帝國海軍巡洋戦艦「神室(かむろ)」

「神室」

帝國海軍巡洋戦艦「神室(かむろ)」級 諸元
全長・・・245.6m
全幅・・・30.5m
基準排水量・・・41,600t
機関出力・・・160,000hp
速力・・・33.2kt
武装・・・47口径41cm砲4連装2基 同連装2基
     45口径12.7cm連装高角砲8基 25mm連装機銃18基
装甲(最大)・・・舷側280mm甲板100mm主砲塔480mm
同型艦・・・「身延(みのぶ)」「武甲(ぶこう)」「御坂(みさか)」

 ワシントン条約の中の「建造後15年たった戦艦又は巡洋戦艦は、現役から引退させ、新規に代艦を建造出来る」という条項に対し帝國海軍が1928年に設計を開始した。当初は、直線的に見て一番古い「金剛」型を廃艦にしようとしていた。しかし、色々研究をしてみると「扶桑」「伊勢」両級の中途半端ぶりが明らかになり(低速力・弱防御の割にそれほど高くない砲撃能力)、こちらを廃艦する事となった。それにあたって、採用がほぼ決定していた平賀案は、徹底的に設計変更され、藤本案と足して2で割る格好となった。
 まず、平賀案の最大の特徴である徹底した集中防御を藤本案に有るような船体そのものを装甲化する、といった方式に改めた。そして、速力を上げるために機関を八八艦隊の十三号艦に使用するつもりだった高出力機関を搭載する事となった。
 ついでに言うなら、艦橋の形状も新機軸の塔型艦橋から手慣れたといってもいい七脚式に戻された。これは、建造期間縮小と言った意味合いを持っていたらしい。塔型艦橋については次世代の戦艦から採用する事となった。
 建造は1932年から始まり(一番艦「神室」)、二番艦以降は翌33年より開始された。完成は一番艦「神室」が1937年、その他は38年に集中した。建造期間が意外と短いのは余り多くの新機軸を採用しなかったからであろうか。
 太平洋戦争では他の戦艦とは異なり、常に機動部隊護衛にくっついてまわった。唯一の例外はレイテ沖海戦である。この海戦では突入を成功させた功労者として名高い。ちなみに、その時大和は副砲に弾を食らい弾薬庫が誘爆して沈没している。長門もボコボコにされた。しかし、「神室」級は「武甲」のみ中破したものの他は小破で止まっている。
 1945年12月8日の停戦条約発行時に、「御坂」が接収されることとなったが他の艦はそのまま海軍から海上自衛隊へと並行移動し、1959年に退役となっている。「神室」は建造された横須賀で記念艦となり、「身延」は1960年に中華民国に売却されて「鎮遠」となった。「武甲」は1960年の小笠原での水爆実験に供された。
 「御坂」の方は、長期の検査の後に主砲その他を取り外して新兵器実験のプラットホームとなっている。数々の対艦兵器がこの艦によって誕生した。こちらも1959年に退役となったが(名称は「MISAKA」のまま。コードネームBB−65)、これはすぐにスクラップとなった。        1995年刊行「帝國海軍・日本海上自衛隊艦船ガイド」より抜粋
                                (嘘八万馬力ぃーっ)

 どうも、かDoです。宣戦布告(?)通り、「金剛代艦改扶桑伊勢代艦」の配達です。とくとご覧ください(そんなに大した物じゃねえじゃねえか、というツッコミはやめてね)。

 さてさて、この「神室」、苦労しましたわ、ホント。いや、描くのがではなく(機銃のいい加減さに代表される通り、それ自体は楽。)、設定を決めるのが、です。きっかけは、私の「もうそろそろ七脚艦橋戦艦描いてみようかのー」という突然の思い付きに過ぎないのです。普通、兵器描く際には最初に最低限の設定を決めるのですが、これに付いてはそれがなく、描いた後大いに悩みました。何しろ、名称すら決めていなかったのです。で、その苦労の結果が上の解説。大まかに言うとこんなものですが、問題点はいろいろありワシントン条約を一部変更、ロンドン条約に至っては決着が付かなかったという事となっています。これ以上言うとボロが出るので止めます。

 お次は、4発一式陸攻かな・・・?でも、また艦かもしれない・・・。ま、いっか。そいでわ。
 
 松澤 由美「Dearest」(劇場版機動戦艦ナデシコ主題歌)を聴きながら・・・
                    「ゴムサンダル工業会」会長 かDoより
 P.S.「○○」のその後
 「神室」その後・・・今も記念艦として横須賀に「神室記念艦」として保存。毎火曜休艦。
 「身延」その後・・・1997年に老朽化の為廃艦。
 「武甲」その後・・・小笠原の海底に眠っているのを某大新聞社が1998年に確認。
 「御坂」その後・・・鍋や釜になってるかも・・・?
       長ったらしい解説、すみません。