おきゅぱいと じゃぱん

占領下の戦記雑誌で80000おまけ


 1945年8月、大日本帝国が連合国に負けたと云うことは、わざわざ書くまでのものではない。終戦直後と云えば、ヤミ市・浮浪児・パンパン・ヒロポン、と云う偏ったイメージしか浮かばないのが戦後生まれの悲しさで、そもそも<終戦直後>自体が昭和何年までを現しているのかさえ、実は知らなかったりする(笑)。昭和26年に講和条約調印、翌27年発効と云うわけで、昭和24年は連合国の占領下にあったことだけは確かである。


 戦後ネタは正直なところ手をつけるつもりは無いのだが、たまたま安価に当時の雑誌が手に入ってしまったので、今回のネタとして使うだけのことであったりする。

 いきつけの古書店でコーヒー一杯相当の値段で売られていたのがコレ。昭和24年11月発行。「小説ファン」とあるが(この号に限って云えば)、普通の小説は無い。元々小説雑誌でスタートしたものの、原稿が集まらずに<特集雑誌>に転換した、と云うのが実状なのだろう。
 <玉砕の記録>とは、いかにも戦後国民の興味をひきそうな特集である。編集後記には、前月の<敗戦記録文学>特集が好評だったので、玉砕特集にした、と書いてある。

 表紙の絵師が誰かは記載されていない。
 構成は、表紙、豪華口絵、ソロモン沖海戦(元海軍報道班員:大森 照三)、ニューギニア玉砕記(元陸軍中佐:飛田 忠廣)、硫黄島玉砕記(元陸軍参謀:堀江 芳孝)、サイパン玉砕記(元陸軍報道班員:青木 隆)、ガダルカナル玉砕記(元陸軍大佐:下伊那 六男)、沖縄島玉砕記(元沖縄地区兵站本部員:三宅 定雄)、ラバウル玉砕記(元陸軍報道班員:山崎 英祐)、グラビア 玉砕戦線写真記録(サンアクメー提供)と云うものである。

 <ラバウル玉砕記>とは妙なタイトルであるが(註:ラバウルは米軍の侵攻ルートからはずれたため、いわゆる玉砕に至っていない)、中身を読むと兵士の自殺と、取り残された慰安婦と、飛び立ったまま戻らなかった零戦の話からなる、前線小説でなのであった(笑)。よくよく表紙を見れば「全編記録文学特集」とあるではないか!

 とまあ、有名古書店で安価に売られているものは、そう云うモノだ、と云ってしまえばそれまでなのだが、<サイパン玉砕記>が
 
 直ぐ隣りの鉄柵の中から朝鮮人達の叫びが聞こえて来た。(完)
 
 と余韻を残す終わり方をしたすぐ隣りに、

 金言抄
 ・気軽く仕事をすれば仕事は軽くなる
 ・10年間の辛抱の出来る人が大豪傑だ
  (勝海舟


 と云うネタで、ページの余白を埋めるのは反則スレスレだと思う。が、こう云う余白の使い方は好きだ(笑)。
 その他にも

 勤勉家は不平を語り、怠慢者は不平を語る

 と云う、意味が通らない金言も掲載されており、古雑誌の奥深さを感じさせている。

 記録文学自体をとやかく批評するつもりは毛頭ない。私が紹介したかったのは、編集後記にある以下の文章である。

 本文中に「敵」「敵艦隊」「敵機」等、敵と云う文字が見られますが、これは当時に於ける立場にしたがって、この文字の使用を避けることが出来なかったものであり、今日に於て何ら敵対感情や敵意を呑んでいないことを、諸賢は諒解されて頂きたいと思います。
 これらの文字を書き改めるとすれば、一つ一つ「アメリカ艦隊」「イギリス海軍機動部隊」等の表現に依らなければならず、その煩を避けるために書かれたものであって、本文中に叙述された事実を諸氏は充分客観的に読みとられることと信じます。


 「敵対感情の持ち主だ!」と占領軍に思われることが、いかに怖ろしいことであったかが、今ではギャグにしかならない、この一文から読み取ることが出来る。

 これで終わってしまうと<おまけ恒例(恒例にしたつもりは無いのだが)のギャグは無いのか?>と読者諸氏からお叱りをうけそうなので、戦後を象徴するネタとして、この本に掲載された広告をお目にかける。

 電気アイロン、口紅、ミシンにマニキュア(美爪液とは凄いネーミングだ)!こう云う広告を見ると「戦争は終わったんだな」とつくづく思うのである(小野田サンはその後20年くらい戦争を続けるのだが)。

 三菱鉛筆の広告にいわく

 戦前のような物にしたいと努力している一つの例として、皆様にお贈りします。スケッチや製図に

「戦前のような物」と書かれている事に注目である。舶来品への道はまだ遠いらしい…。

 裏表紙のそのまたウラと云うと、

 これです!戦後と云えば、なんといっても公然エロ(笑)。丸木砂土氏(戦前から活躍している、そのスジでは有名な人)が復活しているところが興味深いところ。
 「兵器生活」の品位と格調のために、あえて翻刻はしないので、画像から各自が読みとれる範囲で、内容のほどを想像してみて下さい。

戦後と云えば笠置シズ子だよな