手紙で変わる! 貴女の人生

手紙の書き方に見る、昭和初期の中産階級生活


はじめに
 近ごろは、昭和ブームとでも申しましょうか、むかしの生活をとりあげましたご本や展示会などが盛んなようでございます。うちの主筆もあちこちに出かけては、黴臭い雑誌なんぞを買い求め、なにやらあやしげな文を書いては皆様のご失笑をかっているようで、お恥ずかしい限りでございます。

 なにやら大河ドラマのナレーションのようでございますけれど、今回ご紹介いたしますのは「主婦之友」昭和10年新年号附録『吉屋信子著 ペン字の手紙 娘の手紙/妻の手紙/母の手紙』というものなのでございます。


カバーでございます

 これが附録でございます。絵をお描きいただいたのは、戦後「それいゆ」などでおなじみの中原淳一先生でございます。著者の吉屋信子先生は、戦前に少女小説で一世を風靡された方でございますから、わたくしから説明いたすようなことは何もないのでございますけれど、ここ何年かで著作が復刊されておりまして、本屋さんでご覧になられた方も多いのではないでしょうか。

 このカバーだけを見ておりますと、吉屋先生がペン字のお手本を書かれていらっしゃるように思われる方も多ございましょうが、この背には「文部省国語読本筆者 井上千圃書」とも書かれておりまして、「吉屋センセイってこのような字をお書きになるのね」なんて思っておりますと、とンだところで大恥をかいてしまうのでございます。


 この附録の目次を見ますと、


目次その1でございます

 新年号附録にふさわしく、「年賀状を友に」から始まって「縁談の依頼」「結婚の祝い」「愛児の写真に添えて」などといういかにも「主婦之友」らしい手紙の文例が載せられているわけでございますが、「同窓会誌に消息を報ず」というように、ひとところ流行りになった云い方をすれば「プチ・ブル」なものもあるのでございます。


目次その2でございます

 以下「新築の祝い」だの「友に縁談を勧む」「母に助力を乞うて」と、目次を読んでおりますと、なにやら一つのお話が進んでいるように思えてくるではありませんか。『ペン字の手紙』の最後は「うれしき結果」とあります。新春附録にふさわしいまとめかたでございます(ここに掲載する時期を間違えたのではありませんか?などとおっしゃっては困ります。オホホホホ)。

 その後は『手紙用語』の目次が続くのでございますが、紙面の構成で、片面に『ペン字の手紙』裏面には応用がきくように『手紙用語』があるわけなのでございます。実用を考えた素晴らしい構成であると申せましょう。


目次のおしまいでございます

 『手紙用語』の方は、「書き出しの用語」から「祝賀」「招待」「見舞」「贈答」「誘引」「勧誘」(当時は、人様をお誘いする際、『誘引』と『勧誘』二通りの言葉を使い分けていたわけでございますね)「弔慰」「依頼」「感謝」「通知」「問合せ」「紹介」「註文」と続き、「催促」「断り」「お詫」と云うあまり使いたくないお手紙の書き方はおしまいの方に来るようになっているのでございます。

 では、実際の内容がどうなっているのかをご覧いただきたいと思います。


最初の文例でございます

 この程度の文字が読めぬようでは、わたくしも弱ってしまうのでございますけれど、読者の皆様に楽しんでいただくのが「兵器生活」の主旨でございますから、以下に活字になったものを掲載いたしますね。


翻刻したものでございます

 年賀状を友に

 一九三五年−此の年も恙(つつが)なく健やかにもし神許し給わば、小さき葩(はなびら)ほどの幸を恵み給えと、自分の為に祈った言葉を、貴女(あなた)のためにも祈りつつ、貴女も私も生れて二十回目の迎春のよろこびの言葉を申し上げます。

 元旦
              千枝子
 圭子様
 縦書きの手紙を横書きにするのは難しゅうございます…。

手紙で読みとる二人の人生(1)
 「『主婦之友』なのにどうして二十歳の娘の年賀状なのでせう?」とご不審になられた方もいらっしゃることでしょう。ここで最初にご紹介した、カバーに書かれた「娘の手紙/妻の手紙/母の手紙」と云う言葉を思い出していただきたいのでございます。勘がするどくていらっしゃるお方でしたら、『ペン字の手紙』が、20歳の千枝子さんが結婚・出産を経て妻となり、母となり、「主婦の先輩として」ご親友の圭子さんともども幸せな家庭を作られる物語が隠されているところまで、お気づき遊ばしていることでしょう。

 お年頃の娘さんを持つお母さまが、母子ともどもこれをお読みになって、一家の主婦として恥ずかしくない教養を身につけていただく、と云うのがこの附録の目指すところなのでございます。娘さんも、家庭に入られたら「主婦之友」、「婦人画報」なんか読んではいけませんよ、と云うことなのでございます…。

 この手紙の読ませ所でございますが、「もし神許し給わば」の一節にあるのでございます。昭和19年、20年の「神」はいざ知らず、支那との戦始まらぬこの時期の「神」と云えばキリスト教の神様でございますから、千枝子さんと圭子さんはそう云う学校を出られた方なのですね。
 千枝子さんと圭子さんと云う、女学校の同級生同士だったお嬢さんが二人登場しているわけでございます。


 第三信は「縁談の依頼(母より)と云う内容になっております。


千枝子さんのお母様のお手紙でございます

 千枝子さんは、ややかための文字をお書きになりますけれど、お母様はご覧のように水茎麗しいお手なのでございます。翻刻されたものを画像としてお見せいたしてもお退屈様でしょうから、概要だけを抜き出しとうございます。

 (略)さて、御存じの長女千枝子も、この節分にて二十一歳に相成り、もうそろそろ結婚適齢期とやらにも入って居りますこととて、当人にふさわしき良縁もあらば嫁がせ度いと心がけて居ります(略)

 年頃の娘さんがいらっしゃるご家庭では、どちら様でも「良縁があれば娘を嫁がせてやりたい」と云うことのようです。「長女千枝子」と文中にはございますけれど、おそらくはそれほど年の離れてらっしゃらない息子さんがおありなのでしょう。「当人は結婚前の時代の一日でも長い方がなどと」と末尾にあります通り、縁談の当事者はいつも呑気なものなのでございます。

 この手紙から、千枝子さんのお母様の名前が「池田しの子」さまであることと、縁談をお願いした方が「山内久米子」さまと云うお方であることがわかるのでございます。


 こう云う手紙の次には「よき殿方がいらっしゃいますよ」と云う返事が来るのがお約束でございます。

 縁談を依頼された山内夫人からは、「数ならぬ私どもを御信頼下さいました上は、どの様にも千枝子様の御縁談にお力添え致したい」と云うお心強いお申し出、その後すぐに「実は宅の主人の、昔からの知人の御子息で」「一昨年帝大法科をお出になって」「主人の勤務先の東京本社にお勤めの方」が出てくるところは、附録の紙面が限られていらっしゃいますから、ご愛敬と云うものでしょう。「帝大法科」と申しますのは、今の「東大法学部」のことでございます。これだけでも充分立派なご縁でございますけれど、さらに「特に御美男とは申されずとも、お育ちの良い上品な御風采にて、趣味は絵画、御自分も油絵をお描きになるのが唯一つのお楽しみ」と人品賤しからず、「ごくさっぱりとした、まことに男らしい明朗な青年でございます」と、もうベタぼめなのでございます。
 この手紙では、山内夫人がかつて市ヶ谷砂土原町にお住まいになられていた当時、親しくご近所づきあいをされていたことが綴られておりますので、千枝子さんご一家もそのあたりにお住まいになられているわけでございます。


 さて、この手紙のあとに続きますのは、千枝子さんが圭子さんに出された手紙でございます。


結婚のご報告なのでございます

 親友へご自分の結婚を知らせる手紙なのでございますが、実は「結婚します」と明確には書かれていないのでございます。

 (略)貴女の様に、女学校以上の学校へも進まず、うちでお稽古事をして居る私は、やっぱり女としての平凡な道を歩むより仕方がございませんの(略)

 これは最前から書いております通り「主婦之友」の附録なのでございますが、女学校より上には進ませてもらえず、親の決めた縁談を受け入れるしかない千枝子さんの苦悩が、そして上の学校で勉学にいそしむ圭子さんを羨む気持ちがにじみ出ているようでございます。
 千枝子さんの筆づかいが元旦から変化しているのも見逃してはいけません。

 千枝子さんの思いを余所に、圭子さんは

 (略)貴女は姿も心も優しい人妻の生活に早く入るべき方だと、いつも心で思って居たのですもの、それは当然過ぎるほど当然ですわ。

 と、述べられているのでございます。その後すぐに「自分の大好きだったお友達を見知らぬ世界へ連れて行かれる様な気がして一寸寂しいの」とは書いていらっしゃりますけれど…。


 この後は、千枝子さんから山内夫人へ「しみじみと自分の恵まれた今の幸福への感謝を知りました」と云う、結婚生活の幸せを綴った手紙が続くのでございます。

手紙で読みとる二人の人生(2)
 この後は新前主婦としての千枝子さんへ、学生生活を満喫している圭子さんから「映画と音楽会の切符を頼む」手紙が届くのでございます。「白券三枚と青券七枚」を押しつけた圭子さんへの返事は

 (略)白券の方は私たち二人と女中まで連れて行く事にして三枚そっくり戴き、あとは実家の弟に報酬付きで頼みましたら、お友達に三枚売ってくれましたのよ

 と、ご友人思いのところを見せるのでございます。それにしても新婚の夫婦二人に女中でございますから、当時の中産階級の生活レベルがしのばれます。帝大出で(おそらくは一流企業へコネ入社)の旦那様を持つご家庭は、私ども下々とは違うものでございます。
 とは申せ、このころは電気洗濯機も冷蔵庫も掃除機も、よほどのご家庭でなければ無い時代でございますから、「女中がいる=大金持ち」と、いちがいには云えないのでございます。


 引き続きましては『妻の手紙』をご紹介いたします。

 旅先の良人 (おつと) 

 御出立の日から絵葉書が三枚毎日届きましたので、千枝子は一日中郵便配達夫の足音を身体中耳にして待って居りますわ。
 三枚目のお便りに、当分はそちらの出張所の事務所にいらっしゃると書いてございましたので、間に合う様にお便りを差し上げ度くなりました。
 寂しかったらキヨを連れて、映画でも見に行くようにと仰有って下さいましたけれど、今千枝子とてもそんな気持にはなれませんのよ、お留守のお部屋のお机を拭いたり、お洋服のお手入れをしたり、只お帰りを待ち侘びて居ります。それを察してか実家の母が弟を連れて時々賑やかに来て呉れますの、そしていつでも、御旅行中お変わりのないようにとお噂いたして居ります。
 どうぞどうぞお大切に、これから此の手紙をポストへ入れに千枝子は御存じのある道角まで駈け出して参りますの。

 まア「身体中耳にして」だなんてお熱いこと。このお手紙が出張所の方の目にとまって、場を和ませるのもお約束でございますね。もちろん、『妻の手紙』はこのようなラブ・レターだけではなくて、良人の両親あての文例も掲載されているのでございますが、そんなものを掲載してもどなたもお読みにならないでしょうし、主筆も面倒だと申しております。


 この時代、電話がそれほど普及しておりませんので、ちょっとした頼み事を手紙で行うことも多かったようでございます。続きましては、千枝子さんがご実家に器物の借用をお願いしている文面でございます。

 器物の借用を頼む(実家の母へ)

 明日例の結婚記念日のお祝いの支度で私大騒ぎですの。就きましては、まだ新所帯でお客膳の用意が整いかねますが、ふだん使わない品々を買い込むのも不経済と思いますので、おうちに有るお父様御秘蔵の九谷のお皿と伊万里の向う付けの小鉢を揃えて貸して戴ければ助かりますのよ。割らないように注意いたしますからどうぞ使いの者にお持たせ下さいませ。右御願いまで。

 千枝子さんの新居がご実家とそう遠くないことが読みとれる文章でございます。「使いの者」が女中のキヨさんと云うわけなのですね。「ふだん使わない品々を買い込むのも不経済」と云うあたりに、主婦の賢さを見るようでございます。「主婦之友」の読者ですもの、これくらいの心構えがなくてはいけません。


 結婚記念日のお祝いが済みますと(もちろん千枝子さんの手料理−お献立は書かれてはおりませんが、『主婦之友』で覚えた料理に決まっているのでございます)、いよいよご出産で千枝子さんもお母さんになるのでございます。
 圭子さんからは、このような便りが届けられるのでございます。

 安産の祝い(友に)

 千枝子さんが、ママになるなんて(文部大臣のお言葉に従えば、パパママはいけないんでしたっけホゝゝゝゝ)

 1934年、当時の松田源次文相が「パパ、ママとはけしからぬ」と発言した事を受けての文でございます。この頃の大臣の発言の影響力の度合がしのばれるようでございます。

手紙で読みとる二人の人生(3)
 世は無常と申されます、たかが「手紙の文例」の世界であっても、いろいろと事件はあるものでございます。千枝子さんの親友でいらっしゃる圭子さんのお父上がお亡くなりあそばしたのでございます。
 千枝子さんは早速圭子さんへなぐさめのお手紙を送られるとともに、次のような手紙をお知り合いに出したのでございます。

 友人の就職を依頼す(先輩の夫人に)

 日頃御無音に打過ぎながら、此の度勝手なるお願い申し上げますので、まことに恐れ入りますが、どうぞお許し下さいませ。
 私の女学校時代よりの無二の親友、香川圭子さんが、此の夏父上を失いお母様と幼い御弟妹のために、折角御勉学中だった英学塾を中途退学して、何か職業を御希望なのでございますが、先日伺いました御主人様の此の度の御事業の洋書販売部の御仕事に御採用しただけますまいか。目下洋書部係員を募集とのこと、洩れ承りまして、右ぶしつけながら折入って御願い申し上げます。(略)

 昨今は就職難と云われておりますけれど、女性が一家を養うのは当時も大変なことだったのでございます。このへんの事情につきましては、斎藤美奈子さまの「モダンガール論」(文春新書)にお詳しく書かれておりますので、読者のみなさま方にもご一読をお勧めいたします。
 圭子さんが無事ご就職できました事は、書くまでもございません。


 その後の手紙は、千枝子さんの縁談をまとめられた山内さまのお家が暴風雨に見舞われたり、千枝子さんの旦那様であらせられる一夫さんの名古屋栄転があったりと、「お見舞い」「栄転祝い」「歳暮のやりとり」など、主婦の生活に欠かせない手紙の文例が登場するのでございますが、このあたりは割愛いたしまして、次のお手紙をご紹介いたしとうございます。


 友に縁談を勧む

 (略)圭子さん、東京に居たとき、そら私達の結婚記念日に、うちでお会いになった宗像精一と云う、一夫のお友達を覚えていらっしゃいます? 無口な背の高い、眼鏡をかけていらっしゃった方よ。今は商大の助手をしておいでですけれど、一夫の中学時代からの大事なお友達ですの。その方が突然去年の秋、一夫に、貴女の事を思い出して、結婚を前提としての、おつきあいをしたいという事だったのでございますって。
 ところが、丁度そのとき貴女のお父様の御不幸があり、学校をおやめになって、御就職なすったばかりだったので、一夫は一寸その問題をにぎりつぶした形だったのでございます。すると去年の暮に宗像さんが御寄りになり、一二泊なさいました、その時私もそのお話伺いましたの。そして大へん真面目な結婚の御申出でございますので、まだ一度お会いになったばかりとは申せ、宗像さんは一夫の中学からの親友、そして貴女は私の大事な大事なお友達、どちらも私達がどんなにでも信用出来る方々ですもの、もし、ほんとにそう云う事になるのだったら、どんなに楽しく仕合わせかと胸がときめくほどですの。
 結婚はしても母にはなっても、相変わらずの世間見ずの千枝子の空想と思召すでしょうか?(略)

 雑誌の附録、手紙の書き方、どちらもご都合主義があっても仕方がないのでございましょうけど、おそらくは帝大出、今は商大(今の一橋大学でございますね)の助手をなすってらっしゃるなんて、いくらなんでもご都合が良すぎます。「世間見ずの空想」と、小一時間問い詰めたい、とはこのようなことを云うのでしょう。

 その返事

 千枝子さん、貴女のいつもながらの、お優しいお心もちのうれしくて、眼がしらのうるむ様な気がいたしました。父の亡い後、母にも弟妹達にも気弱い様子など見せたくないと、元気に働いて居りますけれど、前よりも何んだか人の優しさに、すぐと涙ぐみたい様な気持になったのかも知れませんわ。
 宗像さんなら、私よく覚えて居ります。真面目な学者の様な方、私あの頃は学校の事に夢中でしたから、男の方の品さだめなど、思いもつきませんでしたけれど−(略)

 「商大の助手」ですから、すでに学者の卵のはずでございます…。圭子さんは気が動転しているのかもしれません、オホホホホ。他愛ない文例でございますが、当時のものの考え方が現れた資料でもございますので、先を続けます

 (略)私自分の美しからぬ姿形や、華やかでない気質など、自分でもよく承知して、若い異性のこころを魅(ひ)くものではないと思って居りますのよ、虚勢を張れば、軽薄なモダンボーイになど、私のよさ(原文傍点付)などなど、わかるものかと、ホゝゝゝゝゝ、いばって見る時もあるんですけれど−(略)

 「インテリ女は見目麗しくあってはならない」、「男性にちやほやされてはらない」と云う『主婦之友』読者に対する著者の配慮を感じてしまうのでございます。男性の目から見れば、「美形のインテリ女がふっと見せる気の弱さ」は今日云われる一つの「萌え」要素なのでございますけれど、夫人雑誌の附録でございますから…。
 圭子さんからの返事では、宗像さんを憎からず思われている気持ちは見せているのですけれど、「高校の弟、女学校に入ったばかりの妹、そして不意に頼り処を失った母」の精神的支柱としていかなければ…、と千枝子さんからのお申し出を断ってしまうのでございます。

 (略)宗像さんには、私のような立場の娘でなくて、もっと豊な家庭のいいお嬢さんを、いくらでもお迎えになれるのですもの…


 圭子さんからは、お断りの返事が出てしまったわけでございますけれど、これで終わってしまっては、全国の婦人に生活の知識と夢を与える「主婦之友」附録としては失格でございます(笑)。千枝子さんが仕合わせなご家庭を築かれていて、その御親友が親兄弟を養うオールド・ミスで終わってしまっては、圭子さんはそのうち赤色思想に毒されてしまいます。
 と云うわけで、千枝子さんは実家の母へ助力を乞うのでございます。

 母へ助力を乞うて

 お母様。
 お寒うございますこと、お元気? きょう千枝子は叶わぬ時の神頼みじゃなくて、叶わぬ時の母頼みという事になり−御存じの圭子さんの御縁談のことですが (略) 圭子さんは、心細いお母さんを残して嫁 (ゆ) けないってお気持ちらしく、お断りだったのですけれど、どう考えても惜しい此の御縁談、どうにもして成功させたいので−どうぞお母様も御助力下さいね。 (略) 圭子さんのお母様をお訪ね下すって、お母さんはお母様同志、圭子さんの御幸福な此の結婚の成立出来るようお勧め下さいね、 (略) いくら手紙で圭子さんを説いても駄目らしいので、背後からお母様同志で結束して、あの人を陥落させて下さいますよう、これが千枝子の軍略なんですの。私もなかなかお世話好きの奥さんになったでしょう、ホゝゝゝゝゝ。 (略) 圭子さんの月給は四十五円なんですが、それぐらいは、どういう名目かで、宗像さんが結婚後援助すればいいと、一夫は言ってますけれど、その点もお含みの上で、お話し下さいませ。

 附録冒頭の年賀状に「神許し給わば」と書いたお方が、「叶わぬ時の神頼みじゃなくて、叶わぬ時の母頼み」なのでございます。私の考え方がどうかしてるのかもしれませんが、千枝子さんの「良いと思ったら一直線」なところが怖ろしく思えてまいりました(笑)。
 このあたりから、着実に主婦としてのキャリアを進む千枝子さんと、キャリア・ウーマンのなり損ないの圭子さんとの力関係と云いましょうか、幸せのつりあいが、微妙に変化しているのでございます。

 大学の助手の給金がいかほどなのかはわかりませぬが、困った時の「値段の風俗史」では、小学校教員の初任給が昭和8年で45〜55円、銀行の初任給は同年70円、国家公務員(高等官)は大正12年〜昭和12年まで75円なのでございます。
 「値段の風俗史」に「東京大学の授業料」と云う文章を書いていらっしゃる永井道雄さまの記憶によれば、大正初期に早稲田大学の教授をなさっておられたお父上の年俸が2千円で、帝大の教授よりも千円少なかったのだそうでございます。圭子さんの月給45円は、昭和11年の三食賄い付き下宿代金30〜35円から見ればお安く見えますけれど、小学校教員と同等でございますし、東京は板橋界隈の戸建の家賃が昭和13年で13円でございますから「家賃は月給の1/3」までと云う眼で見れば立派なものでしょう。
 そのお給金相応のお金を、宗像さんが援助しても良い、とおっしゃるわけです。現代の常識では、大学の助手なんぞは薄給で、書籍代でピーピー云っているのが相場のようなのでございますが、この方はきっと「改造」にでも寄稿して、月に百円くらいは稼いでいらっしゃるようのでしょう(笑)。ちなみに日雇い労働者の場合、一日の平均賃金は昭和9年で1円31銭とありますから、一ヶ月で40円稼げればオンの字なのでございます。戦前の都市文化を享受できる人は限られていたのでございます。このことが赤色思想の拡大と国粋主義の温床となったのでございます。

 さて、千枝子さんの軍略はいかがあいなりましたのでございましょうか?


 厚意を謝して

 千枝子さん、お怨み申し上げると云えば、嘘になるかも知れませんし、お礼申し上げると云えば、はずかしゅうございますわ。
 先日貴女のお母様が、おいで下さいまして、母にいろいろお話し下さいましたそうで、その晩、すっかり母に泣かれてしまいました。 (略) 弟まで興奮して、(自分の学資ぐらい自分で稼ぐ、姉さんを僕達のためにお嫁にやれないくらいなら、僕は学校よしてもいい)などと言い出すのです。 (略)
明日母と一緒に砂土原町のお宅へ伺って、改めて宗像さんにもお目にかかる事にいたしました。 (略)

 圭子さんの複雑なお気持ちがあらわれております。当然、圭子さんと宗像さんは結婚を前提としたお付き合いを始められる事になります(この『結婚を前提としたお付き合い』を裏返すと『できちゃった結婚』になるわけでございますね)。


 そして一連の文例(そう、これはペン字手紙の文例集なのでございます)は

 うれしき結末

 一昨日精一さんが不意にお店にいらしって、私少し吃驚 (びっくり) して赤くなってしまいましたわ。家 (うち) へはもう度々いらしったのですけれど、お店は初めてなので−。そしてお昼休みに富士アイスでお食事戴きながら、暫くお話いたしました。そして私此の夏まででお店もやめて、結婚生活に入ろうと決心しましたの。 (略) 精一さんは名実ともに、私どもの媒酌役を貴女と一夫さんのおふたりにお願いすると仰しゃってますの。 (略)

 と云う、圭子さんからの手紙で完結するのでございます。現代の感覚では、女学校を出て、英語塾まで進まれた方が、あっさりと家庭に入られるなんて、少々もったいないように思えるのでございますが、「女性は家庭に入るもの」と云うのが「主婦之友」の方針なのでございましょう。
 「富士アイス」は、永井荷風も通った、有名な銀座の洋食屋でございます。つまり圭子さんの勤め先は銀座の洋書屋と云う事になるわけでございます。

むすび(手紙に書かれない二人の人生)
 この一連の手紙を読んでおりますと、嫁姑問題(千枝子ご夫妻は、核家族のはしりなのでございます)も、亭主の浮気も、相続の紛争も、近隣住人とのトラブルも、何も出ないのでございます。
 「兵器生活」読者の皆様はご承知のこととは思いますが、この二年後には支那で戦争が始まります。おそらく一夫さんも精一さんも戦地に召される事と思われるのでございます。千枝子さんはきっと一夫さんの御両親に、夫が応召された喜びの手紙を書くことでございましょう。そして圭子さんに、戦地で夫がたてた手柄話を書き立てるに違いありません。

 この二人の友情は、いまだ始まらぬ歴史のうねりの中で、どう変わっていくのでございましょうか?


 長々とよしなきことを書きつづけまして、皆様にはさぞかしご迷惑とはお察し申し上げますが、引き続き御愛顧賜りたく主筆ともども御願い申し上げます。