玖保キリコのマンガとは関係ありません…

「バケツでごはん」な25万5千おまけ


 5月も半ばになろうと云うのに、4月のネタが思い浮かばず(例によって)悶々として古雑誌をひっくり返していたところ、このような記事を見つけたので、幸いとばかりネタにしてみる。
 毎度のことではあるが、現代仮名遣いにするとともに、底本の段組の都合で改行が多いところを、そのまま文をつなげる等の改変を施してある。

バケツで飯を炊く

 馬が首を突込んで、鼻をブルブルいわせたそのバケツで炊いたご飯なんか、気持が悪くて食べられるもんか、という人があるでしょう。

 ようし、そんなら逆襲してやる。


 いいですか、それぞれ覚えのあることだから、胸に手を当てて考えてご覧なさい。
 以前、そば屋、うどん屋、すし屋の出前の盛んな頃のこと−その食べたあとの空鉢をどこへ置いときましたか。会社ならそばの空鉢を部屋の隅の痰壷の上に置いたり、廊下の土間で足で蹴散らかすような所に置いたり、煙草の吸殻を放り込んだりした覚えがきっとあるはず。
 家庭では、うどんの空鉢をどこへ置きましたか。
 勝手口の裏で、雨垂れの落ちる所へ放り出して置いたり、ゴミ箱の上に放り出してある。そして野良犬が背伸びしてその空鉢の中へ首を突込んで余りをペチャペチャなめている図に覚えがあるでしょう。
 やがて翌日、出前で持って来たそばやうどんを今いった汚いことを忘れて、平気で箸をつけて食べていたでしょう。それご覧なさい。馬が首を突込んだか、犬が首を突込んだかの違いだけです。

 だんだんこの物資の乏しい中で、バケツ一つですむようなことが、ありし昔の贅沢時代のように、七通りも八通りも道具を使わなければ生活できぬようなことで、どうする気です。空襲で焼け出されたとき、どうする気です。
 その期に及んでベソをかくようなことのないように、平素から心掛けて訓練しとかなけりゃなりますまい。

 そこでバケツで飯を炊く、というと目を丸くして、さも人の気のつかぬところへ気がついたらしく「でもハンダがとけてバケツの底が抜けるでしょう」と顎つき出して喰ってかかる人が、その辺にありそうです。
 嘗ては女学校の物理で満点をとった才媛も、年が経つと駄目ですね。いいですか、水というものは一気圧じゃ、いくら沸かしても百度以上には上がらないのです。飯を炊いてバケツの中に水分のある限りハンダのとける温度にはならないのです。しかし、ぼんやりして水気がなくなって焦げつかしたら、そりゃ知りませんよ。普通に炊いたらハンダは火に溶けるものじゃないのです。


 「バケツで飯を炊く」というと、欲張ってバケツに一杯に飯を炊こうとする。そりゃ駄目です。
 バケツで飯を炊く場合は、出来上がりが底三分の一か、せいぜいバケツ半分ぐらいを炊くのです。そうすれば失敗なく炊けます。何でも四角でも六角でも蓋をして、底三分の一ぐらいで飯を炊くなら普通の釜で炊く要領で結構炊けるものです。
 バケツで炊ける位だから、洗面器なら一層楽です。琺瑯(『せと』とルビ)引きの洗面器なら実によく炊けます。全然鍋と同様です。蓋は何かあり合わせですれば、それで申分なしです。
 痰壷でも、大きな空缶でも立派に炊けます。

 空襲で焼け出されたような場合、防火に使ったあと、防火用のバケツで器用に飯を炊く。パンではこの芸当はできませんが、飯を炊いて食う習慣の日本人なりゃこそできる芸当です。飯がバケツで炊ける腕がありゃ、粥は一層手易いし、炊団ならなおさら楽なもんです。


 道具がないから料理ができぬなどと、みっともない主婦の無能ぶりを見せないで下さい。フライパンがなくったって、防空壕を掘ったあのシャベルが立派なフライパンです。大きな太い柄までついているでしょう。やってご覧なさい。
 牛肉に「すき焼」ってのがあるでしょう。何故すき焼っていうのか知ってますか。肉を焼いて食うのがすきだからすき焼き−では洒落にもなりません。すき焼の言葉の起りはお百姓様の使う鋤鍬のあの「すき」の金のところで肉を焼いて食ったのが、すき焼の起りです。

 鋤ですき焼が出来るなら、スコップやシャベルでフライパンの代用くらい平気でしょう。頭の切り換えなどというのは、こういうことです。
 スコップやシャベルがないならないでよし、爆風で落ちた屋根の瓦はもっけの幸い、瓦の上で焼いた肉や魚は格別にうまいものです。瓦が厚ぼったいために熱をよく保有しているので、その上で焼くものは外側が焦げずに中味へじんわりと火が通って、とても程よく焼けます。やって試みて置くことです。

 柄のついた金の柄杓で湯を沸かして、これで茶せんでガバガバと茶を立てて、立ったまま柄をつかんで薄茶を飲むという、爆撃の下でこういう風流くらいあってもよいです。四畳半のお茶室でなきゃ、お茶が飲めぬ等といった固い頭をほぐして下さい。

(「週報」昭和20年1月10日号/428号)

 何度か「兵器生活」のネタ元として使った「写真週報」の兄弟誌「週報」に掲載されていたものである。
 庶民向け上意下達メディアである「写真週報」に対して、「週報」は町村のインテリ向け政府広報誌なのだが、いきなり

 ようし、そんなら逆襲してやる。

 と来たのでありゃりゃ? である。内容は読んだ通り空襲に備え、どんな状況でもやっていけるように「頭を切り換え」なきゃあいけませんよ、と云うものなのだが、こう云うすっ飛んだ文章を書くヤツは、たいていインテリと相場が決まっているものだ(そうでなければ政府の情報局編纂誌に文章なんか載りませんよ)。

 この号が出た昭和20年1月は、比島決戦たけなわであり、マリアナからB29が帝都東京に来襲し始めた時期であり、東京をはじめ日本全土が焼け野原になる少し前の時期にあたる(有楽町・銀座が爆撃されたのは、1月27日のこと)。で、あればこそバケツで飯を炊けだの、シャベルはフライパン(これって敵性言語じゃあないのか?)の代用になると書き、金柄杓で茶を点て、焼けた大地をガツンと踏みしめ、B29なんぞはグッと呑み干せ、と結んだ文章が掲載されるのである。

 無署名の記事であるが、この語り口から露悪的な部分(『痰壷』とか)を除いてやると、往年の「暮らしの手帖」の文章になるように思えてならない。戦後のマスコミがとかく戦争反対とやっていたのは、こう云う文章を書いてしまったことを心底後悔しているからなのだろう。戦時中の言動をとりあげ、変節だの反省の色がないなどと云うむきもある(かつて私もそう思っていた)が、このような文章を書いた事実を抹殺してしまいたい、と考えても無理はあるまい。
 図版が何も無いと、本当にやっつけ仕事にしか見えなくなるので、掲載誌の表紙を掲載しておく。本来の特集記事も面白いのだが、これはそれなりにまとまった読み物にしたいと考えている。



「敵の空襲企図と今後の空襲判断」、「敢闘精神と初期消火」ではじまり、
「罹災対策と食料対策」で終わっている。

 
 記事本文にあるように、飯の部分のハンダが溶け出すことは無いのかもしれないが、直火にあたる側は大丈夫なのか? と思わないでもない。実験して、ハンダまじりのご飯をバケツ一杯こしらえてしまったとしても、「兵器生活」ならびに印度総督府は一切知ったことではないので、あらかじめご承知おき下さい。