飛燕ハ102装備機

空冷飛燕


飛燕ハ102装備機と5式戦の誕生までの経緯
飛燕の開発が進む中で空冷化にした機体が存在した事が明らかになった。これは川崎
社内で将来の保険として自主的に行われ軍には公表しなかった。その理由は軍
はDB601Aの高性能に目を奪われ生産性・整備性など聞く耳を持たなかったからであっ
た。これは川崎社内でも極秘プロジェクトとして進められ限られた人間にしか知らさ
れていなかった。なぜなら川崎は水冷エンジンのパイオニアであり社員も誇りを持っ
ていたからである。この辺は勝海舟が江戸無血開城を進めるに当り交渉が失敗した時
に備え江戸焦土作戦と徳川慶喜亡命作戦の準備をしたのと同じである。ただこの先行
投資(資金は軍からだが勝海舟の手法と似ているか?)により5式戦が短期間の内に完
成し配備されたのであった。しかし通説ではまったく触れられていない。それは薩摩・
長州藩が幕末にかけての活動で自分達に都合の悪い点は坂本龍馬が行ったようにしむ
けたのと同じであろう。そして常に無秩序な軍の要求に苦しめられた民間メーカーの
危険な反抗であり確信犯でもあり実際に闘う兵士の為であった。川崎側は今までの陸
軍との経験から予測し命令が出た時点ですぐに対応出来るように準備していたのであっ
た。これは現在の会社でモノ作りに関わった人なら分かると思う。組織内では命令が
なければ動けないがそれを予測して早めに準備しておけば余裕をもって対処出来てミ
スも少ない。これは川崎設計チームの構成と陸軍だから可能だったかもしれない。川
崎の設計部は土井方式ともいえる「空力及び主翼・尾翼班」「胴体班」「降着装置・
油圧装置班」「エンジン装備班」「操縦装置班」「燃料・滑油及び冷却装置班」「武
装及び電装班」の7班の上に具体的な機種にまとめあげる「プロジェクト班」をおき
その全体の指揮・監督・指導決定を土井技師が行うもので各班が持っている個々のデー
タを突き合わせ組み合わせることで非常に効率よく設計が進められた。ただし正式な
命令が出なければ進められないので断片的に入ってくる戦局の悪化にプロジェクト関
係者はかなりやきもきしたと思われる。通説では5式戦の開発が遅れた理由としては
航空兵器の増産促進のために18年11月に設置された軍需省の意向と言われている。空
冷化に踏み切ればその間川崎岐阜工場の生産はとどこおり水冷エンジンを作っている
明石工場の遊休化につながる。数の充足を最大のノルマとする軍需省が反対するのは
当然だった。加えてハ112は数が足りない状況にあり航空本部整備部からも反対意見
が出された。もう1つは社内事情にあった。明石工場では水冷エンジンの実用化に血
のにじむ努力が続けられていたので他社エンジンに換装するという決断は容易に下せ
るものではなかった。とは言ってもエンジンの不調を理由に試作機止まりで陽の目を
見なかった川崎機は多く設計側の苦悩は続いたのだが。そして実際に戦場に行かない
人間のエゴで戦場では数多くの犠牲を強いていたのであった。しかし大本営は戦場で
苦戦していることは国民には知らせなかったのだから仕方が無いかもしれない。後継
エンジン・ハ140のトラブルが改善されないのにしびれを切らした航空審査部の今川
大佐は19年4月にエンジン換装以外に解決策はないと決断し内々に川崎へ空冷化の検
討を依頼した。おもて立って提案すれば軍需省や航空本部から横槍が入るからだ。
ハ140の量産エンジンは予定数が納品されず飛燕2型の大規模生産をあきらめ生産数を
大幅に減らすように川崎に通達したが一向に改善されず軍需省も航空本部の折れ19
年10月1日付で川崎にハ112装備機の試作を命じたのであった。こうなると予測したが
命令がなければ動けない川崎の関係者の苦労はようやく報われるのであった。5式戦
との大きな違いは2型改がベースになったのと首無し機や現行生産ラインをいかに活
かすかであった。そのため胴体は大幅な変更はできなかった。エンジン径がハ102よ
りも大きいハ112の処理に苦労すると思われたがドイツから輸入したフォッケウル
フFw190A5を参考にしてカウリング後縁の左右に排気管を集めその直後の胴体部分を
へこませ排気を後方へ吹き出すようにした。しかしそのままでは段差が大きすぎるの
で胴体前部側面にフィレットをかぶせその内部に桁を入れて補強したより効果的な排
気管処理方法で問題を解決した。そして冷却器とそのカバーは外し段差を無くすため
に胴体前部下面にもフェアリングが施された。それでも基本データはすでにあるので
楽であった。その他は通説の通りであるので省略する。

空冷飛燕(ハ102装備機)の特長
空冷飛燕のスタートは飛燕の試作5号機の頃である。試作3号機まではオリジナル
のDB601を搭載して高性能を発揮したが国産のハ40になるにつれてエンジンへの不安
が見えはじめた昭和17年3月頃である。
エンジンは屠龍と同じハ102でカウリング・冷却器及びプロペラも屠龍から流用した。
排気管は屠龍のままで片側集合である。屠龍の右エンジンが使われていると思われる。
エンジン取付については防火壁の直前で胴体の4本の主縦通材からのびたエンジン架
を切断・除去すればハ102の鋼管製エンジン架を主縦通材に結合することが出来るの
が分かった。そしてカウリング後縁と胴体のギャップが生じたがそのデータを元に胴
体は新設計された。胴体断面形状は飛燕をベースとして側面部をカウリング形状に合
わせたものとなった。これは飛燕の三舵のバランスのとれた効きの秘密がこの胴体に
あると思われたからでもある。その性能だがプロペラ径が小さくなった(飛燕が3mに
対し屠龍が2.95m)のと空気抵抗が増えたために20km/h低下して560km/hとなった。し
かし胴体下の冷却器が無くなったことで機体が軽くなり速度以外は飛燕とほぼ同じで
あった。特にエンジンに関するトラブルが皆無となったのは大きかった。機首及び主
翼の機銃は外されている。この機体は昭和17年9月に完成したが実験機なのでこれ以
上の作業は行われなかった。ハ102装備機と5式戦を比べると装備エンジンの違いから
機首がひと回り小さいのが分かる。ベースの機体の違いからかなり印象が異なり5式
戦よりも開発時期が早いのでしがらみもなく胴体が新設計の為に洗練されている。こ
のように川崎社内の極秘プロジェクトは大成功であったがこの事実は社内でも関係者
以外には公表されなかった。社内でエンジントラブルで苦闘している人を考慮した為
である。これにより忍者部隊月光(若い人は知らないと思うが)ではないが空冷化は最
後の武器として温存し本業の水冷飛燕の量産化への作業が進められた。しかし結局は
川崎の極秘プロジェクト側の予想通りに軍から正式命令が出てようやくこのデータが
活かされ命令がなければ動けない関係者の苦労はようやく報われ5式戦が短期間の内
に誕生し配備されたのであった。しかしあまりに時が立ち過ぎてその性能を十分に発
揮出来ずに敗戦を迎えるのであった。やはり民間の自由な活動を統制する官尊民卑の
国では戦争に勝てないのである。
    
空冷飛燕