基準排水量 16,500t
満載排水量 17,800t
全長 212.2m 全幅 22.5m
飛行甲板 209.0m 最大幅 27.5m 装甲 40mm〜62mm
機関 艦本式タービン4機4軸 120,000馬力
速力 33.5kt(公試34.46kt)
航続距離 18kt 8,000海浬
武装 40口径12.7cm連装高角砲8基16門
96式25mm三連装機銃30基90門
対空噴進砲30連装6基
搭載機 常用40機 補用7機 (内、露天繋止12機)
1945年5月当時 艦上戦闘機 33機 艦上偵察機 5機
対潜攻撃機 9機
エレベーター 前部1基 後部一基 計1基
同型艦 「翔鷹」「麟鷹」「憐鷹」
「鳴鷹」「潮鷹」「蒼鷹」
「明鷹」「焔鷹」「紅鷹」
「弓鷹」「龍鷹」 本艦含計12隻
昭和17年6月のミッドウェー海戦により、日米両軍の機動部隊は多大な打
撃を受けた。日本側は空母「赤城」「蒼龍」が沈没、「加賀」「飛龍」が共に
大破という惨澹たる有り様であった。
米海軍もまた、ミッドウェイに於いて駒を使い果たしていたが、底知らずの
軍需産業に物を言わせ、同年のうちに「エセックス」級5隻、「インディペン
デンス」級5隻を竣工させている。
首脳部は建造中の艦船を出来うる限り空母への転用を図った。その内訳、大
和級戦艦「信濃」、重巡洋艦「伊吹」「鈴鹿」、多数の民間船が設計を変更さ
れた。
それでも米海軍の優秀な空母戦闘群に太刀打ちできるか保証はなく、開戦
前の建造計画の見直しすこととなった。
改マル5計画案として「雲龍」級の補助的な空母として計画されたのが、こ
の「涼鷹」である。
「在来の軽空母よりも強力で、「雲龍」より時間も費用もかからない」という
コンセプトで設計が始められた。そして何よりも時間をかけないことに重点が
置かれている。
そこで全てを設計から新造するわけではなく、他の艦艇の設計を流用するこ
ととなった。
そこで白羽の矢が立ったのが「空知」級である。
「空知」級の船体もまた、他の艦からの流用ようだが、「空知」級が使って
いる船体はそれらとはまったくの別物の設計となっている。
確実な強度と高速力を誇る「空知」級の船体を流用して建造されることとな
った。ただ、空母にするには全長がやや短く、設計段階で10m、船体を延長し
ている。これによって発着艦がやや改善された。
「涼鷹」はミッドウェイから二ヶ月後の8月に起工し、八ヶ月後に進水して
いる。さらに空母の建造に力をいれた結果、竣工はその五ヶ月後というスピー
ド竣工になったのである。
「涼鷹」の特筆すべき点として、軽巡からの設計ながら島型艦橋(アイラン
ド)となっている。「雲龍」よりも大きく、どちらかと言えば全体的に客船改
造空母「隼鷹」に概観は似ている。
アイランドは、発着艦の妨げにならないようにと、飛行甲板から外に出てい
る。これによって艦載機の発着艦が改善された。これは建造中の空母「信濃」
のテストも兼ねた設計なっており、これ以降の空母の設計の基本ともなった。
対空兵装も中型空母以下の中では、抜きんでた装備と数を誇っている。
中でも特に目を引くのが、対空噴進砲である。「信濃」に塔載されるのにあ
たって、先行量産型が装備されている。これは一斉射で120mmロケット弾を
30発を撃つことが出来た。ただ、生産された数が少なく、「涼鷹」級には6
基にとどまっている。
弱点として、喫水線下は元軽巡洋艦だけに、そこそこの防御力は発揮したが、
飛行甲板自体は40mmの装甲とこころもとなかった。急造空母ということである
程度は目をつぶったが、脆弱な装甲の危惧は現実となり、大戦末期までに航空
攻撃と潜水艦により、4隻が犠牲となっている。
多少の問題は残ったが、「インディペンデンス」級が軽巡「クリーブランド」
級の船体を流用したように、同じく防空軽巡である「空知」級の船体を流用し
た「涼鷹」級は、日本版「インディペンデンス」となったのである。
「インディペンデンス」が9隻建造されたのに対して、「涼鷹」は12隻が
建造された。1番艦から6番艦までは、建造中であった「空知」級をそのまま
流用して建造されている。このため、「空知」級は18隻の建造を予定されて
いたが、ネームシップ「空知」を含め、12隻の建造にとどまっている。
小型空母「涼鷹」の初陣は華々しいものだった。第4次ソロモン海戦におい
て、見事に艦隊を守り切ることに成功した。この時の搭載機は戦闘機と攻撃機
の混成であったが、「雲龍」級が登場してからは、専ら艦隊防空として戦闘機
のみを積み込まれた。当初の予定である「雲龍」級を補完するという目的は達
成されていた。
昭和20年に入り、太平洋において日米両軍の戦力は拮抗した。21年までに
「雲龍」級は改良を重ねながら11隻が竣工している。20年3月までに全艦が
竣工する「涼鷹」級は、一部をのぞき、艦隊防空の任務を解かれる。
次の転属先となったのが船団護衛である。これまで日本の生命線たるシーレ
ーン確保は旧式の駆逐艦や海防艦で行われてきたが、米潜水艦の暗躍により負
担が重くなっていた。首脳部も米潜水艦の通商破壊戦に頭を痛め、新鋭駆逐艦
の「夕雲」級や丁型「松」級を投入していたが、それでもなお、潜水艦による
被害は増え続ける一途を辿っていた。
その対抗策として、多数の戦闘機と対潜攻撃機を塔載した「涼鷹」級を船団
の護衛につけるというものだった。
「涼鷹」級は南方から日本までの間を行き交う船団をよく守った。そしてそ
の恩恵により、日本はより安定した物資を南方から頼ることができたのである。
護衛空母1隻につき、駆逐艦3〜5隻で護衛艦隊を組み、大戦終結までに米
潜水艦を37隻を撃沈(戦後発表)している。対潜攻撃機「東海改」によると
ころが大きいにしろ、これは歴然たる戦果である。 その一方で、潜水艦の雷
撃により2隻が戦没している。その後の調査により、徹底的な魚雷に対する防
御が図られ、以降の空母に取り入れられた。
そして昭和22年8月16日に第二次世界大戦が終結。その後の朝鮮戦争にも久
々の艦隊防空任務として従事している。
だが、太平洋戦争の武勲艦も、艦載機のジェット化、大型化にはついてゆけ
ず、一時は全艦が予備役編入にされ廃艦処分も検討された。
30年代に入り「涼鷹」はヘリコプター空母として生まれ変わる。姉妹艦も同
様の改装を施されるか、強襲揚陸艦へ改装、あるいは飛行機運搬艦などの第二
の人生を歩みだしている。
尚、姉妹艦のうち25年にドイツ海軍へ「焔鷹」が、27年に「紅鷹」がフラン
ス海軍にそれぞれ売却され、28年に「弓鷹」がオーストラリア海軍に長期レン
タルされている。
「涼鷹」は近代化改修などを経ながら昭和46年に、後継空母を待たず退役した。
後書
どうも、幸祐輔の服部です。
競争試作に続き、こちらにも作品を送らせてていただきました。
「空知」級の空母への改装版です。完全に軽空「インディペンデンス」を意
識した造りになっています。初めは「カサブランカ」とかの船団護衛空母を考
えていたんですけど、何時の間にか考えが大型化して「インディ」になってし
まいました(「インディ」よりさらに大きいけど‥‥‥)。
とりあえず、冠に「護衛」をつけてみました。
「空知」では誤字が多くてすみませんでした。私の病気なんです。それに今
回も拙い絵ですみません。勉強中ですので、そのうち、きっと、改善します。
話は変わって艦載機なんですが、勝手に「東海改」なんて創りました。
古い写真やマンガでしか見たことのない「東海」ですが、あれがもう少し早
く完成してなおかつ、艦載機になっていたらなぁ、なんて考えていました。
まさに御都合主義(笑)。現実を見つめなおします。
これを書いたのは5月の中旬頃です。6月現在、あらたに「航空戦艦」とい
うやつに取り掛かっています(全然現実見つめ直してないじゃん‥‥‥)。
この後書をかいてるいる頃にはほとんどできあがっています。
ですけど、また長い経歴とかを書いているんでお披露目するには至っていま
せん。
私がある程度納得したものになったら、寄稿したいと思います。その時はよ
ろしくおねがいします。
ではまた、なるべく近いうちに‥‥‥。
KIK・S「もう一度TENDERNESS」を聴きつつ
服部祐輔
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