ウチのオヤジにゃヒゲがある

「一式戦闘機『隼』」刊行記念スペシャル!


 一式戦闘機「隼」について書かれた文章を読むと、、「加藤隼戦闘隊」、そして加藤建夫少将とセットになって語られていることがあるのに気付く。
 しかし、加藤少将の顔や体つきを描くことの出来る人は、名前を知る人ほど多くはないのではあるまいか。

 現在まで、加藤少将の図版がとれくらい流布しているのか、すべて数えたことは無いのだが、その元となっているモノが、

 昭和17年に描かれた、田中貞一画「在りし日の軍神」である。
 厳つい顔ながらも、人なつっこさの感じられる目つきで描かれており、部下に慕われ、「陸軍の至宝」と云われた本人の姿を、今に伝えるものである。この画は、昭和17年9月に開催された「加藤少将賛仰展覧会」の会場に飾られたものであるが、現存しているのかどうかを知らない。この展覧会では、立像も製作・公開されているのだが、良い図版が見つからず、掲載できないことをお詫びしておく。


 この画の元になった写真がこれである。

 昭和12年から13年にかけて撮影されたもので、「軍神 加藤少将写真伝記」では、石家荘での撮影、とある。乗機はオープンコクピットの九五式戦闘機であるから、当然のように毛皮付きの飛行服を着ている。

 この格好のまま、南方で活躍した隼の前に立たせてしまったのは、絵描きの失策であると云わねばならないのだが、田中貞一画伯が責められた話は聞かない。
 写真では、背筋を伸ばしているものが、画になると猫背になってしまっているのは、加齢を表現したものかどうかは不明である。


 加藤建夫中佐(当時)の戦死は、昭和17年5月22日であるが、新聞紙上で二階級特進とあわせて「軍神」として公表されたのは、7月23日の朝刊である。この時、読売と東日(毎日)は加藤少将の写真として、上の写真をそのまま掲載したが、朝日新聞だけは違う写真を掲載している。

 「前線の加藤少将と新鋭戦闘機『隼』」と題されたもので、よーく見ると、人物と背景を合成したものであることがわかる。さらに人物を仔細に見てみると、東日・読売ではそのまま使っている、九五式戦闘機前で撮影された写真を加工したものであることがわかるのだ。

 まず、ベルトのバックルの曲がり具合が同じであり、左胸(向かって右側)の膨らみ、服のシワも同じに見える。飛行眼鏡の光りかたも等しい。つまり、陸軍から新聞各社に提供された右の写真に対して、「九五戦がバックと云うのもドーカね」と、隼と合成させた際に、「南方なんだから、襟と袖口の毛皮はヘンだ」「ヒゲは剃っていたそうじゃあないか」と、よってたかって議論の末に(?)、このような「写真」が出来上がってしまったのである。

 周知の通り、朝日新聞社では、「航空朝日」を発行しているから、おそらく陸軍航空本部あたりから、加藤少将にはヒゲが無いことを聞かされていたのだろう。そうでなければ、わざわざヒゲ付き写真からヒケを落とすわけがない。


 しかし、実態と写真のデキは別である。読者から「なんで朝日の写真だけ、妙な修正が入っているんだ?」と投書でもあったのか、7月25日の紙面に、以下の記事を載せるに至る。

 愛する部下に”髭供養”
 空の軍神の温情
 麗しき秘話も思出の種

 北支時代「ヒゲの加藤」「ヒゲの加藤」と部下から慕われ敵からは恐れられていた軍神加藤少将のヒゲが、ある日忽然と消えた、剃れ剃れといわれ乍ら頑としてきかなかった”貴重品”のヒゲが何故忽然と消え失せたか? ここにも部下を想う少将の面影があった
(略)

 と、「ヒゲの加藤」は昔のこと、我が社の写真が一番正しい、と暗に述べている。
どれくらい「ヒゲの加藤」だったのか、記事の写真ではわかりづらいので、別な写真を見てみよう。

 

 ごらんの通り、立派な美髭をたくわえていたのだ。しかし、戦死した部下の追悼のため、昭和13年3月25日にまず顎髭が、つづいて4月11日には口髭が無くなっているのである。よって、先のヒゲ写真は昭和13年3月末から、4月はじめにかけての撮影であることが推測されるのである。
 以後は13年6月に陸軍大学入学、14年には寺内寿一大将の随員として独伊訪問をしているのだが、パスポートをはじめ、外遊中の写真にいたるまで、ヒゲは無い
 帰国後、昭和16年4月に飛行第六四戦隊隊長として広東に赴任。やがて映画「加藤隼戦闘隊」としてまとめあげられる日々が始まるのだが、その頃撮影された写真では、

 やっぱりヒゲは無い。「加藤隼戦闘隊」でも取り上げられた、散髪場面の写真(昭和17年3月撮影)を以下にあげるが、

 やっぱりヒゲは無いのである!  
 朝日新聞では、7月31日に、加藤部隊の戦果に関する記事を掲載しているのだが、ここに掲載された加藤少将の写真は、

 断固としてヒゲは無い。例の記事の写真をそのまま使ったのかと良く見れば、襟の毛皮が復活しているのがわかる。すなわち、ヒゲだけ取ったモノを、わざわざ作り直している。顔つきも、オリジナルの写真の面影を残しているのが見てとれよう。最初の記事に使われた「写真」の評判が余程悪かったらしい。

 ヒゲを生やす、髪を染める等、自分のスタイルを替えてみたくなる時や、逆に若いままの姿でいようと努めるなど、人間色々詰まらぬ苦労を背負っていかねばならぬものだが、故人のイメージを作り上げるのは、あくまでも生きている者たちである。ヒゲは当人の意思の産物であるから、ある期間伸ばしていれば、あって当然となるのがヒゲである。40年の生涯の、わずか2年足らずの期間に生やしたヒゲ写真のデキがあまりにも良かったため、「軍神加藤」には、ヒゲが欠かせないものとなってしまったのである。


 数少ない「隼漫画」の傑作、「大空のちかい」は、加藤隼戦闘隊が舞台であり、加藤戦隊長もしばしば登場し、部下を厳しく指導し、そしてやさしく見守る様子が描かれている。

 「少年サンデー」昭和38年12月15日号に掲載された扉画である。この号で戦隊長は自爆、第一部は終了する。円の中で不景気な顔をしているのが(笑)、加藤戦隊長である。一目瞭然ヒゲがある。

 物語の中で、主人公早房一平が戦死したと思いこんだ部隊長が、悲しみのあまりヒゲを剃ってしまうのだが、その顔を見た一平の反応は…


アップルBOXクリエート発行の復刻版より

 ご覧の通りである。右二段目コマ左端が戦隊長である。丸っこい体型だ。「加藤隊長=ヒゲ」と云う図式が無ければ、このシーンは無い。

 「大空のちかい」が掲載されていた、昭和30年代末期は、少年マンガ雑誌で戦記・兵器ブームになっていた時期である。当時の特集記事にも、加藤少将は登場している。

 「週刊少年マガジン」昭和38年8月25日号表紙。この号の巻頭特集は「大あばれ!加藤隼戦闘隊」であるが、カラー見開きでベンガル湾でブレニム爆撃機を海中に撃墜する画を載せていながら、加藤隊長の最後について何も書かれていないと云う、ちょっと不思議な特集記事である(笑)。
 表紙に微笑む加藤少将の元ネタが北支那での写真(あるいは田中貞一の画)であるのは明白である。どことなく、ソバ屋の壁に掛けられた、恵比須・大黒の縁起物に見えなくもない。

 続いてライバルの「週刊少年サンデー」和38年9月15日号「隼のすべて」に掲載された写真を見てみよう。

「加藤隊長のひみつ」と云うコトバを見て、「加藤ぶくろ:必勝の信念がつまっている」なんて事を思ってはいけない。見ての通り、北支での写真そのものが掲載されているわけだが、よーく見てもらうとヒゲが無くなっているのだ! 印刷の関係で薄くなっているだけだ、と云う読者諸氏もいるかもしれないが、「薄い」と「無い」では話の展開が全然違ってしまうので、筆者としては「無い」で押し通す次第である。

 立風書房ダイナミック・コミックス「壮烈隼戦闘機隊」(小田 昭次)は、サラリーマンとして第二の人生を生きる、元少年飛行兵の回想と云う趣向の漫画である。この物語の舞台「も」加藤隼戦闘隊であるが、名前だけ借りてきたようなもので、加藤隊長が活躍するような内容ではない。ここに登場する加藤隊長は、

 やっぱりヒゲだ!! 続いて同じく立風書房ジャガーバックス「栄光! ハヤブサ戦闘機」(滑 清紀)に掲載された、漫画「壮烈!加藤隼戦闘隊」(古城 武司)に登場する加藤少将を紹介する。

 控えめではあるが、ヒゲはヒゲである。

 映画「加藤隼戦闘隊」では、冒頭ヒゲなしだった藤田進が、映画の中盤では、ヒゲ姿を見せている。この時期は関係者が存命なこともあるためか、ヒゲ度は低く、ヒゲと非ヒゲの使い分けも曖昧である。この事から、「加藤隊長=ヒゲ」説は、戦後に定着したものであると云えよう。


「加藤隼戦闘隊」でのヒゲ


「まわせーッ」の場面ではヒゲは無い

 戦後の「隼映画」として名高い「あゝ陸軍隼戦闘隊」では、妙な具合に「加藤=ヒゲ」説を取り入れている。
 先に述べている通り、支那大陸では「ヒゲの加藤」であったにもかかわらず、この映画では、支那大陸ではヒゲなしで通し、最後はヒゲ姿で自爆をとげるのである!


コンタックスを振り、僚機に別れを告げる隊長

 映画で再現された加藤少将を見て思うのは、「加藤隼戦闘隊」の藤田進が、理想化された指揮官として、どこか茫洋としたところがあるのに対し、「あゝ陸軍隼戦闘隊」の佐藤允は、戦士としての厳しさを強く出しているように感じられる。二人を足して二で割ると、本人のイメージに近いのではなかろうか?

 知る人ぞ知るTVまんが「アニメンタリー決断」も、ついにDVD化されて嬉しい限りだが、第14話に「加藤隼戦闘隊」として、加藤隊長の話が取り上げられている。


コンタックスを構える加藤少将

 さきに紹介した藤田進演ずる加藤隊長を意識した ヒゲである。 ここでも「加藤=ヒゲ」の図式は成立している。色がグレイというところが面白い。、

 味方爆撃機を援護出来なかったことを知り、驚愕する加藤隊長。「シベリア超特急」の人では無い。

 軍神・加藤建夫がどのように図像化されてきたかを駆け足でご紹介してきたが、最後に「加藤隼戦闘隊」に所属していた檜 與平氏の、「隼戦闘隊長 加藤建夫 誇り高き一軍人の生涯」の表紙(昭和62年)の一部をお目に掛ける。

 ヒゲは無い。戦後40年にして、ようやくヒゲなしの肖像が定着してきたらしい。しかし襟には依然として毛皮が付けられているのであった…。