■キ100空中給油実験機■






このキ100の右主翼端に注目してほしい。これはB29用の大口径砲ではなく先端パーツ
が装着されてないがなんと空中給油用のプローブ(受け口)らしいのである。航空自
衛隊のF15が念願の空中給油を行ったが単座戦闘機ではすでにキ100が行っていた可能
性が有力になったのである。キ100だが大戦末期の日本で最高速度こそ580km/hだが上
昇力・旋回性能・機体強度に優れた上に稼働率も高く米軍の戦闘機に対抗できる機体
であった。だが航続距離が短い、機銃故障の多さなどが欠点であったという。元
第111戦隊の中村泰三大尉によると機首が短い為に縦安定が悪く離陸直後の低速時な
どは特に姿勢保持に注意する必要があったらしい(この点を指摘した元パイロットの
手記は他にない。あくまで私が知っている範囲ですけど)。なお中村大尉は同部隊の
パイロット1名とで敗戦直後米軍当局の命によりキ100を米本国に輸送する為に5機
のP51に護衛され小牧飛行場から追浜飛行場へ空輸した。当日は米軍施設に一泊して
翌朝アベンジャーに乗って小牧へむかい今度はアベンジャーと編隊を組んで追浜へ運
んだという。この4機?のキ100は他の日本機と共に空母に積まれ米国へ運ばれた。な
おこの内の1機は1946年頃まではイリノイ空港にある大学の校庭で放置されていた。
この機体はスピナ・エンジンカバーの一部・フィレット・計器板・尾翼など外されて
おり大学の教材として払い下げられたらしい(この機体のカラー写真は3枚確認され
ているが米国が入手した当時のままで大分色あせているが主翼前縁の味方識別が無い
事や塗装や注意書きなどの細部がそのまま残っており貴重であった)。話を戻すがこ
の航続距離の短さを改善する為に現地部隊でキ100の胴体下にも落下タンクを装備し
たケースがあったのだ。元第244戦隊第1中隊長生野文介大尉によると第244戦隊が特
攻隊の援護のためキ100で九州に進出するが航続距離が短いので沖縄まで行けなかっ
た。そこでキ100を改造し胴体下にも落下タンクを積むようにした(計3個)のである。
知覧で試験飛行を行うも沖縄まで援護して行く前に沖縄が陥落して中止になったらし
い。この足の短さについて川崎でも対応策を考えていたらしいのである。そもそも実
用を目指した空中給油の実験は1923年米陸軍航空隊で行われ6月には実際に給油も成
功した。さらに実験は進み次第に操作は確実性を増し世界に広まった。しかし第2次
大戦が始ってもヨーロッパの空では陸続きの為にその必要性があまり無く空中給油が
真剣に検討されなかった。結局大戦中に空中給油の実用化に熱心に取り組んだのは米
陸軍だった。1943年4月に給油機に改造されたB24、給油を受けるのがB17でエグリン
フィールドで、その後もB24からP38に給油実験が行われたという。しかし単座戦闘機
についてはなぜか除外されていた。爆撃機の護衛に戦闘機が必要としながら航続距離
不足から米英の爆撃機隊はP51が登場するまでは行われず敵地上空で爆撃機は戦闘機
の迎撃により甚大な被害を受けるのだった。このキ100の写真を見る限り川崎でどこ
まで進んでいたかわからないが1931(昭和6)年7月23日に陸軍88式1型偵察機(川
崎KDA-2偵察機)2機による空中給油実験が行われていたのでそのノウハウを応用した
と思われる。現在のジェット機と異なり前方にプロペラがあるので危険であったが
キ100はアスペクト比の大きい主翼を利用し給油パイプを主翼端に設け極力その危険
を回避しようとしたと思われる。