古本屋で拾った幸運

眉にツバつけて読んで下さいの42万おまけ


 不惑の歳になっても、「何かいいこと無いかなぁ」と思っている。想いがあればいつかは叶うものとは云え、それは何らかの活動をすればこそで、たとえ棚からボタモチが落ちてきても、棚の下にいなければ受け止めることは出来ないし、ボタモチの賞味期限が大丈夫であるとの保証だって怪しいものだ。

 主筆の「幸運」と云えば、停滞しつつも続けている「兵器生活」が世に認められ、栄耀栄華の身分に至ることなのだが、考えてみれば、購読料も広告収入も無いウェヴサイトを十年百年やったとて、世は奇特な人と思いこそすれ、カネはビタ一文も入らないのであった。

 と云うわけで今日も身銭を切ってネタ探しと古本屋に行くと、こんな冊子を見つけたのである。


「街で拾った幸運」

 口にこそ出さねど幸運は万人皆求めるものであり、その方法がわかるというなら、一口乗ってみようと思うのも人の常。幸いさほど値の張るモノでもない。と云うことは、『御利益』もさほどのモノではない、と一歩退いて考えればわかるのだが、ネタ一本出来るだけでも充分で、それが愛読者諸氏一時のお慰みになれば、かえってお釣りが来るようなもの。
 して、「街で拾った幸運」とは何ぞや?
世の中は面白いものだ
 ゆうべ夜業をして疲れでぐっすり眠った、ふと目を醒ますと障子になごやかな日影がさして居る。時計を見ると早や九時を五分過ぎて居る「ウーン」と思い切り背のびをして甲野君は勢いよく跳ね起きた

 と云う書き出しのこの冊子、外へ出た甲野君が、道で会った同僚の乙山君から株取引の手ほどきを受けて、幸運を掴む、と云う内容が前半、後半は云うまでもなく、この冊子発行元の宣伝である。
 ただの株式売買の宣伝であれば、わざわざ「街で拾った幸運」なんて云うタイトルの冊子を作るまでも無いし、表紙に「こんな素晴らしい話を知らぬ世の中は面白いものだ!!」とも書かないだろう。「株式売買って難しそうだ」と思っている読者を店に呼び込むだけのネタがなければならない。
 「賞与の残りの十円札二三枚懐中にねぢ込んでぶらりと家を出かけた」甲野君は、歌舞伎か日劇か、いっそ浅草にしようかなどと思いつつ停留所に立っていると、同じ会社の乙山君に会う。「猟奇と危惧の錯綜した気持で」彼に連れられ「或停留所で市電を降りた、少し行って左へ曲がると右側の或店へ」向かったのは「株屋」である。店員から札束を受け取った乙山君を見ている甲野君は、何が何だか分からない…

 乙山君ニッコリ笑って
 「分かるかい君! でも悪くはなさそうだろう、之れはねえ−」と云いながらさっきの株券を取って見せながら
 「関東重工業と云う株なんだ十株券が十枚で百株ある−此前君等と一所に賞与を貰った時…そうだ十日程前になるかね、此店ですすめられたので此株を百株買っておいたのだよ、その時は一株一円十銭だった、百株で百拾円だけだ、一杯飲んだ積もりで百株買っておいたのだが二三日前から急に関東重工業の株価が上がり始めたのだ、だから電話をかけて売って貰った、三円九十銭で売れたのだ、結局百十円の金が十日程で三百九十円になった、二百八十円は儲かった訳さ」そう云い乍ら株券を店員に手渡した。
 甲野君は少し分かって来たような気がした。そんなら株なんて少しも難しい物じゃ無いじゃないか、たとえば道具屋で品物を買ってそれが値が上がって高く売ったと同じ理屈ではないか。

 古本屋の百円均一台の本が、ネットオークションで500円で落札されたり、食玩一つに千円二千円の値がつくのと、株が値上がりするのと、どこが違うのですか? と云うのである。

 (略)道具屋とはいい思いつきだ、全くそれに違いないよ、(略)金持連中は土地を買って値が上がればそれを売って儲ける。家を買って値が上がれば売って儲ける。
 それと同じ理屈だ。(略)だが土地や家では中々十日や二十日で値上がりはない、二年も三年も或いは十年待たねば土地の値上がり等は難しい。
 それに比べると株なら早い、論より証拠、今目の前に見る通り僅か十日ばかりの間に百円の金が四倍近くになって居る。
 だから金持になる人は皆利口だ、株式投資は必ずやって居る。(略)

 株が道具屋と同じようなモノだと述べ、金持(この冊子が出た昭和14年の『金持』である)は不動産で儲けていることを指摘するが、不動産は足が長いと斬り捨てている。「列島改造」のはるか前の話だから仕方がない。
 手っ取り早く儲けるには株に限り、「株を持って居ない富豪は一人も無かろう」「であるからこそ東京株式取引所に毎日何百万何千万の売買が出来、不景気知らずの殷賑を極めて居る」と続く。

 併し一流株と云えば少なくとも一株百円から百五十円又三百円位のもある、到底我々のような薄資の者では実株を買い取ると云う事は出来ない。其の不便を補う為長期取引又は短期取引というやり方が出来てる。之を説明すれば長くなるが、いわば手付金で以て株を買うと云う制度である。之はいいような悪いようなもので此の便利な制度の為め充分な資力の無い者迄つい大きな思惑をするようになりその為めに身を誤った者は数限りない。
 株は絶対実株を買う可きである。(略)株はさきに君が云った通りに品物と思わなければいけない。品物を金を出して買う、金のかわりに品物が手に残る、値が安ければ持って居る、高くなれば売ってしまえばよい何でもない事だ、絶対に損をすると云う事がない。

 「殷賑を極めている」とは云え、大手企業の株式「一流株」は値が張るので、おいそれと手は出せない(『NTT株」は今、いくらになっているんでしょうねえ)。株屋(証券会社)から、資金を借りる(株を借りる)「信用取引」は、しくじると大変なのでやめた方が良い。
 何故「信用取引」は危険なのかと云えば、手持ち資金以上(三倍程度とされる)の売買が出来るので、当たれば利益も大きくなるのだが、資金を借りれば儲けに関係なく利息を取られ、取引期間に制限があるので、元手を割り込んでいても期日に清算しなければならないためである。
 株は品物と思えば損は無い、と云われれば、なるほどと思えてくる。ちなみに「品物」であるはずの株券なのだが、今日はペーパーレス化されつつある。

 さて、儲けるには株に限る、は呑み込んだ。しかし堅実な「一流株」はサラリーマンには高く、「値の高い株が二倍も三倍もの値上がりする等は容易な事ではない」となっては、資金のある者勝ちではないか! と悲憤慷慨したところで乙山君の話は続く

 「…さあそこだ、そこに実に妙味ある株式投資法があるのだ、此事実はあまり世間ではよく知って居らぬ、僕等はその草分けの方だ、その面白い方法秘中の秘とも云う可き所を今君に伝授する…」
 話をして居る乙山君の顔は生き生きと目は輝き弁説は熱を帯びてきた、甲野君は聞いて居る内に思わずも耳を傾けいろいろの事がだんだんに分かってくる、例えば暗い細道から引出されて次第次第に広い春の野に誘い出されるような気持ちでうっとりと乙山君の話に聞き入った。

 ここで止めたら読者諸氏は怒るでせうね(丸谷才一風)

 秘中の秘の種あかし
 乙山君の説く所によれば、我々として最も妙味のある投資は値安株を物色して買うに限る。
 株と云えば何千何万の金を以てせねば実株を買う事が出来ぬ等思って居るのは全くの認識不足で、(略)値の安い株が一株十円から五円又は一円位、或はずっと安い所で一株五十銭位の株が盛に売買されて居る。(略)五十銭六十銭の株でも買おうと思えば何時でも買えるし、売ろうと思えば何時でも売れる実に便利なものだ。五十銭六十銭の株の会社だとてつぶれると云う事は殆どないから安心だ、或は金融関係事業関係で一時資金難に陥って居る等の理由から値安株になって居る株式会社が沢山ある、之等が一朝資本家が援助を始めたとか、債権者が協力して更正策確立したとか云う事になると忽ち五倍十倍の相場に吹飛ぶのだからたまらない、値安株投資はこういう所に実に堪らない面白さがある。
 それ程の大きな材料でなくても、ちょっとした材料でも五十銭の株が一円になり一円五十銭になるは何でもない事だ、又一円か二円の株が三円や五七円になる、之れも何でもない事だ。仮に一円の株を百株買って一百円−之れが三円になれば三百円−五円になれば五百円になる、実に莫大な利益率である。(略)百円か百五十円の株で動いたところせいぜい十円か十五円位のところ、之れを十株千五百円で買って、うまく高い所を売って十五円巾儲けて十株で百五十円得た所で投下資本に対して僅に一割の利益率にしかならない。
 それを、そんな高い株を買わずに値安株を買ったとする。仮に東邦産金株を七十五銭で二千株買ったとする丁度千五百円だ、それが最近、東邦産金株一円八十銭になって居るから、その一円八十銭で売ったとしても二千株で三千六百円になる。一株僅に一円〇五銭の利益であるが値安株投資であるが故に千五百円に対して実に二千一百円という莫大な純利益が得られる事になる、此理屈が分れば値安株投資と云うものの真の面白味が分って来る。

 これは宣伝文章である。読んでいて、「株っていいかも」と思ってしまっても、それは「兵器生活」主筆の預かり知らぬところである。あるいは以後引用者が「うっかりと」株式投資を勧めるかのような文章を書いてしまうかもしれないが、読者諸氏は眉にツバつけて読みすすめていただきたい。このネタ、けっこう効きます(笑)。

 宝島行の船は遂に出帆した
 だんだん聞いている内にすっかり話の分かってきた甲野君
 「なんだ株などと云うと大変むつかしいもののように思って居たが聞いて見れば何でもないのだね、品物を買うと思えばいいのだね」
 「そうなんだ、つまり世間の人は株というと大変こわいように思う、すぐ身上でも無くするように思う、それはつまり証拠金で売ったり買ったりする長期だとか短期だとかの相場を張る事であって、こんな事をやってるとそけこそ身上を飛ばすかもしれぬ、つまり実力以上の思惑をやるからだ
 しかし此実株投資はそんな危険なものではない。絶対確実なものなのだ」

 「絶対確実」と云う言葉を見て、「アッこれは宣伝文章だった」とシラフに戻らなければならない。昔の「豊田商事事件」のようなペーパー商法と違い、実際の株券を購入するとは云え、自分の会社以外は倒れるものだ、くらいの警戒心は持っておきたいもの。値上がりの陰には値下がりアリである。しかし、宣伝文はなかなか巧妙なのである。

 「之れが其の値安株の中でも有望な妙味のある株ばかりの相場が載っているのだ」と云って乙山君の差し出した印刷した紙を広げて見る。
 なるほど「有望値安株仲値表」と書いてある、五六十種類の株の名前が書連ねてあって、其下に現在の仲値が書いてある、仲値とは手数料を含まぬ値段であって買う時は之れが五銭か十銭高くなり売る時はその位安くなる、つまりそれが株式仲買店や才取人の手数料になるのだ、と聞かされて成る程と思う。
 それで其仲値の下には其会社の資本金や払込額、社長の名前それから今迄に於てどの位の高値があったか又どの位の安値迄あったか等が親切に書き込まれて居る
 「なるほど之れなら素人が見ても分るね、便利なものだ」
 一っぱしの株通になった甲野君
 「君々! 此の三東鉱業というのはずいぶん安いね、一株ただの五十銭だよ買って見ようか?」

 ふたたび云う、これは宣伝である。だから甲野君は成功する。その成果を書き写しても面白くない事は、云うまてもあるまい。しかし、このパンフレットは、当時の株式投資のやり方、考え方を知る格好の史料でもある。と云うわけで、甲野君を宝島に送り出しつつ、興味深い記述をご紹介していくことにする。こっちはこっちで「余り物には福がある」なのだ。

 安い株を物色していた甲野君は、リストの一番安いところを見て、仲値五十銭の新興産金に目をつける。
 乙山君、帳場の店員のところへ行って何か云ったが店員は早速電話をかけて市場の相場を調べて居る模様だ、やがて乙山君やって来て
 「君! 新興産金が割安で買えそうだよ、手取五十銭、つまり手数料を入れて五十銭で買えると云う。それは此店が薄利多売で勉強している証拠だ、確かに買って損はない、百株買おうか」
 「よろしく頼むよ」まもなく帳場の店員が「乙山さん新興産金五百株買いましたよ!」と知らせてくれた。おや!百株と云って居たのにと不思議な顔をすると乙山君
 「いや!よいと思ったから僕が四百株買ったのだよ(略)
 と店員が
 「乙山さん、品廻りは今日でよいですか」
 「ああいいよ」と乙山君が答えた
 「品廻りって何だい」
 「なに! 今日株券を市場から持って来るからすぐ代金を出して引取るかという意味だ」
 店員は又ガチャガチャ電話をかけて居たが
 「乙山さん新興産金はすぐ廻るそうです」と報告して又せっせと帳面に何やら書いて居る。
 まもなく当店の小僧らしいのが株券を袋に入れて持って来た、乙山君はさっき受け取った三百九十円の札束のうちから二百円スッと抜き取って店員に渡し乍ら
 「甲野君、今、金がなかったら立替えといてあげてもいいよ、五十円だけだ」
 甲野君はさっき出掛けに懐中にねぢ込んで来た十円札が四枚ある、その他細いのを会わせると五十円はある、
 「五十円位はあるらしい」そういって細いのも取りまぜて五十円を乙山君に渡した。つまり合計二百五十円で五百株買った訳である。株券を見ると十枚しかない
 「何だ之れは十枚だ、百株ではないか」
 「いや之れは五十株券だから一枚で五十株だ、十枚で五百株になる、株券は一株券も十株券も五十株券も百株券も色々種類があるが、最も多く取引されるのはやはり十株券と五十株券だ」
 乙山君「ところで君は始めてだから経験の為めだ。すぐ名義書換をしておこう」と云って店員から名義書換用紙と印鑑用紙を貰って捺印し、又甲野君の認印を他の一枚に押して株券と共に店の小僧に渡し
 「君すまないが、ちょっと名義書換して来てくれ給え」と云いながら一円を手渡した−小僧君は
 「かしこまりました、新興産金ですね」と云ってすぐ自転車に乗って飛んで行った。
 「あの一円は小僧の使賃か」
 「いやあれは名義書換料だ会社によって違う、十銭のも二十銭のもあるが普通、株券一枚につき名義書換料十銭要る、今の株券は十枚あるから一円になる」
 一時間もたたぬ内に、小僧君、株券名義書換をして持って来て呉れた、株券の裏をひっくり返して見ると自分の名前がちゃんと書いてあって、其下に新興産金株式会社社長の印と云う大きな印がペタリ押してある、甲野君始めて株主になって何となく豪くなった様な気がしてニヤリとした。

 かくして甲野君、幸運への第一歩を踏み出したのだが、こちらはこちらでネタを味あわねばならぬ。

 新聞を見れば株式欄があり、日経を読めば経済界の動きが掴め、雑誌にも投資コーナーがあるくらいは、誰もが知っている。投資家諸氏が、それらの中から有力な情報を得ていて、指針としていることも、ちょっと考えればわかる。ここでは株屋が発行している「有望値安株仲値表」と云うツールが使われている。弊社お奨めの銘柄、と云うわけだ。今の証券会社もこれくらいはやるだろう。「有望」の程度が発行元の実力で動くだろうところも、今に通じると思う。
 株式投資に縁のない身は、株取引には手数料が存在することを、まず認識しなければならない。また、株価は変動しているから、リストの値段で、すぐ取引が成立するものでもない、と云う事を、乙山君が店員に声をかけてから、取引が成立するまで「まもなく」と云う時間が経過している中で知るべきである。
 株式の売買と、名義の書き換えが分かれているところにも目を向けよう。名義を書き換えて、始めて「株主」としての権利(大は会社を支配するとこから、小は株主優待制度で商品・サービスを有利に得るところまで。もちろん「配当」も忘れてはならない)が得られるのである。戦前の話であるから、「小僧」(雑用をする下っぱの店員、くらいに思えば良い)さんが自転車飛ばして株券を持ってきてくれているが、21世紀の今日では、目にする光景では無い。
 売買の手数料、名義変更の手数料、様々な手数料収入が、株屋の食い扶持になっていることが見てとれる。

 さて、「はじめての株購入」が無事に終わったので、別なところから読者をその気にさせようと、本文は新しい登場人物を出してくる。

 幸運の船に乗て先行する
 此時そばに居た御客さんの一人、白い髭の老人がそばへやって来た「新興産金を御買いになったのですね、いいものを御買いになりました、之はきっと上りますよ」

 と、さりげなく「新興産金」株を奨めて(この冊子で言及される会社の中には、ゴシック体で表記されているものがある。言外に推しているのだ)、老人の話に入る

 私はもと株なぞ知らなかったのだが、三年程前若い者も居なくなったので仕事するのも面倒と土地だの小さな工場など売り払ったら三千五六百円になった。
 之で貸家でも建てて小遣稼ぎでもしようかと思って居たらふと或人にすすめられて「貸家を建てるなんて利殖法として下の下ですよ、とにかくだまされたと思って此の値安株を買って御覧なさい」といって勧められたのが、その頃一株三円だった東邦石油興業と云う株だった。
 どうせ遊んで居る金だし、今から貸家を建てるも面倒だ、又下手な悪借家人にでもはいられたら面倒の上に損の上塗りだままよ騙されたと思って買ってしまえ、まさかたたになりはすまい。勧めた人が信用出来る人だけに思い切って三千円で千株買ってしまった。
 全く百円も二百円もする株なら暴落して大損する事もあるかもしれぬ、しかし二円や三円又一円や五十銭の株では暴落しようにもする余地がない、三円の株ならどんなに悪い材料が出たとて三円以上暴落しっこ無い之は真理だ、況して会社があって曲りなりにも仕事をして居る以上、絶対にただになりっこはない、此点は安心です。(略)
 ところがどうです、一年もたたぬ中に此株が上りも上ったり十六円という相場になった。私は此店から通知を受けてびっくりしましたよ、とにかくそれでは売って下さい、と千株をほうり出して一万六千円の現金を受け取った時は全く夢かと思いましたよ。

 勤労者の次は、小金を持っている老人がターゲットになるのが世の常である。「私はもと株なぞ知らなかった」と、実は読者と同じようなものです、と前置きして3千6百円が、わずか1年で1万6千円に化けた事例を語るのである。
 利殖の法として「貸家」が出てきているところに注目したい。戦前は持ち家指向が低かった、とは良く云われることであるが、それだけ貸家、貸間が多かったわけである。「ライカ一台家一軒」と称される「家」とは、老人が建てようかと考えてみるような、今で云う安手のアパートなみたいなものであると云われる。
 しかし、貸家の相手は人間で、善人が来るのか悪人が居着くのか、始めてみないとわからず、わかった時には手遅れだ。そこで「値安株」と云う図式が導かれるのだ。

 「二円や三円」の株は確かに百円が五十円になるような暴落はすまい。しかし、三円が二円一円に下げる可能性はある。三円の株・千株三千円が、一株一円・千円に落ち二千円の損になる事は押さえておかないと、ちよっと怖い。
 しかし、これは宣伝文書であるから、老人の話はさらに続く。

 中でも七円で買った大日本石油鉱業の株が二十円になったのなどは大儲けした方の口です。之れは五百株だけ売払って六千五百円の利益と三千五百円の元金丈け懐に入れ、あとの五百株は未だに持って居ます。何しろ五十円全額払込済の株で三分の配当がきちんきちんと来るのですからね、七円で買った株だから利回り二割の計算になる、こんなうまい事は他にはありませんよ。もっとも中には買ったままで値の上らぬ株もある併しそんなのは構いませんよ持って居れば何時でも売れるし心配ありません。(略)だが間違っても相場はしてはいけませんよ、新東が上ったの下ったのとやってると飛んでもない事になる、私の近所にも家倉を失った人がある。相場に手を出してはいけない、株は実株投資に限る。之れは私が親戚の若い者たちを常にいましめてる言葉です…といって老人は口を結んだ、心なしか老人の顔には豊かななごやかさが浮かんで居る。余裕のある人の証拠だろう。

 「三円が十六円」になった東邦石油と、「七円が二十円」の大日本石油、どっちが大儲けと云えるのか微妙なところである。いずれにせよ元手は三千円と一万円であるから、おいそれと出せる金額ではない(繰り返しますが、昭和14年の話です。平成19年の今ならトブに捨てたつもりで出すわい!)。

 さて、この冊子には「現在一流株とその値安時代との比較」と云う表がついている。面白そうなところを見ると、「東京瓦斯電工」なんて名がある。国産トラック「ちよだ」号や、九四式軽装甲車などで、日本戦車ファンには知られた会社である(久々に兵器の名前が出たね)。これの安値時代は昭和4年で一株わずか一円二十銭、これが昭和12年では295円に大化け、軍需銘柄なればこそ。磐城炭鉱は昭和6年4円60銭が82円と値を上げたものの、今ではスパリゾートハワイアンズ(古い人には常磐ハワイアンセンターの方がピンと来るか。映画にもなりましたなあ)運営会社−常磐興産−の前身と云わないと誰もわからない。

 閑話休題
 株屋を出た甲野君乙山君は「軽便な肉屋の二階」で牛鍋をつついている。乙山君いわく

 「甲野君! 悪い事は云わない、君だって此頃は稼ぎ高が多いのだろ。今は我々としては割合に金が豊かな時なのだ、人間何時迄働けるものではない。景気がいいなんて人に云われる時が絶頂なのだ、働けなくなる時が来る。我々みたいに身体が資本の人間はよく考えなければいけない、老後の事は何よりも大切だ。」
 乙山君に云われる迄もない、甲野君今迄もいろいろ考えて居たのだ、併し我々の頭で出来る事は低率な預金か当てにならぬ籤狙いの債券か貸家でも建てるより仕方がない、友達の真似をして貸家でも建てようと胸算用して居たところだ。

 先の見えた会社員として、身につまされる文章である。まして当時は終身雇用も公的年金も未発達の時代だ。こうして甲野君は「値安実株党」になろうと決心したのである。
 この冊子の良く出来ているところは、素人である甲野君が株屋に行き株を買ったあと、値上がりした株の売り方まで書かれているところである。書き写す方がたまったものでは無いのだが、戦前の株式投資のやり方(小説じたての宣伝文だが)が、ウェヴ上で読める機会などこれきりになると思えば、続けないわけにはいかぬ。

 見事な収穫に前途を祝す
 四五日して夜業をすまして家に帰ってみると○○商店(主筆註:乙山君に連れられて行った株屋である)からはがきが来て居る。
 新興産金が一円五十銭になっているからお売りになっては如何ですかと云う問い合わせのはがきだ、夜遅かったけれども早速乙山君の所へ飛んで行って相談した
 「それはよかったね新興産金は狙った通り上がって来たね。君も始めての経験だ、あまり欲ばらずに此辺で一度利を入れておいた方がいいだろう、買った値の三倍だから悪くないだろう僕も御つきあいするよ」
 そう云い乍がら夜遅くであったけれど近所の郵便局へ二人で出掛けて行って電報を打った。
 「明日打てばいいのだけど我々は忙しいからそんな暇がないからね」そう云い乍ら乙山君は頼信紙に
 「シンコウ五〇〇マイ一五〇セウルオトヤマ」として郵便局員に差して又二人連れ立って帰った、うまく売れるかしら、又あんな簡単な事で大丈夫取引出来るのかしらと甚だ心許ないように思ったが先生の乙山君のやる事だ、とにかくそのまま帰って寝てしまった。

 電報を郵便局で打っている!と「深夜特急」の愛読者は驚いてしまうところだ。「夜遅く」に電報が打てることも知らなかった。ともかく、各人が一つ電話を携帯するような時代では無いので、はがきと電報が勤め人の通信手段だったことがわかる文章である。「シンコウ 五〇〇マイ 一五〇セ(ン) ウル オトヤマ」と云う内容だ。

 翌日夕刻、此日は夜業がなかった、家に帰ると乙山君が来た、電報を持ってる「シンコウ五〇〇マイ一五〇セカヒキメタシナオクレ」
 「此のカヒキメタとは何の事だい」
 「それは即ち店が僕から新興産金五百株を買取る事を極めたと云う意味だ、つまり僕が売り度いと注文した株が売れたと云う事だよ。それを株屋では形式上株屋が僕から買って第三者に又売ると云う順序になるからこう云う時は店の方から僕に対してカヒキメタと電報を打つ習慣になって居る。
 僕のウリ、店のカヒそこで商内が出来る、そこの所を間違はないようにしないと売と買で大変な違いになる」
 「それは分かった、所でシナオクレとは?」
 「株券を送れと云う事さ、早速送ろう書留は夜十時迄大丈夫だ早い方がよい」
 すぐ委任状に捺印して十枚つけて新興産金株乙山君の四百株と甲野君の百株あわせて五百株を書留郵便で○○商店宛に送った。

 「書留は夜十時まで大丈夫」、世の中便利になったのか、不便になってしまったのか。新宿郵便局の郵便窓口業務は、夜9時までである(2007年12月20日調べ)。余談さておき、株券を郵送するのに不安を覚えた甲野君、

 「君! 此前から聞こう聞こうと思って居たのだが株の取引なんかあんな簡単な事で大丈夫なのかい、それで間違は起らないのかい、僕は株の取引なぞは一々株屋の店へ株券を抱いて持って行って飽迄慎重に行うものかと思って居たが」
 「今時そんな古い頭を持って居る者は一人もないよ、殊に実株党の我々は株屋の店なんか、そうちょくちょく行かなくったっていい、寧ろ行かない方が冷静でいい位だ、はがき一本、いそぐ時は電報一本で立派に売買が出来て何らの間違はない、株屋というものは信用一本で、もつもの、昔から仁義はかたい、一端売ります買いますと口から出した事は何ら証拠がなくとも絶対に責任を持つ、況して、はがきや電報で来たもの間違いなぞありっこない。それでこそ電話の一言、手紙一本での商売が出来る。之れで信用出来ぬようなら株屋の信用なんかゼロだ、此点は絶対に心配はいらない、株屋の信義と云うものは我々の予想する以上に固いものだ」
 「それに君は株券を今夜送ったろう、そんな事して大丈夫かしら?」「絶対大丈夫だ殊に相手は○○商店だ、此店だけは特に僕が保証する、僕などは絶対信用だ、他のどの店がどうあろうとあの店丈けは間違ない事を確信する。もっともそれだから生命から二番目の現金又は現金同様の株券をこうして送る事も出来るのだ、それを心配しいしいやるような店なら取引しない方がいい」
 乙山君の権幕あまりに真剣なので甲野君は驚いた。

 「振り込め詐欺」(おれおれ詐欺と云う呼び名の方が好きだ)、「ネット販売詐欺」と、顔の見えない取引には不安がつきものだ。そこを説得しないとお客様は取れない。株屋の信義の堅さについて書かれているが、少し前に某証券会社が「61万円1株売り」のつもりで「1円61万株売り」の売り注文を出して大騒ぎになった事件を思い出す。「何ら証拠がなくとも絶対に責任を持」ったのかどうかは知らない。
 さて、ここで「○○商店」の名がえらく持ち上げられているのに気が付かれた方も多いのではないだろうか。

 乙山君曰く「○○商店のいい所はいつも研究調査に熱心であって、或事業会社が目下一般には認められて居ないが其業が有望だ、と云う事が分かれば直ぐに調査員を派遣して費用を惜しまず調査をする。而して愈々よいと極まれば○○商店の精鋭たる各機関を総動員して其会社を調査しつつ其会社の枢軸に接近して実に敏活にして而も公明正大な方法を以て之をキャッチする、かくて○○商店の真骨頂が発揮されるのだ、先日○○商店の店主に会ってよく其のモットーと云うものを聞いて見たが一々うなづかれる事だ。

 一、真に有望、社会に益する事業であり乍ら世間に認められず、為めに経営者一人、塗炭の苦しみを嘗め、而も報いられず未だに浮かび上がれぬ有望事業会社が多くあるのは甚だ遺憾に堪えない、之等を発見し之等を援助助長し以て国家有為の事業会社たらしむるは、一に社会国家に寄与する所大 単に一事業会社を救済すると云うような小さな意味でない以て天下国家を益する大事業と確信して当○○商店は邁進する。

 二、其事業会社の凡ての営業状態を調査して、どの位の金額を以て浮び上るかを計算して其評価を定め、以て其会社首脳部と特約し其株券の全部又は大部分に関し特定的契約を行い而して資金供給を特約する。

 三、其特契株式を江湖に売出す、之れにより会社は立派に更生して一流の域に肉迫し、国家社会の為めに重要なる役割を演ずる迄進展せしめられる。此株を非常な割安値で買った○○商店顧客各位は会社進展による当然の結果の株値上りにより莫大な利益を得られる。

 四、○○商店は此の援助仲介により二重口銭収入となり充分営業費が作り得られる事。

 此の事は実に理想的ではないか。一挙両得と云うが之れは一挙三得の好事業である。此点実に僕は○○商店のやり方には感心して居るのだ。単に利益だけの問題ではない、私利私欲を一歩退いて国家的に第一着眼点をおき、以て一挙三得に出発して居る。之れは何よりもよい事だ又うなづかれる事だ、故に僕は此の方針に満腔の熱意を以て賛成を表明する。○○商店の調査は実に迅速正確だよ。

 ○○商店礼賛の発言が続く。この冊子を読んで株式投資に目覚めた「お客様」をよその店に取られるくらい馬鹿馬鹿しい事はない。ここでのポイントは、私利私欲の為でなく、天下国家のための事業をやっている、と宣言しているところである。
 恵まれない経営者に資金を提供して株式を引き取り、それを「値安株」として売り出す。資金を得た経営者は事業を成功に導き、「値安株」を買った投資家=株主は、配当を得るなり、株を高値で売りさばくなりして「当然」の利益を得て、○○商店は事業者、投資家からの手数料で充分潤うと云う、直接金融の教科書のような図式である。それが天下国家の為なのだから、どこにも後ろめたいモノがない。素晴らしい。
 これを読んで、ようやく「実株」と云うものが、「上場」されていない株、いわゆる「店頭公開株」にあたるものだと云うのがわかってくる。
  甲野君、乙山君の成功話を読み終わり、ページをめくった読者は

 確実、迅速、薄利
 御客様第一主義

 株式会社 津田商店 営業案内

 の文字を見るのである。実に良くできた宣伝冊子である。しかし、我々は甲野君、乙山君のその後に急ぐ。

 ほんのちょっとした事だ、ちょっとしたきっかけで幸福は何時も訪れる、何でもなく街で拾った幸運はこうして二人に恵まれて既に半ば開いて居る、満開迄長い事ない。

 と云う文章があって、甲野君乙山君は仕事も忙しく、ゆっくり株の話をする事も出来なかったのだが、甲野君が久しぶりに乙山君を訪ね御馳走すると云う、ついて行った乙山君が見たものは、

 勿論大きくはないが真新しい二階づくり、小さい乍ら門迄ある
 「オヤッ洒落た家にはいっているんだな」と云い乍ら乙山君は遠慮なしに飛び込んだとたん
 中から障子がするすると開いて綺麗な若い女が
 「御帰りなさいまし」
 甲野君ニヤリとして乙山君を振りかえる
 「アリャリャ!!」乙山君眼をパチクリ

 家を建て、女房をもらい、子供も授かって、夫婦で有望株を探す、幸せな?家庭を得た甲野君の姿であった。ここに「街で拾った幸運」はめでたく完結である。
 この冊子には昭和14年8月発行の奥付がある。支那事変勃発からは丸二年、ノモンハン事件があり、ニッポン号世界一周があり、第二次世界大戦が始まった年ではあるが、その後アメリカと戦争をするとは思ってもいなかったのだろう。冊子にはこのような文がある。

 世は軍需景気謳歌で軍需株を始めとして資源株何れも続騰又続騰の華々しさ、加えるに皇軍の威力により大陸は完全に平静に帰し、小うるさい列国も醜い口出しもし得ず唯々恐ろしさ故の軍備拡張に専念して居る。
 出征兵士の凱旋、新政府との条約締結戦時公債の償還の頃よりぼつぼつ戦後の大景気の序幕が開始された、単に軍需株のみでなく一般の諸株投機株共に軒並みに連騰だ。

 実際のところは、企業の統廃合で、甲野君、乙山君の会社はなくなり、彼らも召集されるか徴用され、せっかくの新居も建物疎開で解体されるか空襲で丸焼けとなり、頼みの株券も反古同然になってしまったかもしれない。あるいは、うまく立ち回り、平和産業株を買いあさり、幸い焼け残った家屋は、道路拡張かビル建設で立ち退くにしても、補償金でひと山当てることが出来たかもしれない。

 幸運が街に落ちていたとしても、それが幸運であることを見極める眼を、読者諸氏ともども持っていたいものである。そして読者諸氏の幸福を願いつつ、本稿はおしまいとする。

 (おまけのおまけ)
 株式の事なぞ何もわからないものだから、古本屋でいくつか本を買って見たのであるが、当然ながら戦前の株式市場の事なんぞ書かれていない。と云うわけで、本稿は主筆の誤解の上で成り立っている可能性がある事をお断りしておく。

 株の基礎知識を得るために参考にした本
 「ベーシック 株式入門(第四版)」(日本経済新聞社)
 「図解雑学 株のしくみ」{寺尾 淳、ナツメ社)
 「初心者でも今日から始められる『株』の本」{山本 有花、知的生きかた文庫)