世界一の自殺率(当時)

兵隊サンも今時の若者である


 「偕行社記事」と云う読み物がある。これは、陸軍将校の親睦団体である偕行社が刊行していた機関誌で、戦術講義、国際情勢解説、新兵器解説、過去の戦争記事 等、陸軍将校として必要と思われる情報が載せられている。したがって陸軍当局が、将来の幹部であり、軍の中核である彼等に何を伝えようとしていたのかを知る上で、非常に重要な資料であると云える。
 「偕行社記事」には、「特報」と称される特別編集版も存在し、これには「特に現職にある将校のみに頒布し且つ日本将校の外閲覧を許さざる趣旨のものに付之が取扱保管を慎重にし他に散逸せざるよう注意相成度」と云う注意書きが付され、普通の「偕行社記事」には無い記事が掲載されている。

 今回は、この「偕行社記事 昭和13年10月特報」に掲載された「最近に於ける軍人軍属の自殺に就いて」と云う記事を紹介してみる次第である。支那事変(日中戦争)勃発から1年経過した時点で、「軍人の自殺」をテーマとしているわけであるから、部外者に読ませるわけにはいかない。他の「特報」にはどのような記事が掲載されていたのかは知らないが、いろいろと貴重な内容が書かれているものと想像出来る。
 例によって縦書きを横書きとし、仮名遣いと一部の漢字を改め、本文記載の表組も横書きに合うように直してある以外は、原文のままである。本文が長いため、内容に関する解説を適時挿入してある。青文字と表が本文記載のもの、黒文字が註と解説であるのもいつもの通りである。


 注意:「自殺」について書かれた文章と、それをネタにした文章を読むのが嫌いな方は、以下の本文を読む必要はありません。不快の念をおこす表記が記載されている(個人差が大きいため、書き手の意図しないものがある)可能性もありますので、その旨ご承知置き下さい。

最近に於ける軍人軍属の自殺に就いて (昭和十三年十月特報)
 憲兵隊司令部

 目次
 一、緒言
 二、軍人軍属自殺の趨勢
 三、自殺者の階級と年齢
 四、自殺の原因動機
 五、自殺の手段と用具
 六、遺書等に就て
 七、戦争と自殺
 八、自殺者を少なくする為の著意

 一 緒言
 最近十年間に自殺した陸、海軍人、軍属の数は一千二百三十名の多きに達し毎年百二十名内外に及んで居る、而もその数は一向減ろうとしない、この儘で推移するとすれば数十年間に消耗する兵員は実に莫大の数に達すべく、誠に寒心に堪えない次第である。
 なんだ年に百二、三十人位、それ位は何所の社会にもあると楽観する前に一寸考えて戴き度い。
 右の人数は軍人、軍属十万人に対し三十人位に当る、十万人に付三十人の比率は一般国民の自殺率より稍々高い、而して日本国民の自殺率は世界一であるから、日本の軍隊が世界で一番自殺率が高いということになる。

 陛下の股肱として一旦緩急あれば君の御馬前に一命を捧げねばならない軍人だ、その軍人が斯くも多数自らの生命を断ち或いは断とうとしているのである、勿論本人の了簡(ママ)が間違っている。が併し自殺の跡を具に観察して見ると、その原因を一も二もなく本人の不心得のみに帰することは出来ない。
 上官の叱責が因となり或いは私的制裁により、又は軽微な官品を紛失し或いは婦女と関係して退引ならぬ羽目に陥り情死した等、その上官又はその同僚が一寸心してその自殺待てと大手を広げ深みに陥るまいぞと互に手を繋ぎ合って居たならば、簡単に救われて居たであろうと思われるものが余りにも多いようだ。確かに軍人、軍属の自殺を減少せしめ得る余地が多分にあると観察し得るが故に、茲に禿筆を顧みず卑見を陳べる所以である。


 タイトルがズバリ「軍人軍属の自殺」である。大組織にあって、構成員の自殺ほど処置に困る事は無い。「自殺者が出た」と云う事が外部に出れば、「あそこはヤバイ」と云う風評を生みかねないのは云うまでもない。実際、学校・職場で自殺者が出た、と云う事実は時折新聞、TV等に掲載されるが、その原因や影響について語られる事は極めて少なく、気の利いた組織であれば、事実そのものを隠蔽するものである。

 その自殺が軍隊においても発生している、しかも「一般国民の自殺率より稍々高い」となれば、すなわち「軍隊は娑婆よりつらい」と云う事になり、それは軍の根幹、ひいては帝国の一大危機の要因ともなりかねないのである。
 冒頭の「緒言」だけ読んでも色々書きたくなるのだが、ここでページを使ってしまうと後が困るので、引き続き本文を紹介していく。

 二 軍人軍属自殺の趨勢
 最近十ヶ年に於ける陸、海軍人、軍属の自殺、同未遂者の総数は一千二百三十名に達し一年約百二十名内外に及んで居る。之を各年度別に観ると昭和五年に百五十名に達したのを頂点として、逐年減少の傾向を示し昭和十年度には八十六名まで減少した、処が昭和十一年再び百名台に増加し、昨年度は一躍百五十六名に上昇して十ヶ年中の最高記録を示すに至った。之は支那事変の為多数の応召者があった為であろうが、何れにしても寒心に堪えない次第である。
 試みに十ヶ年の統計を掲出しよう。
区分/年度別 昭和3年 同4年 同5年 同6年 同7年 同8年 同9年 同10年 同11年 同12年 合計
陸軍 自殺 55 62 56 62 50 47 53 44 52 79 560
同未遂 24 32 39 25 27 28 18 14 13 53 273
79 94 95 87 77 75 71 58 65 132 833
海軍 自殺 25 24 41 31 37 34 40 22 34 18 306
同未遂 11 10 14 16 91
36 34 55 47 45 43 47 28 38 24 397
合計 自殺 80 86 97 93 87 81 93 66 86 97 866
同未遂 35 42 53 41 35 37 25 20 17 59 364
115 128 150 134 122 118 118 86 103 156 1,230
  即ち総数の六割八分が陸軍で三割二分が海軍であり、又自殺を企てたものの内約七割が死亡し残り三割が未遂に終わったこととなる。
 約十年前のスイス国統計局の発表によると(常人)
 ハンガリー  十万人に付  二十六人
 独逸     同      二十三人
 オーストリヤ 同      二十二人
 フランス   同       十七人
 イギリス   同        十人

 といった順序で、スイス国の如きは僅々二人に過ぎないのである。之に反し日本はどうか。
 右と略々年次を同じくする昭和五年の内地に於ける自殺者(未遂を含む)総数は一万九千七百九十三名で、同年の内地人口は六千四百四十五万人であるから十万人に付三十人強の高率を示すこととなり、前記の諸国を遙かに凌駕し断然世界一の有難くない王座を獲得して居るのである。

 最近五ヶ年間の内地に於ける自殺趨勢(内務省統計に依る以下同じ)
区分/年度別 昭和6年 同7年 同8年 同9年 同10年
自殺 10,934 11,250 10,945 10,860 10,400
同未遂 2,010 2,733 3,945 3,944 3,844
自殺 6,081 6,499 6,582 6,379 6,270
同未遂 1,781 2,152 2,758 2,765 2,642
自殺 17,015 17,749 17,527 17,239 16,670
同未遂 3,791 4,885 6,703 6,709 6,486
 我が陸、海軍人、軍属の自殺者は毎年百二十名内外で概算十万人に付三十人強の高率を示し、一般常人の自殺率より稍々高い。勿論自殺は男に多く又二十年代に断然多いので、同性同年齢の比較では常人に及ばぬが、斯かる高率を示して居ることは如何に死を鴻毛の軽きに比する軍人とは云え誠に寒心すべき事象と云わねばならない。


 統計資料の数値は、その算出根拠を把握しておかないと、誤った結論に走りかねない危険がある。日本の軍隊で云うところの自殺者とは「既遂+未遂」の計であることが明白だが、スイスでの数値が、既遂者のみなのか、未遂者を含むのかによって、日本の自殺率が世界一である=なんとかしなければならない、と云う大前提がゆらぐ(世界のレベルと同等ならばしかたがない、と読まれてしまう)可能性がある。
 もっとも、この記事で問題とされるのは日本国内、それも軍隊と云う組織の中での話であるから、諸外国に比べ日本の自殺率は高く、軍のそれはさらに高い、と云うところをまずは押さえて次に進む。
 三 自殺者の階級と年齢
  十年間に於ける自殺、同未遂者の階級別を表示すると左の如くである。
区分 年度別 昭和3年 同4年 同5年 同6年 同7年 同8年 同9年 同10年 同11年 同12年
総数 115 128 150 134 122 118 118 86 103 156 1,230
陸軍 将校準士官 12 20 82
下士官 16 16 19 17 11 16 11 15 20 149
兵軍属 58 71 70 63 57 54 59 40 38 92 602
79 94 95 87 77 75 71 58 65 132 833
海軍 士官
下士官 51
兵軍属 31 27 45 38 37 38 42 25 31 23 337
36 34 55 47 45 43 47 28 38 24 397
  総数に対する階級別の比率は
 将校、準士官  陸軍  九分強   海軍  二分強
 下士官      同  一割二分弱  同  一割三分弱
 兵、軍属     同  七割二分強  同  八割五分弱

 で兵が殆ど大部分を占むることは例年共同様であるが、昭和十一年以降陸軍将校の数が殖えたのは注目を要する。兵に自殺者が多いのはその人員に比例して居ること勿論であるが、兵の年齢が人生中一番自殺者の多い年齢に該当して居ることは相当考慮を要する。

 自殺者年齢別表
年齢別 総数 16年未満 16年以上
20年未満
20年以上
30年未満
30年以上
40年未満
40年以上
50年未満
50年以上 不詳
昭和6年 20,806 253 1,651 6,645 3,130 2,321 6,209 597
同7年 22,634 347 2,286 7,892 3,058 2,278 6,204 569
同8年 24,230 413 2,608 9,284 3,085 2,213 5,939 688
同9年 23,948 412 2,421 9,053 3,157 2,180 5,990 744
同10年 23,156 376 2,303 8,720 3,056 2,073 5,937 691
 前表の如く二十年代に断然多い。
 之はこの時代は所謂多情多感な時だからである。恋愛ばかりではない、何事にも空想を馳せて大きな空中の楼閣を築き上げ、それが実現出来ないとなると忽ち失望する。入学試験が駄目だから死ぬ、彼奴が残酷で腹が立つから生きて居られないからという式である。
 又青年時代は自己保存の生活本能が未だ十分に発達して居ないことにも基因する、手取早く云えば若い間は係累が少なく、生きても死んでも自分一人の利害問題に止まるからであると云える。併し軍人までが同一傾向では困る。軍人という身分に依り国家に係る関係は、一家眷属の係累とは天地霄壌の差でなければならぬが、事実は軍人の場合も亦多分に同様の傾向を有することは左の例を見ても判る。

 ・騎兵○連隊二等兵某は入営後郷里の親戚知己に対する礼状を二年兵に依頼して発送したが、未着の旨の通信に接し申訳の為と頼みにならない二年兵の所為を怨み、酒保附近の藤棚で縊死を遂げた。(昭八、一、二七)

 ・歩兵○○連隊二等兵某は週番士官の内務検査に際し、軍旗祭当日の供物の菓子を手箱内に入れて置いたのを発見せられて、寝台上に投出されたのを心配の余り仰毒自殺を遂げた。(昭八、五、一二)

 ・歩兵○連隊上等兵某は公用証を紛失したのを苦慮して兵営の石崖で縊死を遂げたが、公用証は翌日兵営内で発見された。(昭一一、一一、二六)

 ・歩兵○○連隊応召兵某は夜間演習中他兵の銃口蓋を取違えて所持して居た過失を苦慮し、剃刀で自殺を企てたが未遂に終わった。(昭一二、一一、一三)

 斯くの如く若い時は純真であるが、同時に多感的であって小さな過失でも大きな罪悪のように考え易い。其処を軍隊式にがみがみ言ったのでは、入営当初の兵としては前後の思慮もなく死を以て総てを解決しようと考えるような訳で、従って兵の中でも初年兵の方に自殺者が比較的多いのは極めて当然のことである。


 20代の若者が、ちょっとした躓きで自殺に走りやすい傾向を持つ事を述べたところで、若い兵の事例である。「10代の自殺」「中高年の自殺」と云う言葉を見聞きする現代人から見れば、「20年代の自殺」は見慣れぬものであるが、上の表の通り、20代の自殺は多く(この表で見ると、50代以上の自殺も多く『中高年の自殺』問題が実は戦前から存在しつつも看過されていた事がわかる)、そもそも現役の兵隊として入営するのは20代なのであるから、この年代がクローズアップされるのは当然なのである。
 事例については、軍隊内部のものであるから、イメージが掴みづらい所があるかもしれない。これを学校にあてはめてみると、以下の通りになる。

 ・入学後、地元で世話になった人達への礼状を、部活の上級生にポストに入れてもらうようお願いしていたが、手紙が届いていない事を知り、上級生を恨んで学食付近の藤棚で首を吊った。

 ・生活委員の所持品検査で、机の中にあった文化祭でもらったお菓子を見つけられたので、教師に言いつけられないかと心配のあまり、自殺。

 ・隣りの人の教科書を間違えて持ち帰ってしまった事を苦にリストカットした。

 他人の教科書、筆記具を間違えて持ち帰った経験は、主筆にもあるので、「他人様のモノがある」事の衝撃と、そこからく煩悶の大きさに(自殺を考える程の)ついては理解出来る。しかし、当時の当人はさておき、他人(現在の当人含む)から見れば、一命を捨てるにはワリに合わない理由ではある。この記事の書き手が「軍人までが同一傾向では困る」と云うのはまったくその通りなのだが、だからこそ「軍人だからこのような事はありえない」と単純に考える風潮に警告を出しているわけである。このパターンはどこの世界にもあるものであるから、自殺する当人になるか、「なんでアイツ死んでしまったのだろう」と悩む側になるかは別としても、必要以上に思い悩むのは良くない。


(写真は本文と無関係です)


 四 自殺の原因動機
 『自殺は自然界に於ける生存競争上肉体や精神に欠陥あるものが消滅して、心身共に健全なものが繁栄する自然淘汰の一手段である。』
 『自殺者の約半数は肉体的精神的に疾患がある、彼等はこの疾患の為に自己の生命を中断するものである。』
 之は外国に於いて医学者の得た実験的結論であるが、之を統計的に見ても似寄った結果が出て来る。
 次に示す統計は最近十ヶ年間に於ける我が軍人軍属の自殺者の原因別統計であるが、精神異状、神経衰弱、厭世、疾病苦慮に基因する所謂精神肉体欠陥者が三割三分を示して居る。常人に於ては精神錯乱、憂鬱厭世、病苦に基くもの約五割四・五分を占めて居るが、流石軍人は国民中の優良分子で常人との間に相当の間隔がある。
原因別
/区分
精神異状、
神経衰弱
厭世
病躯
疾病苦慮
婦人関係 家庭事情
苦慮
犯罪の発覚
又は処罰
を慮る
前罪の悔悟 成績不良
又は隊務
の失策
苦慮
私的制裁 上官の
叱責苦慮
帰営
(艦団)
遅刻
官品紛失
苦慮
軍隊生活
厭忌
従軍厭忌
責任観念 出征
出来ざるを
苦慮
金銭に窮す 其の他 合計
陸軍 223 79 78 76 68 13 81 28 23 11 46 86 833
海軍 67 39 64 39 35 16 43 14 27 45 397
290 118 142 115 103 13 97 12 71 23 25 49 28 131 1,230
摘要 総数の約
2割4分弱
1割弱 1割2分弱 9分強 8分強   8分弱     6分弱     4分弱        
 右は主要な原因につき記述した訳であるが、実際問題として原因の簡単明瞭なのは少なく諸種の原因が交錯して居る場合が多い、故に右の原因別より見て端的に判断するのは当たらぬかも知れぬが、客観的に見て死ななくてもいいようなのが多い感じがする。
 以下事例を対照して検討して見ることとする。


 事例の前に注意。この項の冒頭に「『自殺は自然界に於ける生存競争上肉体や精神に欠陥あるものが消滅して、心身共に健全なものが繁栄する自然淘汰の一手段である。』
 『自殺者の約半数は肉体的精神的に疾患がある、彼等はこの疾患の為に自己の生命を中断するものである。』」とあるが、私自身はこの考えを否定している。昭和13年当時の考え方の一つである事を読者諸氏も認識していただきたい。人によってストレス耐性は異なるだけの話である。「精神異状」と云う表記についても同様で、現在は使われない表記の例とでも思っていただきたい。

 「流石軍人は国民中の優良分子で常人との間に相当の間隔がある。」とあるが、その為に徴兵検査をやっているわけだから、そうあってもらわなければ納税者は困ると思う。では続きをどうぞ(笑)。


 右は主要な原因につき記述した訳であるが、実際問題として原因の簡単明瞭なのは少なく諸種の原因が交錯して居る場合が多い、故に右の原因別より見て端的に判断するのは当たらぬかも知れぬが、客観的に見て死ななくてもいいようなのが多い感じがする。
 以下事例を対照して検討して見ることとする。

(1)精神異状、神経衰弱、厭世
 この原因に因るものは毎年平均二十乃至三十名の間を上下して居たが、昭和十二年度に於て一躍七十余名の多きに達した。それは支那事変の為応召者特に未教育兵が多数応召した関係である、勿論その人員の多寡に比例するが、一面未教育者に取っては精神肉体共に軍務は相当重い負担であると考えられる。
 ・歩兵○○○連隊応召補、輜、特、某は軍馬に対する恐怖並びに勤務未経験を苦慮し、発作的に銃剣を以て割腹自殺した。(昭一二、八、○)

 ・輜重兵○連隊応召補、輜、特、某は生来小心なると馬匹に接したことなく軍馬の取扱を苦慮した結果、発作的精神異状を来し銃剣を以て腹部を刺して自殺した。(昭一二、八、二六)


 この事例を読む限り、「精神異状」とは「発作的に自殺をした」と云う、外部から見た事実(とまどい)を形容する程度の意味しか持っていない事がわかる。ここで書き手が云わんとしているのは、昭和12年の支那事変勃発とその拡大による軍の規模増大が、軍の自殺者(特に応召者)増加の一因を担っている、と云う事実の指摘である。
 「馬に蹴られて死んでしまえ」とは、巷間良く云われる憎まれ口だが、馬を苦に死を選ぶ例もあるわけだ。


(2)病躯、疾病苦慮
 生来の虚弱者は徴集されて居らない筈である、それが軍務に堪え得ないという中には本人の過想に基くものが可成多い。
 疾病苦慮の内特に注意を要するのは、花柳病に罹りその難治を嘆き或は之が為成績に影響するを慮ったのに基因するものの多いことである。花柳病予防に就ては当局に於て意を用いつつある処であるが、その厳重な取締が一面自殺の因を為して居る例がある。

 ・某海軍航空隊三等航空兵某は成績良好であったが、月例身体検査に際し陰部に毛切れ様の小傷があった為、之が発見を恐れて同僚に頼んで身替の検査を企てたが軍医に発見せられて注意を受けたので、更に所属長に叱責せられるのを憂慮し、飛行機格納庫上から飛降り頭蓋骨を粉砕即死した。(昭二、二、一四)

 支那事変後九州の或地方でこんな流言があった。
 『第一線で決死隊を志願するものは支那黴毒に罹ったものが多い、彼等は上官の叱責を恐れて秘匿する間に病勢悪化し、苦痛に堪え兼ね決死隊に加わる云々。』
 固より皇軍に対する甚だしい侮辱で造言飛語者は検挙送局されたが、とまれ斯うした芳しからぬ原因で自殺するものは絶滅を期することは難しいとしても、軍隊に入ったが為に酒色の味を覚え性病に感染して自殺するものが生じたとあっては、此等の父兄に対しても申訳ない次第であって、軍隊幹部としても注意すべき点であると思う。


 花柳病=性病の害をどれだけ深刻なものとしていたかの例である。「軍隊に入ったが為に酒色の味を覚え性病に感染して自殺するものが生じたとあっては、此等の父兄に対しても申訳ない次第」父兄もそうであるが、陛下に対しても申し訳が立つまい。兵役終えて一人前、と云う言葉の陰には、こう云う悲劇もあったりする。
 それにしても九州の流言は凄い。


(3)婦人関係(附 情死)
 婦人関係に因るものは自殺者総数の約一割二分を占めて居る。統計は常人に於ても情死、痴情、嫉妬、私通、失恋といった原因で自殺するものは二十代に断然多いことを示して居る。如何に軍人の身分を有するに至っても年齢の関係で他の原因に比較して多いのは不可避であろう。
 右の内昭和八年以降満五ヶ年間に於ける情死者は総数二十五名で、その内訳は陸軍十二名、海軍十三名、将校準士官五、下士官三、兵十七名である。その相手は女給四、娼妓三、芸妓二、酌婦一、飲食店女中一、撞球ゲーム取一、看護婦一、妻六、人妻二、娘三、許婚者一といった工合で相手は甚だ悪い。
 左にこの情死したものの状況を調査するに、飲酒遊興して女の境遇に同情し金銭に窮して情死へと、段々深みへ落込んで居るのを見れば、上司の監督指導もさることながら、同僚の相互戒飭亦特に必要であるのを痛感する。
 尚左の表全部を婦人関係とするは若干当たらぬものもあるが便宜上一括して置く。
区分 行為者 相手 動機其の他     
陸軍 将校1 女給 金銭に窮し、同意
准尉1 人妻 准尉に縁談が持ち上がったが関係を絶つこと出来ず、合意
准尉1 妻(内縁) 上司から他の女との縁談を慫慂せられ、合意
准尉1 家庭不和にて口論の結果
准尉1 勤務上のことを苦慮し精神衰弱の為、合意
下士官1 芸妓 女の境遇に同情し偶々登楼借財を生じたのを苦慮し、合意
兵1 女給 女から情死を迫られて
兵1 家庭の事情を苦慮し、合意
兵1 許婚者 入営間婚約を解消せられることを憂い男より迫る
兵1 女の家庭に同情し、合意
兵1 看護婦 女より情死を迫られて
兵1 妊娠中の妻から出征後の不安を打明けられて
海軍 下士官1 娼妓 病弱の女から迫られて
下士官1 妻の病弱及び子供の死を嘆き、合意
兵1 女給 男の犯罪の発覚及女との結婚を反対せられ、合意
兵1 女給 家庭の事情を苦慮、自殺を決意し懇意の女を道連れとす
兵1 娼妓 遊興の金策に窮し男より迫る
兵2 娘(2件) 結婚し得ざるを悲観し、合意
兵1 人妻 人妻と遊び過ぎ帰艦時刻に遅れたのを苦慮女は夫の叱責を慮れ合意
兵1 飲食店女中 女の父母が両名の結婚に反対した為、合意
兵1 酌婦 前科の苦慮並びに女の薄幸に同情し女から迫らる
兵1 娼妓 女の薄幸に同情し、合意
兵1 芸妓 遊興の金策に窮し男より迫る
兵1 撞球ゲーム取 男に妻子あり夫婦になれないのを悲観し女から迫られて
 本来「兵器生活」では、ことばの解説をやらないのだが、「自殺」をキーワードとしてここに到達した、戦前文化をまったく知らない読者諸氏のために、若干の解説をする。

 女給:「カフェー」の従業員、「カフェー」は元来はコーヒー等飲食を提供する店を意味していたが、女給(女給仕)が客に酒食の接待をやるようになってからは、喫茶店とは別な進化を遂げた(食事を提供しなかったり、大音量でジャズやロックを聴かせない喫茶店を『純喫茶』と云うが、「カフェー」でない喫茶店を『純喫茶』と呼んだのではないか、と云う疑念を私は持っている。以上余談)。
 戦前文化の一つの典型であるから、向学心のある諸兄はこの機会に知識を入れておくと良い。関西資本の「カフェー」が、女給に性的サービスをさせた事により、「カフェー」はいかがわしい場所の代名詞となり、「女給」と云う言葉もそのような属性を持つに至る。
 女給の収入は、客からのチップによってまかなわれていたため、経済的には苦しく、今も昔も女性の自立は大変なのであった。

 芸妓:いわゆる「芸者さん」。歌舞音曲で接客する本来の芸妓と、客と寝るのを専らとする「枕芸者」と大別される。外国人云うところの「ゲイシャ」は、この両方の属性を持つわけだが、そんな都合の良い話が、そうそうあるわけがない(笑)。
 「花柳界」「花柳小説」の主役の片割れであるが、近年客離れが進み、オトナ向け雑誌で芸者遊びを紹介する記事が出るまでに衰退している。

 人妻:あえて解説するまでも無いが、女の方は「姦通罪」と云う犯罪に問われる危険性があった事くらいは付け加えておく。「女給」「芸妓」「娼妓」(後述)はともかく、「人妻」は依然としてエロ小説の一大ジャンルを誇示している。

 許婚者:「いいなづけ」将来結婚することを約束した(させられた)相手。婚約者・フィアンセ。当人間の性的関係の有無は問われないが、一方のみのそれは、時に大問題となる場合もある。

 娘:親権者の監督下にある未婚の女。学生だったり家事手伝いだったり様々なはずなのだが、この記事では単に「娘」としてある。軍人の女性観を表していると云えよう。

 看護婦:「白衣の天使」である(最近はピンクだったりブルーなんてものもあるが)。軍人は名誉の負傷をすることがあり、そうなれば看護婦との接触もあるわけで、看護される者とする者が情死してしまうと、国家レベルでは二重の損失となる。これもエロ小説のジャンルとして有名なのだが、そう云ううらやましい目を見た入院患者の実例を聞かない…。

 娼妓:「娼婦」の事だが、どちらも死語になりつつある。「売春婦」の事。これで生計を立てているところが、昨今のエンコーとは違う。「女郎」とも云う。売春防止法制定までは営業許可地域が定められていたものの(いわゆる『赤線』)、立派な職業であった。モグリの娼妓を「私娼」と云う。

 女中:家庭にあっては「メイド」の和名(笑)。旅館では食事を運んだり、布団の上げ下ろし、風呂場の案内等をやってくれる人。すきやき屋で、肉を焼いてくれる人も女中だし、定食屋で野菜炒定食をガチャンと出すのも女中である。要するに女性使用人の事。近年では人道的見地から?言葉の使用が自粛されている。コキ使われるイメージが強く、母親にモノを頼むと「あたしゃ女中じゃないんだから自分でやんな!」と云われたりしたものだ(笑)。

 酌婦:お酌をしてくれる女性、であるが、別なサービスもやっており、そちらの方で知られる。「銘酒屋」と呼ばれる、神奈川某所にある「小料理屋」の大先輩の従業員。「私娼」の別名でもある。私娼窟(非公認の売春婦が集まる場所)では、当局を誤魔化すため「銘酒屋」と云う名目で店舗を構えたところから出た言葉。本当に銘酒があるのかは知らない。

 撞球ゲーム取:「撞球」はビリヤードの事。玉突き場の従業員。美人なのか気だてが良いのかまでは分からない。


 用語の解説はこのへんにして、記載された事例を読むと、「女から迫られて」と云うものが複数あるところが興味深いのであるが、この部分で特筆すべきは

 人妻と遊び過ぎ帰艦時刻に遅れたのを苦慮

 これに尽きる。この記述には、他の事例に無い底意地の悪さを感じるのである。海軍で、兵だし(笑)。密会していたが為、出番を逸してしまった話は「仮名手本忠臣蔵」の早野勘平が有名であるが、こちらはなんとも締まりが無い結末である。
 「遅刻」が自殺の理由になっている事に注目したい。軍人の自殺理由では「金銭に窮して」よりも人数が多いのである!。携帯電話で「あと五分で着きます」などと云う、甘えた事は許されないのである。


(4)犯罪の発覚、処罰の苦慮
 全数の約八分強に当り相当多数を占めて居る。犯罪が発覚した為、処罰を受けるよりは潔く死んだといえば中々聞えがいいが、「流石は悪事を働くにしても軍人だけのことはある」と褒めてはいけない。死ぬる程の勇猛心があれば初めから罪を犯さなければいいではないかと云いたくなるではないか。
 又犯罪者に自殺の隙を与えることは、取調官としても注意しなければならない。

 ・歩兵○○○連隊曹長某は窃盗横領被告事件で所属隊の委嘱に依り憲兵取調中一先ず帰宅せしむべく休憩室で準備中、自己所持の拳銃で眉間を射って即死した。(昭八、一一、一六)

 ・某重砲兵連隊軍曹某は同隊の野砲眼鏡紛失事件に関し、所属長の委嘱に依り憲兵に於て取調に当り実況見分の為所属隊に同行中、隙を窺い本部下士官室に逃入し日本刀を以て頸部を切断自殺した。(昭一〇、一二、九)

 ・歩兵○○○連隊一等兵某は窃盗容疑者として所属長に於て取調の為営倉に身柄留置中、着用の越中褌及袴下紐を結び合せ窓の鉄製網に結び付け縊死を遂げた。(昭一一、一一、二二)


 このあたりに来て、書き手も調子を上げてきたようである。「死ぬる程の勇猛心があれば初めから罪を犯さなければいいではないかと云いたくなるではないか。」と云うツッコミは好きだ。

 ここでは犯罪発覚に際しての自殺、がテーマになっているが、(4)の二番目の事例(兵器付属品の紛失)を「犯罪」の項に入れてしまうのは、軍側のルールとは云え、娑婆の人間としては「?」となるところである。
 3番目の事例は、フンドシ(スボンの下はブリーフでもトランクスでもサルマタでもない)とズボンの紐(兵は、バンドではなく紐でズボンを締めていた)をつなげて首を吊ったわけだが、スボンはずり下がり、フンドシもしていないと云う、かなり見苦しいものになっている。

 用語の説明を少し。「営倉」は、軍の留置場にあたるものである。「のらくろ」も時々放り込まれていた事で知られる。罰目としての「重営倉」「軽営倉」は、兵に対する処分の事で、「重営倉」処分は1日以上30日以内とし、寝具ナシ、食事はお湯と塩だけと云う厳しいものであるが、3日に1日は寝具と食事の供給を受けるものとされ、「軽営倉」は毎日寝具と食事の供給を受けることが出来る、と「陸軍懲罰令」に定められている。
 ただし、「営倉に叩き込む」のは陸軍刑法で云う罪(叛乱、擅権、辱職、抗命、暴行脅迫、侮辱、逃亡、軍用物損壊、掠奪、俘虜に対する罪、違令)に該当しない行為に対して行われていた。読者諸氏は、このへんは厳密に考えず、「営倉=軍の牢屋」くらいの認識で良いと思う。
 
 「越中褌」は、三尺の布の片側に紐をつけた下着で、風通しが良いらしい。「袴下」はズボンの事。


(5)私的制裁、上官の叱責
 或兵は班長に叱責せられ自殺を遂げたが、之を叱った班長は叱ったことを全然記憶して居なかった事例がある。
 或る幹部候補生は「そんなことでは幹部候補生をやめろ」と教官に怒鳴られたのを悲観して自殺した。こうした事例は相当ある。叱った方が本人を善導する以外に私怨なくその叱ったことすら忘れて居るのに、叱られた方では悲観煩悶の末死を選ぶ、之は前述年齢の関係に於て述べた所を照らし合わせて慎重に考慮する必要がある。
 簡単な制裁も自殺の原因となった例

 ・騎兵○○連隊二等兵某は演習から隊へ帰る途中前馬の後肢を踏み、班長より落鐵馬と共に牽馬で帰隊を命ぜられたが、他兵に対しては斯かる制裁をしなかったのに自分ばかり制裁されたのを憤慨して逃走し、班長を呪詛する遺書を残し喫茶店で服毒自殺を企てたが未遂に終った。

 私的制裁はただに自殺の原因を為すばかりでなく、逃亡離隊の重要な因をも為して居ることをも併せて考えねばならぬ。

(6)帰営(艦団)遅刻
 之も自殺の原因を為すと共に逃亡離隊の重要なる原因を為して居る、つまり心臓の強いものが逃亡して弱いものが死ぬるような事例が少なくない。


 「私的制裁」は、帝国陸軍のお家芸であり、暗部として有名であるが、ここでの用法は「裁きのルール外で、罰を与えること」くらいの意味である。「制裁と称するいじめ」では無い。とは云うものの、このへんの線引きは、死んだ当人にしてみればどうでも良いことである。書き手が云うように「慎重に考慮」するしか無い。
 (5)の事例は、自分だけが馬から降ろされた、と云う屈辱感が自殺の原因となっているわけだが、こう云うパターンも学校ではおなじみのものであろう。

 (6)の「心臓の強いものが逃亡して弱いものが死ぬる」と云う指摘も真理を突いている。しかし、最近「遅刻」に関してはみんな寛容になっていると思う。「客先訪問の時間を守れないほど仕事を詰め込む」ことが良いことなのだろうか、とダメ会社員である私はいつも思うのだが…。
 「たかが」遅刻で自殺したり、逃亡するのであるから、軍隊経験者が時間に厳格なのも納得、である。


(7)金銭に窮した結果
 海軍に多い原因である。曩に軍人に窃盗の多いことを挙げ、その原因は飲食遊興費に窮した結果に因るものの多い(全数の六割)ことを指摘したが、悪にまで走らずに死んだものも相当ある。中には金銭に窮して罪に堕ち、揚句の果に死んだものもある。併し中にはこんな考えさせられる事例があった。

 ・歩兵○○○連隊曹長某は営内居住で薄給だったのに拘らず妻帯し家計不如意となり、金策の為帰郷したが目的を達せず将来を苦慮して海中に投身自殺した。
 尚死因の判定に当り唯一の資料となるは勿論遺書である。其の他生前の言動、家庭の状況、周囲の出来事、噂、血統等も判断資料になるが、自殺の外観と真因とは一致しない場合が相当あるのは注意を要する。殊に未遂者に対して然りである。申すまでもなく身分が軍人である限り自傷も犯罪を構成する場合があるからである。
 参考 兵役法第七十四条。陸軍刑法第五十五、九十七条。海軍刑法第五十三、九十七条。

 唯一の死因の判定資料となる遺書も、自殺が狂言なる限り中々要領良く書ける。

 ・騎兵○○連隊二等兵某は帰営時間に遅れたのを苦慮して自殺を決意し、おでん屋で中隊長宛左の遺書を認め実母の菩提寺に至り自殺をしようとしたが決行し得ず(本人の自供)、憲兵に自首すべく憲兵分隊前に来た処憲兵の姿を認め俄に所持の小刀で見事下腹に突立てたが、治療一週間の受傷に止まった。
 取調べに当った者は狂言自殺ではないかと観察して居るが其の遺書は左の通である。
 「中隊長殿自分の死は覚悟の前です。
 不忠者の○○の最後です。
 同年兵に宜敷く天晴日本軍人として恥ぢない軍人となるように申伝えて下さい。
 天皇陛下万歳。」


 金銭に窮した結果を「海軍に多い原因である」と、云いきる根拠は勿論数値でなければならないのだが、この書き方には海軍の連中は贅沢だ、と云うようなウラの意味があるように思えてならない。陸軍の事例は、あくまでも妻帯したがゆえの家計不如意である(曹長の給料では妻を養うことも出来ないのか?)。

 これで次に行けば、ただの身びいきで終わるのだが、この書き手の凄いところは続けて遺書の話に持ち込み、「遺書も、自殺が狂言なる限り中々要領良く書ける。」と「天皇陛下万歳」で結んだ「遺書」を平然と斬り捨てるところである。この力技は見習いたい。

 「兵役法」は手許に無いのだが、陸軍刑法を記載した「軍隊内務全書」(兵書出版社、昭和13年)に
 第五十五条 従軍ヲ免レ又ハ危険ナル勤務ヲ避クル目的ヲ以テ疾病ヲ詐為シ、身体ヲ毀傷シ其ノ他詐偽ノ行為ヲ為シタル者ハ其ノ区別ニ従テ処断スル
 一 敵前ナルトキハ五年以上ノ有期懲役ニ処ス
 二 其ノ他ノ場合ナルトキハ五年以下ノ懲役ニ処ス
 第九十七条 兵役ヲ免ルル目的ヲ以テ疾病ヲ作為シ、身体ヲ毀傷シ其ノ他詐偽ノ行為ヲ為シタル者ハ三年以下ノ懲役ニ処ス(以下略)
 と記載されている。

 昭和十年度に於ける常人自殺原因表
原因別 精神錯乱 厭世 憂鬱  病苦 貧困  家庭親
族不和
将来を苦慮 情死 痴情、嫉妬、
失恋等
其の他 合計
1,755 2,486 260 3,364 535 549 471 471 626 3,609 14,244
1,208 1,478 121 1,994 240 783 300 300 909 1,274 8,912
2,963 3,964 381 5,358 775 1,332 771 771 1,535 4,883 23,156
備考 其の他の中には前非悔悟、商売上の損失苦慮、淫逸放蕩、失業の結果に因るもの多し
 

五 自殺の手段と用具
 軍人の自殺と云えば古の武士の切腹を連想するが実際はさにあらず、最近五ヶ年の統計に依ると自殺者五百八十一名中最も多いのが縊死の百三十名であって、次が服毒の百十七名、切腹頸部切断等が百六名、轢死百四名、銃死四十八名の順序で其の他は極少数である。
 左表を見るに陸軍兵に切創及銃死の多いのは、自殺者は先ず手近の用具に左右せられる傾向を示すもので、左表の常人との比較を見れば極めて明瞭である。
 常時海に親しむ海軍兵に水死者が少ないのは、勤務中には自殺なんか考える暇がないとも判断出来よう。
手段別
/区分
入水 轢死 縊死 服毒 刃物に依る
刃創
銃死 高所よりの
飛降
其の他 合計
陸軍 24 63 85 77 95 46 401
海軍 17 41 45 50 11 10 180
41 104 130 127 106 48 19 581
総数に対する比率 約7分強 約1割8分弱 約2割2分強 約2割2分弱 約1割8分強 約8分強 約3分強 約1分強
常人の比率 約1割7分強 約9分弱 約2割7分強 約3割5分強 約3分強 約五厘弱 約8厘弱 約7分弱
備考 陸海軍のものは最近五ヶ年間の統計
常人の分は昭和十年度に於けるものである  

 次に若干注意を要する手段実例を紹介すると、
(1)入水
 ・歩兵○○○連隊上等兵某は淋病に罹ったのを苦慮して溜池に入水自殺を遂げたが、その手段は
 先ず巻脚絆で両脚を縛しその余端で頸部を縛り、更に麻縄で石を縛り之を背部の帯革に結び、最後に両手を縛って溜池に転り込んで見事に目的を達した。
 遺書もなく自他殺の区分が不明瞭で検死官も頭を捻り、斯んな死方が出来るだろうかと実演の結果出来ることは出来るし、解剖所見も一見絞殺と見える頸部の緊縛も死因でなく全くの水死と判った。(昭一一、五、二三)

 ・歩兵○連隊二等兵某は病躯を悲観して連隊水浴場内に直立した鉄棒を伝い水中深く潜り、水底近く堅く鉄棒を握った儘自殺して居た。(昭一〇、九、五)

(2)轢死、縊死
 この方法を採ったものは殆ど全部が既遂である。軍人は自殺の手段として轢死を選ぶ者が多いが、自殺ばかりでなく交通事故として轢殺せられるものも相当ある、自殺か交通事故かの判定に関しこんな新聞記事があった。
(昭三、三、四、時事新報)
「近来頻々として起る交通事故の内には覚悟の自殺であるか、過って轢かれた場合でも事面倒と見倣し、総てを自殺に葬り去らんとする憎むべき不徳義な風習があることで、殊に一定の軌道を具えた汽車、電車の場合にそれが多い。−中略−東海道線戸塚大船間の踏切で白昼一人の男が機関車に触れ列車は急停車したが間に合わなかったことがあった、丁度その時である急を聞いて駆付けた駅員の一人は直ちに附近に散乱して居た遭難者の帽子、下駄、鞄のようなものを拾い集めて故意か? 能々線路に沿った土手下の草叢の上に揃えて置こうとした、それを目撃した汽車中の一紳士は大喝一声彼を叱咤し遺留品を元の処へ置かせた−下略」

(3)服毒
 薬品は睡眠剤、昇汞などその時代の新聞記事に出るようなものを選ばんとする傾向がある。彼の青酸加里流行後軍人でも六、七名の服用者を出して居る。
 又こんな一寸珍しい事例があった。

・軍艦某乗員二等兵曹某は豫て関係のあった女の素行が芳しくないので父母より結婚に反対せられたのを悲観して、帰省中煙草バット五個の煎汁を嚥下して心中を図ったが未遂に終った。

(4)刃物に依るもの
 用具は軍刀・銃剣・剃刀・小刀が多い、勿論此等のものは手近にあって容易に使用し得られるからであるが、只こんな事例もあった。

 ・某学校附軍曹某は情婦と共に心中したがその遺書の中に
 「−私達は鉄路で果てようとも思いました、又海或は劇薬で自殺しようとも思いました、最後に選んだのが私の魂銃剣であります。刃の附いてない剣で私は之でも苦痛とは思いませんが、浪子(情婦)まで私と同じように私の魂で死んで行きます−」。
 昔の武士でさえ切腹では死ねず介錯の方法を採って居たのであるが、実際刃物に依ったものには未遂が多い。
 この方法に依ったものは昭和八、九年各十一名、十年七名、十一年十五名であったが、十二年度に至り陸軍のみで六十一名に及んだ。之は支那事変関係の応召軍人の自殺者が多くこの方法を選んだからであるが、応召者が未遂の多いこの方法を選んだということは大いに考えさせられる。

(5)銃死
 之も陸軍に多い、而して将校に拳銃、下士官、兵に銃の多いことは入手の関係上自明のことである。問題は下士官、兵の弾丸の出所であるが、実包は中々手に入らないと見え空砲が可成り多い。弾丸の出納は厳重を極めては居るが、いざ死のうと思い機会を覗えば比較的入手易いと見えることは、軍隊教育に当る者として更に一段の注意を要する所であろう。
 尚一人の銃死者が出来た場合数名の責任者が出る為、此の方法による自殺者の中には銃器使用に依る迷惑が上司に及ぶことを慮って、之を謝し或は弾丸の出所に就き所属隊のものを入手したものでないことを遺書に能々認めてあったものもある。

(6)飛降り
 之には更に色々の方法がある、飛行機の格納庫上から飛降りた例は他の項で既に記述したが、十九名の内マストから二名、煙突から三名、屋上、崖等から十三名、飛行機から一名といった工合である。

 ・歩兵○○○連隊一等兵某は除隊後の就職憂慮並に現役を去る哀愁に依り前途を悲観して、連隊炊事場汽缶庫の高さ八十尺の煙突内に飛込み自殺した。

 ・軍艦某乗員一等航空兵某は婦人関係の煩悶の為自暴自棄となり、飛行機に搭乗中計画的に飛降りて墜死した。(昭八、二、八)


(写真は本文とは無関係です)


 ・歩兵○○○連隊伍長某は任官後下士官としての任に堪え得ないとの過想に依り煩悶した揚句、所属隊汽缶庫二十四米の煙突内に飛込み焼骨と化して発見された。

 其の他阿蘇の噴火口に投身したものが一名、神社の縁下で一物も口にせず凍死したものが一名あった。


 「自殺の方法」について述べた部分であるが、「次に若干注意を要する手段実例を紹介すると」と書いておきながら、軍隊経営上注意すべき手段実例では無く、私が悪ノリする時に「注意」「注目に値する」と使う意味で「注意を要する」と書かれていることに「注意」。このあたりに、大正〜昭和初期の「猟奇」のニオイを感じてしまう。

 (1)「入水」の最初の事例では、「殺人か?」と思わせるような死体の状態が、「実演」によって個人で実行可能な事が明らかにされるなど、探偵小説の警察を地で行く(『憲兵』は軍隊内の警察機能なのだから当然なのだが)こともやっている。「実演」と云うものの、溜池に入るところまではやらなかったのだろうが、「オイ、このまま池に入ってみてはドーダ?」くらいのやりとりは当然あったものと思われる。自殺に対する啓蒙記事で「見事」と書くのも珍しい。「巻脚絆」はゲートルの事、日本の兵隊さんが足もとにグルグル巻き付けているアレである。
 次の「鉄棒を握った儘自殺して居た」と云うのも、常人には真似出来ない方法である。よほどつらい理由があったのだろう…。

 (2)の「轢死・縊死」では見るべき実例が無いようで、新聞記事に出た、事故を自殺に見せかけようとした駅員の所行を紹介するに留まっている。ヒドイ話もあったものだ。

 (3)「タバコの煎じ汁」の事例。未遂とあるからには死ななかったわけで、喫煙者である私は意を強くするのである。「ダハコ5個分のニコチン水を呑んでも死なないんだってさ」(だからと云って試してみよう、などと馬鹿な気は絶対おこさないように! 私は冗談のわからない読者を認めない)

 (4)の銃剣心中の話は、いかに私でもツッコミの入れようが無い。帝国陸軍の銃剣には普段刃を付けていない事が、こう云うところからも立証された事を書くのみである。

 書き手は、刃物による自殺に未遂が多く、かつ支那事変勃発による応召者がこの方法を使ったと云う事を問題視しているわけだが、自傷者に対してはかなり厳しい見方をしていることが読みとれる。個人的趣味か、これからさらに大量の応召者が入営してくる事に対する職務上の危惧かは判然としないが、応召者に対する差別意識がここにあるとすれば、一般の兵営にもそれはあると見るべきで、応召者の自殺発生の温床となりうる事を、書き手は気付いていない。

 (5)銃による死である。軍隊には銃がたくさんあるから自殺に使うのも簡単だろう、と云うわけでも無いようだ。自殺の手段として容易に使えるレベルの管理であるなら、反乱にも容易に用いる事が出来るわけである。
 「空砲」が自殺に用いられていることに注意。火薬ガスの圧力を利用したのか、模擬弾頭の威力で致命傷になったのか、「空砲」の構造がわからないので、これ以上書きようがない。

 (6)飛び降り自殺はいまや誰でも試みるほどありふれた手段であるが、煙突を使う例は最近では聞かない。ここでは煙突内に飛び込んだ例を上げているが、人が死んだ炊事場で作られた料理を食べさせられるのも嫌な話である。「汽缶庫」はボイラー室のこと。風呂や炊事の熱を供給していた。
 事例二番目の、飛行中の飛行機から飛び降りた、と云うのも凄いやり方であるが、三番目の「焼骨と化して発見された」には敵わない。


 六 遺書等に就て
 最近五ヶ年の自殺者五百八十一名に対する検視に際し遺書又は之に類する日誌を発見したのは、陸軍百十六名、海軍四十七名計百六十三名あったが、その中公事を苦慮したものが約二十名位あり、その他のものは主として私に亙る事項を記載して居る。
 茲に一言すべきは自殺者の日誌である、死すべきか死すべからざるかその苦悩を生前日誌に認めてあった事例が相当ある、内務検査時日誌の点検は勿論実施されては居るだろうが、更に一層周密な著意を必要とするのではないかと思われる。
所為者 日誌の抜粋(原文)
外出中厭世自殺を企てた某二等兵 人生に疑問を抱き始めてより茲に六年遂に解決を得ず永遠の謎を秘めて死を選ぶ固より自ら求めし死、胸中愛憎喜憂なく凪ける大海の如し悠々として宇宙の大生命に還らん
病躯及家庭事情を煩悶した結果轢死を遂げた某二等兵 自殺可? 不可か深く考えれば死ぬ筈の自分であるが表面的の理由では死なねばならぬ、酒保で聞くレコードの響も死よりの誘いの手のように思われる何としたも(の)だろう
入隊前左翼運動を為し入隊後隊内の差別問題を全国水平社九州連合会に通報して問題化したのを悔悟し小銃自殺した一等兵 二十七日の射撃では出来なかった、二十八日今日の射撃はキッとキッと俺の最後の日だ…俺の心を慰めて呉れるものは酒だ今日も酒だ酒だ
 自殺者が、その直前に何らかのサインを出していた、と云うのは現代でも見られる事である。軍隊にあっては、自分の日誌が上官に読まれるものであったことが、「内務検査時日誌の点検」と云う言葉に現れているが、すぐに「勿論実施されては居るだろうが」、と続き、かつ自殺の発生を防げていない事に対する、現場に対する憤りとあきらめを見る。

 ここで「おや?」と思ったのが、日誌事例の三番目の記述である。真面目な歴史読み物では、部落差別撤廃の動きが軍隊にも波及し、北原二等兵(当時の呼称では二等卒)の天皇直訴が有名なのであるが、軍隊内部の自殺問題を扱った記事中に、それに関連する事項が出てくるとは思っていなかったのである。
 九州で起こった軍内部での解放運動としては、大正15年の「福岡連隊事件」と云うのが有名(らしい)のだが、残念ながら手元に資料が無い。関連の書籍を調べれば、この日誌を書いた兵士の事がわかるかもしれないのだが、本稿の趣旨からはずれるのでやめる。ここでは「悔悟」と書かれているが、「悔悟」と云う言葉で片付けるのは、あくまでも当局側であることを忘れてはならない。
 百を超える遺書・日誌から、こう云うものを選び出したと云う事は、少なくとも「そう云う問題がある」と認識していたからなのであろう。不謹慎で不真面目に見える自殺ネタからも、考えるべき事は抽出できる、と云う事例である。
 記事本文に戻る。


 尚五百八十一名の自殺者中、辞世を詠んだものは他人の作を引用したものを併せて五名に過ぎないが、参考のために左に列記する。

 ○軍隊生活を厭い且つ帰営遅刻等の原因で自殺した某機関兵
 「もろもろのなやみを捨ててゆく我は
  楽しくもあり悲しくもあり」 (出典不明)

 ○週番勤務中の失策に依り懲罰に附せられたのを悲観して銃死した某軍曹
 「親思う心に勝る親心
  今日の訪れ何と聞くらん」 (吉田松陰の句による)
 「君に忠、親に孝、命ささげて来た身じゃけれど
  親に見せれぬ汚れた身」 (『君に忠、親に孝』は修身の言葉として有名)

 ○病躯を嘆いて拳銃自殺した某少尉
 「大君にかねて捧げし命なれば
  いくさの庭になきが悲しき」 (明治天皇御製:国をおもふみちにふたつはなかりけり/いくさの庭に立つもたゝぬも)

 ○成績不良及実父死亡等を悲観して、厭世自殺した某校生徒
 「東海の小島の磯の白砂に
 泣き濡れ果てて蟹とたわむる」
 「大という字を百ほど書きて
  死ぬことをやめて帰りにけり」 (ともに石川啄木の詩より。ただし原文通りでは無い)

 ○支那事変で某歩兵連隊に応召したが、即日帰郷を命ぜられたのを愧じ割腹した某輜重特務兵
 「国思う誠は人に譲るまじ
 散りて護国の鬼となるらん」 (『死して護国の鬼となる』は知られたフレーズ)


 真面目なムードを作った直後なのであるが、これも書き手の趣味が出ている記述である。何を「参考」にせよ、と云うのだろうか(笑)。おかげでこっちは元ネタ探しまでやらなければならんのだ!
 ここで注目するのは、辞世が「忠義・愛国心」を詠んだものと、「個人的心境」を詠んだものに大別される事で、左属性(最近は『市民』と云うらしいが)の強すぎる人は、とかく軍隊を「殺人マシーンの集団」と決めつける向きがあるのだが、自殺の原因や辞世を読むと、所詮は「人間の集団」に過ぎないことがわかる。
 「公」が強くても、「私」が強すぎても「組織」からこぼれ落ちてしまうのである。

 当時の教科書に石川啄木の詞が掲載されていたとは思えないのだが、教育程度の高いところでは知られていた事が、「某校生徒」(おそらくは予科士官学校か、幼年学校であろう)の辞世から読みとれる。

 七 戦争と自殺
 戦時には自殺者が殖えるだろうか、減るだろうか或は特殊の事象が現れるであろうか?……等戦争が軍人軍属の自殺相に及ぼす影響は、過去の歴史と比較考察することに依り研究の価値を増すことと思うが、不幸にしてそのような資料が見当らないので不完全ながら、今次事変勃発後一ヶ年間に現れた事例によって研究し以て後日の参考に供し度いと思う。
 支那事変発生後満一ヶ年間に於て自殺した陸軍々人軍属の数は百六十八名の多数に上り、之を事変前十ヶ年間の平均人員七十七人余に比較すると遙かに二倍を超えて居るような有様である。それは動員中に伴い応召者が著しく増加したこと而も動員が暑熱中に行われた事等が主因と考えられるが、それにしても自殺者が倍加したことは大いに研究の余地がある。
 何が故に斯くも多くの軍人軍属が自殺したか、左の表を第四項の原因動機表と比較して戴き度い。
原因別
/区分
精神異状、
神経衰弱、
厭世、疾病
病弱苦慮
出征不可能、
召集解除、
即日帰郷等
兵役観念
旺盛の結果
と認めらるるもの
責任を苦慮
して
従軍厭忌
軍隊生活
厭忌
任務に対する
自信なき為
帰営又は
集合遅刻
家庭関係 婦人関係 成績不良
悲観
其の他 合計
現役者 24 44
応召者 69 24 124
93 25 11 168
 精神異状、神経衰弱、厭世、疾病虚弱苦慮等、精神及肉体的の欠陥者が五割五分を占めて居るのは、平時の三割余に比較して応召者の体質の劣等を物語るか乃至は戦時勤務の繁劇を示すものであろう。
 又出征不可能、召集解除、即日帰郷等に基因し死んで赤誠を示したもの、或は之と逆に婦人関係や応召後の家庭生活を苦慮し又は従軍を免るる為に自殺したるが如き、或は幹部候補生出身将校にして自己の能力不十分を苦慮し自殺したものが相当多いのは矢張り戦時に於る特種事象として挙げ得ることと思う。
 此等の者の自殺手段を見ると左表の通であるが、之亦第五項の自殺手段表と対照すれば其所に考えさせられるものがある。殊に応召者の大部が未遂の最も多い刃物を用いて居ることは注意の要がある。
手段別
区分/
入水 服毒 轢死 縊死 銃死 刃物にて
切創
其の他 合計
既遂 15 11 29 12 36 115
未遂 42 53
15 17 11 30 12 78 168
 事例は省略する。
 尚事変後約一ヶ年間の海軍々人軍属の自殺者は僅々二十名足らずで、その内直接事変に関係して居るものは二名に過ぎず。その内容も略々平時と同一傾向を示し、数に於ても例年より寧ろ減少して居て戦時の影響として特記すべきものを認めない。


 支那事変から1年たった最新のデータの説明である。内容そのものは今まで書かれたものと重複するところが多いが、戦時の特性として、「欠陥者」の増加、出征不能、家庭問題、幹部候補生出身者の不適性によるものがあげられ、応召兵問題がここでも蒸し返されている。

 支那事変の勃発は昭和12年7月だから、「事変後1年」とは、昭和12年7月〜13年6月と云う事で、昭和12年度と13年度の中間にあたる。統計は同一の期間単位で作成されるのが普通だが(年度などで期間を設定しないと、過去との比較が出来ない)、これは特例と云うべきものであり、支那事変の長期化を念頭に置いたものであると云える。そこから導き出された結果は、「戦争は陸軍軍人軍属の自殺者を増加させる」、と云うものであった。その一方で海軍については「戦時の影響として特記すべきものを認めない」とあり、「自殺者の増加=陸軍のみに該当」と云う事実に対する陸軍当局の衝撃は大きかったものと思われる。

 八 自殺者を少なくする為の著意
 軍人軍属の自殺者を少なくする為には如何なる著意を必要とするか、本問題は当局者の真摯に考慮すべき問題で既に実状に即して種々考慮施策せられて居る処であると信ずるが、統計に基き側面より観察して次のような対策を提案する。

(1)軍隊幹部に軍人の自殺率の高いことを知らしめ、以て訓練上の着意を一層周密ならしめること。
 先ず軍隊幹部に軍人の自殺者の多いこと並びにその真相を知らしめ、之が不可避のものであるか否かを検討せしめる必要がある。
 或は中には現在の自殺率は強力な軍隊構成上当然生ずる消耗率であり、成績不良又は病弱苦慮者等心身の不合理な者はもっともっと淘汰せられるよう鍛える必要があると考えるものもあるかも知れないが、それは苟も 陛下の赤子を預る軍隊幹部の考るべきことではあるまいと思う。

(2)兵は人世中最も死にたがる年齢に該当して居ることを念頭に置くこと。
 この年輩の者の心理状態を解し、之が処遇に心したなれば少なくとも上官の叱責訓戒や私的制裁に基因する自殺者は相当減少せしめ得ることと思う。

(3)自殺は軍人精神に悖ることを銘肝せしめること。
 先ず入営の当初に軍人として自殺は最大の罪悪なりとの観念を十分植付けることが大切である。
 即ち感受性の最も強い入営当初に「軍人の生命は 天皇陛下のものである、命令なくして死ぬることは最大の不忠である」との観念を徹底せしむるのは肝要なことであると信ずる。

(4)上下の意思の疎通を図ること。
 上に立つものが手を差出してやらねば下のものは遠慮しその懐に飛込んでは来ない、帰営遅刻、官品紛失、隊務の失策等に対しては相当の制裁は免れぬ処であるが、それに基因して自殺するものが多いということは上下の意思疎通に就て一段の考慮を要するのではなかろうか。「私はこんな失策をしました、爾後は同じ失策を繰返さないことを誓います」と進んで申告して来るように仕向けねばなるまい。又失策した時に悄気て居るものに対しては更に任務を課しそれを達成した場合適当に賞詞し、所謂埋合わせをつけてやって沈んだ気持を引立ててやることも必要であろう。

(5)相互の戒飭に努めること。
 婦人及金銭関係や花柳病苦慮に基く自殺の原因は相当長期間に亙って煩悶が漸次深刻となり、遂に退引ならぬ羽目に陥った揚句之を決行するものが多い、勿論上司にも責任はあるが先ず日常起居行動を共にする同僚が相互に戒飭して深みに陥らないように心掛くべきである。

(6)家庭との連絡をより緊密ならしめること。
 家庭事情の苦慮に基く自殺者は総数の約一割弱に当る、此等のものの家庭事情につき予め軍隊幹部にして知悉して居たかどうか、或は適切な対策を講じて居たかどうか考慮を要する。

 又精神異状或は神経衰弱に基く自殺者にして自殺後原因調査の結果、初めて其の既往症或は系統のあったことが判った例が相当ある。此等も予め緊密なる調査の上承知して置き常に注意して居たならば未然に自殺を防止し得た場合も相当多かろうと思われる。

 以上は甚だ抽象的一般的な愚見であるが、斯うした著意に依り一人でも自殺者を少なくすることを得たならば望外の喜びである。


 まとめは当然、自殺者の増加を食い止めるための方策である。ここに書かれている事は、現代でも通用する事が少なくない。
 まずはどこでも自殺は起こりうる、と云うことを組織幹部に認識させようとする(1)の指摘は今でも成立する。危機意識の無いところに危機管理も対策も有り得ないからである。
 (2)も、若者を預かる以上、意識されねばならない事ではあるが、具体的にどうすれば良いか、と云うところまで来ると難しい。
 (4)も云うは易し行うは難しの典型で、信頼の無い上からの手は、下から見れば煩わしく、それによって下の精神的負担になる事もありうるからである。教育の場である学校での自殺者が絶えないのも、このあたりに理由がありそうだ。
 (5)は対症療法としては有功であるが、やり方を誤ると、相互監視によるストレスが発生しかねないし、上から云って聞かせるような内容でも無いように思える。
 (6)家庭問題への介入は、やはり介入者の人格を問われるものである。家庭問題を他人に詮索されるのは誰しも嫌なものである。しかし、児童・生徒の自殺があると必ず云われる事でもある。

 以上は自殺者以外からのアプローチであるが、結局は(3)の自殺は良くない、と云うところが理解・体得されているかにかかっている。自殺を決意するのも本人で、それを思いとどまるのも本人である以上、当人が死よりも生の方にメリットがあることを実感出来ないと、真の意味での自殺防止は難しいと思われる。

 自殺は依然として社会問題として存在しているわけだが、軍隊での防止策として有功と思われる「自殺は軍人精神に悖る」、と云う部分に該当するものが明確になっていないのが、問題なのではないか? と個人的には思うのである。「最後に頼れるのは自分しかいない」と云う事と「生きてりゃ良いこときっとある」と云う精神だけが、最後の砦となるのだ (よって『君を必要と思っている人がいる、だから生きろ』式の論には、あまり賛同出来ない)。
 本文最後に、「精神異状」の系統が存在すると云う事が書かれているが、これについては諸説あるので触れないことにする。


(写真は本文と無関係です)


 これで「偕行社記事」の自殺問題に関する記事は終わりである。締めとして現在の日本の自殺に関する統計を紹介する。帝国陸軍の自殺問題だけでなく、現代日本の病理まで取り上げてしまう、なんと云うサービスなのだろう(笑)!

 以下の数値は、総務省統計局の「日本統計年鑑」(第五十三回、平成16年版)に掲載されたものを使用した(細かい事を云えば、この本の図表には、それぞれ元ネタがあるのだが、そこまで書くのも面倒だ。日本政府の公式な数値だと思ってもらえば良いと思う)。
死因 死亡者数
昭和40年 同45年 同50年 同55年 同60年 平成2年 同7年 同11年 同12年 同13年
総死因 700,438 712,962 702,275 722,801 752,283 820,305 922,139 982,031 961,653 970,331
交通事故

19,516

24,096 16,191 13,302 14,401 15,828 15,147 13,111 13,111 12,378
自殺 14,444 15,728 19,975 20,542 23,383 20,088 21,420 31,413 31,413 29,375
 驚いたのが、昭和50(1975)年には、交通事故死より自殺死亡者の数が大きくなっている事である。逆転を通り越してしまっている!
 自殺者の増加傾向であるが、最近の自殺者約3万に対して、昭和10年は約1万6千人であるから、ほぼ倍増。しかし昭和10年の人口は6千9百万強で平成13年では1億2千7百万であるから、こちらも倍増に少し足らない程度である。そう云う意味では、現在の自殺率と云うものはそれほど悪くはなっていない、とも云える。戦後のある時期までは低下していたものが、元に戻った、と云う見方が出来てしまうのである。
 総死亡者の増加は、「悪性新生物」(笑ってはいけない、統計にそうあるのだ)によるものが、昭和40年の10万から、平成13年の30万になっている事に起因するようだ。


 「世界一」と書かれた日本の自殺率についてはどうか、人口10万あたりの死亡率(総務省ホームページの解説によれば、『死亡数』)から自殺によるものを抽出してみると
調査年 自殺による死亡率
日本 1999 12.4
韓国 1998 18.5
米国 1998 11.3
英国 1999 7.6
イタリア 1998 7.9
スイス 1996 20.2
ドイツ 1999 13.6
フランス 1998 17.9
ロシア 1998 35.3
クウェート 2000 1.6
 ご覧の通り、「世界一」悪いわけではない。もっとも、この国際連合統計局「人口統計年鑑」の数値に対し、厚生労働省「人口動態統計」の死亡率(人口10万対)では、同じ1999年の値が25.0になってる(笑)。統計のやり方に違いがあるのだろうが、悲しいかな違いが解らないので、とりあえず世界一の自殺率で無く、戦前から少しは良くなっている、めでたしめでたし、と云うことにしておこう。