大東亜決戦絵本「戦闘機」

大盤振る舞い全ページ復刻


 <不自由な大戦下の暮らし>的教育の成果で、とかく時局下文化に関して、戦後世代に与えられた情報は少ない。しかし、情報が少ないと云う事は、すなわち全方位総てネタと云うわけで、古本屋通いを続けていれば、それなりに面白い本に出会すものである。

 今回紹介する「戦闘機」のような時局絵本は、児童文化史、と云う分類では語られたくない事の、まあ三番手くらいには位置するものと推測されるべきシロモノである。幸いにして近年、戦中マンガに関する書籍なども公刊されるようになり、この手の書籍が紹介される機会は、今後は増えてくることと思われる。

 しかし、研究書籍で紹介される可能性があるとは云え、なかなか現物を手にする事は困難であるのも事実である。なにしろ一冊入手する蔭には、確実にいくばくかのお金が動いているのである。


 毎度の能書きはこのくらいにして、早速現物の紹介に入ろう。今回は画像サイズもいつもより大きめにしてある。

 これが<絵本>「戦闘機」の表紙である。B5版。文:中 正夫、画:竹岡 稜一で、ごらんの通り<絵本>らしからぬリアルタッチの画である。「陸軍航空本部検閲済、中部軍司令部検閲済」と云う厳めしい文字がある。
 下の「8−10」は対象年齢で、8歳から10歳向けと云う意味である。8の右脇に「サイ」と書いてあるのがお分かりいただけるだろうか。

 モノが絵本だけに、以下総て見開きである。原文は一部漢字にカタカナでルビ付き、当然歴史的仮名遣いであるが、現代仮名遣いに直してある。ルビ無しの漢字については、8歳〜10歳の児童が読む事を期待されていた文字であると云えよう。国語審議会はきっとびっくりするぞ!

 戦闘機

 これは世界で一番強い日本陸軍の戦闘機です。戦闘機は、速力がはやく、みがるに空をとびまわり、機関銃や、機関砲で、敵機をうち落とすのが役目です。
 今、こうしている間も第一線では、はげしい空の戦いが行われているのです。
 日本の戦闘機はどんなにして戦っているか、これから戦闘機隊のお話を、少年飛行兵のお兄さんに語っていただくことにいたしましょう。


 世界で一番強い日本陸軍!と云うわけであるから、この図の戦闘機はすなわち<世界最強の戦闘機>なのである。主翼の形状がちと変であるが、二式単戦<鍾馗>と見て差し支えないであろう。

 少年飛行学校や航空隊の訓練を、しっかり受けた私たち少年飛行兵は、願いかなって、とうとう南の第一線部隊にやって来ました。
 いま、飛行場では整備の兵隊さんたちが戦闘機(隼)や(鍾馗)の手入れに一生懸命です。
 私たちののる飛行機に故障があってはすまぬと、昨夜からひと眠りもせずに作業をつづけてくれるのです。
 心よい発動機の爆音が夜明けの空にひびき出しました。
 整備が終わって、いつでも飛び出せるようになったのでしょう。整備兵のうれしそうな顔が見えます。
 私は「ありがとう、御苦労さん」と心の中でお礼を言いました。

 いつ出動するかわからない私たちは、どんなに暑い日中でも飛行服に身をかため、命令を待っています。
 いよいよ今日は僕の初陣です。「翼が折れ、胴が破れるほどに勇敢に戦ってやるぞ。」と私は、心にそうちかいました。
 その時です。通信兵が大きな声で敵機の来るのを知らせました。
 敵の爆撃機と戦闘機の編隊が私たちの基地を攻撃に来たのです。
 私たちの戦闘機隊は、すぐさま出動して、これを途中でとらえ、一機のこらずうち落さねばなりません。
 「よし」とみながこぶしをにぎりしめて一せいに立ち上がりました。

 飛行場にずらりと翼をならべた私たちの戦闘機は、一せいに爆音をとどろかせて、いよいよ出発です。
 一番機がすべり出しました。つづいて二番機、三番機…
 「ばんざい ばんざい」整備の兵隊さんの万歳に送られて、わが戦闘機隊もみごとに、敵機を求めて出撃です。

 前方はるかかなた、雲の間にポツポツと小さな黒点が見えるではありませんか。私は思わず身体を前につき出して見すえました。
 敵機です。ボーイングB十七とこれをまもる戦闘機の一隊です。
 前方の隊長機は翼を左右にふって戦闘開始の合図をしました。
 発動機全開、全速力を出して敵機の頭上へ、……
 私はもう機関銃をうち出しました。
 「何を生意気な。」私は武者ぶるいする手で操縦桿をしっかりにぎりしめました。


 機首機銃の膨らみは隼であるが、翼に機銃があるのは何故だ!などと云う素朴なツッコミは無用である。「私はもう機関銃を」とあるが、文章の流れをみる限りでは「敵はもう機関銃を」と読むべきであろう。

 私は機首を敵ボーイングに向けておそいかかりました。
 二百メートル、百メートル、七十メートル、「よし」私は力一ぱい機関銃の引金をひきました。ダダダダ……
 わが機の銃口から火をはいたかと思うと、敵機の発動機のあたりからパッ、パッ、と白い煙がふき出しました。
 私は敵機の上をすれすれにとびこえて後をふりかえると、私の一撃で大きなボーイングが発動機から真赤な火をふいて落ちて行くではありませんか。
 「ばんざい」私は喉もされるばかりに叫びました。
 「偉いぞ」お父さんの声が耳にきこえたようです。
 涙が出てきました。こんなにうれしいことはありません。

 空の戦いはまたたくまに終るのです。敵機の大部分をうち落し、全機無事、基地へ帰って来ました。
 部隊長殿は、よい事をしてほめて下さる時のお父さんのような顔で、私たち一人々々の報告をきいておられます。
 「撃墜確実ボーイングB一七、二機、P−四〇 一機、不確実P−四〇、二機、その他異状なし、終り。」
 私は元気一ぱいに報告をいたしました。
 「やあ、よくやった、初陣の大手柄だ」と部隊長のお言葉です。
 私は、もういつ死んでもいいような気がいたしました。

 部隊長殿や隊長殿が集まって何か相談をしておられます。
 きっと大切な作戦にちがいありません。
 命令が下りました。
 私たち戦闘機隊は、飛行機を手入れするまもなく、敵の飛行基地を攻撃する爆撃隊をまもって、又も出動です。
 敵は落されても、落されても、次から次へ、新しい飛行機で手向かってくるのです。
 どうしても早く敵機の基地をたたきつけてしまわなければなりません。

 爆撃機(呑龍)の一隊は日の丸の翼をかがやかせながら敵基地目指して、まっしぐらに進んでいます。
 私たちの戦闘機隊は、これを上方よりまもりながら進むのです。
 海を飛びこえるとやがて敵の上空です。

 敵基地が見え出した時です。
 敵戦闘機が、わが爆撃機をめがけてまい上って来ました。
 私たち戦闘機隊の一隊は敵機をよせつけないように、わが爆撃隊の周囲をがっちりとりかこみました。
 すでに他の一隊は、はげしい空中戦で二、三機をたちまちやっつけたようです。
 初陣に自信をもった私は、戦いたくて腕がむずむずしますが、爆撃機をまもる任務がありますからがまんしなければなりませんでした。

 敵の飛行場にせまりました。
 一機、二機、三機、なんと数十の大型機がずらりとならんでいるではありませんか。
 私は思わず「しめた」と叫びました。
 この時、地上の敵は高射砲を一せいにうち出し、まっ黒い煙のかたまりが爆撃機の右に左に炸裂します。
 勇敢なわが爆撃機隊は、これをものともせず、がっちり隊形をくんだまま目標にせまって行きます。
 さっ……と爆弾が落されました。見事な命中です。多くの敵機や、ガソリンタンクが一時にもえ上りました。
 私は戦闘機の上からこれをながめながら万歳を叫ばずにはおられませんでした。
 北に南に、こんな航空決戦が毎日々々くりかえされているのです。

 戦いは、決して南や北や支那大陸ばかりではありません。
 敵機はいつ何時、皆さんの住んでいる日本本土をおそうかもしれないのです。
 いざ、敵機という時には、内地の防空戦闘機隊はいち早く、弾丸のように空に飛び上り、敵機をうち落してしまわなければなりません。
 夜となく、ひるとなく、皇土をまもる防空部隊の任務もまことに重いのです。

 攻めるも、まもるも飛行機の時代です。飛行機がなくては戦いは出来ないのです。
 大東亜戦争、空の決戦はいよいよはげしいのです。

 陸でも、海でも、又大空でも決して敵に負ける日本ではありません。
 戦爆連合の大編隊が、太平洋を一飛びに敵アメリカ本土をせめる日も、そう遠くはありません。
 そうだ、皆さんの操縦する日の丸の翼で、ニューヨークに、ワシントンに、爆弾の雨を降らすのです。
 日本男児は大空へ、一人残らず大空へ、
 みんな大空で戦おう。


 「兵器生活」の読者には、「みんな大空に行ってしまったら誰が本土を護るねん」と云う不忠者はいないはずである。
 見給え、米本土爆撃機はちゃあんと4発機なのだ! 

 御両親へ

 大東亜戦争は航空兵力の如何によって決せられると言っても決して過言ではありますまい。
 現に、南に北に戦われつつある航空決戦の苛烈なる様相をみるにつけ。一にも飛行機、二にも飛行機の威を一層深くせざるを得ません。
 これを惟うにつけ、わが日本の将来を背負って立つ少国民諸君が、この航空戦の実相を深く心に銘じ、益々航空に関する関心を昂め、知識を養い、認識を深め、一人残らず大空の勇士となって皇国の護りについて頂かねばなりません。
 ここに空戦の花形ともいうべき戦闘機の任務、そしてわが戦闘機隊を中心に展開される航空戦の一駒を一冊に纏め、児童の理解の範囲に於て、現に戦われつつある航空決戦の諸様相を展示いたしました。
 今や、国家は、小国民の空への厥起を期待すること誠に大であります。
 願わくば少国民諸君の勉励怠りなく、やがて大空に活躍される日を待望して止みません。

 児訓社企画編輯室


 絵本「戦闘機」の刊行にあたり特に御指導下さいました明野陸軍飛行学校の江藤少佐殿。宮丸中尉殿に謹んで御礼申上げます。



 昭和19年6月30日初版印刷
 昭和19年7月31日初版発行 100,000部

 で、定価は60銭。発行から57年後、印度総督府での取得価格は、フルシチョフが禿頭である以上の高度な機密事項に属する。