ナチスおとめの黒パンツ

「ナチス令嬢」と云う、悪い冗談のような34万おまけ


 「ナチス」と云えば、何でもやりそうだと、万人に思わせることの出来る、世界史上稀有な団体である。
 天皇陛下と読売巨人軍の監督になる以外のあらゆる事象に「ナチスは」、「ナチスの残党が」、「ナチスの技術は」と付け加えるだけで、うっかりと信じてしまう、即座に否定してもなお割り切れ無さを残すように思えてならないのである。
 云うまでもなく、「ナチス」そのものは、ヒットラーの第三帝国とともに滅亡しているのだが、滅亡したがゆえに、人類史の中に永遠の命を得たともいえる。「ナチス」とは、「悪魔」と同じで地位にあると云っても良いだろう。

 「令嬢」と云う言葉は、今では「社長令嬢」くらいにしか使い道が無いほど、弱くなった言葉であるが、高貴さ・美しさ・若さを一語で表した言葉である(ただし女性専用だ)。
 「貧しい令嬢」、「美しくない令嬢」、「老齢の令嬢」とは、たとえ読者諸氏の隣りに佇んでいたとしても絶対に「有り得ないもの」である。
 
 その「ナチス」と「令嬢」の常識的な組み合わせは、「ナチスの迫害から逃れる令嬢」と云う、主体客体の関係でしかありえないのだが、単純につなぎ合わせると、「ナチス令嬢」と云う、なんとも不可思議な言葉ができあがるのである。

 今回のテーマは、その「ナチス令嬢」である。
 何度か「兵器生活」でネタにした「FRONT」(有名な宣伝グラフ誌では無い方)を買った本屋の目録に、こんな記事があったのである。

Title: 「銀鐘 GINSHO」9 13 15 17号 4冊一括
Author:
Published: 銀座・鐘紡サービスステーション 1938
Notes:
〜服装の尚質美〜/表紙=鈴木信太郎、カット=沼野正、前川忠雄/流行指示(吉村完一)カフェー物語(平野二郎)アパートの女王(岸田輝夫)巴里通信(H.ブトミ)顔と流行服(式場隆三郎)背広服過去帖(今和次郎)流行ニュース豆手帖(渋谷英一)スタイルだより(相馬とみ)都市通信・神戸(石川六郎)海外モードスクラップ、旅行服のモードを求めて、女ごころとスカート・ライン、ナチス令嬢避暑地旅行お持ち物調べ

(本屋さんの目録なので出典は記載しません)


 目録に「ナチス令嬢」などと書かれていなかったら、そのまま見過ごしていたはずなのだが、極めて面白そうなネタ元である。早速銀行に走って貯金を引き出し本屋に向かうのは、「兵器生活」主筆として、あまりにも当然の行為である。
 息せき切って駆け込むと、店には置いてなかった(笑)。倉庫から出しておきますと云うので、後日引き取りにしてもらい、三日後に本と対面することになったのでである。

 「ナチス令嬢」と云う言葉から、反射的に思い浮かべたのが、映画「愛の嵐」である。


著作権がうるさそうなので、画にしてみました(笑)

 実のところは、「親衛隊将校の慰み者になっている、ユダヤ娘」が正しい答えなのだが、パッと思いついたことに、文句を云っても仕方のないことである。これ以外に何を想像することが出来ようか!

 日を改めて本屋に向かい、「銀鐘」を出してもらう。「ご覧になりますか?」と云うので「拝見つかまつる」と、例の記事を探してみれば…


「ナチス令嬢 避暑旅行お持物調べ」

 わずか見開き一枚、写真ナシ! 
 「金返せ!」と叫ぼうと思ったのだが、考えてみればまだサイフも出していない。倉庫から出してもらった手前、後にも退けない。大ネタは大ネタ、人様は許しても自分を欺くわけにはいかない…。結果はご覧の通りである。

 これで終わりにしても良いのだが、落とした金を思うとモッタイナイ事この上無いので、例によって本文のご紹介である。

「銀鐘」昭和14(1939)年8月号
ナチス令嬢
避暑旅行
お持物調べ 吉川完一

 夏が来たきた、山から里へ…
 世界中で一ばんのハツラツ人種であるドイツのお嬢さんたちはスポーティな余りにスポーティな黒パンツに身を固め、はね廻りとび廻り、ナチスの夏を謳歌すること、想像しただけでもたのしいきわみでありましょう。しかし花も恥らうお嬢様たちがいつも黒パンツ姿で大道闊歩しているとは考えられません。

 そこでナチスの国からついたばかりの、お嬢様の雑誌の封をパラッと切って、開いたとたんに出て来たのが、ナント夏休み旅行のモード。ナチスおとめの、ケバケバしき白粉に肌(はだえ)を隠し、心なき浮かれ女の如(ごと)、眉ひそめしむる粧いをこらさんとは思わねど、西洋料理のお箸が倒れてもふき出さざるを得ない生理作用の年齢である彼女たちであるから、美の女神に祈りをこらして作り上げた帽子、パラソル、ハンドバッグの流行であることは、言うにゃ及ぶ。言うには及ばないのは、これを以て軽佻浮華から避難して、しかもあなた自身をハツラツと、若く健かに颯爽たらしめたい、長期戦下の我が国のお嬢様のマメジビキでもありましょう。

 ニッポン、ナチス、われら防共の姉妹国の若き女性よ、一九三九年の夏に鍛えよ、大気の中に力一ぱいに腕をふれ!!


 昭和14(1939)年は、支那事変三年目、なんといってもドイツのポーランド侵攻・第二次世界大戦勃発の年にあたり、戦争ムードただよう世相…のはずなのだが、このノーテンキな余りにノーテンキな文章である。かなりクセのある文体なので、意図を取りかねる部分もあるが、要約すれば「元気一杯ナチっ娘(なちっこ)ファッションで夏に挑み、長期戦を乗り切ろう!」(古本ばかり読んでいると、こんなセンスの無い要約が出来上がるのだ。皆さん、良い本を読みましょう)と云ったところである。
 日独防共協定調印から三年、日独伊防共協定調印からは二年、三国同盟の二年前のことである。

 本文記事に戻る。以下「お持物」のイラストと解説が続く。


 1.白のストロハットの眩しさ、リボンは線のピコットをピカピカときらめかしている。夏の感触、田舎風の鄙びたものには、どんなものにでもうつり(映り)ましょう。
 2.大型のガルデンフット、と申し上げてもお分かりにならないならば、大陸の文字に直して「園芸帽」お宅の菊作りの爺やがかぶっている所の”園芸帽”を流行に生かせば、この新しさ。赤地にちらした白い水玉模様、えくぼがあらわれたり消えたりする顎のあたりに、菊作りの爺やよろしく結んで見ました。


帽子

 「お宅の菊作りの爺や」と云うところに、読者の階級が伺える。いかにも令嬢あるいは令嬢を顧客にする洋服屋向けの文章である。
 「銀鐘」は、カネボウ発行のPR誌である。
 3.西部劇のヒロイン、さては舞姫ステフイ、デューナ、今も胸をときめかすカウボーイ。その大きなカウボーイの帽子をかぶって街上を闊歩したらどんなに愉快でしょう。ストローは着色、色模様のリボンをまきつけただけで、お嬢様向きに再生されてしまいます。


「カウボーイ」と云うよりはメキシコの山賊のような…

 タイトルは「避暑旅行お持物調べ」であるが、紹介者の意識は、ドイツの流行を日本の「街中」に持ち込むところにある。
 4.名は世に高きチロルの都インスブルックの風俗をそのままにとり入れた黒い帽子。それにフェルトのアップリケ、世界一の山の都の趣きをここにうつして、山を愛する女性にささげましょう。


「民芸調」ですね


 5.防共の陣営にある国の風俗をナチスの少女たちはどんなに関心を持っているか。これはユーゴースラビアの手芸品である前掛けであります。かざりひもでかざられた鄙びた民芸品です。ユーゴーのデルマチア(ママ)族の少女たちは、サスペンダーに腕を通し、肩から前に掛けています。ユーゴーの流は防共親善の波にのって、ナチスの国にあらわれつつあります。


これが原因でユーゴスラビアは崩壊したのである(半分嘘)

 ファッションも一つの思想と見れば、防共の精神は、防共のファッションに宿る。ファッションを無思想の単なる風俗と見れば、思想の形骸化に通じる。この記事を読む限り、思想のカケラもない。
 われらが東の防共国の風俗が、ナチスの国で受け入れられたかどうかは、残念ながらわからない。
 6.晴雨兼用のパラソル二本。パラソルはスイートと反対に長くなりつつあります。


今でも売られていそうな傘

 「晴雨兼用」とあるのが、時局チックである。「スイートと反対に」の「スイート」がわからない。「スカート」の誤植と見るのが一番確実に思われるのだが…。
 7.左のバッグは、色模様の綿更紗(ちんつ)にゴムテープを入れたもの、たくさん入れることが出来るのが特色です。右はスマートな縞物のバッグ。ぬれたタオルも水着も入れることが出来ましょう。


今でも見かけそうなカバンである


 8.アルプスの山の娘のモードを取り入れた、濃緑のフェルト帽、ドイツ語で「アルプスの薔薇」とよばれるしゃくなげの花を飾りに使いました。


洒落てます


 9.色皮のアップリケのハンドバッグです。模様にはアルプスの山の花を用いました。


大きさが全然わかりません…

 「アルプスの花」と云えば、エーデルワイス、と反射的に思ってしまうのだが、日本で名が知られるようになったのは、やはり「サウンド・オブ・ミュージック」以降なのか。

 記事の内容は、このように他愛のないものである。しかし、今日伝えられる悪魔的ナチスのイメージが、まったく感じられない、当時の日本に、風俗としてのナチス礼賛の空気があったことを示す例として、非常に面白いものである。無理にでも面白がらないと、払ったお金はムダになる。

 タイトルに「黒パンツ」と書いておいて、何もナシでは読者諸氏に申し訳が立たないので、当時紹介されていた写真を掲載しておこう。  


「Look」1937年8月31日号掲載

 アメリカの雑誌「Look」に掲載された、「少女達はドイツの労働キャンプでどう暮らしているか」(直訳)と云う記事にあったもの。写真キャプションの大意は以下の通り。

 ベルリンの女生徒は、街を離れ、兵士のように歯を磨きます。
 労働キャンプに送られるにはまだ早いこども達は、集団でナチス女性としての訓練を受けます
 ここで、この先も、少女達は女性向けの「ヒットラーのきまり=台所・教会・子供」を教えられます。
 女性がそれ以上のものを望むのは、愛国心に欠けるふるまいだと教えこまれるのです。
 ナチスは、このような教育を推進しています。それが強い女性、ひいてはドイツの戦闘機械となるべき、強い息子達を生み出すことになると信じているのです。

 飛んだりはねたりしていないが、なるほど「黒パンツ」である。
 キャプションにある「台所・教会・子供」は、ドイツ男性から見た、女性の居るべき場所と云うもので、昭和12年3月の「主婦之友」に掲載された、大島浩(当時駐独武官、のち大使)の「ナチス女子青年団の非常時的訓練」と云う記事にも

 ドイツの婦人は、元来家庭的で、昔から3Kということを標語(モットー)としております。3Kとは、Kind(キント:子供)、Kirche(キルヘ:教会)、Kuche(キュッヘ:台所)ということで、女は、家庭にあって子供を教育し、神を信じてお寺詣りをし、炊事などの家事に努めるものだ、という意味で、これが、多くのドイツの婦人の実生活でした。

 と書かれているくらい、ドイツ社会に根を下ろしたものである。
 これが昔だけの話だけかと思うと、東西ドイツが統一された後の2001年にでた、ドイツ人サンドラ・ヘフェリンが記した「甘えを捨てるドイツ女性自立生活の楽しみ」(光文社カッパブックス)でも、

 昔は女性を対象にした「悪質ジョーク」もあった。それは、女性の役割を「3K」で表現したドイツの保守的社会から生まれたジョークだとも言える。女性の「3K」とはKinder Kuche Kirche(子供 台所 教会)。女というのは、この3つに閉じ込めておけばいいと、男たちは考えていた。

 と紹介されるくらいのモノなのである。ちなみに、ヘフェリン女史の著書にある「悪質なジョーク」とは、
 「女にはなぜ足がついているのか?」
 「台所から寝室へ歩けるようにするため」
 と云うものである。
※大島、ヘフェリン双方にある独語の引用は、文字表示の制約で、正しく表記されていないので、うっかりコピペすると、とんだ恥をかくので注意されたい。
 さて、「銀鐘」の記事では、黒パンツにしか目がいってなかったようだが、制服もある。「花も恥らうお嬢様たちがいつも黒パンツ姿で大道闊歩しているとは考えられません。」とあるが、その通りなのである。


野原に薬草を探す少女隊員

 冬場は何か羽織っていなければ、寒くて仕方がないのだろうが、残念ながら資料が無い。
 ナチスドイツ下の青少年活動と云えば、「ヒットラーユーゲント」(略して『HJ』、模型雑誌『ホビージャパン』とは関係ない)が有名である。女性については、10歳から21歳まで、B・D・M(ブント・ドイツェル・メーデル、『独逸女子青年団』、『独逸処女団隊』、『ドイツ少女同盟』、『ドイツ少女連盟』など手持ちの本だけでこんなに訳語がある)に所属して、ナチス女性としての教育を受ける。昭和15年刊「ナチス女性の生活」(アン・マリー・キーファー、生活社)では

 B・D・M、即ち、独逸女子青年団は、(略)三つの部に別れています。
 その一は、十歳から十四歳迄の少女。
 その二は、十五歳から十七歳迄の娘。
 その三は、十八歳から二十一歳迄の女子。
 この最後のものは、特に「精神と美」の団体と言います
(略)。又、二十一歳以上の独逸婦人は、総て、ナチス婦人団に所属するとか、又、その外に、ナチスの党員になるとかする(略)

 とある。
 「その一」は「少女団」あるいは「少女部」(Jungmaelbund 略してJM)と呼ばれ、「その二」が狭義のBDMとなる。「その三」の「精神と美」は、本によって「信仰と美」、「美と信念」とも訳される(『ナチズム下の女たち』未来社の用語解説および『戦ふ独逸』第一書房を参照)。

 BDMの活動は、月に四回、午後二時間の集会(ナチス世界観や政治教育など)、月三回のスポーツ訓練、月一回の一日半がかりの遠足があり、夏と冬には大規模なキャンプ訓練と云うもので、あわせて廃品回収、薬草採取、収穫補助などの活動も行われた(『ナチス女性の生活』)。
 活動の本旨は、「3K」で表される「良妻賢母」教育に政治教育を加えたもので、女性は職業婦人として自立するよりも、良き母親として、次世代の育成に専念することを求められていた(女性を家庭に入れることで、男性失業者の削減も実現できたのである)。
 学校は、これらの活動の方を優先するよう指導されていて、午後四時からの青少年団活動が、定刻に開始できるよう、午後二時に授業を終わらせるようになっていた(『ヒトラー政権下の日常生活』社会思想社)。 

 不思議な名称の「精神と美」団、その設立理由について、「ナチス女性の生活」では、以下のような説明をしている。

 この「精神と美」団が特に注目されるべき理由は、十歳から十七歳迄の少女達のB・D・Mに於いての訓練と、十八歳以上の女子のそれとの間に、明確な区別が存することにあります。(略)例えば、キャンプ生活にしても、男子同様の態度の下に行われています。つまり、十七歳以下の少女は、女性としての特別な訓練を施されるよりも、男女の性別を顧慮することなく、男子と同様の導き方によって基礎的準備的な教育を受けるべきであるのです。従って、十七歳迄の団体に於ける訓練には、すべての少女が義務的に参加することを求められます。
 十八歳以上の女子は、その生理的条件に於いて、明かに、男子と一緒に、一律に取扱うことを許しません。結婚期が近づき、家庭の主婦たるべき教養が積まれなければならず、又、その女性としての天性に基づいた種々の才能を伸ばすことも考えなければならないからであります。かくて「精神と美」団が結成されたのであります。
 「精神と美」、この団体は義務制でなく、個人の自由意志によって、希望者のみを入団させることになって居ります。そして、注意するべきことは、(略)それ以前の少女時代に於いての訓練が集団的教育であり、団体的訓練を主としたのに対して、その集団的教育を卒えて来た娘達の個性を、それぞれの特長にむけていよいよ伸展させるという点に重きを置いていることであります。

 穿って見れば、18歳以上の女性は結婚をして母親にさえなってくれれば、国家は満足である、とも読める。そこでの訓練内容は、どのようになっているのか?

 まず、ナチスの青少年訓育のすべてに亘ってそうである様に、最初に重要視されるべき体育を見なければなりません。団員は、身体を美しくし、均整のとれた溌剌たる姿態を得るために(略)適度の肉体の鍛錬を学びます。歩行法、縄飛びの練習等の軽い運動は、不様な肥満を防ぎ、身体を整え、新しいナチス女性の型(タイプ)、「健康こそ美である、」と云うナチス的美の規準にふさわしい女性の美しさを創造しつつあるものなのであります。(略)特にスポーツのためには、簡単ではあるが、優美さを失わない一定の服装、上下つづいた裾の短いワンピースが制定せられ、初歩的基礎的な体操から、軟らかい律動遊戯、更に特殊なスポーツ、いずれに対しても、非常に快適な服装として用いられております。


快適なワンピース

 「ナチス令嬢」は、黒パンツを卒業すると、白ワンピースに衣替えをするのであった。

 次には、結婚適齢期の女性として(略)衣服を整理し、身体を清潔に保つこと、部屋部屋の装飾は如何になされるべきか、経済的で簡素な住居の整え方、食卓の飾り方からナフキンの折り方、応接間を感じよくする方法、居間や書斎の整理、花の挿し方等々、家事万般に亘っての、質実な経済的な美しさを忘れぬ知識と修練が、彼女達の愉快な勉強とされています。殊に、裁縫の技能も重視され、華美、奇矯に走らず、空疎な虚栄に流れず、非衛生に堕しない真にナチス女性の外観を飾るに適した服装、室内着、事務用着、又、午後の服装はどうあるべきか等々について、教えられます。(略)

 更に、特殊な技能のある者には、その天賦の才を伸ばしてやる為に、よき指導を与え、その才能の芽をして、太陽の光から遠ざからしめない様に努力しています。

 こうやって説明を読む限り、「ナチス」と云う言葉を見なければ、今日でも誰かが提案していそうな方法であり、男女同権の観点から見れば問題はあるが、至れり尽くせりとも思えてくる。それがどのようなやり方でなされるのかと云うと、狭義のBDMに所属していた者か、未加入者(!)の場合は三ヶ月の準備訓練、見習期間を経て資格ありと見なされたものが、

 (略)一〇〜四〇人一組に組織され、その組々にまとまって訓練をうけます。訓練のテーマは、次の十一種類であります。
(一)スポーツと体操
(二)政治的国民的文化学
(三)社交の態度
(四)個人的生活の作り方
(ゲシュタルツンク)
(五)手芸
(六)工芸
(七)家政学
(八)保健衛生
(九)独逸固有の国風の復興
(十)歴史
(十一)現在の世界情勢
 以上の様な、種々な課目にわたって、一週に一度、三年間の期間の訓練をうけるのであります。その他の日は、あるいは家庭にあって家事に従う娘もあれば、工場や事務所で働くものもあり、それらの様々の境遇の中から、同じ年輩の娘達が、同一の世界観の下に、同一の訓練を受けるために集って来る、と云うところに、「精神と美」の特殊性があるわけであります


 カリキュラムまで落としてみて、この活動が、「同一の世界観」を持たせようと云う、ナチスの政治活動の一つであることが、ようやく見えてくるのである。しかし、参加は「自由意志」であるから、実際にこのような教育を受けられた女性が、どのくらいいたのかは、調べようがない。

 余談ではあるが、「ナチス」と称される団体名称(Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei略してNSDAP)の訳語には、「国民社会主義ドイツ労働党」、「国家社会党」、「国家社会主義ドイツ労働党」、「民族社会主義ドイツ労働者党」などがあり、「ナショナル」を国家・国民・民族と訳すかで印象が違う。主筆自身は、昔覚えた「国家社会主義ドイツ労働者党」が一番違和感が無いのだが、「ナチス」と書く方が絶対ラクである、と自信を持ってお奨めできる(笑)。
 「ナチ」「ナチス」は、当時の俗称(紹介者によっては蔑称ともされる)−社会民主党員を「ゾーツィ」と称したのに対して使われ、NSDAP党員自身は使わなかったと云われる−だが、日本国内では戦前から、ただの略称となっている。
 普通の人にとっての「ドイツ」とは、「ビール」、「ソーセージ」、「ベンツ」か、「マルクス」、「ベートーベン」、「フリードリヒ大王」の国である。ミリタリーファンになると、そこに「タイガー戦車」、「メッサーシュミット」、「Uボート」、あとは「武装SS」と「バルジ大作戦」が加わる程度のもので、外国人が、日本を「ゲイシャ」、「ハラキリ」、「フジヤマ」、「カミカゼ」と見ているのを怒るわけにはいかない。
 正直なところ主筆自身、身の回りにある情報源からでは、第二次大戦当時のドイツ人には、軍人とユダヤ人だけしかいないんじゃあないか、と思ってしまいかねないほど、何も知らないのであった。

 ナチス治世下のドイツにも国民がいるのだから、女性がいるのは当然のことである。国家社会主義を標榜していても、私有財産を認めている以上は、お金持ち・上流階級は存在しており、「令嬢」の何人何百人かは、いたはずなのだ。
 「不可思議な言葉」と書いた、「ナチス令嬢」は確かに存在したのである。

 (おまけのおまけ)
 本文中にも書いたが、ドイツに関する知識があまりにも乏しかったので、これを書くために色々と本を買ったのである。主なものは文中に記載したが、参考文献をあげるような内容でも無いので、写真にして掲載しておく。


今回の主な参考資料(ハッタリ含む)

 これ以外にも、映画「愛の嵐」のDVDソフトも買ってしまっている。それでも「銀鐘」取得価格に追いついていない(笑)。
 まっとうなナチ研究者であれば、読んでおかねばならない本も色々あるのだろうが、そう云う情報が入る環境では無い。、すべて行き当たりバッタリに本屋で見つけたものばかりである。

 ナチスに心酔したと云う中野正剛、日本的国家社会主義を提唱した高畠素之の評伝も、この機会に読んでいるが、さすがに参考として挙げるわけにはいかない(笑)。

さすがに「ナチ女収容所」モノには手が出なかった