日本海軍 航空戦艦「扶桑」

航空戦艦「扶桑」

諸元

基準排水量 : 34,000t
全長    : 210.0m
全幅    : 32.0m
吃水    : 9.7m
機関出力  : 120,000馬力
速力    : 28.5kt
航続力   : 8,500浬/16kt
兵装    : 45口径35.6cm砲連装3基
        65口径10cm高角砲連装4基
        25mm機銃3連装12基
航空兵装  : 射出機2基
        水上機11機(格納庫内)
        水上機15機(露天繋止)

 ロンドン条約により練習戦艦に改装されていた「扶桑」はロンドン条 約の破棄に伴い、1936年11月から呉工廠で戦艦への再改装工事に着手し た。しかし、改装に当たっての問題点は、「扶桑」があまりにも旧式な ことだった。改装を施し、戦艦に戻しても、果たして改装費用に見合う だけの性能が得られるか疑問の声が上がったのだ。
 結論から言うと、「扶桑」は各種新装備実験のためのテストベットと して改装されることとなった。このため、戦艦としての性能にはこだわ らない、一種異様とも言える改装が行われた。
 すでに戦艦への再改装という意義は失われていたため、主砲塔の再搭 載は行われず、主砲周りの改装は、練習戦艦時代に残されていた1〜3番 砲塔の、仰角引上げ程度にとどまった。
 主砲塔の再搭載が行なわれなかったために浮いた主砲弾薬庫のスペー スは、主に機関の増設に用いられることになった。これに加えて、艦尾 延長の工事が追加された結果、「扶桑」の最大速力は28.5ktにまで、増 強されている。
 同じく、主砲塔の再搭載が行なわれなかったために浮いた後部船体甲 板上のスペースを利用して、水上機格納庫と水上機運用甲板の増設が行 なわれた。甲標的運用設備の設置が主目的であったようだが、その前段 階としての水上機運用設備の設置であったようである。が、実際には甲 標的搭載のための工事は行なわれないままとなってしまった。
 缶室の上部に水上機格納庫を設置したため、煙突の設置が問題となっ たのだが、新造時の「鳳翔」・・・というよりは、米海軍のレンジャーの ように、細い煙突を複数、舷側に突き出す形で処理している。もっとも 「扶桑」の場合、機関出力の関係から両舷に煙突群が設置されている。
 もっとも重要な改装が艦橋構造に関してである。艦橋は、新戦艦に装 備予定の塔状前檣の実験のため、この塔状前檣が設置された。これに伴 い、司令部設備もまた運用実験のために設置された。通信機能もこれに 応じて大幅に強化されている。
 副砲は全廃されている。砲郭式副砲に関する実験項目が無かったため でもあるが、新型高角砲搭載のためでもある。前檣両舷に設置する高角 砲と、副砲の干渉を避けるため、副砲の一部撤去が決定したのだが、こ れに応じて、副砲の全廃に事態が発展した。高角砲の副砲代替運用の実 験が行われることになったためであった。
 各種装置実験のため、さまざまな追加改装が行われた結果、「扶桑」 の改装完了は1940年1月末となった。

 「扶桑」の改装結果そのものは上々であったといわれるが、その中途 半端な性能のため、第二次大戦序盤は、主にインド洋方面での通商破壊 に投入された。強力な通信設備と司令部設備をもって、潜水戦隊との連 携を取り、ドイツ海軍潜水艦部隊との呼応も有って、かなりの戦果を挙 げたといわれる。
 1942年6月、ミッドウェイで空母4隻を失った日本海軍は、「扶桑」を 機動部隊に編入した。ミッドウェイの教訓から、索敵を重視するように なった海軍は、多数の水偵を運用可能で、そこそこの高速力を発揮でき る「扶桑」を機動部隊の偵察兼護衛戦力に充てることにしたのだ。
 1944年10月、エンガノ岬沖海戦で「伊勢」「日向」「山城」同様に囮 を演じ、なおかつ生還した「扶桑」は、北方警備のため、大湊へ回航、 健在ながらも燃料不足で積極的な活動のできないまま、「山城」ととも に終戦を迎えている。