇が、陸軍航空技術学校をおとずれた記念として、航空技術学校>三菱航空機>宮本商行>小島貞一と云うルートで模型が発注され、一年の製作期間を経て目出度く完成した、と云う記事である。「献上」と見出しにあるが、宮内省(当時)が本当に受け取ったかまではわからない(笑)。

 この模型、全長53センチ、重量10キロ(一貫は3.75キログラム)と云う立派なもので、しかも「銀製」! 相当な財産であります。「操縦席も照準室も銃座もすべて実物通り」で、操縦桿を動かせば翼が動き、翼端灯が点灯するくらいであるから、現存していれば良い資料となった事であろう…。


 この「陸軍最新鋭重爆撃機」が、九七式重爆撃機II型甲である事は、帝国陸軍機ファンであれば説明するまでもあるまいが、軍用機の名称を記事中に書かないのは、当時のお約束である。
 記事中に「二百五十キロ爆弾の模型四個」とあるのは、この機体の爆弾搭載量が少なくとも1トンはある(最大搭載時で、500キロ爆弾2個、250キロ爆弾4個、100キロ爆弾10個、50キロ爆弾20個のどれかになる)と云ってしまっているのも同然で、記者は後でこってり絞られたに違いない(笑)。
 皇太子が訪問した嬉しさで、「最新鋭爆撃機」の精密模型を献上するくらいであるから、皇居の中に「最新鋭戦車」や「最新鋭航空母艦」の模型もあったに違いない、と想像しても罰はあたるまい。これらの模型はいったいとごに消えてしまったのだろうか?

 「兵器の模型」が皇居にある=天皇の戦争責任追求の口実を与える、と云う理由で、これらの存在が隠蔽されているとすれば、一年間かけて模型を作った、工芸家小島貞一氏も悲しかろうと思う。

ウチに持ってこられても置き場所無いよ