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「われ等の空軍」(昭和12(1937)年発行)に掲載された極東航空路図。この時期の空襲警戒の対象は、あくまでもソ連機と中国機による、日本本土爆撃である。
左上のTB−3爆撃機風の絵と、右下の聴音機が時代を出している。

こちらは「飛行日本」昭和18(1943)年3月号に掲載された、<わが本土空襲を呼号する 敵米国機の性能比較>と云う図表である。B−17、B−24と云うおなじみの飛行機とともに、4発飛行艇による襲撃の脅威が謳われている。
哨戒飛行艇が爆撃?といぶかしがる方も多いと思われるが、「のらくろ」では複葉単発機一機で、ゴリラ国を焦土と化しているような事が、堂々とまかり通っていた時代であるのだ。日本本土に届く飛行機がある=本土爆撃の可能性高し、なのである。
史実において主な空襲経路となった、サイパン島のある南洋諸島からの攻撃がまったく考慮されていない事に注目したい。日本領が占領される事はありえない、と云う前提があることは云うまでもないのだが、一般国民はともかく、当局者がそれを考えに入れていなかったとすれば、犯罪的過失であると云われても仕方がない。