6頓戦車いんあくしょん2


 全国50人未満の6トン戦車ファンの皆様、ご機嫌は如何でしょうか。しょうこりもなく「6トンアワー」のお時間で御座います。
 今回も前回同様、上海戦線にて撮影されました6トン戦車の御紹介です。ソースは「昭和十二年支那事変上海戦線写真帖」(多治見 寛 尚美堂出張所)で御座います。発行場所は上海はウースン路457号と云うことで、現地編纂の写真集であります。

 と仰々しく始めたものの、ネタ写真は2枚だけと云う寂しさなのであります。では写真をどうぞ…

 ハイ、「当時捕えたるタンク四個の中一個を虹口市場前に運び来たり在留邦人に示す」と云うキャプションの付いた写真です。右上は、別な写真の切れ端ですので気にしないで下さいね。

 虹口市場は、後ろに見えるバルコニーの付いた建物の事でありまして、「虹口マーケット」などとも称します。近年まで健在でありましたが、例の改革開放における再開発のあおりで、取り壊されてしまったようです。

 最初は「カメラの戦士…」に掲載されていた戦車と同一のものかと思っていたのですが、<機関銃部分の破損が無い>、<左フェンダーが一色で塗られている>、<砲塔覘視孔の破損の仕方が違う>ことから、別車輌と判断されます。ワイヤーロープの積まれ方も異なっておりますが、移動の関係を考慮しますと、この差異は見ない方がよろしいのでしょう。
 無線搭載型かどうかは、ちょうど人の影になってしまっておりますので、不明であります。

 今の写真をアップにしてみました。これくらい今回はネタ度が低いわけですね…。やはりこの戦車にも「戦利品」と書かれた紙あるいは布が掛けられております。

 こちらは手酷く破壊されたものです。「日本高等女学校裏其美路の激戦地」と云う解説が付いております。
 この「激戦地」のおおよその位置と云うのが

 地図中央やや下のあたりになります(横向きに「日本女学校」とある)。地図に書かれている<軍艦旗>が海軍特別陸戦隊本部ですから、かなりきわどい所で戦闘していた事になります。以前紹介した<楊柳浦鄭脱路>は陸戦隊本部から南東方向にあります。

 ちなみによく上海の映像として登場する<外灘(バンド)>は、南方4キロほどの所にあります。

 当時の日本郵船埠頭。後方に霞んで見えるビル群が<外灘>であります。