付喪神と捨駒

兵器はモノに過ぎない


 器物が永い年月を経ると、「付喪神」と呼ばれる妖怪変化となると云われる。また、生前愛着を持って扱われた品物には、死者の念が残る、などとも聞く。しかし年月も経ず、必ずしも愛着を持たれていたわけでも無いのだが、魂が込められている、と云われたモノがあった。帝国陸海軍の兵器である。

 モノを大事にすることは、小学校でも教えるような基本道義である。新築の家には、ヘビースモーカーの来客を遠慮してもらったり、乗用車の床に絨毯を敷いて土足厳禁にしてみたりと、中には違和感を感じないものも無いわけではないが、見た目の美しさを維持しようとしたり、機械が正常に動作するよう整備したりと大事にするやり方は色々ある。クマの縫いぐるみに名前をつけて、いつでも一緒にお出かけすると云うのもモノを大切にする精神の一つである。
 しかし、これらの事例はあくまでも自分の持ち物に対してであり、よそ様からの預かりモノに関しては、その値段相応の気の使い方しかしないのが普通である。書店に置いてある法律の実用書を紐解いてみても、他人から保管を頼まれたモノに対しては、自分の持ち物と同等の保管のされ方で良い、と書いてあったりするものだ(つまりウッカリ者にモノを預けてはいけない、と云うことですね)。

 ところが、帝国陸軍においては、そのような娑婆の常識を超越した世界があったのである。
 「壮丁兵器科学読本(第二巻)」(陸軍大佐 佐々木 一雄 若桜書房 昭和17年11月)に、以下の記述がある。
皇軍の兵器と日本精神

 陛下の兵器

 我が国の軍隊が 陛下の統率し賜うものである以上、海、陸、空の別なく戦艦も大砲も、飛行機も凡てが 陛下の兵器であることは当然のことである。そこに他国に例を視ることの出来ない尊いものが存在するのである。されば皇軍の将兵はこの尊い兵器と死生を供にするのである。否死を以て兵器を守った例はいくつもあるのである。外国の如く単に敵を殺傷する道具であると云うような考えを持って居ないのである。だから他国には自己の都合で大切であるべき筈の携帯兵器を河中に投じて投降すると云った例は数限りの無い程あるのだ。又鹵獲した兵器を検すると銃床などに彫り物の如きものをしてある。実に兵器の尊厳と云った点は少しも認めることが出来ないのである。
 彼の上陸作戦に於て身を海中に投じたとき、自己の溺れることも忘れて銃を高く捧げ、或は死の直前まで機銃を握りしめ、死後尚之をはなさなかった例は数限りのない程ある。尚空中戦を演ずる数多くの搭乗者は、奮闘の後、要部に火を発し遂にその能力を発揮することの出来ないことを知るや、
 「陛下の飛行機を喪失することを謝し、自爆するのを常として居る。」
 外国流に落下傘で自己を救い、大切の飛行機を焼失するようなことは無いのである。

 されば兵器を支給されるときは、個人であると中隊であるとに論なく厳粛な兵器授与式が行われるのである。これは 陛下の兵器をお預かりして之を立派にお役に立てることを誓うと共に、平素は勿論のこと、敵陣に於ても之を立派に保存して其の機能を完全にすると云うことを誓うのである。
 まこと、顔や手脚を洗う暇はなくとも、兵器の手入れは忘れないのである。そこに皇軍将兵の特異の点があるのだ。
 北支の戦場に於て忠烈の物語りは沢山あったが激戦の後身に数多くの重傷を負いて再び立つことの出来ないことを知るや、静かに「君が代」を奏し、小銃を抱き占め、その御紋章に対して最敬礼をなしつつ笑って瞑目したと云う、けなげの勇士もあった。
 その他敵弾最もはげしさなるに、身を以て通信機を掩い、自ら斃れたるも、其の機を有効に使用することが出来たと云う上海戦線の忠勇なる美談もある。
 これ等は凡て兵器の尊厳を解し、身を殺して兵器を守った例であるが、又一特務兵は重い弾薬を背負い濁流溢るるクリークに架せられた仮橋を渡る際にあやまって一つの弾薬括包を河中に落したために責任を感じて自ら河中に投じて死を選んだものもある。其の処置は決して賢明でなかったかも知れぬが、其の精神は「陛下の弾薬を失って相済ぬ」と云う強い観念から決行したことである。
 即ち兵器に対する日本精神の現われであると云うことが出来るのである。
 ここまで読んでうんざりする人もあるだろうが、実際には以下<造兵の信念と精神><日本兵器の伝統>と云う段が続く。内容は推して知るべし。
 その後は「皇軍の兵器には魂がある」と云う章が始まる。内容は<兵器は生きもの><重傷兵まで銃をかばう><英兵と兵器><無電機に祈る産業兵士><兵器と少年技兵>と、これまた一般人なら読むだけ時間の無駄な文章がこれでもか、と続くのである。
 総頁200のうち20ページが、上に引いたような調子の文章であると思っていただきたいのである。


 これだけであれば、世間で云われる「日本軍の精神主義」の一例で済んでしまう。つまり「兵器生活」であえて取り上げる必要も無い。こうやってしつこいくらいに「皇軍の兵器は尊い」と書きつづったところで、「科学知識不足に基く兵器損傷の実例」なる一章が始まるのである。「科学知識に基いた兵器愛護の実例」では無い。「兵器損傷」すなわち悪い事例なのである!
 科学知識不足に基く兵器損傷の実例 陸軍省兵器局

 そんな馬鹿な事があるかと思われるような出来事が戦場では往々起きているのである。殊に兵器の取扱に就ては、科学知識が不十分な為に、こうした例が比較的に多い。近代の戦では戦場で活躍する兵器資材は莫大な数量に達し、その消耗せられるものも亦非常に多いのである。各人の僅かの不注意は積り積って驚くべき多量の浪費となり、各人の行き届いた注意は多くの資材を節約し得る結果となるのである。今次支那事変に於てもこうした実例が多く以て他山の石とすることは将来の戦争に対し非常に大切なことと思う。併しこうした例は全軍に互って多発しているのでは決してなく、極めて一小局部に限られていることは固よりである。

 第一、銃器

(中略)
 4.船上で射撃をし重擲を海中に落す
 昭和16年1月民船で揚子江を行動していた某部隊は、海岸に敵のいるのを発見したので、船の両舷を支点として造られている横木の中央に擲弾筒を置いてこの敵を射撃した。横木は径約十糎程度のものであったが、擲弾筒の発射の反動で屈曲し、その弾性によって重擲が飛上がり遂に河中に落としてしまった。
 これは重擲の発射の時に起こる反動と云うものに無関心、無智であった結果であって、小銃のような小さな弾を発射するものでも、あれだけの反動があるのであるから、その初速は遅いとは云え、相当大きな弾丸を発射する重擲の反動が相当大きなものであると云うことは当然である。それを屈曲し易い横木の真中に置いて射撃をすると云うことは、全くむちゃなやり方である。
 非常に堅いベトン等の上で重擲を射撃すればその反動で柄棹がよく曲がって使えなくなると迄云われている。重擲をこうした所で射撃することは、その機能に通じていなかった結果と見て差しつかえがあるまい。
 「擲弾筒」の文字を見てもピンとこない読者のために説明する。

 写真中央の兵士が持っているのが「擲弾筒」である。ご覧の通り、地面に付けて射撃するものである。口径は50ミリ。上記文章に登場する「重擲」(重擲弾筒)の場合、800グラム(炸薬150グラム)の弾を670メートルまで飛ばすことが出来る(データは成美堂出版『太平洋戦争 日本帝国陸軍』より)。

 これを、太さ10センチほどの横木に据えて発砲したために、木がしなって擲弾筒までも飛んでいってしまったと云う話である。揚子江の神様が現れ、「おまえが落としたのは、この金の擲弾筒か、それとも銀の擲弾筒か?」と聞いた、なんて事はなかったと思う…。
 擲弾筒の使い方を知らない米兵が、鹵獲したそれを膝にのせて発砲したら、骨折した、と云う話は有名である(そのわりに何処で誰が、まで書かれているモノを読んだ記憶がない)。

 この「科学知識不足に基く兵器損傷の実例」では、その他機関銃や大砲を毀損した事例が掲載されているのだが、「死んでもラッパを放しませんでした」式美談ばかりとされる当時の出版物に、このような失敗談が(極めて一小局部に限られている、と云う註釈付きとはいえ)書かれていると、ほっとするのである。

 「陛下から賜りし兵器」とは云え人間が使う以上、このような失敗もあってしかるべきである。兵隊といえどもやっぱり人間なのだ。

こんな漫画がある。


「兵隊生活」より

 また風流

 入営前生花師匠だった擲弾筒手のS、休憩中フト溜池のアヤメを見つけたので…
 「陛下の兵器」を粗末に扱うだけでもビンタものだが、それを花器に仕立てている(砲口に異物を差し入れているのだ!)。実際にこのような事があったとは、とても思えないのだが、戦時中にあっても、このようなユーモアが生きていた時期があったのである。

 この「兵隊生活」の著者は今川 良雄。科学日本社から昭和18年6月に発行されたもので、序文を情報局の熊谷中佐が書いている。
本書を見て

 有史以来ノ大戦争、而シテ赫々タル戦捷ニ輝ク無敵皇軍! 扨テ此ノ強イ兵隊サンノ日常生活ハ一体如何ナルモノカ……一般ニ軍隊生活ハ厳格ナモノトノミ思ハレテハ居ナイカ? 其処ニ織リ込マレタ涼シイユーモアノ数々ヲ果シテ認識シテ居ルノデアロウカ? 本書ハ其ノ頁ヲ繰ルニツレテ其等軍隊生活ノ隅々ニマデ及ンデ漫景ノ数々ガ展開サレテ思ハズ顎ヲ解イテユク。而シテ今川君ハ嘗テ小官ノ青年士官ノ頃共ニ○○部隊ニ在リシ兵隊サンデ軍隊生活ノ完全ナ体験者デアル、其ノ観察ハ軍隊生活ノ機微ニ触レ其ノ着想ハ軍隊生活ノ要機ヲ捕ヘテ居ル、而シテ其ノ軽妙ナ画才ハコノ鋭イ観察ト着想ヲ縦横ニ結ビツケテ寸鉄人ヲ刺スノ註句ト相俟ツテ感嘆且抱腹セシメルデアロウ。軍隊生活ハ富者ノ子モ貧者ノ子モ、地主モ労働者モ共ニ同ジ藁布団ニ寝テ同ジ飯盒ノ御飯ヲ食フ。硬イ様デ軟カイ古イ様デ新シイ、盛リ上ガル元気ニ包マレタ微笑マシイ一大修練道場デアル。
 微笑ミ乍ラ知ル軍隊生活ノ内容、而シテ之ニ依リ受ケル人生ノ一面、之ガ本書カラ受ケル直感デアル。

 昭和18年2月11日 情報局第一部第三課長 陸軍中佐 熊谷 則正
 徴兵制度は、市井の人をある期間に限り、兵隊として使用する制度である。先の戦争が、あまりにも背伸びしたものであったため、男子はすべて兵隊となり、兵隊に取られたら死ぬか怪我でもしなければ帰れない、と戦後世代は思いがちである。しかし平時であれば徴兵検査で甲種合格者のうちの一部が、2年間の兵役につき、残りは補充兵となった。職業を軍人にしない人であれば、兵役に就くまでと除隊してからは社会人として生活しているわけであるから、様々な職業の人が軍隊にいたと云って良い。
 したがって、生け花の師匠が、擲弾筒や機関銃の操作に習熟していても、現在われわれが思うほど不思議なことではない。自動車教習所の合宿教習を受けたとき、学生、無職、会社員、暴力団組員が同じ宿屋にいるようなものである(笑)。

 「兵隊生活」は、戦場に出る前の兵隊生活をほのぼのと描いたものである。「お国のためとはいいながら 人のいやがる軍隊に」と云う歌があるが、その一方で兵役は国民の義務であったため、兵役の崇高さを讃えるのと同じくらい、兵隊生活も悪いものじゃあないよ、と宣伝する必要があったのである。
 この本、内容は平穏なのだが、「別冊太陽 発禁本」では「軍隊生活の漫画化行き過ぎの点あり、安寧・風俗共に有害、禁止」とある。<漫画化行き過ぎ>とは、擲弾筒を花器にしてしまった部分も指すのだろう。序文を寄せた熊谷中佐の面目丸つぶれである。

 将棋は戦争を知的遊戯化したものである、と云われることがある。将棋自体が、戦争の代用であったと云う人もあるだろう。そのためなのか、「捨駒」という人間をモノ扱いする言葉が良く使われる。また、「一銭五厘」と称されたように、兵士の価値は兵器よりも軽いと見る向きもあった。冒頭に載せた「壮丁兵器科学読本」の記述は、あきらかにその考え方に基づいている。 しかし、人間の価値、少なくとも「使える」人間の値打は、当時に於いても大量生産された工業製品より高価であったのではないだろうか?

 「戦場の衣食住」(学研『歴史群像』太平洋戦史39)のコラムに、「賄料(まかないりょう)」の話が書かれている。これは部隊が、独自に必要物品を調達する際の費用基準で、昭和15年に於いては兵員一人あたり日額12銭以内と定められている。2年間在営した兵士にかかる「賄料」は754銭=7円54銭。給与については「日本陸軍便覧」(光人社)に記載された米軍資料から、二等兵は月額6〜9円、一等兵は月額9円であることがわかる(1941:昭和16年)。
 二等兵(月額6円)を1年、一等兵(月額9円)を1年務めれば、給与支給額は72円+108円=180円。よって7円54銭+180円=187円54銭が、娑婆から一人前の兵隊になるまでに最低限必要な経費であると云えよう。
 今度は兵士が「陛下から賜った兵器」の価格である。「小銃・拳銃・機関銃入門」(佐山二郎、光人社NF)に掲載されている、昭和16年12月に作成された兵器価格推移表では、三八式歩兵銃が80円、三十年式銃剣が10円70銭、鉄帽(本体のみ、褥皮・顎紐除く)8円55銭であった(すべて昭和16年の調達価格)。これらを合算すると80円+10円70銭+8円55銭=99円25銭となる。

 兵士180円>小銃等99円! 数字のマジックであることは承知の上ではあるが、小銃を守ろうとした兵士が死ぬことは、あきらかな損失である、と云ってしまっても間違いではなかったのである。もっとも、これが機関銃になると十一年式軽機関銃は585円、九九式軽機関銃は1200円であったりするので、身を挺して機関銃を護る行為は『正しい』こととされてしまうのだが…。


 兵器を愛護し、その性能をいかんなく発揮できるようにする事は当然の事である。しかし、それを扱う兵士にもそれが出来るようになるまでの時間と経費がかかっていることを忘れてはならないし、そもそも兵器が勝手に戦争を代行してくれるわけではない。兵器は与えられた性能以上の仕事をやらないが、有能な人材は兵器を直接つかわずとも、個々の戦闘以上の結果を出せる可能性を秘めているものだ。当たり前だが兵器より、人間の方がはるかに多用途である。

 極端な兵器愛護論とは、大日本帝国が貧乏帝国であったことの証左に他ならないのである。その発想は戦争の世界を越え、現代日本にも生き残っている事を忘れてはならない。使い道の無い文化会館、モトの取れない自動車専用道路、首都圏へのアクセスを良くしたばっかりに若者が流出する地方都市…。明治以来続く「ハコモノありき」の発想は、そろそろ終わりにしても良い。

 人間からユーモアや教養、思想等を取り除くと、一個の「駒」(歯車でも部品でもマーケットと読み替えても良い)になる。それに「只のモノ」を与えたところで、人間の価値もモノの価値も上がりはしない。日本軍の兵器が付喪神になるには、あと百年くらいかかりそうである…。

 ※発禁理由の詳細を知りたいと思い、「発禁本資料集成3 禁止単行本目録(昭和16〜19年)」と「同4 単行本処分日誌」(ともに原本は内務省警保局、湖北社による復刻)を読んでみたのだが、上にあげた記述は見つからなかった。「単行本処分目録」には、たしかに「兵隊生活」の名と、処分月日が「6月28日」であること、処分種別が「安寧及び風俗」であることは銘記されているのだが、その理由は何も書かれていない。