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1944年初頭、P−47の多大な兵器搭載能力に目をつけたアメリカ 陸軍は、戦闘爆撃を主任務とし、徹底的に低空性能を重視した型の開発 をリパブリック社に指示した。 これを受けたリパブリック社では、まず、P−47の最大の特徴とも いうべき排気タービンとその補器類を全て撤去し、その分の胴体下面を 削り取って整形した。このため、気化器空気取り入れ口を右翼付け根に、 オイルクーラーを左翼付け根に装備し、前面投影面積の大幅な削減に 成功した。また、重量も1050sにも及ぶ大幅な軽減を達成した。 エンジンもXP−72でテスト中だったP&W R−4360に換装して さらなる性能の向上を目指した。 1944年8月に完成した一号機は、予想通り優れた低空性能を示した。 特に低空における上昇率は素晴らしく、海面上昇率で1,820mという とてつもないデータをたたき出した。本来の目的である爆弾搭載力も 素晴らしく、2000lb爆弾×1(胴体下)、1000lb爆弾×2 (主翼下面)、5インチHVRロケット弾10発(外翼下面)と、 実に2.5トンを越える爆弾搭載量をもつに至った。 1945年春から、主に太平洋方面で使用を開始し、期待通りの 高い対地攻撃能力と、今までは日本戦闘機に対して不利だった低空での 空戦でその日本戦闘機を圧倒し、終戦まで日本陸軍地上部隊と日本 戦闘機群に多大なる損害を与え続けた。 本気は、低高度重視でインタークーラーも装備していなかったが、 エンジン自体が2段2速過給器を備えていたため、実際は全ての高度で 日本戦闘機を圧倒し続けた、まさに大戦末期の日本軍にとって恐るべき 存在であった。
胃袋3分の1からのコメント
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