


従来の想像図にあった瑞星零戦A6M1の機首上面の気化器空気取入口は存在しなかった
と言われたが存在していたのである。それがこの機体である。この作業は三菱でなく
中島で行われたのであった。しかもエンジンは瑞星でなくなんと金星だったのである。
零戦32型の開発当初、エンジンを栄から金星に換装する検討が行われたが海軍側の検
討要求に対し三菱側は現在の状況(零戦21型の改修や雷電の開発など技術陣に余裕が
無い)では見込みなしとして否定していた事が明らかになった(三菱の社内資料に記載
されている)。しかし肝心の零戦32型は二速過給器付の栄21型に不調が付きまとって
量産移行は遅れ続けていた(三菱での量産開始は17年6月)。そこで海軍側は金星零戦
の試作を零戦21型の生産を開始した中島に命じたのである。海軍側は金星換装により
速度向上の一方で機体補強等で航続距離の低下が見込まれるがそれがどの程度なのか
を確認する為の研究機的な位置付けであったともいわれている(この機体を元に空技
廠案17試艦戦研究実験機・暴風が試作されたらしい)。写真からエンジン取付位置が
上がっているがカウリング・気化器空気取入口・潤滑油冷却器形状を見ると零水偵か
らの流用と思われる。だとするとエンジンは金星43型(1080馬力)でプロペラ径
は3.1mとなるのだが。馬力的にこの時点では零戦32型の栄21型(1130馬力)より劣る
が後の発展性を考えれば金星の方が有利であった。機首の武装はなくなっている(し
かし発射ガス抜き口はそのままである)。この間に、零戦32型が完成したが航続距離
不足が問題となり急遽22型で対応するのだった。この事が設計システムに余裕のない
三菱に追い討ちをかけるのであった(しかし海軍は依然として当初立てた計画がうま
く行くのを前提にしているのであった)。14試局戦は厳しい条件の中でそれをクリア
する為に新技術を導入して心臓となる入手可能な唯一の大馬力エンジンである火星の
大径の不利を補うしかなかった。しかしそれらが足を引っぱる事になった。特に視界
については木型審査の段階で指摘されなかった事が重大な問題になり終生付きまとう
のであった。14試局戦の開発の遅れは海軍の計画を大幅に変更しなければならなくな
りそれは最前線の搭乗員に負担をかけるのであった。慌てた海軍はあくまで雷電のサ
ブとして以前中島に試作させた金星零戦をベースに開発を、中島に再開させようとし
た(零戦と雷電の中間の局地戦として)。14試局戦については元々三菱だけでなく中
島にも内示されていた。だがその頃中島では月光・深山・天山の開発に忙殺されてい
たので辞退していた。海軍としてもその辺を考慮してまったくのゼロスタートではな
く以前試作した金星零戦をベースにして負担を減らすという事で(強風に対する2式
水戦のように)しぶしぶ中島側を納得させたらしい。中島のコンセプトとして第1に
「主翼を再設計し薄翼化すると共に翼面積を減らす」第2に「離着陸速度の大幅な増
加を防ぐ為に蝶型フラップの採用」第3に「急降下速度を向上させる為外板の厚さの
変更や各部の補強」などを考えていたらしい。しかしそれでも中島の負担が大きいの
でその作業はもう水上機の必要性がなくなり陸上機に不馴れな川西の経験値を上げさ
せる案が浮上し決まるかに見えた。その頃川西本社の一室で川西龍三社長・前原謙治
副社長・橋口義雄技師長・菊原静男設計課長の4人で今後開発すべき機種について討
議が行われていた。社長・副社長は艦上攻撃機、橋口技師長はニ式大艇を陸上機に改
造した大型爆撃機、菊原設計課長は三菱の局戦雷電の開発が遅れていることも勘案し
局地戦闘機を提案し議論の末に局地戦案となった。その理由として上陸作戦の援護用
でなくそれから先の広大な占領地域の局地防空をどうするかが問題となり会社として
も大量の注文につながる可能性が最も大きい点や強風を設計した若い設計者達にとっ
て戦闘機の開発は夢であったので本格的な陸上機ならさらにやる気が出て良いものが
できると確信したからであった。しかし海軍側から中島製金星零戦をベースにした局
地戦の開発を川西に命じるらしいとの情報が入ってきたので菊原設計課長は急遽社長
の許可を得て海軍航空本部へおもむき技術部長の多田力三少将に会って川西の計画
「水戦改造に係わる高速陸上機」を説明用の資料など用意せずぶっつけ本番の説明を
行いその場で即決し開発がスタートするのであった(海軍の正式の企画でないので仮
称1号局地戦闘機と呼ばれる)。川西は費用と期間をできるだけ節約する為にも強風
をベースに設計が進められた(他社製品の焼き直しよりも自社製品の方が社員のモチ
ベーションが高いし利益率も大きいので)。そして紫電は設計開始から試作1号機の
初飛行まで1年たらずという驚異的なスピードだったが強風の設計を転用した事や強
行試作の無理が続出したが、本命の雷電の開発が遅れた為に悪い所は作りながら改め
ていくという事で量産が命じられた。しかし肝心の誉エンジンの不調でテストが中断
された。そこでエンジンの不調が解決する前に急いで紫電改となるのだが一刻もはや
く戦争に間に合わせるという当初の望みは薄れてしまった。金星零戦をベースに局地
戦を開発したならば紫電並のスケジュールで量産化し陸軍の5式戦のように活躍でき
たのかもしれない。
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