
|
昭和15年(1940)に建造が開始された新型哨戒艇の第4シリーズ。 生名型は護衛艦としての性能は占守型や平戸型よりも対潜対空戦闘能力や量産性などさまざまな点で優れていたが、対空戦闘能力強化のために前檣を後部に移動し、その前に新第2砲塔を、後檣を前部に移動し、その後ろに新第3砲塔を設置した為に通信線が極端に短くなり護衛部隊の旗艦として重要な通信能力が極めて弱まってしまう事が指摘された。 そこで、(臨)計画で建造が決定された18隻の哨戒艇は、当初生名型と同型とする予定だったが急遽設計を変更された。 主な変更点は、第1に主砲を12.7cm高角砲から新型の長10cm高角砲に変更する変わりに第2砲塔を撤去して艦橋を前部に移動し、また、新第2砲塔(旧第3砲塔)も後部に移設して後檣を後部に移動する事で、通信線をできるだけ延長して通信能力を強化した事、第2に第2砲塔を撤去したため、第1砲塔から第2砲塔(旧第3砲塔)までをフラットになる様に変更したため、平甲板型の船体でありながら、一見、長船首楼型のような特徴的な外見になった事の2点である。 また、これまでの哨戒艇はロンドン条約の制約により平時にはその砲兵装の一部を未載状態とし、戦時に搭載する事としていたため、平戸型はその第2砲塔を完成時には搭載しておらず、生名型はその第2及び第3砲塔を完成時には搭載していなかったが、第1号型は完成時から主砲塔をすべて搭載した状態で完成している。 これは、当時既に欧州において英独仏を中心とした国々とソ連の間で戦争が始まっており、また、米国の欧州勢力及び日本に対する態度が硬化した為、第2次ロンドン条約が調印されなかった事で、艦艇の建造制限が事実上無くなってしまったためである。 帝国海軍ではこの混乱した国際情勢に鑑みて(臨)・(急)・(追)の3つの建艦計画を策定し、対米全面戦争の準備に努める事となる。 第1号型哨戒艇は、この3つの計画において合計60隻が建造され、更に1942年1月のマリアナ沖海戦の後に空母戦力の増強を中心に策定された改D計画で60隻が建造されるなど、停戦までに合計240隻が建造され、海上護衛部隊の主力となっている。 要目(第1号哨戒艇開戦時) 基準排水量:1,980t 全長:110.0m 最大幅:9.9m 機関出力:8,000馬力 速力:19.5kt 兵装:10cm連装高角砲3基、25mm三連装機銃4基 同型艦:240隻 |