

要目(近代化改装工事後) ・基準排水量 50.800t ・最大排水量 57.400t ・全長 252.9m ・最大幅 34.3m ・吃水 9.8m ・機関出力 167.000hp ・速力 31.0kt ・航続 9.600海里(18kt) ・武装 50口径41センチ砲連装五基 62口径15.5センチ砲三連装四基 65口径12.7センチ砲高角砲連装十四基 40mm機関砲連装六基 25mm機関砲連装三十二基 ・搭載機 三機 ・同型艦「土佐(TOSA)」 概要 八八艦隊第二シリーズである「加賀」級。本来ならば1922年のワシントン海軍軍縮条約 により廃艦となるはずであった彼女たちを救ったのが、第一次世界大戦において英国の指 揮の下ドイツ艦隊と幾たびも砲火を交えた「扶桑」級、「金剛」級の活躍があったからで ある。そのおかげで日本は英米と同じく十六インチ砲搭載戦艦を四隻建造することができ たのである。 「加賀」級の建造において考慮されたのが、「長門」級では不完全とされた更なる高速 重防御艦の建造である。これは、当時の最新鋭戦艦である「扶桑」級が22ktという「低 速」であったため、同じくイギリスの最新鋭戦艦であるR級と同じくジュットランド海戦 においてさしたる活躍ができなかったことと、防御力の弱体なイギリス巡洋戦艦が連続し て爆沈してしまったという事例から生じたものである。 そのような経緯を経て、本来ならば「長門」級の三・四番艦として建造されるはずであ った「加賀」級は大幅に設計を変更して建造されたのである。また予算不足によって本級 の建造が遅れたことから、建造中止となり航空母艦へと改装された「赤城」級の設計を大 幅に流用したため、本来の「加賀」級に比べ洗練された設計となっている。 35.000トンという条約の制限を大幅に越える戦艦となった本級の建造が許可された理由 は、第一次大戦に参戦することなく貿易や借款により利益をむさぼることになったアメリ カ合衆国への当てつけである。 本級の特徴は、これまでの日本戦艦に取り入れられてきた長船首楼型ではなく初めて平 甲板型を採用しているという事である。主砲は、「長門」級で採用された四十五口径40.6 センチ連装砲を「長門」級より一基多い五基搭載している。そして本級の装甲防御は、さ らに集中防御を徹底し、また装甲板の取り付け方法も15度の傾斜角を持たせることで、 「長門」級と比べて大幅に強化されることになった。 こうして「加賀」級は、主砲を十六インチへと変更した英「フッド」級(「フッド」・ 「アンソン」)と共に、世界の十六インチ砲搭載艦十二隻の中でも最強の四隻であること から、「ビッグ4」という称号を与えられ、その後のワシントン・ロンドン条約期間中の 世界の安全を守ることになったのである。 彼女たちに対する有名な逸話として次のようなものがある。 それは、時のアメリカ大統領が、不況対策のため日本に対し戦争を行おうとした時、海 軍長官が開戦を止めるよう説得した言葉が、「ダメです。日本には「カガ」があります」 だったという話である。 実際にこの話が本当だったかどうかは今になってはよくわからない。しかしながら、当 時の「少年倶楽部」の付録としてついていたカルタには、「「加賀」と「土佐」は日本の 誇り」という言葉が入っていたことからも、彼女たちは欧米に追いつこうとしていた当時 の日本の象徴ともいうべきものであったのだ。 ただ本級の最大の問題が、砲塔を一基増やしつつも集中防御を徹底したために、居住区 画に廻せるスペースがそれほどとることができず、居住性に難があったことである。 その「加賀」級も艦齢が十年を過ぎ、近代化のための改装を加える必要性が生じ、1935 年に近代化のための大改装を加えられることになった。本級の大改装において、まず最初 に行われたのが、更なる攻走防の強化である。そして前檣楼もまた「長門」級よりも手が 加えられており、櫓檣式に変更している。 後に戦艦へと改装する「六甲」級が装備すべき長口径41センチ砲を本級が先んじて装備 したのもそのためである。また装甲や機関についても関わり合いを深めつつあった英独の 最新技術を可能な限り取り込むことで強化されている。元が英国式技術であるため、「六 甲」級を始めとするドイツ技術を積極採用した新型戦艦群と比べると、本級の防御力は若 干劣るかも知れない。しかし、対米戦を通して主要な海戦に参加しつつも大きな損害を受 けることがなかったのは本級本来の設計がが必要十分なものであったことを示している。 また「長門」級と同じく、本級でもケースメイト式に装備されていた副砲群を撤去し、 15.5センチ副砲塔並びに、高角砲を装備している。しかし、「長門」級と同じく副砲を装 備するために第三・第四砲塔間に無理に副砲を装備したことにより、副砲塔に被弾すれば 一挙に誘爆・沈没する危惧が生じたのである。これは大改装時における本級最大の弱点で あった。 こうして徹底的な改装を加えられた「加賀」級は、1938年に再び連合艦隊の旗艦として 洋上に出ることになった。この時期になれば、改正ロンドン条約型戦艦やそれらを大幅に 越えた超条約型戦艦の建造が始まっていた。そう、世界最強を誇った「加賀」級の能力に かげりが見えつつあったのである。しかし、本級が未だ有力な存在であったのは言うまで もない。老いてなおとも言うべきか本級は、対ソ戦、遣欧艦隊、対米戦の全てに参加して いるのである。 トラック沖海戦にて「陸奥」が爆沈したことにより、「加賀」級もまた副砲を撤去する ことになった。前部副砲後には高角砲塔を、後部副砲後には40mm機関砲を装備し、その後 の対米戦において、本級は「摂津」級と共に主力戦艦部隊に在籍、「アイオワ」級や「モ ンタナ」級と度々砲火を交えることになる。 長きに渡る対米戦の終結後、本級も軍縮という流れには逆らえず予備役へと廻されるこ とになる。そして本級が二度と現役に復帰することはなかった。しかしながら余りにも有 名である本級の解体を惜しむ声は大きく、「加賀」は舞鶴において「土佐」は高知におい てそれぞれ記念館として保存されている。 あとがき 岩本です。「加賀」級になります。「長門」級を描き終わったとき、砲塔一個を付け加 えれば「加賀」になるなと思い、「戦艦名鑑」を見ていたら全然違ってました(爆)。も ともとの「加賀」級が一直線に艦尾に降りてくるという滑り台のような設計になってるの で、描きづらいといったらありゃしない。ということで、平甲板にしてしまうならばいっ そのこと「天城」級を短縮してしまえばよいと言うことに落ち着き、このような艦型にな りました。ご都合主義きわまれりというスタイルですが、それはご愛敬(笑)。かなりき れいなフネになったと自画自賛しています。 具体的な戦歴についてはこれから考えます(^^;)。 では、次は何で行きましょうか…。 |