時局と写真産業広告

あっライカが無い!


 日本人が写真好きである、と云う事はもはや世界的に有名な話である。元々日本人にそう云う素養があったのか、単に写真産業界にノセられてしまったものなのかは定かでは無い。

 しかし、過去において庶民が写真を撮られる機会は、いわゆる<ハレの日>くらいでしかなかった、と云う事も歴史的事実として語られてきている。また、実際のところ現在においても、観光地以外で写真機をブラ下げて歩いている人の数は、そう多くない。恐らく日常生活を演じている中で、我々が生きた写真機を見る回数よりも、携帯電話を見る回数の方が圧倒的に多いはずである。

 つまり、日本の写真産業は、商業分野を別にすると、趣味として写真資材を消費しまくる一部の階層と、年に数回記念写真を撮る、写真とは縁のない大衆階層とに分裂して発展してきたと云う事ができるのだろう。


 趣味の世界には、大抵<趣味の本、雑誌>と云うものがある。このサイトで取り上げる<趣味の兵器本>、<趣味のプラモデル本>などと共に<趣味の写真本>と云うものも当然存在する。

 通常<写真雑誌>と呼称されるこれらの雑誌は、職業写真家の作品、読者投稿写真、写真器材の紹介、写真機店、写真器材メーカー・販売店の広告から形成されており、日本全国に何人いるのか良く分からない写真道楽者は、それぞれの必要に応じて購読あるいは立ち読みをしつつ、日本写真産業の繁栄を支えているのである。



 と云う毎度の長い前振りが済んだところで、今回のテーマ<時局下の写真雑誌>に移るのである。
 日中戦争直後からの写真雑誌広告を見ながら、時局の影を味わおうと云う例によって芸の無い企画である。

  掲載の画像はすべて「アサヒカメラ」より。表記の月は、<×月号>と云う意味である。

 いきなりコレ。「アサヒカメラ」昭和12年11月の裏表紙である。中国正規軍と戦闘を始めてしまったものの、まさか帝国日本が消滅するとは殆ど誰も思わなかった頃である。「さくらフィルム」は小西六(コニカ)のブランド。戦後はフジに押されている感があるが、当時は御覧のように勢いのあるメーカー兼販売店であった。フォクトレンダーやコンタックス、そしてライカの輸入もやっていたのだ。

 この時代のカメラと云えば、ライカが馬鹿馬鹿しいほどに有名であるが、引き延ばしを前提とする35ミリフィルム(シネフィルムなどとも称した)使用カメラより、フィルムサイズの大きなカメラの方が主流で、広告もそう云う、現代では<中型カメラ>と呼ばれるモノが多い。
 *以下カメラ愛好家にはくどすぎる記述が頻発しますが、非愛好家の便宜を考えた上での記述ですので、あらかじめ御了承下さい。また当方の記憶に基づいた記述もありますので、容赦のないツッコミはご遠慮下さい。

 富士光学の<ライラ>シリーズ。ブローニー版フィルム使用。写真量販店のフィルム売場にある、細長い箱に入っているヤツである。120型などとも云います。現在は商業写真と気合いの入った美しい作品を作ろうとする人々向けのフィルムである。
 「アサヒカメラ」S14.10より。

新発売 ライラックス
(4.5×6cmブロニ半裁判)ボデーレリーズ 固定式距離計付
世界に類なき特殊装置に五つの新機構を持つライラックスこそ光学日本の最高峰のカメラとして絶対推奨出来る逸品であります。

 とある。<五つの新機構>と謳いながら、それが何なのかが広告からまったく読みとれない。困ったものだ。<光学日本の最高峰>と云うわりには中古屋でも見かけないし、クラシックカメラ特集記事でも名前を聞かない。たいてい<ライカにあやかって「ライラ」なるカメラも販売された>と云う程度の扱いである。

 お値段はF4.5B 185円(フジコーBシャッター B、1/5、1/10〜1/250)からF3.5A 210円(フジコーAシャッター B、1、1/2〜1/500)まで。

 <ボデーレリーズ>とは、今では常識である「ホディにシャッターレリーズボタン(要はシャッターボタン)が付いている」だけのシロモノである。裏を返せば、そうでないカメラもあった、と云う事である(レンズと一体化したシャッター:俗にレンズシャッターと云う 式の場合、レンズ部分にレリーズボタンが付いている場合が多い)
 昨今の<押せば写るカメラと異なり、当時はシャッター、レンズによってランク分けがされていた事は記憶しておいて損は無い。もちろん、現代においても、この原則は健在である。

 ナショナルカメラの広告(S14.10)。

 国産カメラの最高峰
 型態の美機構の精巧

 と謳っているくせに、これも見かけない。セミ・ナショナル2型(4.5×6版)とナショナル・シックス2型(6×6版)がある。2がある以上は1型もあるのだろう。

 お値段は75円から150円まで。「兵器生活」は、カメラのページではないので、いちいちスペックを並べるのは止める。

 ミノルタベスト(S14.10)。ベスト版と称されるフィルムを使用する。ベスト版は絶滅したフォーマットとなってしまったため、このサイズのフィルムを使用するカメラは、総じて価格が安い。もちろん現代での話である。

 鍛錬の秋

 国策に沿う
 ベークライト ボディー

 爽涼の秋! 野に山にカメラの活躍舞台は開かれました。熱にも湿気にも毫も浸されぬ剛体蛇腹を有つ ミノルタ ベスト の強固な構造と卓越無比の性能に此の秋の全収穫を安心して任せましょう。

 お値段は23円〜41円。固定焦点式と焦点調節式にランクが分かれている。<蛇腹>と云うのが時代であるが、要は蛇腹を折り畳んで持ち運びする型式のカメラである。<ベークライト>は今で云うプラスチックの事。クラシックカメラが総て金属製と云うわけでは無いのである。
 

 これは昭和15年5月の広告。ミノルタフレックス。二眼レフである。

 風薫る乙月
 ミノルタフレックス

 興亜のカメラとして虹の如き気焔を焔きつづある「ミノルタ」は聖戦下諸資源の不足に加え日に日に激増して行く需要に追われ、「優良品はよく売れる、良く買われるから製造が間に合わない」道理を明瞭に示して居ります。それ故「現品の間に合わぬ広告を何故するか」という多くの需要家の御小言に感謝しながら衷心より御侘申上ます。
 工場の全機能を挙げてミノルタ完成に精進努力しつづある現状を誇りと歓びを以て御報告申上げます

 わずか半年でここまで広告の文面も変わるのである。<諸資源の不足>と云う語句を押さえておきたい。

 お値段は他店の広告で275円(S14.10)いい値段だ。

 ミノルタとくれば、やはりオリンパスを出さないわけにはいかない。セミ・オリンパス2型。

 舶来品ニ代ル国産優秀品 高千穂ノ小型カメラ
  レンズ瑞光1:4.5 F=7.5cm

 昭和14年10月の広告。気になるお値段は105円。<瑞光>は云うまでもなく<ズイコー>の古代語である。

 当時の35ミリ写真機の事を<ライカ版>と称したように、現在普通に<カメラ>と呼ばれている型式のものは、一般的でなかった事を、まず事実として押さえておく必要がある。

 国産品としてライカに真っ向挑んだのが、精機光学の<キャノン>である。元々は<カンノンカメラ>として世に出ようとしていた事は、クラシックカメラ好きには周知の事である。
 これは昭和12年11月の広告で、商品名は試作時の<カンノン>から、<ハンザキャノン>を経て(これは発売元の近江屋写真用品株式会社のブランド<ハンザ>から)、ようやく<セイキキャノン>として販売されるようになった時期のものである。

 皇国と共に進むキャノン!

 精密光学機械工業に於て 一躍世界的レベルを超えた 「精機光学」製品の花形!

 日本光学工業株式会社の傑作ニッコールF3.5レンズ
 映画用35mmフィルム使用、シャッター同時巻上げ
 レンヂファインダー連動、フォーカルプレーンシャッター
 ヴァルブ(Z)及び1/20〜1/500 8種

 云うまでもなく、今流行りのレンジファインダーカメラである。従来別々であった測距行為とレンズの焦点合わせを連動させたモノである。「兵器生活」読者諸氏好みの云い方をすれば、測距器からの距離データを大砲に連動させるのと同じ様なモノ、と云う事になる(当然軍艦の方が大変である、大きさと重さが全然ちゃいますから)。別なカメラでは<自動焦点>と云う誤解を招きそうな云い方をする場合もある。

 日本光学は、最早説明するまでも無い、ニコンの前身。当時は軍艦用のレンジファインダーなんぞを作っていた。

 気になるお値段は350円である。最近、中古カメラ屋で百万円の値段が付いていた(ただしハンザキャノン)。

 国産35ミリレンジファインダーカメラの二番手?となるのがレオタックス。しかしニコンやキャノンの影に隠れてしまったマイナーな存在である。これは昭和15年2月の広告。

 積年の研鑽により躍進写真科学のリアライズされたレオタックス

 と云う何だか良く分からないコピーが付く。定価はF3.5レンズが付いて330円。ライバルのキャノンはこの頃F3.5の新標準型が380円で、F4.5のものが330円と云う状況。お互い良い勝負である。

 少々時局とズレてしまったので話を戻す。ツァイス・イコン製カメラ広告、昭和12年11月のもの。<巨弾>と云うのがモロ時代である。

 これのお値段と云うのが凄くて、コンタックスのゾナーF2付きが1345円!スーパーイコンタが570円、スーパーシックスが655円と云う、舶来品=高価を文字通りにしたお値段なのである。
 もちろんこれは、輸入関税等々の費用を乗せた価格であることは云うまでもない。

 フジフィルムの広告。昭和15年5月のもの。

 萌ゆる若葉!元気な愛児!
 総てがカメラの題材です 新緑の銃後便りには−楽しい家庭のスナップを添えて戦線の慰問に送りましょう

 これが正しい「萌え」の用法である事は云うまでも無い。

 オリエンタルフィルムの広告。昭和14年10月のもの。

 カメラに訊く、銃後の秋!

 うーん時局だなあ…。

 と、当時の「アサヒカメラ」を色々見ていると、<趣味の写真>と云うものと、趣味を許さず、総力戦体制を確立せんとしていた、時局との整合の取り方が見えてきて、中々オモシロイものである。



 時局のせいだろうか、昭和14年のアサヒカメラには、舶来写真機の広告と云うものが、まったく見られない(もちろん私が目にすることが出来た限りにおいてである)。ライカ等の高級カメラは、写真機屋の広告の中だけで、その存在を主張するようになるのである…。それも中古で。

 当時の舶来カメラの広告の一環を知らしめるべく、時局には便乗していないモノをおまけとして載せてみる。

 ツァイス・イコン社の超高級35ミリ二眼レフ コンタフレックスの広告。昭和11年2月のもの。

 あらゆる理想を完備せる36年型超弩級大豪華版

 コンタフレックス

 カメラ工作界に尊い伝統を有つツアイス・イコン社が多年の経験と研究とを傾注して完成したコンタフレックスは、24×36mmのシネ用有孔フィルムを使用するコンタックスの長所と二玉レフレックスの利点とを併せ保有せしめた未曾有の創作品で、達識な小型カメラ愛好家に必ずアッピールすることと信じます。

 当時のお値段が1640〜2200円と云う、高級カメラのホームラン王で、まさに<超弩級>である。もっとも余りにも高級過ぎて、生産数は少なく、現在その姿を見かける事は殆ど無い。

 <フィルムが売れればええんじゃい>とばかりに簡単カメラ道を驀進する(そのくせ密かに超高級カメラも作っていたりする)コダックの広告。やはりこれも昭和11年2月。

 イーストマン大衆向カメラの双璧

 ジフィ コダック ヴェスト
 ボタンを指先で押せばポンと前板が飛出し、ファインダーを覗いてレバーを押せばカチッと写る 軽快無比のカメラ、堅牢、軽量な練物製、流線型のボデー、優に全紙に引伸ばし得る先鋭さを有つダブレットレンズ付。好評如湧。
 定価 ¥24.50


 ベビー プロウニー

 ボデーは軽量な練物製、漆黒光沢、優美なる流線型、学理的に単純化した機構、素晴らしい引伸ばしの効く先鋭なレンズが付いて居ります。好評噴々。
 定価 ¥6.50


 同じ<舶来>でもこの価格!2000円と6.5円は、<写るンです>とジナー以上の価格差である。まったく資本主義と云うものは恐ろしい…。
 フィルム屋のカメラだけあって<引き伸ばしの効く>と、暗に自社印画紙を買わせようと云う文句を忘れないところが米帝的だ。

 しかし<練物>ってのは…、羊羹じゃあるまいし…。(云うまでもないが、ベークライト等の樹脂製と云う事である)



 当時の写真広告のオモシロイところは、なんと云っても現在のカメラ広告なら当然あるべき、こんなにキレイな写真が撮れます、と云う実例がまったく出て来ないところである。皆さんどうやって写真機を選んでいたのだろうか?

 おまけ:クラシックカメラのおおよその形態(ただし資料的価値はありません)

 下手くそな画で恐縮ではあるが、読者の便宜を図るに恥も外聞も無い、と開き直っている。もっと詳しく知りたい勉強熱心な読者諸氏は、しかるべき書籍を読む事。

 古典的カメラの姿。木製の箱にレンズを付けたもの。組立暗箱などと称する。当然大型で重い。基本的には総ての写真機はここから始まっていると云って良い。
 ピント合わせは、フィルム装着前に写真機の後ろから行うと云う原始的な方法で行う。当然速写性は無い。

 小型カメラの初期の形態。レンズの付いた前板を引き出して撮影する。レリーズがどこにあるか、などと云うツッコミは無用。ファインダーは、前板の後ろに上からのぞき込む式のものが付いていたりする。巻き上げノブも描かないとは、まったくひどいイラストだ(笑)。

 もう少し進歩したもの。レンズの下にあるフタを開けると、レンズが飛び出すカラクリがある。スプリングカメラなどとも云う。上にあるのはファインダー。ただし構図を合わせるだけ。後には距離計が取り付けられるようになり、利便性が向上した。蛇腹を使用するため、使い方がいいかげんだったり、乱暴に扱うとピントが甘くなると云う構造上の欠点があり、他の型式に道を譲る。

 レンジファインダーカメラ。とてもそうは見えないが、ライカをイメージしている(笑)。距離計をカメラに固定し、さらに焦点合わせと連動させたのがミソ。さらにシャッターをボディに装備する事で、レンズ交換が可能となり、速写性を武器に小型カメラ時代を拓く。距離計窓と構図合わせのファインダーは独立しており、使用するレンズに応じてファインダーを別途装着する必要がある。この欠点は、戦後の一眼式ファインダーの完成まで続くことになる。

 二眼レフ。フィルムに写る予定の映像を、そのままファインダーに投影すると云うレフレックスカメラは、写真機登場当時から存在していたが、撮影時にミラーを動かす必要があり(そうしないとフィルムが感光しない)、かつ撮影後はそれを戻さなければならないと云う構造上の問題があり、一般的ではなかった。それを解決するために、撮影用と構図確認用にレンズを二つにしたのがこれ。
 構図と焦点確認が目で見て解るため、戦後日本で大ヒットする。上からのぞき込む撮影スタイルは結構有名なところだ。
 なにげなく使っている写真機も、すでに100年以上の歴史がある。当然使用された機器も多伎にわたっている。現在我々が<カメラ>と云って思い浮かべる形態は、より軽く、よりコンパクトに、より使いやすく、と云うニーズによって作られてきた。誰でも失敗が無い、と云う要求が、カメラの形態が定まった後でようやく出てきた事を知っておいて損は無い(得も無いが)。