「毒獣」

江戸川乱歩の小説ではありません


 ※本文に掲載した文章の中には、「兵器生活」主筆の意にそぐわない、悪意と偏見に基づいた記述が複数存在しておりますが、該当の文章が発表された時代的背景と、それがもたらした文章表現の実例を紹介するため、そのままの表記を残してあります。あらかじめご了承下さい。
 「獣」という文字がついた言葉を見ると、いつも得体の知れぬ、禍々しいモノをイメージしてしまう。「怪獣」はゴジラやガメラのような人類の英知を結集してもなお、屈服させることの出来ない生き物だし、あるいはネッシーやヒマラヤの雪男のような、存在しているのかどうかもわからないモノである。黙示録の「七つの頭を持つ獣」に至ってはもはや抵抗しようなどという気力すら起こらないまでに圧倒的な恐怖を感じさせる。若い肉体を、「野獣」と形容することはあるが、これとても、中年になった我が身から見れば、ちょっと気を抜けば自分の喉笛を食い破られかねない、制御できない力を感じるのである。だからといって中年が「枯れている」かといえばそうでもなくて、「野獣のようにギラギラした眼」で女子高校生のスカートの裾の動きを見張っているわけだから油断もスキもない。
 そういうわけだから、「貞操の危機」を描写する時、陵辱される側に「けだもの!」と叫ばせるパターンもおなじみである。「猛り狂う獣」という一言の中に、すでにケモノは三匹もおり、おのれの「欲情」や「劣情」をぶつけるものと相場は決まっている。


「獣」(イメージ)


 得体が知れなくて、制御不能、そして一方的に襲ってくるモノ、それが「獣」である。

 「獣」は生きている。人間も生きている、ゆえに人も「獣」である。人間の脳は理科の教科書にあるように、「獣」の脳味噌に覆い被さるかのように「人間らしさを司る脳」が付属している。「獣」は人間のように後先を考えない。だからこそ陵辱の場面で、貞操の危機に陥る(陵辱される不利益を計算しているのだ)側は、情欲の虜になって、後さきを考えない相手を「けだもの」と呼ぶのである。

 60年前の日本は米国人を「獣」呼ばわりしていた。

 神国日本の前途がいよいよ立ちゆかなくなった昭和19年の終わり、「主婦之友」昭和20年新年号は以下の記事を掲載した。表題は「毒獣アメリカ女」。戦時中のことであるから、敵愾心を煽るタイトルがあっても不思議ではないが、あまりにも露骨である。この号、欄外に「アメリカ兵をぶち殺せ!」「米鬼を一匹も生かすな!」「米兵を生かして帰すな!」「アメリカ兵を生かしておくな!」「アメリカ人を生かしておくな!」と書かれているという、異常な紙面になっており、その柱がこの「毒獣アメリカ女」なのである。


「主婦之友」欄外のスローガン


本文掲載にあたってのルールは、いつもの通りであるが、一部文字を大きくするなどの細工を施した。

この本性を見よ!
 毒獣アメリカ女
 安田源四郎

アメリカ女の理想 

 『君の理想の女は誰かね。』
 アメリカの女の子達に私はよくこう聞いた。
 『スター!』
 子供らはたちどころに、十人が十人きっとこう答えた。歌劇や映画の一流女優になりたいというのである。七つ八つの子供らのこの返事はそのままアメリカ女の答えであった。アメリカ女は、女優の栄華と贅沢と男狂いの極致の生活を、憧れの的としているのである。
 一度スターになると、金持の老人や若旦那が、うじょうじょとつきまとってきて、あらゆる御機嫌取りをやり、毎日毎夜、歓楽の極みを盡させるのである。女優は孔雀の如く着飾り、宝玉をきらめかせ、何でもしたいと思ってできぬこととてはない。そのスターが主役で百万弗くらいの映画でも一本出来上がろうものなら、さあ大変である。取巻きの男どもが集まって来て、山海の珍味を取り揃えて完成祝いの宴会を開く。
 たらふく食い終わると、食器を片づけたテーブルの上にそのスターが駆け上がる。忽ち奏でられる狂的な音楽に合せて、女優は手を振り足を挙げる。女優を目がけて弗の札束をポンポン投げつける。女優は帽子をもってそいつを受け取る。
 そのうちに男どもが、えっさえっさと大きな洗濯盥をかついでくる。女は盥の中でキャッキャッとはしゃぎ廻るのだ。日本でもてはやされたシルヴィア・シドニー、あの女が主役でやった『デッド・エンド』という映画が完成したときなど、電光燦然たる中で、真裸になったシドニーに続いて男も裸になってこの祝杯をやったという。
 淫乱とも退廃とも実に言葉がない。もうそれは牡と牝との動物が、性欲をむき出しにして喜び騒ぐ狂乱である。
 グレタガルボだデイトリッヒだと、一頃日本でも騒がれた女優どもの結婚生活は、三角関係などは当り前すぎて話にもならぬ。五角、六角、七角関係など珍しくもない。その生活がアメリカ女の理想である。性欲と食欲と物資欲との、あくことを知らぬ享楽が理想なのである。女性の純潔の貴さ、精神の高さなどは、考えることさえ知らぬ動物そのものの生活が、アメリカ女の憧れの的なのである。


 醜悪の歴史

 こういうアメリカ女が、今日までに作ってきた婦人史は、全く 物質欲と性欲の満足を求めて狂い廻った醜悪の歴史である。  
 開拓時代にアメリカ大陸に渡り着いたアメリカ人のうち、男子にくらべると女の数が少なかった。従って男は女の機嫌を取って、常に近づこう近づこうと機会を狙う。亭主は自分の女房を取られまいとして大切にするから、自然女がつけ上がってくる。そのうえ、土地分配が行われるようになると、妻帯者には独身者の二倍の土地が与えられ、独身の女にも、独身の男子と全く同じ広さの土地が分配された。

 こうして男子と同等の地位を、女は開拓時代にはっきりと獲得してしまったのである。
 インデアンと、無限の荒野とに向って必死の開拓をつづける男どもには、文化、教養などということに心を使っている暇がなかった。そこで女達が自分の育てられた欧州の文化、教養を守り育てることに乗り出してきた。つまりアメリカ開拓の外面的な建設は男の手によってなされたが、内面的な建設は女によって守られ、成長してきたのである。今日のアメリカの生活文化や社交などの一切は、女によってその土台が築かれ、牛耳られてきたのであった。
 アメリカの女は、こういう歴史的な背景をもって、特殊に恵まれた社会的地位を維持してきたのである。
 時代を経るにつれて、選挙権を獲得し、男子と同じ大学への入学資格を取った女達は、いよいよもって独立自存の念をを強め、社会的に経済的に、男子と平等の立場を与えよと主張し始めたのである。物質文明が進歩発達するにつれて、電気洗濯器、電気掃除器などの家庭用品が次々に生れ、女が家事のために使う労力や時間が節約されるようになると、女はその時間を利用して、さまざまの職場に進出して男を追い出し始めた。そして第一次欧州大戦は革命的に女の位置を高め、経済的に活躍する範囲をますます広くしたのである。
 こうして働く女性の半数は、生活上の必要というよりも、生活を享楽するために自分の小遣稼ぎをしたのであって、一九二〇年から三〇年代に、アメリカ資産の六割は女が支配していたという。外で働くことは、アメリカ女の道楽となった。
 職業戦線に立っていろいろな経験を重ねる女どもは、その本来の国民性に拍車をかけてますます打算的、物質的、享楽的になっていった。経済的に独立ができる女どもは、親や親類の勘当が一向に恐ろしくなくなってきた。結婚生活に飽いた女は、塵紙を捨てるように亭主を捨て、性行為において自由自在に振舞うようになったのである。
 こういう状態のところへ出てきたのがマガレット・サンガーの産児制限鼓吹である。それまで不品行に附随していた妊娠ということを取り去ったから耐まらない。
 エドナ・セイント・ビンセント・ミィレーによると、
 きゃっと一声叫んだら、まあ−
 永遠が下ってきて、私の上に宿った
 という、実に動物的淫楽の解放であった。
 そうこうするうちに、リンゼー判事が出てきて『友愛結婚』を唱え、不品行に法的保護を与えよと叫び出したから、女どもの性的奔放は全く止まるところを知らぬ状態になったのである。これに油を注いだのが、自動車の発達であった。青年男女は自動車を運転して思い思いの方向へ走り、獣的行為に耽った。 
 こうして解放されたアメリカ女の獣的生活は、アメリカに世紀の不況が襲来しようと何が起ころうと一切風馬牛で発展しつづけ、今日に及んだのである。


 亭主の価値

 その間に、女どもが金科玉条としてきている婦道は何であったろうか。それは顔を磨き立て化粧を凝らし、姿を整えて、他の女よりできるだけ美しくし、男の眼を惹くことなのである。
 ロサンゼルスの私宅で、家内の知人を招いてお茶の宴を開いたことがあった。孔雀のように美々しく着飾って十人余りの女が集まって来たが、その中に六十近い男がいた。その男が『私の妻は、この間新しい恋人と手を取ってヨーロッパへ旅行に行ってしまった。六ヶ月経てば帰ると言って出て行ったが、その間毎月四百円づつ送金せねばならぬので苦労する。』と言うのである。その妻というのは、二十五歳になる男の子を連れ子してこの男のところへ四度目の結婚をしてきた女であった。
 私と家内はびっくりして、その女を非難し男に同情した。すると一座の女達が、否その男までが不思議そうな顔をして私達を見た。私は女どもを追い散らして塩でも撒いて清めたい衝動に駆られた。
 アメリカ女にとって良人(おっと)というものは、性欲と食欲と物資欲を充分に満してくれるためだけの存在なのである。それらを満足させてくれてこそ、良人としての価値を持っているのである。
 これを満足させてくれることのできぬ男とは、直ちに離婚してしまう。全くよりよい餌を追っかけてさまよう獣(けだもの)である。離婚裁判で『良人は私を幸福にすることができないのです』と言えば、裁判官は一遍で離婚を認めてしまう。だから亭主は、女房の欲望を満足させるために全力を注いで働き、常に女房に対する御機嫌取りに一生懸命である。
 しかもアメリカ女は、離婚するにも只では引かぬ。離婚が成立したその瞬間から一生涯、男から毎月扶助料を取り立てる権利を持っている。もし男が他の女と再婚しようと思えば、男は自分の財産の半分をもとの妻に与える義務がある。
 こういう次第だから、アメリカ女には離婚成金というのがある。私の知っている女に、十八回も離婚して成金になり、アパートに住んで悠々余生を送っているのがあった。
 離婚しても女は容貌と容姿を売り物にして、すぐ新しい男とくっついてしまう。従ってアメリカ女は、容貌と容姿を生命と同じに大切にする。
 電車の乗り降りなどに一寸でも怪我をしようものなら、女は直ちに市を相手取って訴訟を起し、莫大な損害賠償金を請求する。裁判官はその女をしげしげと眺めて、美しければ忽ち市に命じて何万弗という賠償金を出させる。醜かった日には、賠償金は話にならぬほど少ないのである。
 全くアメリカで、醜く生まれついた女ほど哀れな者はない。アメリカにはオールド・ミスという者が沢山あるが、容貌の優れない女は貰い手がないというのが主な原因である。気立てのよさなどということは彼らは考えてみることさえ知らないのである。
 その代わり美しくさえあれば、どんな玉の輿が舞い込まぬものでもない。男の子が産まれると両親が落胆するのは、世界中でアメリカだけである。 
 顔と姿に磨きをかけることが、アメリカ女の婦道である。大東亜戦争前、日本からの生糸輸入停止で絹靴下の供給が覚束なくなったとき、全米の百貨店、小売店の店先には眼の色を変えた女が殺到し、おりおり掴み合いさえ始まって戦場のような騒ぎを惹き起こした。利かぬ気の女は、亭主に会社を休ませて靴下買いに動員した。亭主は終日歩き廻ったが、気狂いのようになった女に断然圧倒されて一足も買い得ず、へとへとになって家に帰れば、待ち受けた女房にさんざん搾られたうえ、次の日もまた会社を休むという騒ぎがいたるところに現出した。


 畜生道に踊る女

 アメリカの学校教育には、修身というものがない。アメリカ人という奴は、喜怒哀楽の情を抑制する修養ということを全く知らない人種である。ただただ享楽主義、自然主義の動物である。彼らに修養の必要を説くと、ある女はこう言った『人間は楽しむように笑うように怒るように作られている。作られてある通りに楽しみ笑い怒るのが何故悪いのか。悪いというならば、それは神の責任である。人間の責任ではない。』と。これがアメリカ人全体の考え方である。
 私がアメリカの学校にいた頃のことである。友人の邊見という男が、ある米人の家にスクールボーイと称する下僕になって住み込み、苦学を続けていた。その家の主人が半年ほどの予定で欧州に旅行し、三十歳そこそこの妻が一人留守居をし始めた。女は邊見を誘惑し、遂に肉体の関係をつけてしまったのである。
 半年ほど経って亭主から、いよいよ近く帰国するという通知が来た。するとその女は露見を恐れて邊見を追い出し、その代わりに私と一緒に下宿していた池田を住み込ませたのである。池田がその家に働くようになって数日後のこと、『奥さんが夕食を御馳走してやるから来いということだ。』と池田が邊見を迎えに来た。
 二人は連れ立ってその家へ行ったが、翌朝になっても帰って来ない。翌々日も帰らぬ。
 三日目の朝、私は不思議に思ってビクトリヤ街にあるその家へ行ってみた。家の前まで来たとき私の眼に留ったのは、人間一人が楽々と入れるほどの大きな塵芥入れのブリキ缶である。その缶には、石炭殻が蓋のしきれぬほど一ぱいに詰っていた。中をのぞき込んだ私はギョッとした。コークスの中からニョキニョキと突っ張っているのは人間の白骨だったのである。ふと、人の視線を感じたのでその方の窓を振り返ったとたんに、あの女の姿が飛鳥のように私の視界をかすめ、カーテンがゆらゆらと激しく揺れていた。私は全身に水を浴びたようにゾーッとして、ビクトリヤ街を走り出たのである。
 女がどんな手を用いたかそれは知る由もない。しかし邊見と池田は、亭主に知れてはこと面倒と考えた女によって、ストーブで焼き殺されてしまったのである。勿論二人は、二度と私の下宿へ帰っては来なかった。私は日本人会などを説いて廻ったが、当時アメリカに平身低頭していた日本の立場として、残念ながらどうすることもできなかったのである。
 『日本人など自分の靴下でも織っているのが分相応だ。』と考えているアメリカ女である。邊見や池田を焼き殺すことぐらい、平然としてやってのけたのだろうと思う。怒れば、自分の亭主をさえ殺すアメリカ女である。大抵の女は、貝細工などした小型ピストルに実弾を込めて、箪笥のひきだしにしまっている。亭主が夜遊びでもして女の機嫌を損ねるような時刻に帰って来ると、油断がならぬ。女房は階段の上で待ち構えていて、亭主が入口に現れるやズドンと一発、頭を狙い射って即死させるのである。
 新聞に出てくるこうした事件の殆ど全部が、女は階段の上に待ち構えていた。
 惨虐性などという言葉ではとうてい言い尽せるものではない。黒人などの私刑に、また拳闘、自動車競争、レスリングなどで大怪我人が出ると、女が真先立ってキイキイ喜びはしゃぐことは、よく知られているところである。見てるだけでは満足できず、女もレスリングをやる。相手の女の眼の中へ指を突っ込んでひっかき廻す、耳に指を突っ込んで血をしたたらせる、髪を引き抜く、腕にかみつく。全く野獣の本性を現すのである。
 独立際の日、ニューヨークでのことであった。仮装行列を見ようとして、大通りの両側を幾重にも人垣が囲んで身動きもできない。一人の妙齢のアメリカ女の後に、フィリピンの青年がぎゅう詰めに押されて立っていたが、人波に押されるままに前の女の身体を思わずちょっと押したのである。するとその女がぐるりと身体を捻じ向けて、ものをも言わずにフィリピン青年の眼の中に指を突き刺した。血がダラダラと流れると、今度き鼻の孔を突き上げた。鼻血が青年の口の中に入る前に、拳で力一ぱい顔中をなぐりつづけ、髪の毛をひきむしった。身動きできぬ人込みの中で青年はどうすることもできないのだ。それを見ると女はさも心地よげにせせら笑って通りの方へ向きなおり、平然として行列を待ちつづけておった。


 毒獣を撃て

 アメリカ女の全身全霊は、残忍、淫乱、狂暴で充ち満ちておる。全くの動物である。この動物は性欲と金と物との満足水準を引上げるためには、生命をかけて真剣になるのである。この動物が『われらの欲望を満足させるための大邪魔者』と信じて疑わぬ日本を、永久に地球上から抹殺すべしと立ち向ってきているのである。 
 開戦前、日本に対する極度の悪宣伝をして挑戦気分を煽ったのは女どもである。日本品のボイコットを宣伝し、路上に日本品を積み重ねて焼いたりしたのも女であった。今や二千万の女が、軍隊に軍需工場に国防に廃品回収に食料品の配給に、その他直接間接に戦争に参与し、すべて男子よりも熱心に働いている。最近四千人の女が、生命と同じく大切にしてきたなりもふりも構わず、オレゴン州の材木伐り出しに出かけて行った。
 十九歳の映画女優マーリン・ヘーアは、士気高揚のためにと、一万人の兵士に接吻を与えるという悲願を立て、集まっている兵隊の列の間を縫って、一日に七百三十三人に接吻を与えたので大評判となった。そして愛国者らしく感想を述べた。『残念至極なことは、私がお国のために奉仕する唇をたった二つだけしか持ち合わせていないことです。もっと持っていたら、もっと御奉公ができるでしょうに。』
 この女は、残りの九千二百六十七回の接吻を果たすべき機会を張り切って待っていると、『ライフ』誌は伝えている。
 淫乱、酷薄、悪虐、非道、あらゆる形容を超えた毒獣アメリカ女!その畜生道の繁栄のために、日本人を殺せとわめき、全世界をわがものにすべしと男の尻を押しまくっておるのだ。 
 われらは、この毒獣の暴虐断じて許さず。この動物の息の根を止めざれば、人類は永遠に畜生道に堕つ。三千年の伝統に輝く日本婦道、もとより永劫に滅亡である。
 道義のために、正義のために、世界婦人のために、人類のために、この動物どもを絶滅することこそ、天が日本に与え給うた大使命でなくして何であろうか。 

 安田氏は明治四十二年渡米、コロンビア・カレッジ卒業後、鉱山事業に従事し、のち安田証券株式会社を経営、昭和八年帰朝されるまで二十五年間、あらゆる米人社会に立ち交って、米国及びその国民性を具さに体験研究された方であります。
(『主婦之友』昭和20年新年号)
 ※安田氏は、この記事に先立って、「家の光」昭和19年11月号に「在米二十五年の体験から これが米鬼の正体だ」というタイトルの文章を発表している。こちらはわずか2ページしかないので、「毒獣アメリカ女」ほど面白いものではない。

 アメリカ人は、街で子供たちが喧嘩をしていると、「勝った方に金をやるから。」とけしかける。

 という記述が目を惹くくらいで、あとは黒人に対するリンチや、カリフォルニア州の外国人土地法(米国に帰化できない外国人−日本人を指す−の土地所有を禁止した排日法)のいきさつと、米兵が日本の負傷兵を戦車で轢き殺したり、頭蓋骨を土産物として送った、という、すでに当時のメディアに掲載されたような内容である。

 敗戦後の身の振り方が気になる人物であるが、残念ながらわかっていない。

 タイトルにふさわしい内容である。いちいち本文を読んでられない困った読者諸氏のために要約すれば、

 アメリカ少女の憧れ、それは「スター」!
 それは名誉とお金とモテるから

 アメリカ女性の価値観、それは建国の歴史が作ったの
 男はみんな野蛮人、文化はみんな引き受けました
 もちろん女のしたいまま
 小遣いくらいは自分で稼ぐ

 男は所詮飾り物
 強くてリッチで優しくて
 もっとキレイになりますわ
 だから今日も稼いでね

 「修身」なんか知らないわ
 すべては神のおぼしめし
 役にたたない宿六は
 ズドンと一発さようなら

 今の生活地味なのは
 みんなJAPが悪いのよ
 兵器をじゃんじゃん作るから
 黄色い猿めを片付けて

 このような「アメリカ女」どもに日本婦道が負けてなるものか!という内容である。
 「物資欲と性欲」を満足させるために兵士を殺戮に駆り立てる「毒獣アメリカ女」! ちょっと言葉を今風にしてやれば、バクダットで読まれていてもおかしくない。


写真は本文と無関係です(『現代猟奇先端図鑑』より)


 この文章の意図が、「アメリカ女はこんなに悪いヤツだ」、「アメリカ女ですら国防挺身しておるのだから、日本婦人も頑張れ」というところにあるのは確かなのだが、「アメリカの女の人はうらやましいわねェ…」と思った読者も少なからずあったのではないか、と思わざるを得ない。

 この記事には「日本婦道がいかに素晴らしいものか」ということを示した記述がほとんど無い。安田氏は「それは読者一人一人がすでに心得ておることだから、書くまでもない」と(きっと)いうだろう。しかし「日本婦道」と物質的満足とは、そもそも相反する道なのだろうか…。私はそう思わない。そう思ったら今の日本には「徳目」というものが存在し得なくなってしまうじゃあありませんか(笑)。
 「衣食足りて礼節を知る」という言葉がある以上、「衣食足りぬが礼節を求める」のは、「痩我慢」でしかない(もちろん『痩我慢』が魅力的な行動様式であることは認めるし、一部の領域では自ら実践している)。


 「日本婦道」の対立概念として「アメリカ女」を見るのではなく、その生活そのものに目を向けてみると、この記事で徹底的に批判されているものが、敗戦後の日本女性が目指した生活とそれほど変わりがないことが見えてくる。

 「時代を経るにつれて、選挙権を獲得し、男子と同じ大学への入学資格を取った女達は、いよいよもって独立自存の念をを強め、社会的に経済的に、男子と平等の立場を与えよと主張し始めたのである。物質文明が進歩発達するにつれて、電気洗濯器、電気掃除器などの家庭用品が次々に生れ、女が家事のために使う労力や時間が節約されるようになると、女はその時間を利用して、さまざまの職場に進出して男を追い出し始めた。(略)
 こうして働く女性の半数は、生活上の必要というよりも、生活を享楽するために自分の小遣稼ぎをしたのであって、一九二〇年から三〇年代に、アメリカ資産の六割は女が支配していたという。外で働くことは、アメリカ女の道楽となった。
 職業戦線に立っていろいろな経験を重ねる女どもは、その本来の国民性に拍車をかけてますます打算的、物質的、享楽的になっていった。経済的に独立ができる女どもは、親や親類の勘当が一向に恐ろしくなくなってきた。結婚生活に飽いた女は、塵紙を捨てるように亭主を捨て、性行為において自由自在に振舞うようになったのである。」

 という一節は「文藝春秋」や「諸君」あたりに掲載されていてもおかしくない。「さまざまの職場に進出して男を追い出し始めた」とあるが、これは安田氏の勇み足である。戦時を契機に女性が男性の職域に進出していたのは事実であるが、戦争が終わればそれまでである。
 現代と異なるのは、女性が自由放埒にふるまうことができる根拠として「経済的に独立ができる」とあるのが、「時代風潮の変化により」「マスコミの煽動により」という、経済外の理由のほうがふさわしい事くらいである(親元に留まり物質生活を謳歌する、『パラサイト・シングル』という言葉までが登場した以上、自由放埒の根拠は経済以外のところにあり、その分事態は深刻である)。


 「婦道」とあると、何か立派なもののように思えるが、結婚して家庭に入り、子供を産み・育て家計をやりくりするのが「婦道」だとしたら、それを当然のこととして家庭に入った、当時の婦人を馬鹿にしている言葉である。オピニオン誌に「学校を出て就職して自活するのが『日本夫道』である!」と大真面目に書いたら、読者にバカにされるだろう。
※あえて「跡取りを得て」と書かなかったのは、主筆が単身者という「夫道不覚悟者」であるからに過ぎない。

 この「毒獣アメリカ女」という文章には、書いた当人が死ぬまで気が付かなかったであろう、「現代社会における若者の新しい身の振り方」に対する、「今までの価値観からの戸惑い」があふれているのだ。安田氏は、この戦争に負ければ日本の婦道は滅びる、と書いた。しかし勝ったところで、女性を戦前のままであり続けさせることができたとは、とても思えないのである。やっぱり電気洗濯機と電気掃除機と電気冷蔵庫は家庭にやってくるだろう。
 実際の戦争に勝利したアメリカに1950年代の繁栄があり、破れた日本にも60年代の繁栄があったのだから、日本が1945年に勝っていても、産業構造の変革はやってくる。軍需産業は平和産業に転身し、しかも航空産業が継続するならば、人手はいくらあっても足りない。自動車とテレビはわからないが、洗濯機と掃除機と冷蔵庫は絶対来る。つまり、家事労働負荷が大幅に軽減されるのである。
 この記事に関して「戦時中における敵愾心昂揚の実例」という視点を離れて何かを書こうとすると、2004年6月現在の日本社会が抱える問題について考えなければならないのである(笑)。まさか主筆にそれを論じろという読者諸氏はいないと思うし、それは素面で書くべき事でもない。 
 この記事が掲載された「主婦之友」昭和20年新年号には、「敗けたらどうなる 敗戦国の惨状を見よ」という記事も掲載されている。海外の雑誌等に掲載されたイタリアにおける敗戦国民の悲惨な境遇を書き立てたものだ。
 「餓えたる母子」「米英軍がこうしたのだ」「死にまさる苦痛に閉ざされて」「敗戦国の運命に例外なし」という小見出しだけで、どういう意図で書かれた記事なのか、わかろうというものだ。

 こちらの記事のしめくくりはこうである。

 ああ、戦争には絶対敗けてはならない。敗けた者は、どんな仕打ちを受けようとなす術はないのだ。しかも、アングロサクソン共の口に唱えることと実際が如何に相違するかは、以上に述べた現在の占領地域に於ける惨状がまざまざと証拠立てている。
 だが、万一−それは、想像だにできぬことだが−日本が彼らの前に兜を脱いだと仮定したとき、彼らのやり方がこの程度のものだと考えたら実に実に大きな間違いである。(略)彼らが吐(ほざ)いている”日本人抹殺”を掛値なしに実行しようと考えているに違いないのだ。 
 それだけにわれわれの楽しみもまた大きい。石に囓りついてでも勝とう。そして最後の勝利を得たその日には、彼らの傲慢なる額の上に『敗戦者』の烙印をいやというほど押し当ててやろうではないか。その日を思えば、日々の勤労も、生活も、また愉しいものではないか。

 どっちも「毒獣」ですね(笑)。

 ここで終わりにしても良いのだが、戦前の「アメリカ女」(正しくは『アメリカ娘』だが)に対するイメージが現れている文章があったので、ついでに紹介してみる。

アメリカガール

 アメリカ娘は、じっとしていない。活動を好んで静止を嫌う。ダンスが済めば、ロッキング・チェアに凭れる、ブリッジをやる。摩天楼、キネマ、モーター・カー、サキソホンの子供たち。音響と群集とが好き。変化を愛し、新奇を好み、レコード破りに興味をもつ。家だって、友だちだって、夫、着物、宗教、思想だって代えることがすきなんだ。新しいことなら、どんな冒険を敢えてしても突進する。が、古くなり、若しくば、古いと知れば、タバコの吸殻同様に投げ捨てる。

 活動的アメリカ娘はスポーツを好む。分けても、ラグビーは何よりすき。ブリッジ・カードもすき、スモーキングもすき、女学校に喫煙室を設けなければならない程、アメリカ娘はタバコを喫(ふ)かす。
 ソプラノの女らしい声なんて駄目、そこで男性のようなバスの音調を獲得すべく練習に夢中になる。耐久ダンスの競争もやれば、骰子一つで二千弗と貞操を賭ける女も出現する。

 アメリカ娘はダイナモであり、エンジンである、と云ってのけたの英国の閨秀作家がいた。
 さえざえした、ガラスのように明澄で、快活であるのはよき特徴だ。
 じっとして居れない。絶えず、動き、頻っきりなしに喋りたい。だからアメリカ娘は沈黙と孤独とを極端に恐れるのである。

 アメリカ娘は一種痛快な存在である。

 これは「現代猟奇先端図鑑」(新潮社)という昭和6(1931)年に刊行された、「エロ・グロ・ナンセンス」と「モダン」に関する大人向けの図鑑に掲載されたもので、水着を着てフェンシングの剣を持った10人の女性が並んでいる不思議な写真に付けられた、無署名の詩である。
 あまりにもノーテンキな文だが、発達しつつある都市文化が、このような女性像を求めていたことが良くわかる。これをビジュアル化すると「金髪・ウェイヴ・脚線美」というおなじみの姿が現れるのだ。「毒獣アメリカ女」で描かれた「毒」を肯定的に捉えれば、「一種痛快」となりうるのだ。この構図は80年代の「女子大生」「OL」、90年代の「コギャル」と変わるところがない。

 おじさんは、自由なアバンチュールを求めつつ、家族には貞淑を要求するという、都合の良いモノの見方しかしないのである。


「現代猟奇先端図鑑」より 原本には「素晴らしく張切ったこの乳房!」とある


 「毒獣アメリカ女」は、米国女性の動物性、残虐性を書いた記事ではあるが、スケベな女子校教諭が夏休み前に生徒に説教をしているようなところがある。この記事を書く資格があったのは、安田氏とともに、米国で暮らし、米国人の姿を見てきた、安田夫人自身ではなかったか、と強く思うのである。
 ※参考図書、というわけでは無いが、「戦争がつくる女性像」(若桑みどり、ちくま文庫)は、戦時体制の中での日本女性の位置づけと、それがどのようなスタイルで婦人雑誌に掲載されたかを論じた本として一読に値する。実は「毒獣アメリカ女」も、「敵愾心を昂揚させる事例」として、この本で言及されていたりする(笑)。