零戦後上方斜銃装備機(若年搭乗員用)

零戦後上方斜銃装備機
零戦後上方斜銃装備機


零戦は馬力向上が進められない中で武装/防弾強化を進めるしかなかったがそこには
もう本来の零戦の姿は無かった。そんな中で本来の零戦の性能を少しでも取り戻すべ
く改造が行われ、夜戦用として20ミリ斜銃を搭載した零戦とは別の斜銃装備機の存在
が明らかになった。それは7.7ミリ機銃でなんと後上方斜銃であった。これは熟練搭
乗員の不足により若年搭乗員の帰還率を上げる事を目標とし対戦闘機戦に主眼を置い
たもので52丙型をベースに改造された。まず軽量化と空気抵抗を減らす為に主翼下面
の小型爆弾架は外されカウリングの左側の銃口も塞がれた。しかし防弾装備はそのま
まの様である。武装は主翼の20ミリ(125発)2門は外し13ミリ(240発)を2門、機首
に13ミリ(230発)を1門とした。13ミリは支那事変初期に鹵獲されたブローニン
グ12.7ミリ機銃に艦載用の対空機銃の93式13ミリ機銃の銃身と弾薬包を使用できるよ
うに改造したものを試作したのが始まりであった。その為発射速度など本家ブローニ
ングに迫るもので戦闘機用機銃としては最適であった。そして胴体後部に7.7ミリ
(600発)を1門である。銃口付近の処理は斜銃付雷電と同じであるが注意書きがさら
に大きい。この7.7ミリの発射はハッキリと区別する為にスロットルレバーの位置で
なく操縦桿に付けられた。本来なら翼下爆弾/小型ロケット爆弾投下用だか軽量化の
為に外され可能となった。こうする事で比較的容易に使い分けられるように配慮され
た。発射角度は地上で調整出来た。後上方斜銃7.7ミリは防御兵器で積極的に敵機を
落とすのではなくとどめを刺される前に発射する事で敵を動揺させて回避するという
ものであった(後上方からの写真がちょうど後斜銃の軸線である)。
熟練搭乗員なら不意に敵の射弾を後方から喰らった場合は間髪を入れず急速な操作で
回避運動を行う。しかし若年搭乗員では空戦場に入ったら全力で見張れ、特に眼のな
い後方は繰り返し見張れとの教えを守って見張りをするが熟練搭乗員はいま見た直後
でもそこから敵機が襲ってくるものだ思っている。だから心の用意ができており瞬間
に反応する。若年搭乗員はいま後方を見張ったばかりだからそこから撃たれるはずが
ないと思って安心している。そこへ後方から射弾(第一射)の筋が通る。気づいても
反応しない。そこへ第二射の束が通ってもまだ反応しない。やっと回避をしようとし
た時はすでに遅く身もすくんでしまい多数の命中弾を受け撃墜されてしまうのであっ
た。これを防ぐための後斜銃であった。つまり撃墜できなくても撃墜されずに帰還す
る事で場数をふませるという苦肉の策でもあった。この頃は飛行訓練すらもままなら
ない状況であった。テストは横空で行なわれ最高速度及び運動性は20ミリ2門そして
爆弾架を外しカウリング片側銃口を塞いだ事等により52甲型並になった。さて肝心の
後上方斜銃の効果だが大戦末期に302空の斜銃付き雷電がP51数機に囲まれた時、見当
違いの方向からの射弾により他にいると敵パイロットが勘違いをして逃れることに成
功した例もあるのでそれなりに効果はあったかもしれない。単純に比較はできない
が2式水戦と零観では2式水戦の方が被害が多かったらしい。これは後席の見張りと旋
回機銃が防御に役立ったのだと。後席に機銃があると敵機も射弾が恐く遠くで攻撃を
止めて退避するので当りにくくなるのであった。なによりも13ミリに統一され機銃発
射関係の管制機器と電路はシンプルになり直進性や弾数・発射速度も増え搭乗員にとっ
てはありがたいものであった。13ミリが順調に生産されていればかなり効果を上げた
のではと思われる。後斜銃は列機の立場を考えると恐いかもしれないが・・・・