24000記念おまけ

第一回大東亜眼鏡っ子選手権


 毎度々々私事で恐縮であるが、私が眼鏡着用に及んでから、既に20数年が経過している。その間、世間における眼鏡の地位と云うものも、だいぶ変化してきたように思う。

 初めて眼鏡をかける事になった時、まず思ったのは「馬鹿にされる…」と云う事であった。昭和40年代末期、小学校低学年の頃である。
 そもそも小学生と云うものは、正真正銘<こども>であり、<こどもは風の子>で、とにかく元気にお外で遊ぶ筈のものであった。そう云う子供の世界には、近視になって眼鏡をかけるなどと云う要因は存在しない。<眼鏡=ガリ勉=ひよわ=駄目子供>と云う図式が厳として存在していたのである。
 眼鏡をかけた小学生に対して、「ガリ勉」、「メガネザル」と呼びかける事は、決して推奨されるべき行為では無い。

 その頃TVで放映されていた子供向け番組においても眼鏡のイメージは頗る悲惨なもので、基本的には「ヤな奴」(トニー谷、「いなかっぺ大将」の西一)か、「滑稽な奴」(三木のり平)か、「ビンボーな奴」(「巨人の星」の左門豊作)と云うものが相場で、一番良い役どころが「正義の味方を助ける科学者」(「ウルトラQ」の一ノ谷博士、「サンダーバード」のブレインズ)といったところで、基本的に「眼鏡をかけた奴は主役を張れない」と云うインドの身分制度もまっ青な状況しか用意されていなかったのである。(「サザエさん」を見よ)

 私はXY染色体を持つ生物であるから、女性文化についてはうとい。しかし、自分の記憶を遡っている限りでは、女性においても「眼鏡女」と云うものは、ロクな役柄が用意されてなく、<若い眼鏡女=意地悪オールドミス>と云う図式が待っていたはずである。


 日常生活の必要上眼鏡をかけている私には信じられない事ではあるが、眼鏡と云うものは、視力矯正器機と云う側面だけでは無く、実は「仮面」と云う性格も持っているものである。目そのものを隠してしまう「黒眼鏡」は論外としても、主役が眼鏡をかける事によって、周囲にその正体を隠すと云うフザケタ話もある(「スーパーマン」)。
 俗に<伊達眼鏡>などと云われる「仮面としての眼鏡」をある方向に持っていくと「眼鏡をはずすと美少女」と云う、おなじみの構図が出来上がってくるわけである。

 私には信じられない事なのであるが、昨今では「メガネっ娘」などと云う嗜好までもが存在するらしい。 

 そこで、当「兵器生活」でも時局に便乗して「大東亜眼鏡っ子選手権」と云うバカバカしい企画をでっちあげる事にしたのである。我ながら長い前振りであったと思う。

 カンの良い読者諸賢には、既にネタがバレてしまっているような気もしないでも無いのであるが、そんな事を気にしていたら「おまけ」などは続けようが無いので、とっとと進むのである。

メガネの一番似合う人

エントリーNo.1 畏れ多くて名前も出せません…

メガネより別の選手権が似合う人

No.2 おなじみ東條首相

やっぱり黒メガネが似合うと思う

NO.3 満洲国皇帝陛下

メガネを取った顔が想像できません

No.4 偉大な魂のガンヂー翁


 「大東亜」の名に恥じない大物揃いである。皆さん申し合わせたかのように、丸眼鏡をかけていらっしゃるところがミソである。そう、実は私も丸眼鏡愛用者(愛好家ではありませんよ)なのである。


 冒頭のくらーい話に戻ってしまうと、眼鏡の似合う職業と云うのは、<ガリ勉>のなれの果てである「学者」か「小説家」くらいしか無いのではないだろうか?結局のところ、人に好かれると「やさしい人」か「コメディアン」になり、嫌われると「キザで冷たい ヤな奴」になるだけの話なのである。

*戦前・戦中の「メガネっ娘」を期待していた方、残念でした。タイトルのどこにも女性とは謳ってありませんよ。

メガネを拭きつつ退場