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日本海軍超弩級戦艦「扶桑」級諸元(建造時) 全長・・・220.6m 全幅・・・30.6m 基準排水量・・・31,180t 機関出力・・・80,500hp 最大速力・・・26.8kt 航続距離・・・7,800海里/14kt 同型艦・・・扶桑・山城 武装・・・45口径36cm砲3連装4基,50口径14cm単装砲20基 53.3cm水中発射管6基 装甲(最大)・・・320o(舷側),80o(甲板),340o(砲塔) 既に金剛級を手に入れることになっていた日本海軍は,それに対応する為の戦艦を建造する事を決意した。初の国産超弩級戦艦である。その誉れ高き艦の名称は,日本の別名でもある「扶桑」級と名付けられた。 金剛は,巡洋戦艦である。従って,金剛と共同作戦を取れる様にするには速力が速くなくてはならない。しかし,その為には色々と工夫をせねばならない。戦艦である以上装甲は厚くなければならないし,かと言って速力は落とせない――日本海軍は,それを「艦体を大型化して大型の機関を搭載する」という分かりやすい方法で決着をつけた。 建造は,呉で行われた。金剛級のノウハウをフルに活用したため,「扶桑」級は事実上金剛の発展改良型とも言える。完成は1915年3月30日(扶桑),1916年5月15日(山城)であった。 完成後,イギリスから大西洋への艦艇派遣要求が有ったので,日本海軍は金剛,比叡と共に扶桑・山城の両艦を大西洋に派遣した。金剛級2隻は大して実戦の無いまま終わったが,扶桑級はいきなり実戦参加することとなった。 両艦が到着したのが1917年3月だったのだが,その月丁度独逸艦隊の旗艦になったバイエルン級戦艦「バーデン」とネームシップ「バイエルン」に,いきなり出くわしてしまったのだ。1917年3月21日,北海での出来事であった。 そのとき独逸艦隊は,イギリス艦隊撃滅の任を帯びて北海を航行中であった。航海も順調と見えた所で,いきなり日本艦隊が現れたのだ。補助艦艇はお互い殆ど無し,当然,戦艦対戦艦の純然たる砲撃戦が始まった。その長い砲撃戦の結果は, 沈没:独逸戦艦「バーデン」 中破:日本戦艦「山城」 小破:日本戦艦「扶桑」,独逸戦艦「バイエルン」 といった物であった。これは,速力に優れる日本艦隊が優れた機動を見せて勝ち取った結果であり,まぐれではない。しかし,「バーデン」が沈没したときには既に双方弾丸が切れていて,仕方なくお互い引いたという結果であり(独逸にとっては運が良かったのだが),続いていれば日本艦隊の圧勝だったであろう。 因みに,この闘いは日本艦隊が出港してからすぐだった起きたもので,長旅を終えた直後だとどうなっていたかは分からない。とまれ,来て早々いきなり傷物となってしまった扶桑級2隻は,スカパフローのドックで修理され,そのまま第一次大戦を終えた。 解説 これは,件の怪しい世界の艦ではありません。他の作品とは何の繋がりも無い作品です。ただ単にほんの数時間前ふと思いついただけなのです。いや〜〜,昔の船って,描くの楽ですな――・・・ものの1時間もあればらしく見える・・・偉大だなぁ,「ぺいんとぶらし」って。 それは兎に角,今回は解説が途中で止まっています。この後は,多分送るであろう改装後の絵といっしょに送・・・れるといーなー・・・(何故弱気になる,俺) そいでわ〜〜。 (財)郷研聯盟ゴムサンダル工業会会長 かDo |