マッキMc204「テスタロッサ」

「テスタロッサ」

 1939年、イタリアの新鋭戦闘機Mc200にドイツ製液冷エンジン「DB601」を搭載してさらなる性能向上を目指した機体、「Mc202」の開発がスタートした。
 同じ頃、何かにつけ自国の軍事技術、とりわけ空軍機の性能がドイツに比べ劣っているという目で見られがちなのを快く思っていなかったイタリア総統ムッソリーニは、何とかドイツに対しドギモを抜くようなパフォーマンスを示せないものかと考えていた。
 そんなおり、ムッソリーニは「Mc202」のモックアップ審査に立ち会うことになった。少しでもイタリア空軍のイメージを高めるべく、新鋭戦闘機開発に発破をかけるためであった。
 しかし、目にした新鋭戦闘機の流麗なスタイルを見たとたん、ひとつの考えがムッソリーニの頭に浮かんだ
。 「この機体の運動性はどうだ?」
ムッソリーニはマッキの設計担当者に尋ねた。
「運動性能に関してはトップレベルのものとなるよう設計いたしました!その点ではあらゆるドイツ機を凌駕することが可能でしょう!」
 総統に対する、やや建前の入った設計担当者の答えにムッソリーニの心は決まった。
「この機体を基に、あらゆるアクロバティックな飛行が可能な機体を造り、それに腕のいいパイロットたちを乗せた飛行チームを至急組織せよ!そして、あのヒトラーの前でドギモを抜くような曲技飛行を披露し、イタリア空軍のレベルの高さを見せつけてやるのだ!」
 この突然の言葉に、居並ぶ空軍関係者とマッキ開発担当者陣は心の中で思い切り頭を抱えたが、総統の命令とあらば逆らうわけにはいかない。かくして、「Mc202」は戦闘機バージョンそっちのけで、とりあえず曲技飛行機バージョンが製作されることとなった。
 マッキ設計陣は、この軍事的意味の理解できない機体に乗り気のしない思いだったが、「総統命令」の大義名分があったため、むしろ通常より速いペースでの作業を強いられた。
 なお、「Mc202」からの改造点は以下の通りであった。
1.強烈な起動に耐えられるように機体各部を補強。
2.長い高出力運転時間に耐えられるようラジエータ面積を増大し、胴体両側面に移設。
3.旋回性能はあまり重視されないため、横転性向上と最大速度向上と軽量化のため翼面積を縮小。
4.機動性を向上させるのと、大迎角時の舵のききを確保する目的で方向舵を胴体下面まで延長。

 第一号機は1940年5月に初飛行した。半ば予想通り、機体は安定性が不足していた。また、高翼面荷重のため、離着陸の難しさもかなりのものだった。しかしながら、元々練度の高いパイロットが操縦することが想定されていたため、問題とはならなかった。
 実際に、この飛行チームのため各地から集められた精鋭パイロットたちからは、安定性不良と離着陸の難易さに対する苦情はほとんどなく、むしろ良好な操縦性と余剰馬力の高さによる高機動性が喜ばれた。
 なお、機体はとにかく目立つようにと全面真っ赤に塗装された。このため「赤い頭」を意味する「テスタロッサ」と名付けられた。

 さて、1941年3月になり、首脳会議のためにイタリアを訪れたヒトラーの前でこの飛行チーム「エッフェ・クァランタ」による曲技飛行が実施された。  この示威曲技飛行は大成功であった。左右から1機ずつの高速フライパスに始まって、4機ダイアモンド編隊による各種編隊アクロバット、単機による急機動や失速反転など、どれもがドイツ軍関係者のすべてを魅了した。中でもヒトラーはこの曲技飛行にいたく感激し、思わず「いいなぁ・・・」と漏らしたという。
 ムッソリーニは曲技飛行はそっちのけで、曲技飛行を見つめるヒトラーの顔ばかりを見つめていた。そして、ヒトラーのその驚きの表情に満足の笑みを漏らしていた。

 ヒトラーは帰国後ただちに、「我がドイツ空軍でもあのような曲技飛行チームを組織せよ!」
という命令を出したが、さすがにこれは、ソ連侵攻作戦直前だったことで各首脳に説得させられて実現を見なかったということである。

諸元
全幅    9.85m
全長    8.42m
全備重量 1,980kg
エンジン  アルファロメオRC41-GTB 1550馬力
最大速度 662km
航続距離 560km


胃袋3分の1からのコメント:
 設定は恒例の胃袋3分の1です(笑)。
 ただ、基本の、曲技飛行機とするというところやMc202改造というこころはノモさんの発案です。なお、胴体側面のスリットはフェラーリ・テスタロッサをイメージしたそうです。
 こういったものは楽しくていいですね。私は好きです(笑)。